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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第17回   波野優美子
 私は本屋に入った。
 もう立ち読みするのは今日でやめよう。店員さんに嫌がられる。
 だからといって参考書を買うお金もない。
 お母さんは大事な商品を男たちに盗られ収入が大きく減ったらしくてお小遣いを頼んでももらえなかった。
 山中くんに借りっぱなしの千円を返す目途もない。
 山中くんのお母さんは返すのはいつでもいいと言っていたけれど、いつまでもその言葉に甘えているわけにはいかない。

 私は書棚の参考書に手を伸ばした。
 これで終りだ。
 もし見つかれば、もうれっきとした万引き犯という犯罪者だ。
 お母さんに迷惑がかかるけれど、もういい。
 お母さんから悪魔と呼ばれること以上の言葉なんてもうない。
 私は高校に進学したい。
 そして、憧れの女子高生になるんだ。
 手に取った参考書を持ってきた手提げにそっと忍び込ませる。
 その瞬間、私の頭に妙ちゃんのことが浮かんだ。
 ごめんね、妙ちゃん、私がこんなだから、親に友達になるのを反対されて当然だよね。
 私、妙ちゃんと友達になれてすごく嬉しかったんだよ。
 妙ちゃん、ありがとうね。

「ちょっと、君!」
 店の人の大きな声が聞こえた。
 やっぱり見つかった。もうダメだ。
 昔、沢井さんに無理やりに本を手提げの中に入れられた時とはまた違った絶望感が私を襲った。今度は本当に本が欲しくて自分の意思で盗ったのだ。
「君、今、その手提げに本を入れたよね?」
 店員の型通りの言葉が冷たく響く。
「その手提げの中を見せなさい!」
 店員の手が伸びてきて私の手を掴もうとした。

 その時だった。
 私の体を優しい温もりが包み込んだ感じがした。
「買う本、もう決まったんやね?」
 突然、背後から女の人の声が聞こえた。優しい声だ。
「えっ?」
 静かに振り返ると大人の女の人がにっこりと微笑みながら立っていた。
 まだ二十代前半かと思われる女性だ。
 誰なの?
 店員の手の代わりに女の人の手が私の手提げに伸びた。
 女の人はしーっと人差し指を唇につけて私に「何も言うな」というような合図を送った。
「こんなことするんは、あかんと思うよ」と囁くように小さな声で言った。
 あれ、私はずっと以前、この人にどこかで会ったことがあるのかしら?
 何だかとても懐かしい人に会った気がした。

「ちょっと、あなたはこの子のお姉さんか何かですか?」
 店員は怒鳴るような口調でずけずけと女の人に言う。私の姉だと勘違いしているようだ。
「はい、そうです。姉です」女の人はそう答えた。
 え?・・
「店員さん、すみません、妹に買う本が決まったら、ここに入れるように言ってたもんやから」
 女の人は頭を一度下げると、私の手提げを取り上げ中から参考書を出して店の人に説明した。
「その本、本当に買うんですか?」店の人が訝しげに見ている。
「ええ」
 女の人は店の人に疑いを持たせないように愛想良く答える。
「しかし、紛らわしいことするのはちょっと困るなあ」
 店員は頭を掻きながら困惑したような表情を見せる。
「はい、本当に紛らわしいことして、ごめんなさい。この通りです」
 女の人は深々と頭を下げ店の人に謝った。
「ちゃんとレジに私が持っていきますから」
 そう言うと女の人は参考書を持って足早にレジに向かった。
 えっ、まさか買うの? 私、お金を持ってないわ。
 一体この女の人は何をしようとしているの?

「あ、あの、そんな高い本、私、買えないんです」
 私は慌ててレジに向かおうとする女の人についていきながら言った。
「そんなん、わかってる。高くて買われへんから、お店のものを盗ろうとしたんでしょ?」
 小さな声でそう言うと再び人差し指を唇につけてしーっと言った。
 ただ今度は自分の言ってしまった言葉に対してだ。
「は、はい」今はそう答えるしかなかった。

 女の人は私に有無を言わせずに会計を済ませると外に出た。
 私も急いで外に出て女の人を追いかけた。
 外は冷たい風が吹いている。
 あの時と同じだ。沢井さんに万引き犯にさせられ、本屋さんの事務室から解放され外に出た時と同じだ。
 あの時と違うのはこの女の人がいることだ。あの時は一人だった。
 なぜか今は体が少し暖かく感じられる。

