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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第40回   デパートの屋上
 混み合った電車の中でもその人は吊り革をもちながら左手で私の右手を握った。
 少し、恥ずかしいけど、安心した。こんな人の多い中、この人とはぐれることの方が怖い。電車が揺れると、その人と繋がっている手にぐっと力を入れた。
「恭子ちゃん、気分が悪くなったら言うのよ」
「大丈夫です」私はそう答えた。
 映画館がどれほどごみごみしているのかは知らないが、デパートの中も相当混雑していた。
 家族連れはもちろんのこと、若い男女、大人の女性たちが一階のフロアーにひしめき合っていた。一階は化粧品売り場が多いからだ。香水の匂いがぷんと鼻をついた。
 この場所は好きになれない。「混んでいるわねえ」と呟くその人の手は少し汗ばみだした。
 目の先にエスカレーターがあって、私たちはそこに向かった。デパートの中は3階まで吹き抜けになっていて、眼下に化粧品売り場に群がる人たちが見えた。
 6階まで上がると大きなおもちゃ売り場があった。
 デパートに来たのもおもちゃ売り場を見たのも私には初めてのことだった。
 初めて目にするおもちゃ売り場の光景は私には眩しかった。見たことのない玩具やいろんなお人形さんがあって私の目を楽しませてくれた。
 中でも私の興味をそそったのはたくさんのぬいぐるみの中に埋もれている「クマさん」だった。
 かわいい! 私の体がそこに吸い寄せられていくようだった。家に連れて帰りたくなった。ぬいぐるみを見ようと体を動かした私をどこかに行ってしまうと勘違いしたのか、その人が手を強く握り直した。
「恭子ちゃん、何か欲しいものはある? おばさんが買ってあげるわよ」と訊かれたが私は首を横に振った。
 まだ恥ずかしい・・私はこの人にまだ慣れていない。
 でも、クマさんは欲しい。
 けれど「クマさんを買って」などとは、とてもとても言うことができない。
 わざわざデパートに来て、それもおもちゃ売り場まで訪れて、何も欲しいものはない、というのもおかしな話だが、私は「ねだる」ということをしたことがないのだ。
 お母さんにねだった経験もない私が、どうして会ってまだ日の浅い人にねだることができようか。
 私は「見るだけでいい」と答えて、一緒に売り場を見て回った。実際に見るだけでも楽しかった。男の子が喜びそうな車の玩具やミニカー、怪獣のソフビ人形が並び、女の子のお人形さんや、まま事セットなどもある。まま事なんてしたことない。私が素通りしてきた遊びだ。クマさん以外に特に興味を引くものはなかったので本当に見るだけになった。
 しばらくすると「屋上に行ってみましょうか」と訊かれたので私は素直に「うん」と頷いた。屋上の遊園地には一番興味があった。大勢の親子連れが行っているのをテレビで見たりして、いつかお母さんが私の元に帰ってきたらまず一番に連れて行ってもらいたい、と思っていた場所だった。
 遊園地には家族で行くものだと私は思っていた。
 そこにお母さんとではなく、よりによってこの人と行くことになるなんて。まだ会ったばかりなのに。
 私たちはまだ家族ではない。
 少し名残り惜しいが、クマさんのぬいぐるみをあとにして私たちはエスカレーターに並んで乗った。
 私の左手はずっと握られっぱなしだ。少し熱い・・けれどなぜか安心する。
 屋上に出ると、いろんな大きな音が耳に流れ込んできた。
 大勢の人の声、あちこちで聞こえる賑やかな音楽や電子音、遊戯具のガタガタと動く音。
 メリーゴーランドやコーヒーカップなどが目に飛び込んできた。奥には観覧車まである。
 空にはアドバルーンが浮かんでいた。
 その日は何かの催しがあるらしく、屋上の真ん中に円形のステージが設置され、それを取り囲むように大勢の人が集まり賑わっている。ステージの上では男性司会者が場を盛り上げようとしきりにしゃべっている。小太りのピエロに見えた。
 私の手を握っている人は「あそこで、何をしてるんでしょうねえ」と言いながら私の手を引いて人の集まりに向かって進んだ。賑やかな場所の更に混雑した所に向かっていく。
 人の群れの中には私の顔を興味本位に見る人がちらほらといる。金髪がそんなに珍しいのかしら?
