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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第5回   水野明美の過去


 このメガネもまだかけていなかった頃。
 あれは三年生の十二月だった。私には決して忘れない思い出だ。
「この子がその袋の中に本を入れたところ、私、見たの」
 沢井さんという女の子は平気な顔で大人たちに嘘をついた。

 それまで私には友達など一人もいなかった。
 それなのに突然、同じクラスの沢井さんが私の机の方に寄ってきた。
 沢井さんが寄ってきた時、顔を確かめるため私は目を細めた。
 私の目は黒板の字も見えないくらいの近眼だからだ。
 私の体、臭いのに、沢井さんは鼻が悪いのかな?それとも我慢しているのかな?
「ねえ、水野さん、私たち、友達になろうよ」
 友達?教室中には友達同士で溢れかえっている。けれど私には友達というのは無縁の存在だ。
 私にとっては友達というのは本の中にしかいないものだとばかり思っていた。
「う、うん」私は小さく頷いた。断る理由も見つけられなかった。
「でも、どうして私なの?」
 念のため聞いてみた、沢井さんが私と友達になる理由だ。
「だって水野さん、本を好きでしょ、私もそうなの」
 そうなんだ。趣味が私と一緒なんだ。
 沢井さんは私が休み時間に本を読んでいたり、図書室にいる所を見てたんだ。
 けれど、沢井さんって周りにいつも一緒にいる仲間がいなかったかしら?
 そうか!その人たちは本を読まないんだ。だから、沢井さんは私と友達になろうと思ってるんだ。

 その日の夜、私は興奮して眠れなかった。
 図書室で何度も借りて読んだ宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニの親友カムパネルラのように私を迎えに来てくれたんだ、と思った。
「銀河鉄道の夜」のように二人で銀河を旅して「本当の幸い」を探しに行ける。私はまるで主人公のジョバンニになった気分だった。
 でも私は知らなかった。友達同士は何をして遊ぶのかを。

「水野さん、帰りに駄菓子屋に寄っていこうよ」
 沢井さんは私がランドセルを背負っているところに声をかけてきた。
 私たちは近くの商店街の駄菓子屋に向かった。学校の近所に駄菓子屋は他にはない。
「沢井さんは、今、な、何を読んでいるの?」
 歩きながら沢井さんに声をかけた。他に何を言っていいかわからない。
「えっ、読んでるって・・何を?」
 沢井さんは全然見当違いのことを私に訊かれたような表情をした。
「ほ、本よ・・」
 私の言い方が悪かったのだろうか?
「ああ、本のこと・・そうねえ」
 しばらく考えている風だった。
 あれ?本は読まないのかな?・・でも本を好きだと言っていたわ。
 でも私は思っていた。別に沢井さんが本を読んでなくてもかまわない。それより友達になってくれるという人を失いたくなかった。
「『銀河鉄道の夜』かな?」
 沢井さんはそう言った。私の一番好きな本のタイトルだ。
「わ、私もそれ読んでる・・」
 私は気持ちが昂ぶっていくのを抑えられそうになかった。こんなに嬉しい気持ちは初めてだった。
「ああ、そう・・面白かったわね」
 沢井さんの声が少しも昂ぶっていないけれどかまわない。それくらい嬉しかった。好きなものを誰かと共有できた喜びの方が大きかった。
「そうでしょ!」
 私は興奮して思わず大きな声を出していた。
 沢井さん、私と同じ本を読んでたんだ。
 今夜もまた眠れそうにない。
 駄菓子屋につくと沢井さんはお菓子を選び始めた。
 私は駄菓子屋に来たことがなかったので戸惑った。
 色とりどりの包装に入ったお菓子が並べられているのが別の世界のように感じられて眩しかった。
「私、お金、持ってきてなかったわ。水野さん、ここのお代金、払っといて」
 沢井さんは選んだお菓子を入れた小さなカゴを持ったまま言った。
 えっ?
「わ、私も自分の分くらいしか持ってないよ」自分の分もないかもしれない。
「水野さん、私たち、友達でしょ?」
 友達?そうなんだ。こういう時、助けるのも友達なんだ。私は何も知らない子供だ。
 でも「友達でしょ?」と言う時の沢井さんの顔は少し怖い。

