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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第22回   妙ちゃん


「切符を拝見します」
 駅長さんに言われ、私はカバンから切符を出そうとするけれど切符は見つからない。
 そこで目が覚める。また、同じ夢を見た。
 私はいつまでも銀河鉄道に乗ることができない。
 前まで切符を差し出してくれた妙ちゃんの顔も思い出せなくなった。
 同じ夢を見ていても終業式は来る。
 明日はクリスマスだ。
 こんな集落でもクリスマスの雰囲気は伝わってくる。
 集落に住んでいる小さな子供たちの「ジングルベル」の歌が聞こえてきたりする。
それくらいだ。私には関係ない。

 母は警察に行ってからは宗教の商品の販売をやめていた。母の口から「悪魔」とか「心の汚れ」などの言葉は発せられなくなっていた。
 この小さな家の中ではそれは大事件だ。昨日は電車に乗って職業安定所に仕事を探しに行ってきたらしい。
 母はそうやって歩き出しているみたいだけど、私はずっとこの場所に居続ける。

「明美、こんな所を歩いている女の子がいるよ。危ないわねえ」
 母が窓を開けながら言った。冷たい風が入ってくる。
 私は終業式を終えランドセルを居間に置いたところだった。
 寒いから開けなくてもいいのに、窓をよく開けるのは母の昔からの習慣だ。
 家の周囲をいつも気にしている。誰かまた母の売った商品の文句を言いに来る人が来るかもしれないからだろう。
 母の言うとおり、この集落の周辺は物騒な場所だ。窃盗、暴行はもちろん、痴漢だっている。おそらくクラスの子たちもここには近づかないように親に言われているはずだ。
 変な病気も移されると言っていた人もいた。
 そんな所に私たち親子はもう何年も住んでいる。
「今夜も冷えそうだねえ」
 本当に寒い。今夜は雪が降るのではないだろうか?
「ううっ、さぶっ」と母は呟いた後、窓を閉めようとした。
 ぎしぎしいっと窓が錆びついたレールの上を軋みながら走る音がする。
 いやな音だ。
 私は窓を見た。いつも嫌がらせの貼り紙をされる窓を。
 いや、私は窓の外を見た。
 母の言った通り女の子が歩いている。それも二人。
 こちらに向ってきている。
 こんな場所に?
 でも、あれって・・
「お母さんっ、ちょっと待ってっ!」
 私の体が震え始めている。窓から入ってくる風の寒さのせいではない。
「何を待つんだい?」母が窓を閉める手を止め不機嫌そうに言う。
「窓を閉めないでっ!」
 私は咄嗟に叫んでいた。静かな家の中が一変する。
「明美、そんなこと言っても、寒いじゃないか」
 私は母の言葉を無視して窓の側に駆け寄りメガネの縁を上げ目を凝らした。
 妙ちゃん?
 絶対にそうだ。見間違えることなんてない!
 でも、どうしてここに?
 もしかしてこの家に来るの?
 そしてもう一人は誰?
 それよりも妙ちゃんにこの家を見られることが恥ずかしい。
 私は、ど、どうしたらいいのっ?
 そうだわ! そうよ。私は妙ちゃんのお父さんに言われていたんだ。
 私は忘れてはいないわ。
 私は妙ちゃんと口をきいたらダメなのよ。妙ちゃんに迷惑をかけてはいけない。
 けれど、妙ちゃんは私の家に向っている。
 この集落に私と同い年の女の子なんて他にいない。やっぱり私の家に?
 でも、どうして私の家に向ってくるの?
 ここはゴミの匂いで臭いんだよ。妙ちゃんの服に匂いがついちゃうよ。それに足元にはガラスの破片が一杯落ちてるのに。ああ、そこ、ビール瓶が割れてる!
 ああ、私はどうしたらいいの?
 女の子の小さな靴が砂利を踏みしだく音が近くに聞こえだ。
 もうダメ、すぐそこまで来ている。
 私は家のドアを開け外に飛び出した。
 家の中を見られるのだけはダメ!