 ステージの脇の垂れ幕に「親子、じゃんけん大会」と書かれている。他にも「親子、風船割り大会」や「親子二人三脚」等々とプログラムが並んでいる。全ての題目に「親子」と書かれている。
 それを見たその人は、立ち止まり、「やっぱり、他に行きましょうか?」と言った。ここまで私を引っ張ったのは自分なのに変なことを言う人だ。
「どうして?」と訊ねると、「おばさん、ああいうの、苦手なの」と言った。
 躊躇うその人の手を逆に私は引いて「私は興味があるわ」という意思表示を見せた。
 何が気が進まないのかわからないが、勢いのなくなったその人の手を今度は私が引いて人の群れの中を進んだ。
 乳母車の母親や大勢の私と同年齢くらいの親子たちの間を縫うようにすり抜ける。これこそ、私もこの人も苦手なゴミゴミした場所だ。 
 ステージの上にはじゃんけん大会に名乗りを上げた親子たちがすでに集まっている。
 司会者は更に観客の中から親子たちを選び出したいのか、「今度はこっちから当てていくぞお」と言って見物客の方を見た。
 次の瞬間、マイクを握った司会者が明らかに私たちの方を見ているのがわかった。 
「ええっとお・・そこの、お嬢ちゃんと・・お母さん!」
 ちょっとドキッとした。私の手を握るその人の手もびくっと反応した。
「二人とも、じゃんけんは強いかなあ?」
 司会者の目には私とついこの前会ったばかりの人同士が母娘に見えたのだろうか?
 髪も肌も目の色も違うのに。
 どう見ても私の保護者くらいにしか見えないはずなのに。
 司会者に言われ、この人は私の保護者などではなく「母親」なのだと少し理解し始めた。
「賞品を手に入れたかったら手をあげてっ!」
 何の商品なのか、ここからだと遠くてよく見えない。賞品はステージの上の陳列台に並べられているようだ。
「さあっ、お恥ずかしがらずにっ」
 恥ずかしい?
 誰が?・・私?
 私は別に恥かしくなんかないわ。大勢人の集まるパーティーもいつも平気だったもの。人前には慣れているわ。ピエロの司会者さん、何を言っているのかしら?
 そう思っていると傍で小さな声が聞こえた。
「どうしようかしら・・」
 えっ・・私の手をぎゅっと握っている人を見上げた。
 ちょっとびっくり。
 その人は恥らっているように見えた。大の大人が恥かしがっているの?
 初めて会った時はしっかりしているように見えたのに。
 あっ、そっか・・たぶん、この人は生まれて初めて「お母さん」と呼ばれたのだ。
 まだそう呼ばれることに慣れていないのだと思う。どうしていいかわからないのだ。
 それに私に「お母さん」と呼ばれる前に、他人、それも遊園地のピエロのような司会者に先に呼ばれてしまったのだ。
 さっき、躊躇っていたのは「親子、じゃんけん大会」の垂れ幕の「親子」という文字が引っかかっていたのだろう。
 自分のことを「おばさん」と呼んでくれていい、と言いはしていたが、やはり、私に「お母さん」と呼んで欲しいのだと思う。他の人には言われたくなかったのだ。
 少しこの人に悪いことをした気がした。
 私が勝手に想像していたのとは違って、この人は心の繊細な人なんだと思った。
 ひょっとしたら、うまくやっていけるかもしれない・・
 今はまだ無理かもしれないけれど、いつか・・
 でも、このままではダメ、まずは第一歩、私が先に踏み出さないと。
 私は手を高く上げた。
 司会者の目にとまったようで「よしっ、お嬢ちゃんはすごくやる気満々のようだねえ」と笑い、私の顔を見て「ははーん、お嬢ちゃんの方はずいぶんと気が強そうだねえ」とすぐに私の特徴をとらえたかのように続けて笑った。
「けれど、お母さんの方はちょっと恥ずかしがり屋さんなのかなあ?」
 私の顔から今度は母の顔に目を移し、そう言った。
 恥ずかしがり屋さんって、こんな立派な洋装の人になんて失礼なことを言っているの。 この人はお父さまが言うには高学歴で、仕事もすごくできる人らしい。私にはすごく誇らしい人だ。
 この人は、これから、私の、おかあ・・あっ・・
 心の中でそう言いかけた私は慌てて心の声を閉じた。
 それに司会者は私たちが似ていないことに気づかないのだろうか?
「さあ、早く、上がってきて!」
 私は「お母さまっ」と声をかけその人の手を引いた。「おばさん」なんて呼ぶことはできないし、そう呼ぶことは一度もなかった。
 母は「あっ」と驚いたような声を上げ私の勢いに引っ張られた。
 私たち、あの上に立てば少しくらいは母娘に見えるかもしれない。
 足踏み台を上がり私たちはステージに上がった。ほんのわずかな段差なのに振り返ると眼下の人たちが小さく見えた。それにしても何て大勢の人たちだろう。司会者はあんな人ごみの中から私たちを見つけたのだ。 
「偉いねえ、お嬢ちゃん、お母さんを連れてきてくれて」と言いながら私たちをステージの中央に案内した。ステージの上には先に呼ばれていた母娘たちがいた。
 それぞれに顔が似ていたり、服装が似通ったりしている普通の親子たちに見える。
 あれが本当の親子なんだ。血の繋がりなんだ。
 私と私の元から去って行った母はそう見えていただろうか?
