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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第8回   長田邸と神園邸


 十文字山の神社の上から天井川沿いに下っていた。
 俺は部活を終えると一旦、家に戻り宿題を済ませ、夕方家を出てランニングをする。
 上り坂は息を切らしながら走り、下りは歩く。最近、このパターンを繰り返している。
 一つのことの興味を抱くと、それに関連する物事まで、以前には気にも留めなかったものが光を帯びてくる。
 長田恭子という年下の女の子に関心を持つようになると、天井川の川のせせらぎがやたらと綺麗に見えたり、他の家々まで長田邸に関連があるかのように思えてしまうから不思議だ。
 だから、ランニングをしてもあまり疲れない。そんなことを思っていると、キューッという自転車のブレーキ音が間近に聞こえた。
「芦田くん!」
 目の前にいたのは、自転車に跨り片足を地面についている委員長の神園だった。中学の制服のままだ。
「おお、神園か?」
「『おお』じゃないわよ、芦田くん、こんな所で何をしているの? 変な人かと思ったわよ」
 こんな所? 変な人?
「ランニングや。そっちこそ、こんな所で何してるんや? 部活ちゃうんか?」
「何してるも何も、買い物の帰りよ。部活は毎日ないわよ」
 自転車の前のカゴに詰まれたスーパーの袋から青ネギが顔を出している。
「駅前のスーパーか?」
 袋に駅前のスーパーの名前がデカデカと書かれてある。
 神園の向こうには天井川の下流、更にその向こうの海が薄ぼんやりと見えている。
「神園の家って、この近くなんか?」
「そうよ・・あそこ」
 神園は天井川の向こう岸の少し上流方面を指差した。
 指差した方角には大きな日本式の大邸宅があった。
「あれか?・・手前の庭に藤棚みたいなのがある家か?」
「そうよ」
 長田恭子の家までランニングしている時、天井川の対岸に見えていた家だ。
「で、でけえな!・・おまえの家」
 思わず驚嘆の声を出してしまう。
 長田恭子の邸宅の半分もないが、庶民の目から見れば贅沢すぎるほどに大きい。
「大きいだけよ」
 澄ました顔で答える。
「大きいだけって?」
「私の父も母もあの家にはいないの」
「何でや・・まさか・・」
 死んだのか? 悪いことを訊いたな。
 俺が済まなそうな顔をすると神園は笑って、
「ちゃんと生きているわよ。父と母は今は山口県の下関にいるの。父の仕事の都合で向こうにも家を建てちゃって、母・・も、一緒についていっちゃったのよ」と言った。
 よくわからないが、話の規模がすげえな。
「神園、まさか一人であんな大きな家に住んでるんか? 寂しくないんか?」
 神園は笑うと「家にはおじいちゃんとおばあちゃんがいるから寂しくなんかないわ」と答えた。
「もしかして、神園がみんなに料理を作ってあげてる・・とか?」
 俺は買い物カゴを目で指し訊ねた。けれど神園は首を振った。
「夕飯の仕度をするのはお手伝いさんよ。今日はお手伝いさんが風邪で倒れちゃったから、急いで買い出しに行ってきたの。今から大変っ、着替えする間もなくて制服のまま・・」
 神園はそう言うと冬の風に流れる長い髪を掬い分けた。
「お手伝いの人って家にはおらんのか?」
「前はお手伝いさんが住み込みだったんだけど、通いになっちゃったの。父と母がいなくなった分、お手伝いさんがすることも減っちゃったから」
 いつも偉そうな顔の神園も結構大変なんだな。
「なあ、神園、何でお父さんとお母さんのいる、その下関の家に行かへんねん?」
「・・私もね、色々あるのよ」
 そう言って神園純子は微笑んだ。
「色々か」・・智子と同じことを言う。

 その時、ビューッと強めの風が吹いた。冬らしい冷たく勢いのある風だ。
 一瞬の風だったが、神園が「きゃっ」と叫んで髪を押えた瞬間、自転車のハンドルがくるんと回り、買い物袋が自転車のカゴから飛び出し落ちそうになった。
 俺は反射的に神園の方に駆け寄って買い物袋を押えた。
「ありがとう、芦田くん」神園は髪を押えたまま礼を言った。
 少し距離が近い。顔が間近に見える。
「ネギが落ちそうやったからな」
 教室では何度でも近くになったことはあるが、こんな場所だと一層近く感じる。
 そう思っていると、
「芦田くん、ちょっと汗臭いわ」
 神園は眉間に皺を寄せて言った。
「当たり前や、さっきまで走っとったんやから」
 ちくしょうっ、智子と同じことを言われた!