 ドアを開けると私の目の前にには二人の女の子が立っていた。
 こんな寒そうな場所に来て、妙ちゃんはきっと寒いはずだ。私は慣れているけど、ここは吹き曝しですごく寒い。普通の人なら凍えてしまう。
 そんな場所でも集落の子供たちは元気らしくては外でけんけんをしたり、早くも独楽を回して遊んでいる。
 子供たちは私を見つけて「アケミのおねえちゃんだ!」と口々に言い始めた。
 そして、目の前の二人も寒さなど気にしていないように見える。
 妙ちゃんが私を見つけて笑顔を見せた。
「あ、明美ちゃん!」
 私を呼ぶ懐かしい声が私の耳に届く。
 おっとりした、どこか、安心のできる顔。
 髪型も以前と変わっていない。
 でも、妙ちゃん、違うよ、私は「明美ちゃん」じゃない。

「た、たえ・・は、橋本さん・・わ、私に何か用なの?」
 妙ちゃんは「橋本さん」という呼び方に少しがっかりしたような顔を見せた。
「あ、あのね、今日は明美ちゃんに用があってきたの」
 少し恥ずかしげに話す癖、全然変わってない。
「よ、用って?」
 私はメガネの縁をくいと上げて冷静を努める。
「明美ちゃん、まだお昼ご飯、食べてないよね?」
 お昼ごはん?
「食べてないわ。さっき帰ってきたばかりだし」
 私は妙ちゃんと口をきいてはいけないのに、あれほど決心していたのに、お昼ご飯、って訊いてくるなんて、妙ちゃん、ずるいよ。思わず答えちゃったじゃない。
「だったら、今から『芦田堂』に一緒にいかない?」
 芦田堂?・・あの銭湯の横の和菓子屋さんのこと? でもどうしてそんな所に行かなくてはならないの?
「ごめん、明美ちゃん、その話の前に、紹介するの忘れてた」
 妙ちゃんはそう言うと隣の女の子を指して「こちら、伊藤さん、私と同じクラスの子、私の友達なの」と言った。
 伊藤さんと呼ばれた子は私を見て頭を少し下げた。
 妙ちゃんと比べるとしっかりした感じのする女の子だ。
 よかった・・妙ちゃん、いい友達ができていたんだ。

「あのね、明美ちゃんのクラスの村上くんっていう男の子がね・・」
 村上くん!
 私の驚きとはよそに妙ちゃんは話を続ける。
「村上くんが『芦田堂』の宣伝の写真を撮るんだって、その写真の中にお客さんの女の子を入れたいらしいの」
 村上くんが宣伝の写真を?村上くんにはそんな趣味があったんだ。人に撮影を頼まれるなんてすごく上手なんだろうな。
「ごめん、橋本さん、私、何のことかわからないわ」
 その話、もっと聞きたいけれど、わざと惚けてみせる。
「それが私たち」
 私たち?
「写るのは明美ちゃんと私と伊藤さんだよ」
 妙ちゃんと私と伊藤さん?
 私の考えていることがわかるかのように妙ちゃんは頷き、にこりと微笑む。
 その懐かしい笑顔に私の決心は挫けそうになる。

 真っ赤なお鼻のトナカイさんは〜
 近所の女の子たちが歌い始めた。
「ねえ、ねえ、アケミのおねえちゃんもいっしょに唄おうよおっ」
 一人の子が私のスカートの裾をくいくいと引っ張る。
「いっしょにあそぼおっ!」
「あ、あとでね」私はスカートを引っ張る子をあしらう。
「じゃましたら悪いよお、アケミのおねえちゃんとこに、オトモダチが来てるもん」
 別の子がスカートを引っ張る子をたしなめる。
 友達?・・
 友達じゃないわ。
 私はもうとっくに、妙ちゃんと・・
 でも、どうして私の心の中では「橋本さん」ではなくていつも「妙ちゃん」なの?

「ごめん。橋本さん、私、行かない。二人で行ってきて・・」
「えっ」
 妙ちゃんはその顔に戸惑いの表情を浮かべた。
「そ、それに私はもう『明美ちゃん』じゃないわ」
 とっくの昔に私は妙ちゃんにとっての「明美ちゃん」じゃない。

「アケミのおねえちゃん、きげんわるいみたいだよお」
 そう言いながら子供たちは私から離れていった。
「アケミねえちゃん、泣いてるよ!」
 泣きそうだけど、泣いてない。そう見えるのかな?

