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作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第10回   よだかの星


「村上くん、また図書室?」
 図書室に行こうと廊下を歩いている時に僕に声をかけてきたのは金持ちのお嬢さん香山さんだ。歩く時もいつものつんつん顔で歩いている。
「家に帰っても叔母さん、おらへんし、図書室で本を読んどこうかなって思ってな」
「村上くんって、本当に本が好きなのねえ」
 じーっと香山さんの目が僕を興味深そうに見る。
「僕なんかより、図書委員の水野さんの方がよっぽど本の虫やろ」
 水野さんは放課後、いつも図書室で本を読んでいる文学少女?だ。
「水野さんは特別よ。一学期からずっと図書委員やってるんだもの」
 ふーん。本にもいろいろあるからな。
 僕とは趣向も全然違うかもしれない。
「香山さんも図書室に用事なんか?」
「私は塾の問題でわからないところがあるから調べ物をしに行くの」
 塾の問題か、僕とはレベルの違う世界の話だな。
「村上くん、あれは山中くんよね?」
 廊下の先の図書室の重そうな扉を開けようとしていたのは確かに山中くんだ。
「山中だって、本くらい読むやろ」
「ふーん。ちょっと意外、山中くんって漫画ばかりのイメージがあったから」
 イメージって怖いな。そういうので括られてしまうと、山中イコール漫画、僕もイコール本という風に他人に思われているのかもしれないな。
 僕たちも続けて図書室に入った。
「じゃあね、村上くん」
 香山さんはバイバイと手を振って僕が向かうのとは違う書架に向かって行った。
 僕は日本文学の書架に向かおうとして閲覧コーナーの脇を歩いていくと、テーブルに座って本を読んでいる水野さんに声をかけている男子生徒がいた。
 それはさっき見かけた山中くんだった。



