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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第42回  


 目を開けると、青い瞳が私を見ていた。
 恭子?
 瞳の中に髪の乱れた私の寝ぼけた顔が映っている。
 恭子じゃない・・
 あの人の目だった。
 でも、夫はとっくに、死んで・・
 ああ、そうなのね・・これは夢なのね・・今、私はあの人が生きていた頃の夢を見ているのだわ。
 体に毛布がかけられている。あの人がかけてくれたのね。
 季節は冬。それもクリスマス・・あっ、この日、同じ日を私は憶えている。
「起こしてしまったかな?」
 あの日、私は出張から帰ってきて居間のソファーに横になって、そのまま寝てしまったのだ。
「あ、あなた、お帰りなさい・・ごめんなさい、私、気がつかなくて」
 何てことなの、私は夫が帰ってきたのに気づかなかった。
 私はソファーに起き上がると「私、こんなところで寝ていたのね」と言って頭を横に振った。バッグもテーブルに置きっぱなしだ。スカートがしわくちゃ。
「仕事で疲れていたんだろう」
「いつ、帰ってきたの?」
 私の問いかけに夫は「たった、今だよ」と答えた。
 嘘・・もう部屋着に着替えてくるじゃない。それにテーブルには水割り用の氷まで。
 もしかして、私が寝ている間、ずっといたとか? 
 私、寝顔を見られていたのかしら?・・やだ、恥かしい。
 彼は部屋の隅に行くと、レコード針を静かにレコード盤の上に落とした。
 居間に置いてあるステレオだ。中央のレコードプレイヤーを挟み左右には大きなスピーカーがある。めったに活躍しないステレオ装置だ。
 回るレコード盤の上を針が上下に踊りだし「ホワイトクリスマス」が部屋の中に流れ始めた。
 彼がソファーに座ると、ウイスキーを入れたグラスの氷がカラッと回る音がした。
「君も飲むかい?」
 私はウイスキーを口にした。辛く、甘い。
 夢の中だけれど、会話も飲んでいるものも、あの時と全く同じだ。
「『ホワイトクリスマス』って・・クリスマスはもう時期はずれですわ」
「クリスマスには一緒に過ごせなかったからね」
「だったら、あの子も一緒に・・」
「もうこんな時間だ。寝ているよ・・それにせっかく二人きりなんだ」
 彼はそう言うと私の近くに来て、
「多香子、目を閉じて・・」
 多香子・・「君」じゃなくて「多香子」と言った。
 ああ、やっぱり、夢ね。
 彼の言う通り目を瞑ると首元にひんやりとした感触が伝わった。
「今日は多香子の誕生日だ。これは12月の誕生石だよ」
 誕生日プレゼントのネックレスだった。
「誕生日、覚えてくれていたのね」
「ドイツに商談で言った時にね、街をぶらついていたら、これを見つけたんだ・・多香子に似合うと思って、すぐに買ったよ」
「嬉しいわ」私は首元に手をあて言った。
「仕事も大事だけど、女の人は潤いがないとね」
「私、そんなに仕事ばかりかしら?」
「自分では気づかないものだよ」
 実際にこの日、家に帰ってきたのもたまたまだった。夫と偶然出会えた一日だった。
「来年から、誕生日が近づいたら・・うーん、そうだな、12月になったら、これを付けておいてくれないかな」
「どうしてなの?」
「ほら、多香子の誕生日、クリスマスの後だろう・・だから、うっかり忘れてしまうこともあるんじゃないかって思ってね」
「ずっと、つけていますわ」私はネックレスに手を当てて言った。
「それじゃ、誕生日がいつか、わからなくなるよ」
「わからなくてかまいません」
 ちょっと意地悪く言った。
「そんなわけにはいかないよ」
 少し酔ったのかしら? 彼の顔がぼんやり霞んで見える。
 それとも、夢が覚めかけているの?