 いや、やっぱり、似ていなかった・・どう見たって私はお父さま似だ。
 でも私の唯一のお母さんだった。
 私の横にいる人は・・これからずっとそばにいる、と言ってくれた人は、
 髪が短く、鼻がお母さんより少し高く、背も高くて、ちょっと格好いい。
 けれど、意外と恥ずかしがり屋さん。
 それが、私のこれからのお母さま・・

 司会者が簡単にじゃんけん大会のルールを説明し、順番に参加者に確認をしていく。「ルールがわからない人は手をあげて!」と言う声に誰も手を上げない。
 司会者はそれぞれの親子にマイクを向け、「どこから来たのかなあ?」とか「毎日、お母さんの言うことを聞いているかい?」とか訊いてまわっている。
 私たちの所に来ると「ちょっと、まだ気取ってるねえ」と笑った。
 ステージに上がっても失礼なことを言い続ける司会者を私は睨みつけた。
「お嬢ちゃんのことじゃないよ、お母さんのことだよ。お母さんはこういう場所に慣れてないのかなあ?」
 母は答えずに恥ずかしそうに俯いている。
 この司会者、やっぱり失礼・・でも、ちょっと当たってるかも。
 観客たちからくすくすと笑う声が聞こえた。笑うことなんてないわ。
 知らず知らず、母の味方をしている自分がいる。
 司会者の問いかけに答えなかった母は急に「恭子ちゃん!」と呼びかけ、続けて何か決心を固めたように「おばさん、頑張るわね」と言った。
 母の視線の先には商品を並べた棚があった。
 どんな賞品なのかな?・・賞品が気になり陳列棚を見た。そして、私の目がある賞品に吸い寄せられた。
 あれが欲しい・・思わず手を伸ばしそうになる。
 私はじゃんけんに絶対に勝ちたくなった。「私も頑張るわ」と母に小さく言った。
 お母さまも横で息を整えている。二人とも準備OKだ。
 じゃんけん大会は勝ち抜き戦だ。優勝はしなくても、4等であの賞品がもらえる。
 一回の勝負は3回ずつだ。まず、子供同士、次に親同士、3回目はどちらかが戦う。2人連続で勝てば、それでその回は勝ちになる。
 まず一回戦、私がステージの中央に出て相手の女の子とじゃんけんをすることになった。
「じゃんけん、ポンッ!」
 マイクを通じた大きな声が屋上に響き渡る。遠くの関係のない人まで壇上を見ている。ちょっと照れくさい。
 私はチョキを出した。相手はパー・・勝った!
 でも大喜びするのは品がない。お父さまに怒られる。レディは清楚にふるまわなければならない、と教わっている。私は澄ました顔で母のいる場所に戻った。
 中には飛び上がって喜んでいる親子もいる。はしたないけど、ちょっと羨ましい。
 ピエロの司会者が「これでお母さんが勝てば二回戦に進めるぞお」と言って母の方を指した。
「恭子ちゃん、おばさん、行ってくるわね」
 私の横を抜け母がステージの中央を颯爽と進んだ。
 スカートスーツの後姿がちょっと格好いい、ちょっと素敵かも・・
 お母さま、頑張って!
 母がチョキを出し、相手がグーを出して母は負けた。けれど、次に私が勝ったので次の回に進めた。次の親子に勝てば4等だ。
 後ろの席のベンチで順番を待っている間、母は「恭子ちゃん、ごめんなさいね、おばさん、負けちゃって」と謝った。私は「たかが、じゃんけんだわ」と偉そうなことを言い笑ってみた。「それもそうよね」と母もつられて笑った。
 母はステージの熱狂にあてられたのか、のぼせたせのか、頬が上気している。
「さあ、次は、君たちの番だよ!」
 すぐに私たちの番が回ってきた。
「これでお母さんが勝てば、4等の賞品がもらえるぞお」
 相手の親子は私よりずっと上の小学4年生くらいの男の子とメガネをかけた教育ママのような、悪く言えばカマキリのようなおばさんだった。
 私の母になる人があんな人でなくてよかった。全然違う。母は格好いい。それに綺麗。
 私は男の子に向かってパーを出し、男の子はグーを出した。勝った!
