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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第15回   長田恭子と六甲山へ


「陽一に用があるって、女の人がいらっしゃってるよ」
 母の僕を呼ぶ声に玄関に出ると一人の女性が立っていた。
 確か長田さんの誕生日会に母親として挨拶をしていた人だ。
 体にピッタリとフィットした黒のスーツを着ている。
 普段の生活している中でこれほど上品で綺麗な人に出会うことはまずない。
 そんな人がこの家に来るなんて何かの間違いじゃないかと疑いの目を持ってしまう。
 年齢は二十代後半だろうか?母と叔母さんの間位の年齢に見える。
「はじめまして、村上さん、いえ、一度、恭子さまのお誕生会の時、お会いしましたね、私、トオノシズコと申します」
 後ろに大きな自動車が停まっている。この人が運転するのだろうか?
「遠い近いの遠いに野原の野、そして、静かな子と書きます」
 聞いてもいないのにそう説明した。
「私は、お嬢さま・・恭子さまの家のお手伝いをしています」
 長田さん? お手伝いさん?
 そういえば以前、長田さんと待ち合わせるために、家に電話をした時、落ち着いた女の人が電話口に出たのを思い出した。
「ぼ、僕に何か用ですか?」
 はっきり言って緊張する。まるで僕や僕の家族とは人種が全く違うように思える。
「はい、村上さんにカメラマンになっていただきたいのです」
 上品かつ落ち着いた綺麗な声が僕の耳に届く。
 カメラマン?
 そう思っていると後ろの自動車の後部席のドアが静かに開いた。
 女の子の足がすっと出てきた。想像するまでもなく長田さんの足だ。
 お嬢さまらしいお上品な靴だ。
 長田さんが金色の髪を揺らしながら車から降りてすっと立った。
「村上くん、私よ」
 それは見ればわかる。
「村上くんをちょっと驚かせようと思ったの」
 何だよ、それは。冗談で言っているのか?
 悪戯気な青い瞳が僕をじっと見つめる。
「このカメラを持ってきたのよ」
 長田さんは大事そうに両手でカメラを持って見せた。
 ライカの超高級一眼レフのカメラだ。長田さんの亡くなられたお父さんの最後のプレゼントのカメラだ。
 以前、僕は転校していった石谷さんのお願いで長田さんにこのカメラの使い方を教えた。
 このカメラを再び見ることになるとは思わなかった。長田さんはちゃんと使いこなせているのだろうか?
「あれから、このカメラを使ったんか?」
 長田さんは首を振った。
「智子を撮ってみたけれど、上手くいかないの」
 使い方を教えてくれ、って言いに来たのかな?
「露出の調整がよくわからないの」
 やっぱりそうだ。
「カメラ屋さんに『よく知ってる人に教えてもらいなさい』って言われたわ」
 それが僕なのか?
「村上くん、また教えて・・」
「今日か?」
 長田さんは首を振り「今日はいいの。今日は別の用事」と答えた。
「芦田さんと友達になったんやって?」
 そう言うと長田さんは少し頬を赤らめた。
「智子は私の大事な友達」
 長田さんは相変わらず言葉が短い。

「村上さん、今から私たちと一緒にドライブにつき合ってください」
 急に遠野さんが二人の間に入ってそう言った。
 ドライブ?
 さっきはカメラマンって、一体、僕に何の用があるんだ?
「どこにですか?」
「山の上です」遠野さんは六甲山の方を指した。
 さっきから気になっていたけど、この二人、口数が少ない者同士なのかな?