「ねえ、あなた、夢の中だから、言えなかったことも言っていいでしょう?」
「夢って、どういうことだ?」 
 あなた、私、ずっと意地を張っていたのよ。 
 そのことに何の意味もないことを知っているのに、ずっと意地を張り続けていた。
「私、あなたの優しさに気づかなかったのかもしれないわ」
 現実にはこんなことは言わなかった。
「変なことを言うんだな・・今夜の多香子は、何だかおかしいぞ」
「何もおかしいことなんてありませんわ」
 おかしいのは、あなたの方よ、さっきから多香子、多香子って・・
 そして彼は優しく微笑み、
「多香子、明日、仕事を休んだらどうだい?」と言った。
「そうね、そうしようかしら?」
「たまには息抜きも必要だよ」
「明日、会社に電話をいれておきますわ」
 違う・・
 そんな日は決して来ることはなかった。
 現実には、次の日、私はまた仕事に出かけ、彼は病院に行った。
 でも、夢の中でなら・・
「あなた、どこか、連れていってくれるの?」
「そうだ、多香子、恭子と三人で旅行をしよう」
 三人で旅行・・そんなこと、一度もなかったわね・・でも、それも夢の中でなら・・
「ええ、いいわね」
 彼の顔が揺らいだ。「ホワイトクリスマス」が終わる。
 ―だめっ、消えないでっ。あなた、旅行に連れていってくれるんでしょう?
 彼の優しい微笑がゆっくりと遠のく。
 こんな時間がずっと続けばいい、あの時、私はそう思っていたのに。
 私はあの人の目を信じていさえすればよかったのだ。
 結婚する前「僕のパートナーになってくれるかい?」という彼の問いに、
 私は「あなたと暖かい家庭を築きたい」と言えなかった・・言わなかった。
 私は選べた。彼の申し出を断る方法もあった。
「働きたくない」とわがままを言えば、あの人なら許してくれたかもしれない。
 でも、私はそうしなかった。
 あえて私は彼の仕事の片腕になる道を選んだ。
 私はあの人に寄り添う、という私なりの道を選んでいた。
 ―あなた・・そうよね、これでよかったのよね?
 今の私が、あなたと二人で選んだ道なのね。
 ただ、あなたと、もっと一緒に同じ時間を過ごしたかった。
「僕もだよ」彼の顔がそう言っているように見えた。
 もう少しあなたとこうして、お話がしたいの。だって今までこんな時間なかったじゃない。顔を合わせればいつも仕事の話ばかりで味気なかったわ。
 ・・ねえ、あなた、知ってた?
 私の小さな時の夢・・素敵な人の奥さんになることだったのよ・・
 もうとっくに夢は叶えられていたのね。
 それも、子供の時に描いていた夢以上に、あなたは素敵だったわ。
 でも、夢はとても短かった。
 それまで黙って私の話を聞いていた彼は口を開き、こう言った。 
「多香子、恭子のこと、頼んだよ・・」
 夫の顔がぼやけだしている。もうすぐ目が覚める。
 待ってっ・・ね、ねえ、あなた、私ね、これから母親になるの。
 母親になる・・ってちょっとおかしな言い方だと思ったでしょう?
 それほど、私、今まで何もしてこなかったひどい母親なの。
 ごめんなさい・・あなたに恭子のことを託されていたのに。
 でも、私、これから頑張っていい母親になるよう努力するわ。きっと母親になるから、それまで私を見ていて。今までの分、きっと取り戻すわ。
 涙で霞んでいるせいなのか、夫の顔がもう見えない。
 お願い、いかないでっ!
 まだあなたに言っていないことがたくさんあるの。
 私、まだ何にも言えてない・・

 ◇

 夢から現実に引き戻される間、遠くで誰かが呼んでいる気がした。
 目を開けると、青い瞳が私を見ていた。
 私の娘だった。大きく愛らしい瞳の中に私の顔が映っている。
 これは現実なのね・・目が覚めたのね。
 けれど、夢と同じように私の体に毛布がかけられていた。暖かい。
 私はあの日と同じように居間のソファーに横になって寝ていた。テーブルの上にウイスキーのグラスがあった。
 あの頃、飲んでいた洋酒を久しぶりに飲んだせいだろうか?
