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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第2回   山中達也の新しい母


 僕の家の近所には洞窟のような古びた商店街がある。
 その中に食料品を扱っている店があって、そこに調味料も置いてある。ただ品数が少なく母もよく愚痴を言っている。それも仕方のないことだ。一店舗当たりの大きさが八坪前後の店が十軒ほど並ぶ暗い場所なのだから。散髪屋さんなんて一応あるのだけれどお客さんが一人入ったら満杯になるような所だ。
 商店街の何軒かの店には僕のクラスメイトの親が営んでいる店があって、店の中でよく同級生に会ったりする。そこを住居にしている家もあるからだ。商店街を入ってすぐある薬局の息子の文哉くんなんかは店の奥に住んでいる。
 駄菓子屋のおばあさんの代わりに時々レジの前に店番で座っている小川さんの場合は近所のアパートでお母さんと二人暮しをしている。
 同じ並びにある八百屋さんは以前、同級生の田中くんのお父さんがいたのだけれど、離婚して「山中」という苗字に変わって八百屋は同時にやめてしまった。離婚して夫の方が苗字が変わるということは養子なのだろうか?
 いずれにせよ八百屋には今は知らない人が店の中にいる。
 商店街の突き当たりには古ぼけた電気屋があって、息子の松下くんが荷物持ちなどの力仕事をよく手伝っている。

「村上くん、お使い?」
 後ろから声をかけてきたのは駄菓子屋の店番をしている小川さんだった。
 叔母さんがついて来なくても知り合いの子に合ってしまった。
「小川さんは店番?」
「うん。今からいくところ。おばあちゃんと交替やねん」
「大変やな。何時までするんや?」
「うーん。決まってへんけど、家にお母さんが帰ってくるまで。買い物も少しして帰らなあかんし」
 ちょっと前までは小川さんと話すことなんてなかったけれど、今はこうしてよく話すようになった。
「お母さん、毎晩帰るの、遅いんか?」
「うん、もうすぐ年末やし、スーパーは書き入れ時やねん」
 小川さんのお母さんは同じクラスの香山さんのお父さんの会社の系列のスーパーで働いている。
「年末やったら、この商店街も書き入れ時とちゃうんか?」
「村上くん、何を言ってるの。この商店街に書き入れ時なんてあらへんよ」
 確かに小川さんの言う通りだ。ここはそんなこととは無縁だ。
 アーケードの天井の照明も暗く通路の足元の所々には水が溜まっている。
 天井の雨漏りで水が溜まりに溜まって天気になっても商店街の中が湿っているからいつまでも乾かずにいるのだ。
 買い物なら少し遠いけど誰だって駅前のスーパーまで行くだろう。ここは本当の用足しのような場所だ。
 吉水川の土手の集落も父が「時間が止まったような場所」と言っていたけれど、この商店街も同じように時が止まっているような気がする。
 数年後、ここはどうなっているのだろう?

「それより村上くん、聞いてちょうだい。私、びっくりしてもうたわ」
 小川さんは商店街の通路に立ち止まったまま嬉しそうな顔を見せた。
「何がびっくりしたんや?」
「委員長の長田さんがうちの駄菓子屋に来たんよ」
 あの長田さんが駄菓子屋に・・うーん。長田さんが駄菓子屋に来たところをうまく想像できない。僕が「一人でか?」と訊ねると「ちゃう、ちゃうよ」と手をぶんぶんと振って答えた。
「それで誰と?」
「誰と一緒やと思う?・・二組の芦田さん・・和菓子屋『芦田堂』の智子ちゃんよ」
 ああ、あの二人・・友達になったばかりの二人で来たんだ。
 けれど、芦田さんの方はともかく長田さんほどこの商店街に不釣合いな女の子もいないだろう。
 長田さんはクラスの委員長をやっている子で大豪邸に住んでいる女の子だ。
 西洋人との混血で髪の色が金色で目が青い。通学は大きな車の送迎つきだ。
 そんな長田さんが縁あって和菓子屋「芦田堂」の芦田智子さんと友達になった。
 二人の縁を取り持ったのは芦田さんの友達の石谷加奈子という子で自分が遠くに引っ越す前に二人を友達同士にさせて仙台に行ってしまった。
「長田さんは何を買ったんや?」
 僕が訊ねると小川さんは笑って「それは秘密よ」と言った。