 レジ横に座っているおばあさんが私たちの話を聞いていて「あとでお金を持ってくるのならいいよ」と言ってくれた。
「こ、これ、いくらになるんですか?」
「二百四十円」
 私は百五十円しか持っていなかった。
「今はこれだけしかありません」私は小銭入れから全額をおばあさんに渡した。
「残りは明日、持ってきます」
 それくらいは貯金箱にある。
「あんた、そんなに無理して買わなくてもいいのに」
 置いていけばすむことじゃない、とおばあさんは言いたげだ。
 けれど私はそうはいかない。こんなことでせっかくの友達を失うわけにはいかない。
 これを買って沢井さんに食べて喜んでもらわないと。
 私はランドセルから自分の教科書を取り出して、おばあさんに名前を記入した所を見せた。私のことを信用してもらうためだ。
教科書をここに置いていってもいい、と言ったけどおばあさんはそこまでしなくていい、と言ってくれた。
「そっちの子は何も見せないの?」
 おばあさんは沢井さんを指した。
「それ、私が食べるんじゃないから」
 えっ、そうなんだ。これ、私が食べるために?
「沢井さん、これ、私のなの?」
「私、そんなの食べないわよ」
 沢井さんはまるで汚いものでも見るような目で駄菓子を見やった。
 そうなの・・
 私、それほど飢えてると思われてるんだ。
 私はお菓子を包んでもらいランドセルに入れた。
「沢井さん、本当に食べないの?」
「食べないわよ」
 だったらどうしてここに来たんだろう?私にはわからない。
 友達ってこんなものなんだろうか?
 でも沢井さんは「銀河鉄道の夜」を読んでいた。
「事故で死んだ姉弟って、かわいそうだね」
 私は商店街を出て歩きながら「銀河鉄道の夜」に出てくる姉弟のことを言った。
「ああ、列車の事故のこと?」
 少し考えてから沢井さんはそう返した。
「銀河鉄道の夜」で事故が出てくるのは北の海で沈んだ船のことだ。
 海で死んだ姉弟が銀河鉄道に乗って旅をしているエピソードだ。
 列車の事故なんて話の中のどこにも出てこない。
 沢井さんは本など少しも読んでいないと思った。
 少なくとも「銀河鉄道の夜」は読んではいない。適当に本のタイトルを言っただけだった。
でも、いい。
 おそらく私には人に何かを求める資格もないんだ。

「水野さん、あなた、沢井さんにからかわれているんじゃない?」
 そう私に話しかけてきたのは隣に座っている井口さんだ。
 井口さんはどうしてそんな風に思ったのだろう?
 確かに沢井さんはお菓子を食べなかったし、本も読んでなかった。
 けれど私と友達になってくれると言ってくれた。
 井口さんはそんなことは言ってくれなかった。
 沢井さんと井口さんは全然違う!
「井口さん、何かの勘違いよ、沢井さんはそんな人じゃないわ」
「そう、だったら、私の思い過ごしかもね」
 井口さんは納得してくれたのかな?

「水野さん、本が好きだったら、駅前の本屋さんに行こうよ」
 学校の帰りに沢井さんはそう声をかけてきた。
「で、でも・・」
 本が好きだと言っても私には本を買うお金などない。本を読むのは図書室で借りて読むだけだ。
「行かないの?・・私たち、友達でしょ?」
 やっぱり沢井さんの顔が怖い。
「い、行くわ」
 本屋さんに行っても、気に入ったのがないと言って買わなければ済む話だ。
 私たちは学校の帰りに直接駅前まで歩いて本屋さんに入った。
 私はこんな場所に来ることなんてまずない。
 でも憧れの場所でもある。図書室にない本が一杯ある。興奮しすぎて横に沢井さんがいるのも忘れてしまうほどだ。
 私は雑誌のコーナーには目もくれず文芸書の書棚に向かった。
 あとから沢井さんがついてきた。
 見たこともない本がずらりと並んでいる。
 少し見るくらいならかまわないだろう。私は宮沢賢治の「全詩集」を手に取った。

「ねえ、水野さん、今なら誰も見ていないよ」
 後から来た沢井さんは私の耳元で囁いた。
「えっ、誰も見てないって・・」
「欲しいんでしょ、その本」
 何のことかわからない。沢井さんは何を言っているのだろう。
「この中にその本を入れちゃいなよ」
 沢井さんはランドセルから手提げ袋を取り出した。
「沢井さん、それって、盗みよ!万引きだわ」
 そういう私の手に有無を言わさずに手提げを持たせた。
「な、なにをするの?」
 私は本を持ったままだ。書棚に戻そう。
「水野さん、声が大きいわよ」
 沢井さんは私の手から本を奪い取った。読みたかった宮沢賢治の「全詩集」だ。
 宮沢賢治の幼くして亡くなった妹は「銀河鉄道の夜」の主人公の親友カムパネルラのモデルだとも言われている。詩集を読んで宮沢賢治の気持ちをもっと知りたかった。
「でも、よくないわ、こんなこと」
 沢井さんにはそんな私の気持ちはわからないだろう。友達でもわからないことはある。
「いやなの?私たち、友達でしょ?」
 友達?・・私たちは本当の友達なの?・・友達ってこういうことをするものなの?
「いくら友達でも、盗みは、・・えっ」
 沢井さんは私に渡した手提げの中に本を放り込んだ。

