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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第41回   母を想う
 いつか、お父さまは去っていったお母さんのことを桜に例えていたことがある。
 お母さんは和服の似合う日本的な美人さんだった。
 けれど、これからずっと一緒にいる、と言ってくれているこの人・・
 お母さまだって、負けない。
「お母さま、私、待っているわ」私はそう答えた。
 繋がっている母の手をぎゅっと強く握ると、そっと握り返された。少し恥かしい。
 それが私の幼かった日の思い出だ。
 智子と智子のお兄さまと行った神戸のデパートの屋上の遊園地で、私は母に連れていってもらった東京の遊園地を突然のように思い出した。
 あんなに素敵な思い出だったのに、私は記憶の奥に深くしまい込んでしまっていた。
 どうしてだろう? 何があったのだろう?
 枕元のクマさんのぬいぐるみを見ながら、そんなことを考えていると、むしょうに母に会いたくなった。
 母の部屋をノックしても返事はない・・どこにいるの? 今日はまだ帰っていなかったのかな? 
 階下に下りると、居間のドアが開いていて、灯りが洩れていた。
 誰?
 そっと部屋の中を覗き込むとソファーに母がスーツのまま横になり寝ていた。
 母を見つけられたことがすごく嬉しい。
 幼かった頃、私を生んでくれた母を捜して全部の部屋を探しても見つからなかった。
 けれど、今、私の母がここにいる・・いつも誰もいなかった部屋に私のお母さんがいる。
「お母さん」と小さな声で呼んでみた・・返事はない。
 スーツのままだと風邪をひいてしまう。私は毛布を取り出してかけてあげた。
 テーブルの上には洋酒のグラス、水割り用の氷がある。お酒を飲んでそのまま寝てしまったようだった。

 あっ・・思い出した。
 私と母の距離が開いてしまったのは、たぶん、あの時だ。
 あれは父と母が結婚し、一年が経とうとしていた頃、東京の家のパーティーの夜だった。
 私は思い切って母に「お母さん」と声をかけたことがある。
 島本さんに言われていた。「お嬢さま、お母さまと呼ばずに『お母さん』と呼ばれてはどうでしょうか? その方がもっと親子らしくなれると、この島本は思いますよ」
 島本さんがそう言ったということは私が母ともっと親しくなろうとしているように見えた、ということだろう。
 だが、私が声をかけた時は、間が悪かったようだった。
 パーティーの夜、母を見つけ声をかけた時は、母は応接室のソファーにドレスのまま突っ伏し泣きじゃくっていた。
 あの時、何が母にあったのかはわからないが、あの母が泣きながら「一人にさせてっ」と叫んだのはよほどのことに違いない。
 私はそんな母の力になりたくて「お母さん」と呼んでみたのだ。
 ・・ショックだった。私の気持ちが全部否定された気がした。
 やはり私と母は普通の親子にはなれない・・そう思った。
 そして、その日を境にして母は私にとって遠い存在になってしまった。
 私も母もそんなことは望んでいなかったと思うけれど、一度、歯車がはずれてしまい、噛み合わなくなった後ではどうしようもなかった。私も母にお互いにうまく接することができなくなった。
 次第に母は仕事で長期の出張を繰り返すようになり、家にいることも少なくなったので、その存在が場所的にも遠くなり、精神的にも離れた存在になってしまった。
 たまに家に帰ってきた時に見る母の顔は寂しく見えた。
 母の心がひどく荒れている・・そんな気がした。私の知らないところで父との距離も離れてしまっているのではないか、と心配した。
 やがて島本さんが辞め、静子さんが来て私が静子さんに懐き始めると、ますます母との間の溝が深くなった。
 一度、そうなると深い傷のようにどんどん開いていく。もう縮まることはなかった。たまに家に帰ってきても母がよそよそしく振る舞っているのがわかった。母がよそよそしいと私もそれにならってしまう。
 母と私は仲の悪い親子だ。そう思って日々を過ごしていった。そう思うことで心が楽になった。特に話す必要もない。
 父の具合が悪くなる一方だった頃、私は父に神戸に連れて行ってもらったことがある。
 邸宅を東京から神戸に移す予定だということで、私に神戸という土地を見せたいのだそうだ。
 それは久しぶりにお父さまと過ごす、旅行のようなものだった。新幹線の中でも神戸のホテルの中でも父とずっと一緒だった。私は少しはしゃいでいた。
 ずっと父と一緒にいると、母もここにいて欲しい、と思った。母というのは・・消えていった母ではなく、恥ずかしがり屋さんの母だ。
 私が父にそう言うと、父は笑って「お母さんが、踏み出すのをためらっているようなら、恭子の方が先に踏み出してみるといい」と言った。
 何のことかわからないし、どうしていいかも分からなかった。
 私は「お父さんは、お母さまに一緒にいて欲しいの?」と訊ねた。
 父はすぐに「もちろんさ」と明るく答えた。
 ―もちろん・・父は母を好きなのだと私は理解した。
 そして、父は、いなくなった母とも、今のお母さんとも上手く繋がることができなかった、と言った。
「お父さんはきっと生きていくことも、人を愛することも下手なんだろうね」と言った。
 その夜、父は神戸のホテルのトイレで吐血していた。
 生きていくのも下手で、体も上手く管理できなかった父・・
 仕事をもっと減らせばよかったのに、そして、好きな人と同じ時間を過ごせばよかったのに。
 私は悲しくて泣きそうになった。けれど、私にはどうすることもできない。
 どうしてこんな時にお母さまはいないの?
