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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

最終回  


 堀辰雄の小説「風立ちぬ」の最期の頁を閉じた。
 東京に出張した時に持参していった本だ。最後の章を読むのはこれで二回目だ。
 小説のヒロイン、節子は病によりこの世から去った。
 だが主人公の気持ちは消えることはなかった。彼が生きている限り、愛は永遠に続いていく。
 本を書架にしまうと開け放っている窓から風が入りカーテンが揺れた。もう冷たくなく春の訪れの予感のような風だった。
 今日は奥さまと恭子さまはお二人で神戸の三宮のデパートにお買い物。春の装いを見に行かれている。
 珍しくお車ではなく電車だ。お買い物が済んだら、お二人で立ち寄る所があるらしく、帰宅は少し遅くなるということだ。
 少しずつ親子の形ができていけばいい・・私はそう願っている。
 今朝、町田さんから私宛に手紙が送られてきた。達筆で「遠野静子様」と書かれてある。
 内容はご承知のとおり、奥さまが神戸の事業の見直しをすることになったので、手伝って欲しいと頼まれたこと。必然的にこれからちょくちょく神戸にお邪魔するということ。今は東京でその準備を着々とはじめているということだ。
 いずれ遠野さんの協力も必要になるであろうことなどが綴られている。
 私の協力って・・また何かの調査かしら? もう身内の調査だけは勘弁して欲しい。
 そして、封の中には写真が数枚入っていた。
 それは奥さまとヒルトマンさまのご結婚式の写真だ。私が見たそうにしていたので自分の撮ったものを焼き増ししたということだ。さすがは町田さん。
 写真は、ウェディングドレスの奥さま。
 大きなケーキにナイフを通すご夫妻。
 持ちきれないほどの花束を抱えた奥さま。
 東京のうどん屋さんで町田さんの言っていた言葉が浮かぶ。
「教会での式でな・・多香ちゃん、それはもう綺麗やった・・あんなに嬉しそうな多香ちゃんの顔を見たんは初めてや」
 写真に映る奥さまの顔はどれも私の見たことのない表情をしていた。
 喜びの中にも自分の進む道の先にある未来を信じて疑わない、そんなお顔だ。
 そして、こんな素敵な写真もある。それは披露宴や親族の団体写真に紛れてあった家族三人だけのお写真だ。場所は白い礼拝堂の前。
 ヒルトマンさまご夫婦の傍らに澄ましたお顔の恭子さまがお写りになっている。
 恭子さまの小さな手は奥さまとしっかり繋がっている。
 これが今に続く長田家の三人のスタート地点だったのだろう。
 未来の幸福を願う家族三人のご表情は言うまでもない。
 
 私はこう思う・・
 ヒルトマンさまは確かに前妻、由希子さまを愛しておられた。
 だが、ヒルトマン氏は由希子さまと実生活ですれ違いが多く、別れることになった。
 そして、同じように奥さまのことも愛されていた。
 それは何の不思議もなく、ごく当たり前のことだ。
 ヒルトマンさまは由希子さまの時と同じように今の奥さまともすれ違いがあった。
 おそらくそれは何度も何度もあったに違いない。
 だが、二人は最後まで別れることはなかった。
 それは社会的な地位の束縛だけだったのだろうか?
 私にはわからない・・
 そこには私の見えない夫婦の繋がりがあったのかもしれない。
 夫婦はどこかで繋がっている・・本人たちも気づかないうちに繋がっている。
 そして、それは血の繋がらない母と子も同じだ。
 私はそう思う。