 私は漫画雑誌の頁を繰りながらお菓子をつまんでいる。
 恭子ちゃんは今日は遠野さんの炒れた紅茶を飲んでいる。
 あの日曜日の日から、私は積極的に恭子ちゃんの家に行くことにしている。
 今日は小学校が4時間目までの日だったので早く終わった。私は一組の教室に行って恭子ちゃんが出てくるのを待って、二人で一緒に歩いてきた。
 恭子ちゃんの部屋に漫画の雑誌がたくさんあるので、部屋で読ませてもらっている。
 既に読んでいる雑誌もあったけれど、こうやって一緒に部屋にいることが大事なんだと思う。
 とっくに手土産はなしだ。恭子ちゃんからも遠野さんからも強く言われている。
「恭子ちゃん、この漫画も読んでたんだ」
 私は人気の魔法少女の漫画の頁を広げて恭子ちゃんに見せる。
「『魔法少女リリス』ね・・私より静子さんの方が夢中になって読んでいるわ」
「へえっ、遠野さん、漫画なんて読んだりするんだね」
「うふっ、人って見かけによらないものよ。それに静子さんは母の残した本もよく読んでいるわ、静子さん、すごく読書家なのよ」
 恭子ちゃんは嬉しそうな表情で遠野さんのことを語る。
「お母さんの残した本?」
「智子、来る?」
「恭子ちゃん、来るって?」
「私の母の部屋に来る?・・でも、もう片付けてしまったから、この家の図書室みたいになっているけど」
 恭子ちゃんの部屋と同じ二階の案内された部屋は確かに図書館のようだった。
「うわーっ、これだけ本があったら、これからもずっと恭子ちゃんの家に来たくなっちゃうよお」
 窓以外の壁には大きな書架が所狭しと並べられている。
 中には洋書のようなペーパーバックしか収まっていない書棚もある。
「でも私たち小学生には難しい本ばかりよ」
「あのね、恭子ちゃん、それは今だからだよ。私だって成長するよお」
「え・・」
「だって、恭子ちゃんと友達になのは、何も今だけじゃないでしょっ!」
「智子・・」
「この先も、ずっと二人が友達で、私が中学生、高校生になったら、ここにある本、全部読めるようになるよお」
「本当?」
 恭子ちゃんの顔が赤くなっている。
 私、何か恥ずかしいことを言っちゃったかな?
「智子、私のこと、もっと知りたい?」
「あたりまえだよ!」
 私が答えると恭子ちゃんは何かを決したらしく、
「じゃ、智子、私と一緒に三階に来て」と言った。
 恭子ちゃんの家の三階には上がったことはない。
 二人で三階に上がると二階よりも部屋数はぐんと減った。
 そして、三階の廊下ははあまり人が上がることがないせいなのか、それとも照明のせいなのか、暗い気がする。
 恭子ちゃんはたくさんあるうちの一番大きそうな部屋のドアノブを引いた。
「ここ、私の父の部屋よ」
 恭子ちゃんのお父さんは去年亡くなっているから、部屋の中、そのまんまってこと?
 私は恭子ちゃんに案内されるまま中にそろっと入った。使われていない部屋だからといって蜘蛛の巣がかかっているわけではなかった。
 おそらく遠野さんが小まめに掃除をしてくれているのだろう。
 誰かがここで今、生活していてもおかしくないくらいに綺麗にされている。
 ただ、ベッドだけはシーツはなく、この部屋には誰も生活していないことがわかる。
 壁にも書棚はあるけれど、数は少なく、百科事典のような分冊物の本が置かれているだけだ。