 お母さまは父を放っておいてまで、そんなに仕事の方が大事なの? 一緒にいたくないの?

 神戸の新邸宅はまだ骨組みだけだったので何の感慨も沸かなかった。ただ、東京の家より広いということだけはわかった。大きすぎて私たち親子と静子さんが入ってもあり余る。
「こんな大きな家、怖いわ」と言うと「家にはね、住む役目はもちろんだが、仕事相手に見せる役割りもあるんだ」と答えた。
 私はこんな大きな家はいらない。もっとつましやかな家がいい。
 邸宅の近くには綺麗な川が流れていた。「天井川」という名の川で清楚な住宅街を更に綺麗に見せるためのような川だった。川の遊歩道には桜の木が南の方まで続いていた。
「綺麗だろ?」と父が言うので、
「お母さまにデパートに連れていって頂いた時も、綺麗だったわ」と答えた。
 桜は東京、神戸、場所が変わっても同じ輝きを見せていた。
 私が「私、桜の花が好き」と言うと、父はにこりと嬉しそうに笑った。けれど、その後、笑顔の分だけ、暗く沈み込んだように見えた。
 そして「たぶん、もう僕はここには・・」と言いかけると頭を振り、
「恭子、今でもお母さんが恋しいかい?」と私に問いかけた。
 父が訊ねたのは、消えてしまった母のことを指した。私は「うん」と頷いた。
 恋しくないわけがない。だって私をこの世に誕生させてくれた人だもの。いつも心のどこかで考えている。幼い時にいなくなったせいで思い出は数少ないけれど、一緒に過ごした暖かい日々のことは決して忘れない。
 けれど、いつまでもただ思っているわけにはいかない。思い出に浸り、感傷の中で自分を甘やかすわけにはいかない。お父さまにそう言われ育ってきた。
 それでも私は父に訊ねたかった。
「ねえ、お父さま、お母さんはもう戻ってくることはないの?」
 そんな私の問いかけに父はこう言った。
「ない・・そんなことは絶対にない」と真顔できっぱりと言い「恭子、これは決定的なことなんだ」と続けた。
「決定的?」私には少し難しく理解できない言葉だった。
「それだけ、お互いの決心が固いっていうことだよ」
 どれだけ固いのか想像もつかない。
「お父さんの会社は大きな会社だからね。ほんの少しの迷いがどちらかにあったとしても、もう後戻りはできない」
「会社が大きいとそうなるの?」と訊ねると「恭子が大きくなって偉い人になればわかるよ」と言われた。
 だったら、小さな会社で、私も大きくならなければいい。そんなことも思ったりした。
 それから少し、川の遊歩道を散歩をしながら父はお母さまの話をした。
 お見合いの時、桜の花を話題にしたら「私は百合の花が好き」だと返された話をした。
「あらかじめ写真で見て知ってはいたんだけれど、実際に会ってみて、びっくりしたんだ。何て綺麗な人なんだろう・・ってね」
「お母さまは綺麗よ」私がそう言うと父は嬉しそうに私を見て微笑んだ。
「それで、お父さんは緊張してすっかり無口になってしまった。何を言っていいかわからなくなったよ」
「お父さまでもそんなことがあるの?」
 私が笑うと父も笑って「当たり前だ・・仕事よりずっと緊張した」と言った。
「お母さまは、おしゃべりにならなかったの?」
