20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第9回   グストフ氏


 神園に「汗臭い!」と言われて家に帰ると智子はまだ帰っていなかった。
 今日は店側から家に入らず裏口から家に入って階段を上がると智子の部屋は暗いままだった。
 部屋で俺を待っているのは「御堂純子」というアイドルのポスターだ。毎日花を持ち微笑み俺を出迎える。
 佐伯の奴が変な話ばかりするから、この前、気になって、まじまじと見る気もなかったポスターをちゃんと見てみた。
 右の端に「御堂純子」と書いてある。そして丁寧に「17歳」と名前より大きな字でかいている。やっぱり年上だ。
 たまには店の手伝いでもするか、そう思って部屋を出ようとすると智子が帰ってきた。
「智子、帰り、遅かったな」
「うん、今日は4時間目までだったから、恭子ちゃんの家に遊びに行ってたの。でも一度、ランドセルを置きに家に帰ったんだよ」
 そう言いながら智子は自分の部屋に入ろうとするとまた俺の所にちょこちょこ来て、
「ねえ、お兄ちゃん、中学に『神園』さんって女の人、いる?」
 えっ・・神園? 何で?
「ああ、あのクソ生意気な委員長か」
「知ってるんだ。お兄ちゃん、同じクラスなんだね」
「智子、何で、神園の名前が出てくるんだ?」
 全く佐伯といい智子といい、神園、神園って。
「うん、ちょっとね」
 おい、「ちょっと」って何だよ? そう思っても口に出ない。
 最近、智子の方が俺より大人びているように思える。
「色々ある」とか、変な含みを持たせるように言ったり、今みたいに「ちょっと」と言ったり。
「誰から、神園のこと聞いたんや?」
「恭子ちゃん・・恭子ちゃんの知りあい・・かもしれない・・」
 かもしれない?・・
「お兄ちゃん、ごめん。恭子ちゃんも私も、神園さんの顔を知らないの」
 何だよ、それ。話が見えないぞ。
「あのさあ・・智子さあ・・」
 俺は話を切り替える。
「何よ、お兄ちゃん、もったいぶって」
「訊くけど・・お前、本当に、あの長田さんと友達なのかよ?」
「お兄ちゃん、どういうこと?」
 智子はきょとんとした顔をする。
 お前、顔が丸いぞ!
「俺たちって、まあ、その・・どっちかと言うと一般庶民だろ? そんなに裕福とは言えないし、それに比べて、あの長田恭子の家、まるでおとぎ話に出てくる家のようじゃないか」
 智子、今、笑ったな!
 俺がおとぎ話と言うと智子は吹き出しそうな顔をした。
「お兄ちゃん、恭子ちゃんの家、知ってるの?」
「ああ、一度、前を通ったことがある」
 本当はしょっちゅうだ。今日は神園にも会っちまった。
「びっくりしたでしょ?」
「ああ・・びっくりした・・それよりさっきの質問や・・あんな立派な家の子と本当に・・」
 俺の質問を途中で切り、智子はこう言った。
「えへへ、そうじゃないかもしれない・・」
 えっ、何て言ったんだ?
「友達じゃないかもしれない」
 おい、智子、大丈夫か?
「恭子ちゃん、すっごい大きなお家に住んでるしね・・」
 智子は真顔で話し始める。
「私が、お父さん、お母さん、そしてお兄ちゃんたちに囲まれて、家族みんなに優しくされて、私もすっごく甘えちゃって、いつもお菓子ばっかり食べさせてもらって楽しく過ごしてるのと、恭子ちゃんの生活って全然、違うんだよ」
 何だよ、それ・・
「恭子ちゃん、あんな大きな家で、家政婦さんと二人きりなんだよ」
 家政婦だけって・・
「あの子だって、お父さんや、お母さんがいるだろ?」
 智子は首を大きく振った。
「いないよ。あんなに大きな家なのにね」
 その瞬間、委員長の神園の顔が浮かんだ。
「私の父も母もあの家にはいないの」と神園は言っていた。
 そして、一度しか会っていない青い瞳の少女の顔と重なった。
「お父さんの再婚した相手の人がいるにはいるけど、仕事でほとんど家には帰ってこないらしいの」
 長田恭子の父はもう他界しており、今の母は継母だと説明された。
 今は家政婦の人と二人であの屋敷に住んでいるらしい。一度見た女の人、邸宅に車を乗りつけていた人が家政婦だったのだろうか?
「でもね、お兄ちゃん、そんなことね、関係ないんだよ」
 関係ない?
「私は恭子ちゃんのことが好き!・・恭子ちゃん、無口だし、冗談も言わない・・でも好き・・」
「あの子、そんな子なんか?」
 おしゃべりしてるところも想像できないけどな。
「そうだよ・・お兄ちゃんだったら退屈するかもしれない・・でもね、恭子ちゃんは私を見てくれるの・・ちゃんと私に向き合ってくれるの・・それはね、転校していった加奈ちゃんと同じなの」
 まくしたてる智子の声に俺の心はちょっと震えていた。
「向き合う」っていう言葉の意味がわからない・
 うーん・・分からないぞ・・心の中で腕組みをして考える。
 そうだ。今度、佐伯の奴に聞いてみよう。
 とにかく今は何かを言わないと・・
「・・智子、おまえブスのくせに・・」
 いや、智子は決してブスじゃない。俺の冷やかしゼリフが宙に浮いてしまう。
 こんな時、何て言うんだ?言葉が見つからない。
「おまえ、すげえな・・」
「お兄ちゃん、私の何がすごいのか、全然わからないよお」
 俺もだ・・
 ただブスじゃないっていうことは確かだ。心だけじゃなくて、顔もだぞ!
「それで、あの子と神園って、どういう関係なんや?」



