20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「水をすくう〜少女の闇と光」 作者:小原ききょう

第1回   ヘルマン邸


 吉水川の上流を眺めると右手の高台に洋風の大きな建物が見える。
 洋館「旧ヘルマン邸」だ。
 既に廃墟となっているので子供たちの間では「ヘルマン屋敷」とか「お化け屋敷」と呼ばれたりしている。
 この洋館は明治時代から大正時代にかけて、ドイツのシーメンス社の極東支配人ビクトル・ヘルマンが住んでいた。
 当時、シーメンス社は電気関連の世界的大企業だったらしく、日本の東京、大阪への進出に大成功を治めていた。ヘルマンは支配人として日本に永住する決意があったらしく、吉水川の東側の山の土地を丸ごと買い取り山の麓の高台に豪華絢爛な大洋館を建てた。
 それはまるで中世の貴族たちが住む城のようなドイツ式の建築だった。
 今では想像も出来ないような贅沢で煌びやかな生活がそこで繰り広げられていたらしい。
 けれど後に日本の高官がシーメンス社から賄賂を受け取ったという大汚職事件が起きて当時の内閣はこれによって総辞職した。
 そしてヘルマンは有罪判決を受け、この屋敷を去ることになり、やがて昭和の時代になり太平洋戦争が起こった。この辺り一帯はアメリカの空襲、焼夷弾を受け「ヘルマン邸」は廃墟同然の建物になってしまった。
 屋根は抜け落ち、壁はあちこちが崩れ去り、庭園の草花は焼けた。
 それが今、僕の見ている「ヘルマン邸」だ。当時の豪奢な生活など想像もできない。
 つまりは人の世の中は全て「栄枯盛衰」の原理で動かされている。
 そんな風に僕の父は吉水川の上流の山に二人で登った際に「ヘルマン邸」の顛末話をよく話した。
 父の話の最後には「平凡な暮らしが一番だ」と締めくくられる。その言葉は子供心にも父の言い訳のように聞こえた。

 僕は生まれていない前のことは何も知らない。
 ヘルマンという人が日本に住んでいて何をして何を愛して、どんな犯罪を犯し、そして誰に裏切られたのか。
 この場所は僕らにとっては単なる遊び場だったからだ。そこで昔、何があったのかは興味もない。
 それに当たり前だけれど僕はヘルマンのように栄華を極めたこともないし、どん底の生活も知らないから、どちらの気持ちもわからない。
 それは僕がまだ小学五年生の子供だからだ。

 僕がもっと低学年の頃、たぶん小学二年生の頃だ。近所の子供たちとここまで来て鬼ごっこやかくれんぼをしたりして遊んだ。
 この廃墟と化した「ヘルマン邸」跡、別名「ヘルマン屋敷」は管理する人もいなく勝手に中に入っても怒る人もいない。
 あの頃は今よりも大勢の友達がいた気がする。一緒に遊んでいたのは二十人位いたのではないだろうか?男子ばかりじゃなく女の子も何人かいたと思う。
 廃墟なんかで遊んで何が楽しいわけでもないけれど自分の家や学校以外の建物を自分たちのものにした気がして楽しかったのかもしれない。
 当時、大聖堂のような建築物の中を歩くのはわくわくしたものだ。
 何分か歩いているとすぐに中で迷ってしまう。それほど建物の中は広い。
 いくら廃墟とはいえその構造を見ていると昔は豪華絢爛だったのに違いないと子供の僕にも容易に想像を巡らすことができた。
 建物は四階建ての構造で宿泊客用の小部屋がいくつもあり、舞踏会でもできそうな大きなホールが一階と二階にそれぞれある。
 建物はコの字型になっていてその中心には中庭があり、今では雑草が生い茂り庭の美しさなど微塵も感じられないが庭の中心には噴水があったと思われる丸い池が配置され、池の周りには草花を植えることのできる花壇のような盛り土がいくつもある。
 建物の尖塔には十字架がそびえていて遠くから見ると古い教会のようにも見える。
 そして、危ない階段を昇ってでも見たくなるヘルマン屋敷の上層階からの眺めは絶大だった。吉水川の河口は全て見渡せるのはもちろん、天気のいい日には瀬戸内海に浮かぶ淡路島、大阪湾、その向こうの和歌山県の山々までが見えた。

 しかし、日が暮れだすとこの場所はまさしく「お化け屋敷」と化してしまう。
 周囲には灯り一つない。そして音も一切ない。たまに犬の遠吠えが聞こえるくらいだ。
 一歩足を踏み出す度に枯葉や瓦礫、砂利、ガラスの砕ける音しかしなくなる。
「幽霊などこの世に存在しない」と父はよく言っていたが、ここにだけは幽霊が存在するのではないか、とその頃は思っていた。
 きっと、ここで栄華を極めた人々がこの世を恨みに思って出てくるのだ。
 夕暮れに吉水川の下流の方から「ヘルマン屋敷」を見上げれば高台にそびえ立つ屋敷の上を真っ赤な空が覆い尽くし、まるで何かの生き物のように空が動いているように見えた。
 西洋には怨霊がいるかどうかは知らないけれど、赤い空はまさしく大きな怨霊に見える。
 そして尖塔の十字架が怨霊に対抗する剣のように空を貫いているようにも見えた。