「ど、どうしてよ・・」
 隣の三つ編みの伊藤さんが口を開く。少し声が震えている。
「えっ、何が?」
 私は伊藤さんの方を向いた。
「水野さん、どうしてなのよっ!」
 伊藤さんが怒鳴り声をあげ怒ったように言葉をぶつけてきた。
 どうしてそんな怒った顔をするのか私にはわからない。
「橋本さんはね、いっつも水野さんの話ばっかりするんだよ」
 そ、そうなの・・でも。
「いつも、いっつも! 私と話をしている時も、橋本さん、うわの空で水野さんのことを考えていたんだよ!」
 私だってそうだよ。
 毎晩、夢に見たくらい。妙ちゃんの存在が消えたことなんて一度もなかった。
「橋本さんの心の中にはずうっと水野さんがいたんだよ!」
 伊藤さんの激しい口調が治まらない。
「それなのに、それなのにひどいよ。一緒に行かないなんてひどいよ。私が邪魔だったら、私、帰るから、橋本さんと一緒に『芦田堂』に行ってよ!」
 伊藤さんが言い終えると恥ずかしげな表情の妙ちゃんが「伊藤さん、いいよ、そんなに言わなくても」と伊藤さんを制する。「伊藤さんが帰ったりしたら、何にもならない」と続けて言った。
 よかった、伊藤さんはっきりものを言ってくれる女の子なんだね。
 大人しい妙ちゃんには丁度いいかもしれない。
「明美ちゃん、私のお父さんのことならね、もう気にしなくていいんだよ」
 その言葉に私の心がびくっと震えた。
「明美ちゃんの家に行ってきなさいって、お父さん、今日、家を出る時に言ってくれたから」
 そんなっ。だって、妙ちゃんのお父さんはあんなに私のことを。
 縁起が悪いから妙ちゃんともう会わないでくれって、あんなに私に。
「明美ちゃん、お父さんのことは本当にごめんね!」
 妙ちゃんは両手を合わせて私に謝る。
「で、でも、私は・・」
 こんな時、私は何て言ったらいいの?
「私の中では明美ちゃんはいつまでも『明美ちゃん』だったんだよ」
 妙ちゃん、私もだよ。
「橋本さん・・」
 このまま「芦田堂」に行けばそこに幸せが待っているかもしれない。
 きっと楽しいだろうな・・
 けれどいざ銀河鉄道に乗れると思うと足がすくんでしまう。
 それに私は銀河鉄道に乗るための切符を持っていない。
「誰か来てるの?」
 ドアの向こうで母の出てくる音がした。
「わ、私、ダメなの・・」
 私は自然と口を開いていた。
「明美ちゃん、何がダメなの?」
「私、わかったの、私は一人がいいの」
 たとえ「芦田堂」に行っても何かまた悪いことが起きる。
 誰かに妙ちゃんに近づくな! って言われるに決まってる。
「それに今日はクリスマスイブだから、お母さんとこれから・・」
 言いかけて言いよどんでしまう。そんなものは私の家にはない。
「そ、そんな・・」
 悲しげな妙ちゃんの表情が目に焼きつく。
「妙ちゃん、ごめん、本当にごめんね」
 私は妙ちゃんの名前を最後に呼んだあと、二人の横を抜けて駆け出していた。
 ざっざっと砂利を私の靴が砂利を踏みしだいた。冷たい風がびゅっと頬に当たる。
「明美ちゃん!」
 後ろで妙ちゃんの私を呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと、水野さん、どこに行くの!」
 伊藤さんの問いかけの言葉が追いかけてくる。
「アケミのおねえちゃん、行っちゃったよおっ」
「アケミねえちゃん、どこいくのお!」

 ―妙ちゃん、ごめん、ごめんね。
 私は吉水川を土手沿いに走り続けた。二人の声はもう聞こえない。
 私には家以外に行く所なんてない。
 でも、今は家にいることもできない。妙ちゃんが来たことを早く忘れたかった。
 吉水川をどんどん上がっていくと高い空を引き裂くような十字架が見えた。
「ヘルマン屋敷」の尖塔の十字架だ。
 もう何年も行っていないその場所が私の本来行くべき場所に見えた。
 私の体は自然と「ヘルマン屋敷」に向っていた。
 あれから更に廃墟と化した屋敷の敷地に足を踏み入れるとガラスの破片や大きな瓦礫が転がったりしていて危ない場所だ。
 よくこんな所を走ったりしていたものだと思う。
 でも昔はここで何度も遊んでいた。
 妙ちゃんはもう帰っただろうな。私のことは諦めて伊藤さんともう「芦田堂」に行ったよね。
 これでいい。これでいいんだ・・
 私は瓦礫の中を進んだ。
 午後の優しい光が背中を少し暖めてくれている。山が近いのにここの方が家より気温が高いのではないかと思えるくらいに暖かい。でもそれは走ってきたせいだろう。背中が少し汗ばんでいる。
 敷地を進むとさっそく瓦礫に躓いた。その瞬間、私の躓く音とは別の違う音が聞こえた。
 誰かいる!
 私は近くの壁で体を支えると目を凝らした。
 屋敷の中に差し込む光が少し眩しい。
 そんな光の中にカメラを構えている村上くんが見えた。


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