 そう訊ねると「お母さんもお父さんと同じように緊張していたみたいだったな。いや、僕以上に固くなっていたようだった」と答えた。
 私は心の中で「それはお父さまが素敵だからよ」と言った。
「最近、お母さん、家に帰ってこなくなったわ」と言うと父は「そうだな。お母さんは忙しいからな」とぼやかしながら言った後、こう続けた。
「多香子、お母さんはすごく、意地っ張りなところがあってね。意地を張っているけれど、本当はすごくさびしい人・・寂しがり屋なんだと思う」
 そして、こうも言った。
「それに、あれで、意外とシャイな面もあるんだよ」
 それは私も知っているわ。
 恥かしがり屋さんで寂しがり屋さん・・とても人間らしくていい。
 仕事尽くめの大人の女性にそんな面があるなんて素敵なことだ。
 そして、私は母が優しいことも知っている。
「だから、恭子にはお母さんのそんなところを埋めてあげて欲しいんだ」
 私が?・・そんなところを?・・母のどんなところなの?
 私が戸惑った顔をすると父は「まだ、ずっと先、恭子が大人になってからのことだよ」と言って笑った。
 私たちはずっと母の話をしながら歩いた。父とこんなに長く話したのは久しぶりのことだった。歩いているうちに体がこの町に馴染んでいくようだった。
 東京とは違い静かで美しい。早くこの町で暮らしてみたい。
 もちろん、家族三人と静子さんと・・そう思うようになっていた。
 その日を境に本当のお母さんの話題が父との間にあがることはなくなった。
 私はあえて話さないようにしたし、父もそのことに気づいているのか言わなくなった。
 けれど・・私は気づきだしていた。
 お母さまが父とのことで悩んでいることを。
 そして、それが原因でこの家に帰って来なくなったことを。
 歳月が経つにつれ私は母の気持ちが理解できるようになってきた。
 父がお母さんの実家の近くにこの神戸の家を建てたのだから・・
 お母さまがそのことを知っていたのならつらいはずだ。
 あの日、母がソファーで泣いていたのも父とのことが原因だったのでは、と思った。
 私自身は小学五年生になった時、神戸の家の近くに消えた母の生家があることを、静子さんから聞くことになった。そこには娘さんもいるということだった。
 すごく驚いた・・
 お母さんが近くに住んでいたことよりも、離婚した相手の家の近くに新居を構えたということの方に驚きを覚えた。
 お父さまはそれを知っていて、建てたの?
 だが、もうそこにはお母さんはいなかった。お母さんに会いたくなかったわけがない。 その前の年に開かれたピアノコンクールでお母さんは私の演奏を見に来てくれていた。だが会うことはできなかった。
 私と会わないことがお母さんの意志であり、静子さんもそれに従った。父も生きていたら同じようにしたと思う。
 そして、お母さんはお相手の仕事の関係で神戸から去った。
 お母さんをピアノコンクールに招待したのは、お母さまだと静子さんが教えてくれた。
 どうして、お母さまはそのようなことをしたのだろう?
 お母さまはあの日から何を考え、どんな日々を過ごしてきたのだろう?