「あ、あの・・」私が呼び止めると女の人は振り返った。
 何を言い出せばいいのかわからない。
「今回だけ、おばさんが買ってあげるから、もうあんなことはしたらあかんよ」
 おばさんって言うような年でもない、お姉さんだ。
 手には包装された参考書を持っている。
「わかった?」
 人の往来のある場所でお姉さんに怒られているみたいだ。
「わかったら、はいっ、これ」
 私が頷くと女の人は会計を済ませた参考書を私の方に差し出した。
「こんな高い本、他人に買ってもらうわけにはいきません!」私は強く首を振った。
「だったら、どうするの?」
「そ、それは・・」
「それに、これ参考書やないの。こういうものはお母さんに買ってもらうもんやね」
 女の人は私の手に参考書をしっかりと持たせた。
「お母さんには言えません」
 買ってもらうどころか、母が見つけたらまた捨ててしまう。
 でも他人に買ってもらうわけにはいかない。
「お母さんに言われへんから、お店のものを盗ろうと思ったんでしょ?」
 見透かされている。
 また沢井さんが言うように私の顔に書いてあるのあろうか?
「ごめんなさい。私、泥棒なんです。万引き犯です。警察に突き出してもらってもかまいません」
 私がそう言うと女の人は少し考え込んでから、
「それって、もうあかんわ」
 と、女の人はふいに思いついたように軽く言った。
「えっ、どうしてですか?」
「そやかて、私、もう共犯になってしもうてるわ」
 共犯・・どういうこと?
「そ、そうなんですか?」私には意味がわからない。
 女の人は「だって・・」と言いかけ、
「ああ、まだ、名前を訊いてへんかったわね」と言って私の名前を訊ねた。
「私、明美です・・水野明美」
 初めて会った人に氏名を言うのは抵抗があったけれど、私はちゃんと言うことにした。
 なぜだか、この人を信用してもいいような気がした。
「私はナミノユミコ、海の波に野原の野、優しく美しい子よ。アケミちゃんはどう書くの?」
 波野優美子さん、て言うんだ。
 あれ、やっぱり私はこの人を知っている。
「私は海の水に野原の野、明るく美しいって書きます」
 そう言うと優美子さんはにっこりと微笑んだ。
「『水』に『波』って、これも何かの縁やね」
 このセリフ・・やっぱりそうだ。
「あの、優美子さん、以前、どこかでお会いしました?」
 さっきから思っていた疑問をぶつける。
「会ったことがあるから、明美ちゃんに本を買ってあげてんけどなあ」
 そ、そうなんだ。
「私のこと、憶えてへん?」
 そう言って優美子さんは頭を傾ける。冷たい風が二人の間を抜けていく。
「お、憶えてます・・たぶん」
 少しずつ思い出した。昔、優美子さんと会ったことがある。
 名前を教え合った時に感じた。
 これで二度目だと。
「あ、あの時ですよね?」
「うふっ、おばさん、明美ちゃんが思い出してくれて嬉しいわあ」
「おばさんじゃなくて、お姉さんでしたよね?」
「そうそう」
 優美子さんは嬉しそうに何度か頷く。
「そ、それで共犯っていうのは?」
「そうそう、その話やったわね。私は明美ちゃんの万引きを見て店員さんに知らんふりをして店を出た。そんな私も立派な共犯やから警察になんて行かれへん」