「智子、こっちに来て・・」
 恭子ちゃんは出窓の際に立ち私を手招きして呼んだ。
 私は窓のところに行くと恭子ちゃんは大きなガラス窓を両開きに開け放った。
 冬の冷たい風が部屋の中に流れ込んだ。重そうなカーテンがバタバタと激しい音を出す。
 恭子ちゃんは風に流れる髪を押える。
「智子、見える?」
「恭子ちゃん、何が見えるの?」
 窓から顔を出すと恭子ちゃんの家のお庭が広がっているのが眼下に見える。
「智子、もっと向こうよ」
 庭の向こうには家の門に続く小道が見える。
 そして、他の家のたくさんの屋根が続き、向こうには天井川があるのがわかる。
「川の向こうに三階建ての大きな家が見えるかしら?」
「あっ、恭子ちゃん、見えるよ・・家の前におっきな長い藤棚のようなものがある・・あの家が何?」
「智子、あれが私の本当のお母さんの家よ」
 そう言った時、ビュッとさっきより強い風が部屋に吹き込んだ。
「恭子ちゃんを生んだお母さんの家?」
 お母さんがあそこにいるのならすぐにでも会いにいけそう・・
「けれど、あそこにはお母さんはもういないの・・」
 そう言うと恭子ちゃんは窓を閉め近くのソファーに座った。
 恭子ちゃんのお父さんのソファー・・でも、お父さんはこのソファーを使うことなく亡くなった。
 ソファーは恭子ちゃんの部屋と同じ位置、窓際にある。
 ただ、ソファーには灰皿があり、卓上型のライターが置かれていて、子供用ではないことがわかる。

 私も向かい合わせに座ると恭子ちゃんは少し長い話を話し始めた。
 それらの話は全て遠野さんから聞いた話だということだ。
 恭子ちゃんが四年生から五年生に上がった時、全部教えてくれたらしい。
 恭子ちゃんを生んだお母さんは由希子さんという人で、恭子ちゃんのお父さんと別れると実家に帰り、由希子さんは「長田」という姓から旧姓の「神園」に戻った。
 その戻った実家というのが天井川の対岸にあるあの大きなお家、神園邸。
 由希子さんはしばらくすると再婚したけれど、それは神園家が養子をもらうという形だったらしい。
 だから由希子さんも神園という姓のままで、住む場所も神園邸のままだった。
 けど、その養子の夫である人も再婚だったらしく連れ子の娘さんがいた。
 しばらくすると由希子さん夫婦に赤ちゃんができたらしいけど、去年、由希子さんのご主人の事業の都合で山口県の方に別邸として三人で移り住んだらしい。
 今、あの家には由希子さんのご両親と連れ子の娘さんが残っているだけみたい。
 そういうことだから、あの家にいる由希子さんの年老いたご両親とお孫である娘さんには血の繋がりはないって、恭子ちゃんは遠野さんから大体の話を聞いたっていうこと。
 あれ、考えてみれば、その娘さん、恭子ちゃんと似たような母子関係だよね。
 お父さんはいるけれど、由希子さんはお父さんの再婚相手だから、
 それに、その娘さんはどうしてお父さんについていかなかったのだろう?
 娘さんは由希子さんとは血の繋がりはなくてもお父さんとはちゃんとした父娘なのに。
 両親のお邪魔をしたくなかったのかな。神戸に残って何かをしたかったのかな?
 けれど、私のそんな推測は意味はない気がする。私が考えても仕方のないこと。
 それに、みんなそれぞれ色々な事情を抱えて生きているのだと思う。

 あっ・・その子、幾つなんだろう?
 私が恭子ちゃんに訊ねると、
「静子さんの話によれば、今は中学二年生だと思うわ」
「へえ、お兄ちゃんと同じだね」
 お兄ちゃんの知ってる人じゃないかな?この辺りは本山中学の校区だし。
 お兄ちゃんに訊いてみよう。
「智子、今日は話を聞いてくれてありがとう」
いつもよりも長く穏やかな時間が過ぎていくのを感じていた。
「今日は恭子ちゃんの話を聞けてよかったよ」
「でも漫画を読む時間が減ってしまったわ」
「えへへ、また遊びにくるから、全然いいよ」
 恭子ちゃんは微笑みを浮かべると、
「私、時々、ここから、あの家をここから見ていたの。お母さんがいなくなってからだけど」
 さっきの強い風で乱れた髪を手で掬いがら話す恭子ちゃんの顔はどこか寂しげだ。
「でも、もういい・・今は智子がいるから・・一緒にいてくれるから」
 恭子ちゃんはそう言って私を見てまた微笑んだ。
 恭子ちゃん、照れくさいよ。
 でも、今度は恭子ちゃんの今のお母さんの話を聞きたいな。


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