 今、吉水川の土手に立つと、そんな子供の頃はあまり感じなかった吉水川の景観は美しい。上流の右手にはヘルマン屋敷、左手には大きな古美術館。
 僕は暇さえあれば吉水川の土手を川伝いに走っている。秋の運動会の練習以降、すっかりそれは習慣になっていた。
 上流の更に向こうに広がる六甲山系の山々、そして河口に行くにつれてひろがる美しい川の流れ。
 けれど、そのせっかくのいい景観を台無しにしているのが川沿いに立っている汚いトタン屋根のバラック住宅の群れだ。
 一体どんな人種が住んでいるんだ、と思うくらいひどい家がたくさんある。
 少し風が吹いただけでもガタガタと音を立てているトタン屋根は大きな台風など来ればあっと言う間に吹き飛んでしまうだろう。既に屋根が捲れ上がって揺れている家もある。
 割れた窓ガラスは直すこともなくガムテープが貼られているだけだ。
 数十件の平屋の住宅の間に連ねられた物干し。周囲に散乱するゴミの山。放し飼いの犬は飼っているのか野犬なのか区別すらできない。
 集落の中を歩いている人はまともな服を着ている者などいない。僕の母が見たら目を背けてしまいそうだ。
 父はよく「あそこの集落は時間が止まったような場所だ」と言っていた。
電気、ガスはおろか水道もなく、汲み水を使い生活排水をそのまま川に流しているらしい。 町はそこに住む人たちに立ち退き交渉をずっと続けている。
 ほとんどの家が違法に家を建てているからだ。それを公有地の不法占拠と呼ぶ。
 しかし、住人はいっこうに出ようとしないらしい。住んでいる場所を追い出されるのは誰だってイヤだ。たとえ違法であっても。



 僕は小学校の図書室に一人でよく行く。
 本をたくさん買えるほどのお小遣いもないし、駅前の図書館まで行くのも面倒臭いのでよく利用している場所だ。
 放課後の図書室の閲覧コーナーのテーブルには調べ物をしている子、本を読んでいる子、宿題や自主勉強をしている子らがいる。
 借りて読むこともあれば読書用のテーブルで読むこともある。
 小学低学年の頃には江戸川乱歩の「少年探偵団」のシリーズを借りて貪り読んだ。全部で四十巻くらいあったと思う。
 本の裏表紙の裏に差し込まれている図書カードにも貸出日のスタンプがたくさん押されてあった。
 昨日、吉水川の土手を走っていた時、ヘルマン屋敷のことを考えていたのは「少年探偵団」を読んで少年探偵に憧れていた時のことを思い出したからだとわかった。
 僕は「ヘルマン屋敷」を探偵の秘密基地として遊んでいたのだろう。
 けれど小学校高学年の五年生ともなるとそんな本はとっくに読まなくなっていた。
 僕の叔母さん、母の年の離れた妹である人の影響もあって大人の読む小説を読むのが習慣になっていたからだ。
 大人が読む本といっても小学校の図書室に置いてあるような本だから、そんなに難しい本でもない。
 読むのはせいぜい夏目漱石、太宰治や、ヘミングウェイ、ドストエフスキーの小学生用に字を大きくしてルビを付けている大型本くらいだ。
 ちょっと前にみた映画「卒業」の原作なども読んだ。こっちの方がルビがないし字が小さいので読むのに大変だった。
 叔母さんの貸してくれる本も大人の読む本で読みづらい。けれど、最近ではもうそんな本も読むのが苦ではなくなっていた。