 最近、私の身に・・というか、長田家に少し変わった出来事が起きた。
 この私が一眼レフという難しいカメラの操作を覚えることになった。奥さまが町のカメラ屋さんで比較的使いやすいという国産のニコンのカメラを買ってこられた。
 使いやすいといっても一眼レフだ。機械音痴の私が誰にも教わることなくマスターできるわけがない。恭子さまの学校のご友人の村上さんに基本的な使い方を教わった。
 村上さんは芦田堂の宣伝写真も撮って頂いた小学五年生の男の子だ。
 恭子さまも村上さんにご自分のカメラの使い方を何度か教えてもらったそうだが、まだよくわからないそうだ。恭子さまの所持しているライカのカメラはヒルトマンさまの形見なのだけれど操作が難しい。
 恭子さまがわからないものを私が扱えるわけがない、と言ったところ、このニコンのカメラの購入に至った。
 年明け、さっそく恭子さまが村上さんにカメラのご教授を頼み込んだ。
「村上くん、静子さんにもカメラの使い方を教えてあげて欲しいの。今度は国産のカメラだから、簡単よ」
 恭子さまに頼まれ嫌な顔一つしない。どうやら、村上さんは断れない性分のようだ。
 ちょっと押しかけのようになってしまったけれど、村上さんは素人の私に親切に教えてくれた。私はメモをとりながら村上さんの指導を受けた。
 恭子さまが「私、村上くんに何もお礼はできないのだけれど」と申し訳なさそうにすると「昨日、長田さんのお母さんが芦田堂の大福、たくさん持ってきた」と言って笑った。
 驚いたことに奥さまは村上さんの家にお一人で出向かれご両親とも挨拶を交わしていた。
「この町をもっと知りたい」と言っていた奥さまはその言葉通りの行動をなさっている。
 そんなわけでカメラは村上さんのおかげで一週間ほどで私なりに使いこなせるようになった。村上さんの教え方が上手だったのか、私の腕がそれなりに上がったのか、うまく被写体をとらえて写真の中に収められるようになった。
 試しで撮ったものをカメラ屋さんで現像してもらいプリントされた写真を見た時は嬉しかった。ちゃんときれいに写っている。
 ひょっとして、私、機械音痴卒業?
 どうして私がカメラを使わなければならない事態となったのか・・
 それは奥さまのご依頼だ。そして、それは私の家政婦としてのお仕事。
 奥さまはこれから仕事にも精を出すが、恭子さまとお過ごしになる時間もたくさん作り、大事な思い出を作っていくらしい。
 そこで、外出やご旅行をした時の記念に写真に思い出を収めておきたい、ということだ。
 奥さまに「私、機械って、昔からてんで苦手なのよ・・だから、静子さん、お願いね」と手を合わせて頼まれた。
 でも、それって・・私がずっと同行して、親子水入らずの時間をお邪魔するっていうこと?
 そう言うと奥さまは「静子さんも家族よ」とおっしゃられ、恭子さまも微笑んで「三人で映るために、お母さんは三脚も買ったのよ」と言った。
 ・・嬉しい。
 そして、今日が本番、日曜日の午後。
 撮影の後には、いつのまにか恒例になっている長田家のテラスでのお茶会がある。お茶会といっても、ただの女三人のおしゃべり会なのだけれど、私の増えた楽しみの一つでもある。日曜日の午後を楽しみにしているのは私だけではないのかもしれない。
 奥さまと恭子さまのお互いの呼び名がいつのまにか変わっていることに私は気づかないふり。そして、私は奥さまに「静子さん」と呼ばれている・・これもいつもまにか。
「静子さん、上手に撮ってね」テラスをバックに微笑む恭子さま。
「私、やっぱり写真は撮るのも、撮られるのも苦手だわ」と少々照れ気味の奥さま。
「えっ、奥さま、撮られるのも苦手なのですか?」私が驚き気味に訊ねると、恭子さまが「お母さんは照れ屋さんなのよ」と言った。
 ええっ、奥さまが?
 どうやら恭子さまは私の知らない奥さまをご存知のようだ。 
「奥さま、恭子さま、いいですか? 撮りますよ」
 私の呼びかけに恭子さまが奥さまの方に体を寄せた。奥さまも同じように体を寄せると、奥さまの首元で業者から修理されて戻ってきたばかりのネックレスが揺れた。
 カシャッ、とシャッターの軽快な音が青空の下に響く。
「続けて、もう一枚いきます!」
 私、もうすっかり長田家の専属カメラマン?
 お二人が「静子さんも入って」とおっしゃられるので私は三脚を立てタイマーをセットし駆け寄った。お二人に「静子さん、真ん中に入って」と言われ、急いで母娘の間に立ち髪を整え笑顔を作るとすぐにカシャッ、カシャッ、カシャッと三回続けて音がした。
 さっそく明日にでも撮り終えたネガを町のカメラ屋さんに出して写真を焼いてもらおう。
 そこにはきっと誰が見ても親子だと思う二人が写っていることだろう。
 少し強い風が吹くと恭子さまは帽子を押さえながら空を見上げた。視線の先に気持ちのいい青空が広がっている。
 もうすぐ春が来る。春になれば春の花が咲く。
 奥さまは花が咲くのをとても楽しみにされている。桜の花を背景に家族写真を収めたいということだ。もちろん、それは恭子さまも同じだ。
               


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