「でも、その・・優美子さんはちゃんと本を買いました。だから何もしてないんじゃないですか? 紛らわしかったのは事実ですけど・・」
「うーん。言われてみればそうやねえ」
 考え込んでいる優美子さんを見ていると何だか可笑しくなってきた。
「優美子さんは悪くなくても私は悪い子なんです」
「ふーん。そのお顔で?」
 顔でって、また私、顔に何か書いてあるの?
「そ、それに、私、参考書を買うお金が欲しくて、同級生の男の子を脅迫したりもしました」
 私は全てを話す勢いでまくし立てる。
「母には心が腐ってるとか、悪魔って言われてます」
 商品を盗んだ男たちにも言われた。
「悪魔って、ずいぶん可愛らしい悪魔さんやね」
 優美子さんはそう言いながら私の鼻のてっぺんに指をちょんと当てた。メガネがくいっと上に動く。
「そ、そんなことありません!」
 私は顔を熱くさせながら言い返した。
 私の答え方が可笑しいのか優美子さんは微笑んでいる。
 そんな優美子さんの笑顔を見ていると参考書を受け取るのを断ったりするのもおかしい気がしてきた。
 優美子さんの持っている不思議な雰囲気と優しさのせいだろうか?
「あ、あの、本当に頂いていいんですか?」
「少し早い私からのクリスマスプレゼントよ」
 優美子さんは頷いたあと言葉を続けた。
「それと、この本の事とさっきの本屋さんの事は二人だけの秘密よ」
「はい」
 そう言われなくても、こんなこと誰かに言える話ではない。
 私は参考書を両手で胸に抱えた。参考書の厚みを感じる。
 今度は参考書はもう絶対に母の目の届く所には置かないようにしないと・・
 経緯はおかしかったけれど、私にとっては初めてのクリスマスプレゼントだ。
「ありがとうございます。私、この本で一生懸命勉強します!」
「うん、明美ちゃん、頑張って!」
 その笑顔を見て、どうしてもっと早くこの人に会わなかったのだろう、と思った。
 山中くんを脅迫する前に会っていればもう少し私は違う道を歩んでいたかもしれない。
 けれど、そう思った瞬間、私は気がついた。
 私はずっと昔、優美子さんにもう会っていたんだ。
 違う道を・・誤った道を勝手に進んだのは私だった。

「私、頑張って高校まで進学します。そして・・」
 そして、いつか見た優美子さんのような素敵な女性になります・・と心の中で言った。
 自然と私の顔に笑みがこぼれていた。
「もうすぐクリスマスねえ」
 優美子さんは暗い空を見上げるとそう呟いた。
「雪、もうすぐ降るかも・・」
 私はそこで優美子さんと別れた。
 お互いの連作先などを教えあったりはしなかったれど、会いたい時はまた会える。
 だって私は優美子さんの弟?を知っているのだから。
 冷たい風が吹き続けていたけれど、私の心は少し暖かかった。



 今にも雪が降るのではないかと思わせるような暗い空だ。
 駅まで叔母さんを迎えに通りを歩いていると人の往来の中、叔母さんがこちらに向って歩いてくるのが見えた。僕の足取りが早くなる。
「陽ちゃん、さっき、すご〜く懐かしい子に会ったよ」
 叔母さんは僕を見つけると駆けて来てほくほく顔で話しだした。
「陽ちゃんがこの前、電話で私のサンタの話するから、私もあの子を見た途端に昔のことを思い出してしもうたわ」
 叔母さんはこの前の電話で僕が小学二年生の時、サンタクロースになった叔母さんに何をお願いしたのかを訊いたことを言っている。
「水野さんやろ?」
 叔母さんが懐かしい子というのは水野さん以外には考えられない。
「そうそう、明美ちゃんよ、ようわかったわね。あの子、昔と全然変わってなかったわ」
「どこで会ったんや?」
 すごく気になる。
 僕たちは家に向ってぶらぶらと歩きながら話す。
「駅を出たところで、明美ちゃんが本屋さんに入るのを見たから、私も本屋さんに入ってん」
 本屋という言葉を聞くと水野さんに何かあったのではないかと思った。
 本屋で山中くんが万引きをしたのを見て水野さんが脅迫したのだから。それに水野さんは参考書が欲しいと山中くんから聞いていた。
 まさか、水野さん自身が・・でもそんなことは絶対にない。
 僕にはそんな確信がある。それは叔母さんの顔を見ればわかる。

「あの子も私のことを憶えてくれてたよ」叔母さんは嬉しそうだ。
「声をかけたんか?」
「うん、ちょっと本屋さんの外で話した」
「何の話をしたんや?」
 あの時のことだろうか、小学二年生の時のこと?
「あの子、どことなく危なっかしいなあ」
「危なっかしい?」
「たぶん、あの子、孤独なんやろなあって思う」
 叔母さんが「孤独」という言葉を使うくらいだったら水野さんはすごく孤独なんだろう。
「孤独が長い時間かけて明美ちゃんを変えてしまったのかもしれへんなあ」
 水野さんが孤独であろうと水野さんがどれだけ変わろうとそれは叔母さんとは関係がないことだ。
 それなのに叔母さんは心配そうな表情を見せる。
「というわけで今日は陽ちゃんにお土産がないねん。勘弁してな」
 叔母さんは申し訳なさそうな表情を見せる。
 どういうわけだよ。


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