 そんなことを考えながら僕は放課後、図書室の書架の間を本の背表紙を眺めながら歩いていた。いつもように「少年探偵団」のような本が置いてある場所は素通りして文学書の置いてある書架の方に向かう。
 書架の角を曲がると書架の本を立って読んでいる女の子がいた。
 黒ぶちのメガネをかけている長い髪の少女だ。濃い色のワンピースを着てカーディガンを羽織っている。
 図書室の窓から入る放課後の柔らかな陽射しがそこにだけ、まるでスポットライトのように当たっている。
 書架と書架の間は暗いから、陽射しを読書灯の替わりに使っているのだろう。
 彼女は僕の存在に気づき、僕の方を見てメガネの縁に手を当て何度か動かしたあと、慌てて開いていた本を閉じ書架にしまい込んだ。
 ひょっとしてメガネの度が合っていないのか?
「こ、こんにちは」慌てているみたいで声が少しうわずっている。
 図書委員の水野さんだ。図書委員にはピッタリの風貌だ。クラスの中では成績もいいらしく、一貫して真面目で通っている。
 誰かが「あいつ、しゃべっても面白くない奴や」と言っていたのを思い出した。
 別に彼女の読書を邪魔するつもりもないので僕は「何を読んでいたの?」とか訊かずに挨拶をして日本文学の前に立った。
 水野さんは日本文学の「あ行」のあたりに立っていて僕は「ま行」の所にいる。
 水野さんとは数メートルの距離しか空いていない。
 お互いにそれぞれ書架の方を向いて立っている。
 どうしても水野さんを意識してしまい、ゆっくり本を選べそうにもないのでまた今度にしようと思いその場を立ち去った。
 立ち去る時に微かに香水の匂いがした気がした。水野さんだろうか?
 香水なんてもちろん校則違反だからつけることはできない。
 けれどその時、匂ってきたのは、もしつけていたとしてもそれとはわからないくらいの微かな匂いだった。
 もし水野さんが香水をつけていたとしても僕にはどっちでもいいことだ。
 それより水野さんが何の本を読んでいたのか気になった。



「陽ちゃん、図書室で何か、ええ本、見つかったん?」
 家に帰ると叔母さんが掘りごたつに足を入れ蜜柑の皮を剥いていた。
 叔母さんは遠く離れた町に住んでいるけれど、時々こうして遊びに来る。
 短い時で三日間ほど、長いときには二週間以上、家に泊まっていく。
 地方紙の編集のお手伝いをパートでしているそうだが、結構よく暇ができるみたいだ。
 叔母さんが来ると僕は嬉しくなる。叔母さんとは漫画や本の話ができるからだ。母とは合わない、聞いてくれない話でも叔母さんとはいくらでも話せるし叔母さんはいつまでも聞いてくれた。
「あんまり落ち着いて見られへんかった」
 僕もこたつに入った。こたつが暖かくて気持ちいい。僕はこたつの上に積まれてある蜜柑を手に取った。
「はい、これ、剥いてる分」
 叔母さんは剥いたばかりの蜜柑を僕に差し出した。
「自分で剥くからええのに」と言いながら差し出された蜜柑を手に取った。
「どうせ、陽ちゃんが取ろうとした本の前に可愛い子がいたとかとちゃうん?」
「違うっ!」思わず大きな声を出してしまった。
 図書委員の真面目一点張りの水野さんが書架の前にいただけだ。だから叔母さんの言うことは半分は当たっている。でもそのことは言わないでおこう。話がややこしくなりそうだ。
「ふーん。陽ちゃんが何を借りてくるか、叔母さん、楽しみにしてたのに」
 僕の前にはまだ剥いていない蜜柑と剥いてある蜜柑が仲良く並んでいる。僕は先に剥いてある蜜柑を食べはじめた。
「本は学校の帰りに放課後、図書室で読んだ方が賢いと思わへん?」
「どうして?」
 叔母さんは蜜柑を口に放り込みながら訊ねた。
「だって、借りて持って帰るのんも面倒臭いやんか。その場で読むんやったら、手に取った本が面白くなかったら、次の本、すぐに探せるやん。放課後、図書室で読んでる子、結構いるし」
「陽ちゃん、それはあかんと思う」
 真っ向から否定する叔母さんの返事が返ってきた。
「叔母さん、何でや?」
 普通のアイデアだと思って言っただけなのに。
「迷いに迷って、一度、手に取ってしもうたら、それも運命やと思わなあかん。叔母さんはそう思うけどなあ」
「そやけど、面白くなかったら、しゃあないやん」
「陽ちゃん、選ぶのが家族や恋人、友達やったらどうする?」
 そこまで考えて読まなあかんっていうのか。
「叔母さん、それ、例えが悪すぎや、本を選ぶだけの話やのに」
 本と人は明らかに違う。
「ふーん。そんなに違うかなあ・・それに」
 叔母さんは何か言うことを考えているようだった。
「それに、何や?」
「陽ちゃんが図書室に行ったまま帰ってくるのんが遅かったら、叔母さん、その間、話し相手がおらんで寂しいやん」
 叔母さん、言ってることがまるで子供だ。
「優美子! 蜜柑ばっかり食べとらんと、夕飯の支度、手伝いなさいっ」
 台所から母が来て叔母さんを呼び立てた。
「ごめん、ねえちゃん、すぐそっちにいく」
 叔母さんは慌てて剥いた蜜柑を頬張った。
「陽一、今晩、おでんを作るんやけど、辛子を切らしてて、商店街に行って買ってきてくれる?」
「ええよ」
 こたつの温もりが名残惜しいけど、二人揃ってコタツから出た。
「陽ちゃん、ごめん、買い物につき合えなくて」
「かまへん、一人で行くから」
 僕が買い物を頼まれた時はよく叔母さんがくっついてくる。
 そして、いつも誰か、知り合いに会ってしまう。


次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 228