 駄菓子屋に二人の女の子が来る・・
 そんな他愛もないもない小さな出来事が僕達の間では大事件だ。
 それに長田さんがこの商店街の中を歩いているところを想像しただけで僕はたまらなく幸せな気持ちになる。
 だって長田さんは金持ちだという理由で羨望の的になったのはいいけれどいつまでも友達ができないでいたからだ。
 長田さんが僕らの学校に転校してきたのは去年、小学四年生の二学期だった。
 彼女がこの町にやってきた当初は西洋人との混血が珍しいこともあって、みんなは好奇の目で見ていた。けれど親しく話しかける子は誰一人いなかった。
 長田さんは青い瞳をしているせいもあるのか少し近寄りがたい雰囲気を持っている。
 誰も寄りつかなく友達がいないというのはやはり寂しいものだと思う。

 そんな長田さんと芦田さんは周りからどう見ても全然合わないと思われる二人だった。
 芦田さんは地元の老舗の和菓子屋「芦田堂」の娘。親しみやすい笑顔で人を惹きつける。
 一方、長田さんの方はお嬢さま育ちの無口な女の子で近寄りがたい、というか人を寄せつけない雰囲気を持っている。
 二人の中に共通点などどこにも見つけられない。
 でも僕がどう思おうと二人は友達同士みたいだ。
 長田さんはこの暗い商店街に入った時、どんな風に思ったのだろう?この場所は長田さんにとって未知の場所だったのに違いない。
 長田さんに聞いてみたい気もした。



 新しいお母さんは本当のお母さんより綺麗で優しく何でも買ってくれた。
 僕の苗字が「田中」から「山中」に変わるのと同時にお母さんの名前が「留美子」というのもハイカラな感じがして気に入っていた。
 本当のお母さんの名前は「和子」で新しいお母さんよりも見た目も地味で大人しかった。
 そして、すごくケチだった。家が八百屋をやっているせいかもしれなかったけれど、お小遣いもクラスの他の子よりも半分くらいしかくれなかった。
 新しい野球のグローブが欲しいとねだっても「前のグローブ、まだ使えるでしょ」と言って有無を言わさずに断られる。
 確かにまだ使える。けれど、古いと、友達の前でつけるのが恥ずかしくなる。
 恥ずかしくて近所でする野球にも参加しなくなった。
 同じ商店街の薬局の文哉の奴は新しいグローブをお母さんにねだればずぐに買ってもらっていた。
 お小遣いは多い方が絶対にいい。少なければ友達も離れていく。

 けれど、お父さんがお母さんと離婚して再婚、というか山中家に養子に入ると長い間営んでいた八百屋をやめた。しばらくして香山グループの会社に入れてもらって前より収入も増えたと聞いた。
 新しいお母さんは同じクラスの香山さんのお母さんの親戚だそうだ。
 香山さんも美人さんだし、お金持ちの女性はみんなあんな風に綺麗な人ばかりなんだろうか?
 僕の本当のお母さんはお世辞にも綺麗とは言えなかった。
 八百屋の店先に立っている時の姿はまさしく「おばちゃん」の姿だった。
 圧倒的に違うのは服装だ。新しいお母さんの着ている高そうな洋服を見て、いかに今まで自分の家の暮らしが豊かではなかったと初めて意識するようになった。

 お母さんは何も言わずに僕の前から姿を消した。
 僕はお父さんがお母さんと何があって離婚し、今のお母さんとどのようにして知り合い再婚したのかは知らない。
 子供の僕が理由を聞いてもわからなかったと思う。
 それに離婚の原因を知りたいという気持ちよりも、新しいお母さんが何でも買ってくれてそれを喜ぶ気持ちの方が大きく、僕はしばらくするとその人をもう「お母さん」と呼んでいた。
 僕の部屋は新しいお母さんに買ってもらった玩具や本であっという間に一杯になった。
 グローブもすぐに買い換えた。再び野球に参加するようになった。
 小遣いも多いから漫画本をたくさん買えた。
 僕にとっては新しい生活がもう始まっていたのだ。
 友達を家に呼んでも、部屋にあるものを見て、みんな羨ましそうにしていた。新しいお母さんのことも美人だと言ってくれて僕は鼻高々だった。
 友達にも「田中と山中だから『田』が『山』に変わっただけだから、あんまり変わんないんだけどな」と冗談を言ったりした。
 決して変わらないことはない、お母さんが変わったのだから。
 そうわかっていても環境の変化をそう言って自分を誤魔化していた。
 深く考えない方がいい。昔を懐かしがればキリがない。
 けれど、いつだったろうか?
 他の家のお母さんたちが僕の家に遊びに来ていた時があった。お母さんたちと言っても、みんな綺麗で金持ちの人ばかりだ。その中には香山さんのお母さんもいた。
 リビングでお母さんたちにご馳走や飲み物を振舞うお母さんはやはり綺麗だけれど、他のお母さんも綺麗なのでそんなに目立たなかった。
 それに金持ちの女の人なら誰でも僕に色々と買ってくれそうな気もした。