「水野さん、この前のお金、返してくれ」
 僕は図書室にいた水野さんにお金を返してもらえるように言うために校舎の裏に呼び出した。もうこれ以上、お母さんに嘘はつけない。
「ごめんなさい、まだお金ができていないの」
 水野さんがこの前よりも元気がなさそうに見えるのは気のせいだろうか。
「困るんや。お金、返してもらわんと」
 それでも強気にでないといけない。舐められたらダメだ。
「山中くん、たくさん、あるんじゃなかったの?」
 だから、それは僕のお金じゃない。家のお金だ!
「そういう問題やない。それに、そんなお金を水野さんに貸す必要もない」
 貸しているのは万引きしたことを黙ってもらうことでそうしていただけだ。
「山中くん、わ、私にそんなことを言っていいの?」
 水野さんは僕に強気に出られて少し慌てているようだった。
「誰かに言うんやったら、言うたってかまへん」
 ついに言ってやったぞ!
「えっ・・」
 水野さんは少し戸惑ったような表情を見せた。
「もう村上にも言うたしな」続けて僕は言う。これで今までの僕とはサヨナラだ。
「村上くんにっ!」
 少し大きな声だったのでその辺を歩いていた下級生が振り向いた。
「水野さん、声が大きい、一応、内緒話なんやから」
 けれど水野さんはそんなことはどうでもいいようだ。
「山中くんっ、村上くんに私のことを言ったのっ!」
 水野さんが僕に詰め寄ってくる。顔がこれまでと違う。怖い顔だ!
 水野さん、何でそんな顔をしてまで驚くんだ?
「水野さんの名前は出してへん」
 水野さんはホッと安心した表情をした。こっちも水野さんの怖い表情が消えてホッとする。
「でも誰かにお金を貸していることは言ったのね」
 水野さんは強く確認する。
「それは言うた」
 よく見ると水野さんの服装ってすごく寒そうだ。まだ秋のままのような服装だ。
「ごめんなさい、山中くんに借りたお金はもう・・」
 水野さんの頭が少し俯く。長い黒髪が冬の風に流れた。
 本を買うって言ってたけど、僕にとっての漫画本よりももっと値打ちのある本を買ったんだろうな。いつも図書室にいるくらい本が好きなんだったら文芸書とかだろう。
 僕は村上や水野さんみたいに文芸書には興味はない。
「どう使ったかは聞いてもしゃあない、返してくれたらそれでええんや」
 僕は声を荒げる。僕はこれまでと違うんや。
「か、返せないの・・」
 顔を上げた水野さんに顔はこれまでと打って変わって悲しい表情をしていた。
 女の子のこんな表情は見たくない。どうしてそんな悲しい顔をするんだ。
「何でや?」
「お金がないの」
 お小遣いが少ないのか?
「親に言って出してもらったらええやんか」
 水野さんは首を横に振った。
「誰も、山中くんみたいな金持ちじゃないのよ」
 まるでこっちが悪いみたいだ。
 けれど、いつのまにか僕の万引きのことが二人の間で消えているように思えた。
「俺だってそんな金持ちやあらへん」
「でも私よりは・・」
 水野さんの家が金持ちなのか、貧乏なのかはどうでもいい。
 こんな話をしていても埒があかない。
「今すぐじゃなくてかまへん。来週でもええ。そや、クリスマス、終業式の前日までに返してくれたらええんや」
「わ、わかったわ。クリスマスね」
 水野さんは理解したように頷いた。
「クリスマス・・」と水野さんはもう一度小さな声で復唱した。
 水野さんはそこまでしてお金が欲しかったのだろうか?
 クリスマスに千円がちゃんと戻ってきたら、僕は落ち着いて漫画を読むことができるのだろうか?
 でもその前に万引きした本を本屋さんにちゃんと返さないといけない。
 けれど、本屋さんに謝ったところで保護者を呼び出されることは目に見えている。
 そんな事を考えながら水野さんと別れて教室に戻ろうとした。
 けれど、その時、二人の間を冷たい風が吹き抜けた。話が終わったと思っていたのは僕の方だけだった。
「山中くん、もう千円貸してちょうだい・・」
 水野さんはメガネの縁を指でくいと上げて言った。
「えっ・・」
 今、水野さんは何て言ったんだ?「また千円を貸して」と言ったよな。
 千円はさっき終業式までに返すって言ってたよな?
「返してくれるんじゃなかったのか?」慌てて確認する。
「返すわ。けれど、あと千円必要なの」
 涼しい顔で水野さんは答える。やっぱり千円貸してくれと言っている。聞き間違いでも何でもない。
「もう貸されへん!」
 ここは強気に出ないとダメだ。
「家の人に・・山中くんのお母さんに万引きのことを言ってもいいの?」
「えっ」続けて言葉が出なかった。
「お母さん」と言う言葉を聞いて愕然とした。
 二人の間で万引きのことは決して消えてなんかいなかった。
 確かに学校の奴らには言うてもかまわないと思うたけど、お母さんには・・
 たぶん、本当のお母さんだったら、言われてもかまわなかったと思う。
 今のお母さんにはやはり心の底で気を使っているのだ。
 お母さんに自分の弱い部分を見られたくない。
 肉親に迷惑をかけるのと他人に迷惑をかけるのとが違うように、僕はお母さんのことを心のどこかで他人だと思っているのだ。

「終業式までには必ずまとめて二千円返すわ」
「どうしても、あと千円いるんか?」
「ええ、そうよ」
「何に使うんや?」前にも同じ質問をした。返ってくる答えはわかっているけれど、訊いてみる。
「参考書」
 単語が一つだけ返ってくる。
「そんなん、親に買ってもらったらええやんかっ」
 親に、僕は親に買ってもらえと簡単に言ったけど、水野さんにも何かの事情があるのだろうか?
 僕が今のお母さんに万引きのことを言われたら困るように水野さんにも何かの事情があるのだろうか?
 まさか、水野さんの親も僕みたいに再婚しているんじゃないだろう。
 お母さんがお小遣いをくれないのか?それなら話はわかる。
 けれど、そんなことは僕とは関係はない。
 でも僕は今のお母さんに万引きのことを言われたくないのであれば、お母さんにまた千円もらわなければならない。
 脅迫はまだちゃんと続いているのだ。
 僕はまだそこから解放されていなかったのだ。
 こんなことに僕はもう耐えれそうになかった。



 なるべく早く千円を山中くんに返そうと思っていた。
 けれど「クリスマス」という言葉を聞いた瞬間、私の心は以前に戻ってしまった。
 やはり、普通の家庭が妬ましいのだ。
 妬ましいから誰にも優しく接することができない。
 優しくないから、人を脅かしたりする。
 私の心は腐っている、そう思った。
 母も私のことをそう言ったことがある。
 私が沢井さんに無理に万引きをさせられ、後日、学校から母に連絡があった時だ。
 先生が家に来て事情を説明すると母は玄関先で何度も何度も頭を下げた。
「うちの子が学校に迷惑をかけてすみません。あの子にはよく言ってきかせますから」
 母が同じ言葉を繰り返し言っているのが家の中にまで聞こえた。
 同じ言葉を繰り返して言う人は信用できない、と何かで読んだことがある。