 女性社員が日本茶を出し一礼して退出した。
「ヒルトマンが亡くなって、もうすぐ二年になるね」
 グストフ氏が卓上型のライターで葉巻に火を点ける。
「二年経つのはまだ半年先ですわ・・」
 あの人が亡くなったのは初夏。ここは12階の役員室。
 私は出張から戻ったグストフ氏の報告を受けた後、長田グループの総括的な話をしている。グストフ氏は私の向かいのソファーにどかっと座って足を大きく組んでいる。
 兄弟でこれほど雰囲気が違うものなのか、と思わるほど、容姿がヒルトマンとは異なる。
 長身でほっそりしたヒルトマン、グストフ氏は小柄で痩せているとは言えない。いつもネクタイをきっちり結んでいたヒルトマンと違い、グストフ氏のネクタイはいつも緩んで歪んでいる。異なる点を見つけ出そうとすればキリがない。
 決定的なのは、グストフ氏がお金にルーズなところだ。
 今のところ確固たる証拠はないが、工藤さんの話だと社員の中でよくない噂が広まっているようだ。
 紫煙が部屋の中に広がっている。私はグストフ氏が煙草を吸う時は吸わない、と決めている。
 総括的な話は長田グループの会社全てをまとめ上げた業績に及ぶ。
 話は簡単に言えば「右下がり」だ。東京での業績は比較的安定しているのだが、手を広げ過ぎた感のある神戸の方の事業が芳しくない。それはグストフ氏も私も知るところだ。
 それも仕方のないことだ。東京から神戸に移した事業はまだ地元に定着していないからだ。少しずつ伸びてはいるが収益と費用のバランスが悪い。地元に入り込むための交際費や広告費が予算を上回っている。設備投資の回収もまだまだだ。
 神戸は東京に比べると新規参入が難しい。どこかよそ者を受け入れないところがある。 だがそれは東京以外ならどこでもそうだ。神戸に限ったことではない。もっと西に行けば更に厳しくなる。
 神戸はまだまだ時間が必要だ。
 そして、この先、神戸はどんどん伸びていく可能性がある。それに比べて東京は今の辺りが限界に等しい。もうやり尽くした感がある。
 それを考えれば、今が踏ん張りどころなのだ。
 ヒルトマンの先を見据える力は鋭かったと思う。彼が広げた神戸の事業は時間をかければ必ず成功する。
 だが当のグストフ氏はそうは考えていないようだ。神戸の一部の赤字会社を撤退させたがっているのが会話の端々でわかる。
 だが、グストフ氏の存在を軽視するわけにはいかない。彼にはヒルトマンから引き継いだ膨大な人脈がある。
 私はドイツ人ではない。お金にルーズでも私よりグストフ氏を信用している人間は大勢いる。彼の同胞の人たちに限らず日本人もだ。

「いっそのこと、多香子さんが神戸担当役員として神戸に常駐してくれればいいんだけどね」
 勢いよく吐き出した煙が私の方まで漂ってくる。
「私が神戸に?」
 いきなり何を言い出すの?
「神戸の方の会社も専務である多香子さんがいてくれた方が助かると言っていたよ」
「そうですか」と口に出して言おうとしたが、言い淀んだ。
 一体、誰がそんなことを言っているの?・・それよりも、
 グストフさん、それって、ご自分の意見じゃないのね。
 まさか、私を神戸の赤字役員にするつもりはないだろうけど、
 この人の話の持って行き方はいつもそうだ。
 ―誰かが言っていたから、僕もそう思う。
 そうやって必ず責任の所在をすげ替えようとする。
 グストフ氏と会話をしていたら・・彼と一緒に居るとなぜか私の心は苛立ちを覚える。
 去年も神戸の邸宅でグストフ氏と一緒になった際に、恭子や遠野さんに八つ当たりをしてしまった。

「日本にはドイツでのルールが通用しないところがあってね。東京ならまだしも神戸だと尚更だ。国際港と言ってもまだまだ田舎だよ」
 また「そうですか」という言葉が言い淀む。
 田舎かどうかは単なる比較の問題だ。逆に言えば田舎だから新規参入のチャンスが転がっているとも言えるのだ。
「考えておきますわ」
 私は言い淀んだあと、そう答えた。
 ふっ、私は心の中で苦笑した。
 私の結婚相手がヒルトマンで良かった。
 仮に5年前のお見合いの相手がグストフ氏だったら、縁談は成立しなかっただろう。
 そして、私の両親も悲しむことになったに違いない。
 たとえばヒルトマンやグストフ氏のような事業家と結婚せず公務員やサラリーマンと結婚していたら私の運命は大きく軌道修正され、今頃どこかで平凡な主婦をしているかもしれなかった。
 その方がどれほど気苦労も少なかっただろう。
 だが私の実家は事業を営んでいてサラリーマンとお見合いの話が出ても両親は断っていた。当の娘である私も既に実家の事業で才を振るっていた。
 それを認めてくれ結婚するなり長田グループの重要なポストに据えたのはヒルトマンだ。
 彼はあの見合いの時点で半ば強制的に私の人生のレールを敷いていった。
 私には平凡な主婦の道を選択することは、ヒルトマンと結婚した時点でできなかった。
 でもね・・あなた・・
 私は今の自分のいる位置が結構好きなのよ。
 私は、今の自分の位置を与えてくれたヒルトマンに感謝している。
 グストフ氏は私が「考える」と言ったことに満足したのか、何本か煙草を吸ったあと、役員室を出て行った。
 私は自分の煙草を取り出し火を点け最初の煙を静かに吐いた。
「神戸・・か」
 神戸にはあの子、恭子がいる。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1362