 リビングの前を通り過ぎて、自分の勉強部屋に行く際に、お母さんと目が合った。
 その時、僕は思った。
 この人は僕のお母さんではない、と。
 一瞬だけれど他の綺麗なお母さんたちと区別がつかなかった。
 この人は綺麗でお金持ちのただの女の人だ・・と。

 部屋に入って寝そべると「達也っ」と本当のお母さんがいつもそう呼んでいた声が頭の中に何度も聞こえた。
「達也、はよ起きなさいっ、学校、遅れるわよっ」
 お母さんが勢いよく布団を捲り上げる。
「髪の毛、逆立ってるやないの」登校前、お母さんが蒸しタオルで僕の髪をなでつける。
 高熱を出して寝込んでいる時、お医者さんの薬を匙にすくって呑ませてくれた優しい手を思い出した。
 もっと小さかった頃、大晦日に風邪をひいてしまった僕をおぶって何軒もお医者さんを回ってくれた。
 下校時間、突然の雨に傘を持って迎えに来てくれたのはいいけれど慌てて走って来たせいで自分のさしている傘しか持って来ず、一本の傘を二人で入って僕の方にばかり傘を寄せてお母さんはびしょ濡れになっていたことを思い出したりした。
 一度思い出してしまうと次から次へと溢れ出してくる。
 朝食の時も、夕飯の時も、以前、お母さんの作ってくれたご飯の味を意識するようになった。
 朝食はパン食に変わった。以前は焼き魚に味噌汁とご飯だった。
 僕が「ご飯の方がいい」と言うと、お父さんは「すぐにパンに慣れるようになる」と言ってとりあってくれなかった。
 夕飯もスパゲッティやシチュー、ステーキが多くなった。お好み焼きや焼きそばは食卓から姿を消した。
 それでもお父さんは「おいしい、おいしい」と言いながら食べている。
 休みの日にお母さんがよくたこ焼きを作ってくれたことを思い出した。
 学校から家に帰って「ただいま!」と言っても以前は「おかえり」だったのが「おかえりなさい」になった。
「達也」が「達也さん」に呼び方が変わって最初はこそばかったけれど、今は何だか赤の他人に呼ばれているように感じる。
 夜、布団に入っても布団の柔らかさが違う。前は重くごわごわと硬く、少し臭った。
 けれどのその方が僕に合っていた気がする。
 今の布団の方が数段気持ちいいのだけれど、何かが違う。
 蒲団の重さの違いがまるで愛情の重さに違いに感じられた。
 そんなことまで比べても仕方のないことなのだけれど比べてしまう。

 今のお母さんにお母さんと同じくらいの愛情を求めるのも無理なような気もする。
 お小遣いも倍以上になり、その上、色々と買ってくれるというのに何が不満なのだろう。
 しかし、僕の気持ちは日に日に僕の中で膨れ上がっていき、それはもう止められなかった。
「えっ、お母さんっ?・・ああ、達也が言っているのは前のお母さんのことか」
 お父さんは「前のお母さん」と言った。そういう言い方、何だか「お古」みたいだ。
「僕、お母さんに会いにいってもかまへんのんか?」
 気持ちが昂ぶっているのが自分でもわかった。
「それは無理やな」お父さんの顔が厳しい。
「何でや!」
 僕の大きな声は宙に浮いたままになった気がした。
「そういう約束なんやから、しゃあない。それに向こうも迷惑がる」
「約束?・・迷惑・・」
 深く考えると頭の中がツーンとした。
「達也も今の暮らしの方がええやろ?」
 確かに家は以前より裕福になった。お父さんもその方がいいと思って再婚したのだろう。
「小遣いが多いのは嬉しいけど、会いたいんや」
「達也の気持ちはわかるけど、男やったら、我慢せえ」
 子供はお母さんを選ぶことはできない。生まれた時も、その後も。
 僕は子供だ。言われた通り、決められた通りに生きていくしかない。
 お父さんに言われた通りに我慢するんだ。

 けれど、気がついたら自転車で家を出て吉水川の橋まで来ていた。
 橋の上で同じクラスの村上に出会った。村上はクラスの男子の中では仲のいい方だ。
 村上も何か悩みがあるように見えた。
 気がついたら村上に「やっぱり前の母ちゃんがええねん」と言ってしまっていた。
 誰かに言葉に出して言うとその気持ちは確定してしまう。
 それが僕の今の気持ちだ。もう気持ちは変えられない。
 家にいるのは僕のお母さんではない。僕のお母さんはどこか別のところにいる。


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