 よくわからないけれど、母に「ちょっと出てくる」と言って家を出た。
 母に「大丈夫?何かあったの?あの綺麗な人、誰なの?」と訊ねられたけれど「何でもない、あの人は長田さんの保護者や」と答えた。
 僕は大きな自動車の後部席に乗った。ゴージャスな雰囲気漂うシートで体が沈み込むようだ。長田さんはいつもこんなシートに座っているのか。僕にはすごく違和感がある。
 自動車の中はいい匂いがする。
 人の匂いではない。人工的な匂いだ。
 何か匂いのするようなものをどこかに置いてあるのだろうか?
 後部座席の僕の横には長田さんが涼しげな顔をして座っている。
 こういうセダン型の車には叔母さんの知り合いの男の人の自動車に乗ったきりだ。
 でもこの自動車は男の人の車の倍のような大きさだ。それに振動も少ない。
 自動車が静かに発進する。運転しているのは遠野さんだ。
 女の人のドライバーが珍しくついつい見てしまう。
 自動車は吉水川の上流を上がり、更に六甲山系の山の頂上を目指す勢いで上っていく。
 ぐるぐると道が回っているので目が回りそうだ。
 その度に右へ左へと揺れて体が傾く。
 そのまま長田さんの方に倒れるのかと思ったら今度は窓のドアの方に傾く。
 その途中、遠野さんは「以前、恭子さまにカメラの使い方を教えて頂いてありがとうございます。私がわかればよかったのですけれど、私は機械には昔から縁がなかったものですから」と僕に感謝の言葉を述べた。
「いえ・・」と僕は短い言葉で返す。
 要は遠野さんは機械音痴だっていうことなのだろう。
 長田さんは気持ちよさそうに外に流れる景色を眺めている。
 気温が少し下がってきたようだ。
 寒い・・
「村上くん、寒いの?」
 なぜ僕が寒いと思ったのかはわからないけれど長田さんがそう訊ねる。
「ちょっとな」僕がそう答えると長田さんは後部席の後ろをごそごそとして女物の膝掛けを出してきた。
「村上くん、これ、使う?」
 膝掛けは普段、長田さんが使っているものだろう。これを使ったりしたら、何かの罰が当たりそうだ。
「そこまで寒くない」少し強がって答える。
「そう」
 長田さんは少し残念そうにしながら膝掛けを元の位置に戻した。
「芦田さんは今日はおらへんのんか?」さっきから気になっていたので訊いてみる。
「智子は今日はお店が忙しいの」さっと短い返事が返ってくる。
 まさか芦田さんがいなくて寂しいから僕を誘ったわけでもないだろう。
「今日は智子がいないから、寂しい」
 予想が当たったのか、そうでないのかわからないような長田さんの呟きが聞こえる。
「まだ着かへんのかな?」
 僕は長田さんの声が聞こえなかった振りをして窓の外を見ながら独り言を呟いた。

「お待たせしました。展望台に着きました」
 遠野さんの落ち着いた声で変な緊張がときほぐれる。遠野さんが自動車をすーっと駐車場に上手に入れる。
 自動車から降り立つと目の前に大きな展望台がある。
 以前に遠足で言ったことのある回る展望台だ。三階建ての円筒状の建物で、最上階が回転するようになっている。
 中にはレストランや土産物店などがある。
 一階の外周には望遠鏡がいくつか置かれ、団体の記念写真を撮るための台もある。
 しかし、そんなことよりも寒い!
 厚手のジャンパーを着てくればよかった。
 遠野さんは南に面した展望台の柵の所まで行き、眼下の風景を眺めている。
 強い風で遠野さんの長い髪がばさばさと流される。
「恭子さま、ここからよく見えますよ」
 遠野さんは髪を手で押えながら長田さんに声をかけた。
 長田さんも柵に手をかけて景色を見る。
「きれい・・」風になびく金色の髪を押えながら小さな声で言った。
「私、ここに来るのは初めてなの」
 そっか、長田さんは四年生の秋にこの町に越してきたから、まだここに来てなかったんだ。
「恭子さま、高くても怖くなんかないでしょう?」遠野さんが問いかける。
「ええ、大丈夫」長田さんは頷く。
「恭子さまのお家はどこか見えませんね。村上さんのお家は見えますか?」
 長田さんの家が見えないのに僕の家が見えるわけがない。
「村上さん、不思議だと思いませんか?ここから眺めていると、大きな家も小さな家も大差がありません。悪い人も良い人も同じようにこの風景の中に住んでいます」
 遠野さんは僕の方を振り返りそう言った。
 何が言いたいのだろう?
「それで、ここに僕を連れてきた目的は何ですか?」
 遠野さんは僕の言葉を無視して話を続ける。
「あの『ヘルマン邸』も解体されるそうです」
 母に聞いたことがある。
 数年前、「ヘルマン屋敷」で遊んでいた子供が大怪我をしたことがある。
 「ヘルマン屋敷」には管理する人がいないこともあって無断で誰でも入れるため危ないから撤去してくれという嘆願がずっと前から町に多く寄せられ続けている。
「私はまだ生まれていなかった時ですから知りませんが、あそこでは今では信じられないような贅沢極まる生活があったそうです。今では見る影もありませんが」
 父がいつも山に登った時にしている話だ。
 でも何で今、その話を?
 僕をここに連れてきた目的を訊いたはずだったけど。
「時の流れを誰も止めることはできません。けれど・・」遠野さんは一呼吸置いた。
 けれど?
「けれど、人は時の流れを止めようとします」
 遠野さんの顔に降りかかるような髪がうっとうしい。
「どうやってですか?」
 よくわからないけれどそんな方法があるっていうのか?一応訊いてみる。
「写真です」
 ここに来る前に遠野さんが僕にカメラマンになってくれと言っていたのを思い出した。
 遠野さんは顔の前を流れる髪を耳の辺りで押えた。
「他にも記念品や、絵画などの美術作品などがあります。人は何かを残して時間を止めようとします」
 それはわかるけど。何で僕をここに?
 長田さんは黙って遠野さんの話を聞いている。遠野さんのこういう話に慣れているのだろうか?
「人には絶対的に欲しいものがあります」
 口調が少し強くなった。
 遠野さんの口調が強くなるに連れて僕の体がだんだん冷えてきた。
 さっきから思ってたけど、この二人、一言も「寒い」とか言ったりしないんだな。
 二人ともそんなに厚着でもなさそうなのに不思議だ。
「何ですか、それは?」
 寒さを堪えながら訊いてみる。
「『永遠』ではないでしょうか?」
 永遠の愛、永遠の命、永遠に変わらぬものを人は求めているけれど、そんなものはないことは誰でも知っている。
「『永遠』はこの世に存在しません。だから人によっては永遠の代わりに『約束』を求めたりします」
 遠野さんはそう言うと両腕を組みギュッと胸に寄せた。
「さすがにここは冷えますね」
 やっぱり遠野さんも寒いんだ。
「静子さん、当たり前よ、ここは山頂なのよ。雪が降っていない分まだましかもしれないわ」
 そう言う長田さんは寒くないのかな?