 夢の中で、あの人が生きていた頃を思い出していた。
 あれほど「いなくならないで」って言ったのに・・消えてしまった。
 ―あなた、ずるいわよ。いつもそうやって、私の前から、いなくなっちゃうんだもの・・
 現実にも涙が溢れているのに気づいた。
 夢の中でも私は夫に「愛しているわ」という言葉を口にできなかった。
 涙を手で拭い上体を起こすと、
「お母さん・・」
 そう娘が言った。
 ・・やっと、聞けたわ。
「恭子、ここにずっといたの?」
 娘はこくりと頷いた。
「お母さんね、夢を見ていたのよ」
「どんな夢?」
「お父さんの夢よ」
 そう言いながら涙がまた溢れそうになる。
 あの人はこの世から消えて、もう、どこを探してもいない。
「お母さんのお父さん?」
「違うわよ」と私は笑って頭を振り「恭子のお父さんよ」と言って微笑んだ。
 私の夫の夢よ・・
「夢の中で、お父さんは素敵だったわ」
 それに優しかったわ・・どうして、もっと早く。
「お父さまはいつも素敵よ・・昔からよ」
 私は笑って「そうだったわね」と言うと恭子は、
「お母さん、お父さまのこと好きだった?」と私に訊ねた。
「もちろん」
 私はそう言って微笑んだ。
 遊園地の帰り、恭子に訊ねられ「まだわからない」と言った。
 けれど、今ははっきりと娘に答えることができる。
「お父さまも、『もちろん』って言っていたわ」
「本当?」
「本当よ・・『もちろん、お母さんと一緒にいたい』って言っていたわ」
 あなた・・私、その言葉を直接聞きたかったわ。また泣きそうになる。
 けれど、今は感傷に浸るよりも、あの日のことを娘に謝らなければならない。
「恭子、あの時、ごめんね」
 せっかく恭子が初めて「お母さん」って呼んでくれた時に、私は・・
「お母さん、あの時、泣いていたわ」
 いつのことかを言っていないのに、恭子にはわかっている。
「恭子、本当にごめんね」私は繰り返し言った。
「あの時、お父さまのことで泣いていたの?」
「ええ、そうよ」
 あの時は、あの人が病気のことを教えてくれなかったことがショックだった。
「お母さん、今も寝ながら、泣いていたわ」
「あの時とは違う涙なのよ」
 私はそう言って、そばにいる恭子の体を引き寄せ頭を撫でた。
 くすぐったそうな顔をして恭子の目が閉じた。こんなに近く娘の温もりを感じるのは、あの遊園地の日以来だ。
 恭子は目を開け「お母さん、寝言を言っていたわ」と言った。
「えっ、寝言? 何て言ってたの?」
 やだ、私、何か変なこと言わなかったかしら?
「内緒・・」
 そう言って青い瞳が悪戯っぽく微笑む。
 私の娘はちょっと意地悪・・誰かさんに似たのかも。
 小さな体が私の体に寄りかかった。ふわりと空気が動くのを感じた。
 そして、娘は何かを拭うように私の胸に顔を擦りつけた。何度かそうした後、顔を上げ「お母さん、ずっと一緒にいてくれるの?」と訊いた。
「ええ、ずっと恭子のそばにいるわ・・これからは、ずっと一緒」
 もうどこにも行かない、娘から離れない・・そう決めた。
「ねえ、恭子、明日、休みだし、一緒にどこかに行きましょうか?」
 一緒に行きたい所がたくさんある。
「私、お母さんと一緒に行きたいところがあるの」
 そう私の娘が言った。


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