 東京のデパートの帰り、母は「答えを出せる日が来るまで待っていて欲しいの」と言った。あれは私たち二人の約束の言葉のように感じた。
 母も私も努力をしていく・・あの時、二人とも、同じように思っていた。
 その約束通りのように母は次第に変わっていった。私の願いを聞き入れてクリスマスには芦田堂の撮影会に合わせ来てくれたし、事業の都合ということで春から東京のマンションを出て神戸の家に住むことになった。
 何が母をそうさせたかはわからないが、私にも色々あったように、母にも色々あったのだろうと思う。そう思わせるかのように母の髪が短くなった。とても似合っていて、素敵だ。
 ともあれ静子さんと二人きりだった生活に母が加わる。それだけでも大事件だ。
 私はこれからの生活を楽しみにしている。私も母も少しずつ変わっていく。
 ピアノコンクールの日、お母さんが私と会わずに去っていったように・・私も心の中で別れを告げなければならない。

 今、私の本当のお母さんは遠い所に住んでいる。
 いつか、私が大人になったら、お母さんに会いに行こうと思う。そこにはまだ会ったことのない私の妹がいるだろう。
 そして私はお母さんにこう言う・・
 ―お母さん、すごく会いたかったわ。本当よ。
 四年生の時のピアノコンクール、見に来てくれてありがとう。嬉しかったわ。
 あの時、お会いしたかったけれど、会っていたら、きっと私はダメになっていたと思うの。お母さんにはそれがわかっているから、私に会わずに去っていったのね。
 私、お母さんのすごく気持ちがわかるから、私、全然、気にしてないわ。
 お母さんに教えてもらった綾取り、あれから何度もしたのよ。もっと他にもいろいろと教えて欲しかったけれど、お母さん、急にいなくなったのだもの。
 すごく寂しかった・・
 あれから、家も色々と変わったのよ。お母さんが家にいた頃の家政婦の島本さんは辞めて、代わりに静子さんが家に来たの。お母さまは一度、会ったことがあるからご存知よね?
 静子さんは私の家庭教師もして下さっているの。とても優秀なの。とても優しいの。
 私が風邪をひいたりしたら、寝ずにずっと看病してくれたわ。それが静子さん。今の家政婦さん。
 それに静子さんの作るオムライス、とても美味しいの。美味しいだけじゃなくて体の栄養のことを色々考えて毎月のお食事の献立を作ってくれているのよ。
 静子さんがいるから、お母さん、私の体の心配はしなくていいわ。
 そうそう、私、素敵な大事なお友達ができたの。智子っていうのよ。
 五年生のピアノコンクールで一緒になった石谷さんという女の子に紹介して頂いたの。
 智子と一緒にいるとすごく楽しいわ。智子は私の家が特別なのを全然気にしないで分け隔てなく遊んでくれるの。智子のお家がしているお店のお菓子、とても美味しいの。それに智子のお兄さまとも親しくなったわ。とても面白い人なのよ。お兄さまに風船ガムも教えて頂いたの。でも私、ガムを脹らませられなかったの。悔しかったわ。
 ね、お母さん、私、たくさん素敵な思い出ができたの。
 私、今ね、すごく幸せなの。だから、お母さんも、ここで幸せになって。
 お母さんお相手の人、私は一度もお会いしたことはないけれど、その方の娘さんには、お会いしたのよ。神園純子さん。
 神園さんにお会いする前、私、いつも寂しそうな顔をして、お母さんの家の方を窓から見ていたんですって。見られてることなんて、全然気づかなかった。人の家を覗くなんて、レディとして、はしたないことをしていたわ。お父さまが生きておられたら、叱られるところ。
 その神園さんに一度、言われたことがあるの。
 ―恭子ちゃんは、もう大丈夫、って。
 いい人よ・・でも、神園さんとお話していると、お母さんを思い出してしまうの。そして、お母さんの家族である神園さんが少し羨ましくなってしまうの。
 お母さんに会いたくなるの・・でも、それはダメ。
 ダメだけど、お母さんと一緒にもうちょっとだけ過ごしたかった。もう少し思い出が欲しかった。
 そう思うと、私、また涙が溢れてくるの。
 でもね、お母さん、今はね・・私のお母さんはね、神戸にいるのよ。
 あの人が今の私のお母さんなの。
 素敵な人・・素敵な私のお母さんよ・・

 ・・お母さん、ごめんなさい。

 今、心の中で母に別れを告げたことで、「お母さん」という呼び名は遠くに住んでいる人から、そばにいる人に代わった。私は心の整理をした。
 これでいい・・私はそうしなければならない。私は普通の子ではないのだ。
 きっとお父さまもそう言うはず。
 そして、今、お母さんは目の前にいる。この部屋にいる・・いてくれた。
「お母さん・・」
 居間のソファーで私のお母さんがスーツのまま横になって寝ている。
 少し恥ずかしがり屋さんだけど、格好いいお母さんがいる。 
 お母さん、いつまでもこんな所で寝ていたら風邪を引くわ・・母にかけた毛布を肩まで寄せると母の表情が微かに揺らいで小さな寝言が聞こえた。
 母がお父さまを呼んでいるのがわかった。夢を見ているのだろうか? 


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