 そんな二人の会話を聞きながら僕は遠野さんの言った言葉を考えていた。
 図書委員の水野さんは「永遠」に代わる「約束」が欲しかったのだろうか?
 僕は数年前、水野さんと約束をしていたのだ。
 僕はその約束を破った。
「約束」は必ず守られなければならないものだ。

「静子さん、村上くんも寒そうにしているわ」
 長田さんはよく観察してるな。
「ごめんなさい、けれど、私はまだ肝心の話をしていませんでした」
 遠野さんは頭を下げた。
 まだだったのか。
「遠野さん、それで何のためにここに僕を?」
 だんだん何の話をしているのかわからなくなってきた。
「村上くん、静子さんはいつもこうなの、気にしなくていいわ」
 長田さんは遠野さんに慣れているようだった。
「恭子さま、ごめんなさい。つい余計な話を」
 淡々と長田さんは静子さんの横から話を差し込んでいるが、最初から長田さんが全て話してくれればもっと早い気がする。
「静子さん、まだ撮影の話をしていないわよ」
 長田さんが催促するように遠野さんを急かした。
 撮影?
「忘れていました。私はお写真のことを話したかったのです。話が脱線してしまいました」
 頭はいい人だとは思うけど、お惚けさんなのかな?
 遠野さんは今日初めて会ったばかりだけれど妙な安堵感を与えてくれる人だと感じた。

 遠野さんは小さな咳払いを一つして話を再開し始めた。
「このたび私は『芦田堂』の来年の宣伝用のチラシを作ることになりました」
 遠野さんが「芦田堂」のチラシを?
「恭子さまのお友達の縁で、私がチラシの作成及び印刷について引き受けることになったのです。けれど、困ったことにはチラシに載せる写真を撮るカメラマンがいません。そこで村上さんにお願いしたいのです」
 やっとわかった。
 要するに僕に宣伝用の写真を撮ってくれと言いたいんだな。
 ずいぶんと回り道をする人だ。ものすごく横道にそれてた気がする。
「大人の人でカメラを使える人はいくらでもいると思うけど」
 でもライカを使いこなせる人は少ない。僕も家にある一眼レフは使いこなせるけどライカは持っていないから自信はない。
「恭子さまのカメラを使える人を村上さん以外に私は知らないのです」
 なんだか上手におだてられている気がする。これも遠野さんのやり方なのだろうか?
「それって遠野さんのアイデアなんですか?」
「私よ」すぐに長田さんが短い言葉で答えた。
 やっぱり。
「でもそんな話はわざわざここに来なくても・・」
 遠野さん僕の言葉を遮って話し始めた。
「ここに村上さんをお連れしたのには別に理由があります」
 遠野さんは眼下に広がる景色を指した。
「恭子さまにここから見える景色をお見せしたいというのもありました。この場所は私の好きな場所でもあるのです」
「静子さん、よくここの話をするのよ。とっても綺麗だって」
 長田さんは金色の髪を風になびかせながら風景を見渡す。
 ここからは瀬戸内海の海が見渡せ、更にその向こうまでが見えた。
 遠野さんがここに連れて来たかったのもわかる気がする。
「私が恭子さまに『お連れしましょうか?』と言っても『高い場所は怖いから』と言われて今まで来られなかったのです」
 ここに着いてすぐ長田さんに「高くても怖くなんかないでしょう?」と言ってたのを思い出した。
「じゃあ、今日は何で?」
「恭子さまなりの冒険、というか、村上さんにお願いするのに自分が何もしないでいるのは失礼だとおっしゃるものですから」
 何てまわりくどい。
 遠野さんもまわりくどいし、長田さんもまわりくどい!
 二人はいいコンビだ。
「夜になったら夜景がすごくきれいなんやけどな」
 僕は家族でここからの夜景を見た時のことを思い出した。
「村上くん、夜はさすがに寒くて私には無理だわ」
 そう言うと長田さんはぶるっと体を震わせた。
 長田さんもやっぱり寒いんだ。