 沢井さんのことを言ったら、母に信じてもらえるだろうか?
 小学三年生の私は本気で母を信じていた。

 先生が帰ると母は今に戻って「信じられない、信じられないっ」と喚き散らかした。
「家の中も知らないうちに汚れていたんだわっ!ああっ、恐ろしい」と大きな声を出しながらテーブルの上にあった数珠を二つ手に通した。
「違うのよ、お母さん!」
 説明すればきっとわかってくれる。
「何が違うっていうのっ!」けたたましい声だ。
「学校のお友達に無理やりにカバンの中に入れられて」
「明美に友達なんているはずがないじゃないのっ」
 確かにそうだけど、そんな言い方をしなくても。
「少し前まで友達だったの」
「友達がどうしてそんなことをするのよっ」
 私にだってわからない。「友達」と言ったのが話をよけいにややこしくさせた。
「私にも、わからないのよ」上手く説明できない。
「やっぱり友達なんて信用できないって、私が前から言ってるじゃないのっ」
 母はお父さんを裏切った友人のことを言っているのだ。
「お母さん、そんなことないわ、世の中、みんな、そんな人ばかりじゃない」
 お父さんと私は違う。
「明美は、あなたは、心が腐っているんだわっ」
 母の表情が険しいものに変わった。
「私が腐ってるって・・そんなっ」
 もし私の体が腐っているとしたら、それはこんなゴミの集まったような場所で、今にも壊れそうな家の中に住んでいるせいだ。
「明美の心の中に何かが棲みついているのよ」
 また母のおかしな宗教の言葉が始まった。
「ちょっと待ってっ、お母さん、私、万引きなんてしていないの、本当よ、信じてちょうだいっ」
「ほら、またそうやって嘘をつくっ!」
 嘘じゃないのっ! 私は本当に万引きなんかしていない。
 お母さん、信じてっ!
「明美の心に悪魔が棲んでいる証拠だわっ」
「悪魔って、お母さん、そんな言い方、いくらなんでもひどいよ!」
 腐ってるとか、悪魔とか、私は一体、何なの? お母さんの娘だよ!
「悪魔が住んでいるから、友達も出来ないのよ」
「それは家がこんなだからっ」
 それ以上、もう言葉が続かなかった。
 こんな家だから、誰も私に寄りつかないということがお母さんにはわからないの?
 私だって友達が欲しかったよ。

 その日が私の小学三年生の時のクリスマスだった。
 他のみんなのように親から貰うプレゼントなんてものはない。
 私は他の子より早くサンタクロースの存在を信じてはいなかった。プレゼントなんて貰ったこともないから信じることなんてできっこなかった。
 あれからもう二年になる。
 妙ちゃん・・橋本さんが今、私が今していることを知ったらきっと軽蔑するだろうな。
 それでいい。私の心はもう腐っていて後戻りができない。
 母に捨てられた参考書をもう一度買うために千円がどうしても必要だった。
 このままではまた成績が下がってしまう。
 何も塾とかにいくような大金ではない。千円の参考書だ。
 お小遣いを何とか前借りして返せばいい。

 山中くん、ごめんなさい・・



 二人が話をしていたことで、山中くんが水野さんに脅迫されていることがわかった。
 吉水川の土手で山中くんは名前は伏せたけれど誰かに脅かされていると僕に話した。
 校舎の裏で男女が話すこと、山中くんが図書委員の水野さんと話すことは他にはない。
 漫画しか読まない山中くんが文芸書ばかり読む水野さんと気が合って話をするはずもない。
 これで話は繋がる。
 でも水野さんが山中くんを脅迫しているとしても僕には関係ない。個人的な問題に首を突っ込むのは副委員長の仕事じゃない。
 おそらく同じ副委員長の香山さんもそう言うだろう。
 しかし、山中くんが万引きをしたことはれっきとした犯罪だ。
 けれど、僕は誰かに告げ口をするわけにもいかない。友人として山中くんが何らかの決断をするまでは動くわけにもいかない。