「何をしてるんだ、君たち!」
 店の人が近づいてきた。表情が険しい。大人の顔だ。私の家にもこんな怖い人がよく来る。
「ちょっと、その袋の中を見せなさい!」
 私はイヤイヤするように首を振った。

「この子がその袋の中に本を入れたところ、私、見たの」
 沢井さんは店員の男の人にそう言いながら私の方を指差した。
 沢井さんが一体何を言っているのか私にはわからなかった。
「君たち友達同士じゃないのか?」
 店員さんが訊ねる。
「違うわ!」沢井さんは本屋さんに入ってからの一番大きな声で答えた。
 私が沢井さんの言葉に驚いて立ち尽くしていると店員さんが私の手から手提げ袋を取り上げた。
 中には私の読みたかった宮沢賢治の「全詩集」が入っている。
「あった!これはうちの本だ」
 男の店員さんは本を取り出して店内に響き渡るような声を出した。
 宮沢賢治は詩集の中の「永訣の朝」で早くして亡くした妹のことを悲しんでいる。
 それは言葉にし難い悲しみだ。けれど美しい悲しみでもある。
 それに比べてここは、私のいるこの場所はすごく汚れている。
「違います!そ、それ、私の本です。家から持ってきたんです」
 私は嘘をついた。沢井さんが嘘をついたんだから私もついてもかまわない。
「違うわよ、その子、そこの本棚から取って袋の中に入れたのよ」
「沢井さん、な、何を言っているの?それはあなたが・・」
 沢井さんの方を見るといつもの「私たち、友達でしょ?」と言う時の顔をしていた。
 私は何も言えなかった。
「ちょっと、君、奥の事務室まで来てくれるか」
 私は何も悪くない。
 けれど、私は沢井さんが袋の中に本を勝手に入れたことを言えなかった。
 頭の中に「私たち、友達でしょ?」という時の沢井さんの怖い顔が何度も浮かんでは消えた。
 私は寒い事務所の中で震えながら学校の名前や氏名、住所とかを書かされた。
 電話の受話器を持たされ親を呼ぶように言われたけれど「電話はありません」と答えた。
 別の男の人が来て私の住所を見ると「学校の先生を呼んだ方がよさそうだ」と言った。
 先生が来ると私は「すみません、ごめんなさい、もう二度としません」と何度も言い続けた。
 先生も何度か店の人に謝った後、今から学校に戻ると言って帰っていった。おそらく報告をするためだろう。
 私が本屋さんを出る頃にはもう外は暗くなっていた。
 私は辺りをきょろきょろとして沢井さんの姿を探した。
 沢井さんはもういないだろうと思っていても、心の中にはまだ「もしかしたら私のことをまだ待ってくれているんじゃないか」と期待する気持ちが残っていた。
 でもこの世界はそんな私の気持ちには答えてくれない。
 沢井さんの姿はどこにもなく暗くなった町は吹雪き始めていた。
 薄着の私はランドセルをしょって長い道のりを家に向かって歩き始めた。
 涙が次から次へと溢れて出して止まらなかった。

 次の日、教室で沢井さんは私に声をかけてこなかった。
 聞こえてきたのは沢井さんの仲間の子の声だ。
「やだあ。沢井さん、また、からかったの?これで何人目?」
 私の名前は出していないけれど私にはわかった。明らかに私の話だ。悪意のある話だ。
「前は小川さんのこともからかってなかった?」
「小川さんはダメよ。香山さんがいるから」
「水野さん、近眼だから、こうやって人のことを見るのよね」
 顔は見えないけれど、たぶん、私が目を細めている所を真似しているのだろう。
「少し気持ち悪いわよね」
 私が席に座っているのをわかっていてわざと悪口を言っている。
「それにちょっとあの子、臭くない?」