「ここで記念写真でも、と思ったのですが、今、私は大事な事に気がつきました」
 記念写真って?
「私は恭子さまと村上さんがご一緒に写っているお写真を撮りたかったのですが、私はカメラを使えません」
 何だよ、それは。
 それより、僕と長田さんが並んで記念写真なんて恥ずかしすぎる。
 誰かに見られたらからかわれるに決まっている。
 いや、見せなかったらいいだけか。
「村上くん、このカメラ、タイマーはないの?」長田さんがカメラを見ながら訊ねる。
「このライカにはないんや」高級過ぎるカメラにはそんな便利な機能はなかったりする。
「そう・・」
 長田さんは残念そうな表情を見せる。
「そこに遠野さんと二人で並んで」僕は長田さんからカメラを受け取ってそう言った。
 長田さんは展望台の柵の所に駆け寄った。
「静子さんも、来てちょうだい」
 長田さんが遠野さんに呼びかける。
「そんなっ、私は恭子さまとご一緒に写るわけには」
 遠野さんは両手を大きくひろげて顔の前で扇のようにぶんぶんと振った。
 お手伝いさんがご主人さまの娘さんと一緒に写るわけにはいかない、と思ったのだろう。 
「静子さん、そんなの堅苦しいわ。村上くんも、ああ言っているし」
 そう言われると「失礼します」と言って長田さんの横に恥ずかしそうに並んだ。
「そ、それで、村上さんはチラシの撮影を引き受けて頂けるのですか?」
 遠野さんは頬を赤らめながら「芦田堂」の写真撮影のことを訊く。
「もう引き受けてるっ」
 僕はそう遠野さんに答えカメラの調整をした。
 ファインダーの中に二人の顔が収まった。
 長田さんの涼しげな顔と少し照れくさそうな遠野さんのアンバランスな顔がカメラを通して僕を見ている。
「はい、チーズっ」と言う僕の言葉に二人は一瞬少し笑顔を見せた。

「あの、村上さん、ご一緒にあそこでお茶でも頂きましょう」
 写真を撮った後、嬉しそうにしている遠野さんは展望台の喫茶室を指した。
 丸いテーブルを三人で囲んで座り、飲み物の注文をした。
 店内は暖房が効いているらしく暖かかった。
 ウエイトレスが注文を訊きに来て、僕はココアを頼み、長田さんはミルクティーを頼んだ。
「静子さん、ケーキを頼んでいいのよ」
「よろしいのですか?」と長田さんの了解を得るように訊くとメニューを一通り見た後チーズケーキとコーヒーを注文した。
「村上くん、今日は本当にありがとう」
 目の前にミルクティーが置かれると長田さんが口を開いた。
 なんだか、こっちがありがとうと言いたいような気もする。
 ドライブに連れてきてもらってお茶をご馳走になって、それにクラスの委員長で謎だらけの長田さんと美人のお手伝いさんとこうしているのはある意味感謝に値する。
「村上くん、私から、もう一つお願いがあるの」
 長田さんはミルクティーに砂糖を少し入れた。
「お願いって、なんや?」
 チラシ用の写真撮影以外のお願いなのか、何だろう?
「正確には智子からのお願いよ」
 長田さんはそう言うとミルクティーのカップにそっと口をつけた。
「撮影の当日、『芦田堂』に連れてきて欲しい子がいるの」
 青い瞳の端整な顔が僕を見つめる。


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