 そんな事を考えながら僕は図書室の閲覧コーナーで本を読んでいた。
 宮沢賢治の有名な「よだかの星」だ。
 「よだかの星」の話は鳥の「よだか」がその容姿の醜いことから他の鳥たちに嫌われ自分の故郷を去る。そして自分が生きるために虫の命を食べることを嫌悪して、生きることに絶望し、太陽に向かって飛びながら「焼け死んでもいいから、あなたのいる所に行かせてください」と太陽に願いでる。
 しかし、太陽には「お前は夜の鳥だから、そんなことは星に言え」と断られ、今度は夜の星々に同じように言うけれども星にも断られる。
 誰にも相手にされず居場所を失った「よだか」は夜空を飛び続ける。
 よだかは飛んでいるうちに自分が落下しているのか、体が燃えているのかわからなくなってしまう、
 そして、いつしか「よだか」自身が青白く燃え上がる「よだかの星」になってしまう。
 今もその星は燃えているのだと作者は語っている。

 この話は小学低学年の時に一度読んだけれど、意味がわからなかった。
 よだかの気持ちはわかるけど、作者がこんな悲しい話を書いて読者に何が言いたいのだろう? 救いのない絶望的な話だと思った。
 子供の僕はこれを読んで何を感じ取ればいいのかわからなかった。

 この物語は高学年用の「銀河鉄道の夜」にも所収されている。
 低学年用では「よだかの星」は単独で絵本の形をとっている。
 この絵本も「銀河鉄道の夜」と同じように何度も借りられていた。
 僕が図書室で宮沢賢治の本を片っ端から読み進んでわかったことだった。
「銀河鉄道の夜」と同じように二冊あるうちの一冊が同日に返却され借りられている。
 でも絵本が読まれていたのは三年くらい前だ。三年前から途切れている。
 この読者は絵本「よだかの星」から高学年用の「銀河鉄道の夜」に乗り換えたことになる。
 同じ人物だということは一目瞭然だ。
 問題はどうしてこの人は何度も同じ話を読んだかだ。
「よだか」に自分を重ね合わせたり銀河鉄道に親友と乗って「本当の幸い」を探したかったのだろうか?

 僕が「よだかの星」を急に読み出したのには他にも理由があった。
 山中くんと図書委員の水野さんが話しているのを見た時からだ。
 忘れた何かを思い出したかった。
 二人を見ているとすごく懐かしい光景に触れた気がした。
 けれどはっきりとは思い出せない。
 目を瞑るとある光景がぼんやりと浮かんでくる。
 ずーっと以前、どこかで誰かと何かの約束をした気がする。
 僕は何かの事情でそれを破ったのだ。
 相手は女の子だった。けれどその子は水野さんみたいに髪も長くはなくメガネもかけていはいなかった。
 場所も相手の子も約束の内容も思い出せない。
 ただ、季節だけははっきりと憶えている。
 それはクリスマスの頃だ。



「達也さん、お腹の調子が悪いの?」
 トイレに何度も入る僕を気にしてお母さんが声をかけてきた。
 お母さんに言われた通り、僕はお腹を壊していた。
 水野さんに貸さなければならない千円。
 貸さないとお母さんに言われる。
 気がかりでもう漫画が読めない。
 いろんなことが気になって気がついたら体調を崩していた。
 頭がぼーっとする。お腹がまた痛くなってきた。
 お母さんに会いたい。本当のお母さんはどこに行ってしまったんだろう?
 僕のことが気にならないのだろうか?
 お母さんはどこかで幸せになっているのだろうか?
 今の僕の姿は恥ずかしい。すごくみっともない。
「お母さん、千円・・」
 気がついたらお母さんの問いかけにそう返事をしていた。
「達也さん! いったいどうしたのっ、千円って?」
 お母さんが立ったままの僕のおでこに手を当てた。
「熱があるじゃないっ!」
 熱があるのか・・それで、さっきから体が熱いんだ。
「せ、千円・・」
 千円って一体なんだろう?お金ってこんなにも人を苦しめるものなんだ。
「お小遣いのことを言っているの?」
 僕は頷くように頭を振った。
「お母さん・・」もう立っているのもしんどい。
「お母さんって、・・私のこと?」
 お母さんはそう訊ねた。
 いつも「お母さん」って呼んでいるのに、どうしてそんなことを訊くんだろう?
 僕は頷き「参考書を・・」と言った。


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