 昼休みは図書室に行くことにした。
 私の悪口だとわかっていて聞くのはたまらない。
 友達なんて私には贅沢だったのだ。
 初めからいない方がよかった。
 それでも私は沢井さんが「お友達になろうよ」と言ってくれた日の夜の興奮を忘れなかった。やっぱり気持ちのどこかでは友達が欲しいと願っていたのだ。
 ジョバンニと一緒に銀河を旅するカムパネルラのような友達が・・
 気がついたら私は書架と書架の間を泣きながら歩いていた。
 涙を拭いながら日本文学のコーナーを眺める。
 学校の図書室には「銀河鉄道の夜」はあっても宮沢賢治の詩集はない。
 以前はあったのだけれど延滞か何かでなくなっている。再入荷の予定らしいけれど入ってきていない。
 お金が欲しい。お金があれば本を買える。

 二学期の終業式が近づいた頃、先生が教壇に立った。
「昨日、ある生徒の給食費がなくなりました」
 先生の言葉に教室がざわついた。誰かが盗ったのだ、という声が聞こえる。
 一番に疑われるには私だ。先生が本屋の人に呼ばれたのだから。

「水野さんじゃないんですかあ。あの子、万引きもしたことあるし」
 そう言ったのは沢井さんだった。
 私は忘れない。その声、その言い方を私は死ぬまで忘れないだろう。
「本当なの?」「万引きって!」「うそおっ」色んな生徒の声が混ざる。
 こういう時、私はどんな顔をすればいいのだろう。ちゃんと声に出して否定した方がいいのだろうか。そうすれば信じてもらえるのだろうか。
 お金は欲しいけれど、人のものを盗むなんてこと絶対に私はしない。
「沢井さん、軽々しくそんなことを言うものではありません」
 先生はそう言ってるけどきっと私のことを疑っているだろう。
「もし、これが誰かが盗ったということであれば、小学生でも犯罪になります。先生はうちのクラスに限ってそんな子はいないと信じています。でももし何かの事情でそんなことをしたのであれば、あとで先生のところに言いに来てください。先生は職員室にいますから」
 白々しいセリフが耳に届く。先生はあとで私に職員室に来いと言っているのだ。
 終業式の日、先生が給食費のことは生徒が名乗り出てきて給食費は返ってきたので解決しました、とみんなに言った。
「きっと水野さんよ」生徒たちが口々に言った。
「みんなの前では言いづらくて、こっそり職員室に行って先生に言ったんだわ」
「一緒の教室にいるのもいやよね。クラスを変えてもらえないのかしら?」
 沢井さんの万引き発言で生徒の間では私はまるで前科持ちのような扱いになっていた。
 給食費を盗った犯人には悪いけれど、みんなの前で名乗り出て欲しかった。

 銀河鉄道は心の綺麗な人しか乗れない。心が汚れていれば銀河鉄道はその姿を現さない。
 私は嘘をついた。本屋さんの人に「この本は私が持ってきた本だ」と嘘をついた。
 先生にも「私が盗りました」と嘘をついた。
 給食費を盗った犯人に私の疑いを晴らすために名乗り出て欲しいと願ってしまった。
 私の心はもう汚れてしまっている。
 いくら銀河鉄道が現れるのを待っていても現れることはないだろう。
 終業式を終え家に帰った。雪がはらはらと降り始めて今日がクリスマスだったことに気づいた。そういえばクラスのみんなが親からもらったプレゼントの話をしていた。

 家に帰ると家よりもゴミの山の方が大きいのではないかと見える時がある。
 私の家の周辺には見渡す限りゴミの山が広がっているからだ。

 壊れた家庭用の冷蔵庫や洗濯機、テレビ、ラジオのような粗大ゴミ、まだ使えそうな自転車や三輪車、乳母車も何台も積まれてある。
 土砂や瓦礫、レンガ、瓦、建築資材が山の形になっていくつもの山々を形成している。
 生ゴミもあるから、その臭いで鳥や犬も寄ってくる。昔はそんな犬に餌をやって名前をつけたりしていた。
 そして家の周辺には粗大ゴミを業者に売る人もいるし、ゴミを新たに使う人もいる。
 この辺りに住む人はゴミの収集も仕事にしている人が多い。
 私はよくゴミの中から使えそうなものを物色する。
 私は家庭ゴミの中に女の子がかけるようなメガネを見つけた。まだ綺麗そうなので手に取ってみた。こんな物を捨てるなんて何て勿体ないことをするのだろう。度数が合わなくなっていらなくなったのだろうか?
 メガネに付いている土をはらって顔にかけてみると度数は少し合わなかったけれど大きさがピッタリだった。
 遠くのものははっきりと見えないけれど十分だった。
 吉水川の上流にそびえる様に立っている「ヘルマン屋敷」の尖塔の十字架が以前より綺麗に見えた。
 これは神様が心の汚れた私にくれたクリスマスプレゼントだ。
 こんな私にもまだ希望はある。



 学校の用事を伝える連絡網は私の家だけ先生から直接伝えに来てそれで終りだ。
 他の生徒みたいに伝言ゲームのようにはなっていない。
 連絡網の表を見れば一目瞭然だ。先生の家から矢印が伸びて私の家で止まっている。私はどこにも伝えなくていいことになっている。
 私の家が電話がないこともあるけれど、それだけではない。学校側の配慮によるものだ。
 電話がない生徒も連絡網の中に組み込まれている。同じクラスの小川さんも電話がないけどちゃんと組み込まれている。
 私の家だけが特別扱いなのだ。

 ゴミの中で拾ったメガネのおかげで黒板の字が前よりよく見えるようになり、三学期からの成績も次第に上がった。
 このメガネのおかげだ。それにメガネをかけていると違う自分になれたような気がした。
 髪も伸ばし始めた。
 何度か100点を取るようになった。先生がみんなの前で「今回のテストで100点だったのは水野さんだけです」と言ったのでみんなが一斉に私の方を見た。
 みんなの私を見る目が変わっていくのがわかった。
 けれど前の方の席の沢井さんだけは私を見なかった。
 横の席の井口さんが「水野さん、100点取るなんてすごいわね」と驚嘆の目で見てくれた。
 当然だけど、沢井さんはあれから私に話しかけては来なかったし、私と友達になりたい、と言う子も現れなかった。
 沢井さんが初めて私に話しかけてきたあの日の前の状態に戻ったのだ。
 その方が私にとって快適だった。
 以前のように本ばかり読んでいる女の子に戻っただけのことだ。

「ねえ、水野さん、知ってる?」
 話しかけてきた井口さんの話はこういうことだった。
 沢井さんは私を散々からかったあげく今度は別の女の子もからかい始めた。けれどその子は私のように万引きの犯人にされそうになったことをちゃんと本屋さんにも言い両親にも言ったのだ。
 その結果、沢井さんは先生に呼び出され注意されることになったらしい。
 おそらくその女の子には「銀河鉄道の夜」のカムパネルラのような友達は必要ではなかったのだろう。
 先生は私の時のことも沢井さんの仕業だとわかってくれただろうか?
 でもそれは無理かもしれない。本屋さんに先生が来たときには沢井さんはいなかったのだから。
 でも給食費の盗難事件のとき万引きのことを口にしたのは沢井さんだ。他に知ってる人はいなかったはずだ。先生はおかしいと思わなかっただろうか?
 先生にそこまで期待してもしょうがないことはわかっていても考えてしまう。
 私は一体どうしたいというのだ。
 過去の私にかけられた疑いを晴らしたいのか。沢井さんが痛い目にあって欲しいのか。

 私は井口さんに「教えてくれてありがとう」と微笑んだ。
「水野さん、もしかして香水つけてる?」
 私は首を振った。「家の人の移り香じゃないかな?」と言って誤魔化した。
 また私は嘘をついた。香水は本当は少しつけてる。
 体に染みついたゴミの臭いを少しでも誤魔化すために。
 あのクリスマスの日からだ。
 家庭ゴミから拾った香水の瓶から残りを掬い取って使っている。他の生徒にわからないようにごく微量だ。けれど少しでも多くつけてしまうと誰かに気づかれてしまう。

 今でも沢井さんのことを何度も夢に見る。
 私の心は本屋さんを出た時に沢井さんの姿を探していた時のまま止まっている。
 夢の中で私は吹雪の中をランドセルをしょっていつまでも沢井さんを探して歩いている。
 ひょっとしたら沢井さんは物陰に隠れていて私を驚かそうとして待っているんじゃないかと思って電柱や道の角の向こう側に駆けていって確かめたりしている。
 沢井さんは私のことを探そうとしてどこかで迷子になったんじゃないかと想像して沢井さんを見つけようといろんな所を探しながら歩いている。
 道を歩いている人に私と同じくらいの小学生の女の子を見なかった?と訊いてみたりする。寒いから沢井さんはどこかで震えているんじゃないか、と心配したりする。

 そんな夢を繰り返し見た朝はこの寒いのに汗びっしょりになっている。
 結局、私は今でも何かを求めているのだ。
 私を裏切らない誠実な友達を。
 そして友達と一緒に「本当の幸い」を探しに銀河鉄道に乗って旅をしたい。


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