「お嬢ちゃんは、気が強いだけじゃなくて、じゃんけんも強いんだねえ」
 観客に聞こえるように言って司会者が場を盛り上げる。
「次はお母さんの番ですよ」
 司会者の「お母さん」という言葉が胸に痛い。司会者は母が自身のことを「おばさん」と言っていることを知らない。
 司会者は無神経だ・・
 いや、違う・・無神経なのは私の方だ。
 「おばさん、今度は負けないわよ」
 母が立ち上がりステージの真ん中に進んだ瞬間、私は心の中で「お母さまっ!」と呼んでいた。あの人は「おばさん」じゃない。
 メガネのおばさんを相手に母はグーを出し、向こうはパーを出した。母の負けだ。
 だが、次はあいこでショを二回繰り返し、母が勝った。
 三回目、次に勝てば・・四等・・私は手を合わせて祈りたい心境だった。
 私はまた心の中で「お母さま、負けないでっ」と言った。
「さあ、次で決着がつくぞお!」
 司会者の声に私は息を呑んだ。
 最初、どちらもグーを出した。
「あいこでショッ!」
 母はパー・・相手はグーだった。
「はい、パーを出した方のお母さんの勝ち!」
 司会者の声がそう告げると同時に母は私の方を振り向いた。
 素敵な笑顔だった。
 ああ、この人、こんな顔をするんだ・・そう思った。
 係員に呼ばれた母は商品を受け取りに行った。
 大きな賞品を抱えて戻ってくると母は大きな声で「恭子ちゃん! おばさん、勝ったわっ」と言った。
「これ、恭子ちゃんのよっ」
 母は大きなぬいぐるみを手にしていた。
 クマさんだった。
「ちょうど、よかったわ。恭子ちゃん、さっき、おもちゃ売り場で欲しそうにしてたから」
 この人は・・母は、気づいていた。
 下のおもちゃ売り場で、私がクマさんを買って欲しいのに言い出せなかったことを。
 母は賞品がこのぬいぐるみだと陳列棚を見て知り、恥ずかしいのにじゃんけんを頑張ってくれたのだ。
 母はクマさんを見ながら「でも、このクマさん、売り場にあったのはちょっと似ていない気もするけど」と残念そうに呟いた。
 クマさんの黒い目が私を見て離さなかった。
「これがいいです」
 ―このクマさんがいい・・母が私のためにとってくれたクマさんがいい。
 私は母から大きなぬいぐるみを受け取った。
 ふわっと私の体にクマさんが寄りかかった。
 小さい私には抱えきれないくらいに大きかった。今は抱えられないけれど・・
 でも、体も、心も大きくなったら、抱えられる。
 そして、この人のことも受け止められる・・そんな気がした。
 クマさんは私が母に初めてもらったプレゼントだった。
 あれからずっと、クマさんのぬいぐるみは私の部屋のベッドの枕元にある。

 勝ち抜き戦の次の回では、母とそろって見事に負けたが、私は大満足だった。
 私たちがステージを降りようとすると、ピエロの司会者が声をかけてきた。
「ごめん、ごめん、さっきは失礼なことばかり言って」
「はあ、別に気にしていませんけど」母が答える。
 司会者さんはお客さんに謝るのも仕事なのだろう。
「これも僕の仕事なんでね」そう言って頭を掻いている。
 私は気にしていたわ。ステージの上にいた時と口調は変わったけれど、この人、やっぱり気に入らない。
 ピエロは「僕の仕事は場を和ませるために相手の特徴を見極めて、色々と言わなければならないからね」と言った。
 でも失礼よ。
 母はそんなことは気にしていないらしく、
「私たち、親子に見えましたか?」と訊いた。
「えっ・・そうじゃなかったんですか?」
 ピエロは不味いことを言ってしまったかのように「てっきり、ご主人が外国の方で、そのお嬢さんが・・」と言いかけたので、
「親子です!」
 私はきっぱりと言った。なぜか爽快な気分だった。
「恭子ちゃん・・」
 私の手がまたぎゅっと力強く握られた。
 ピエロは私と頬の赤くなった母の顔を見て「やっぱり、お嬢ちゃんは気が強いねえ」と言い「そして、お母さんの方は恥ずかしがり屋さんだ」と笑った。
 少しピエロに好感がもてたかもしれない。
 
 その後、コーヒーカップに二人で乗った。私は母の向かいに座った。
 ゆっくり回るカップの中を体が右に左にと揺れた。体が不安定なので私は母の方に少しずつ体を寄せていった。回る速度が遅くなった頃にはもう母と体がくっついていた。
 少し恥かしい。けど、もっと乗っていたかった。
 体がくっつくのが恥かしいから、今度は「メリーゴーランドに乗りたい」と言った。
 回転木馬だったら二人別々に乗れると思ったからだ。
 でもクマさんを預けた係員に「小さいお子さんはお母さんと一緒に乗ってください」と言われた。
 母と一緒に乗るのは恥かしいけれど、木馬に乗れるなんて初めてなので、わくわくしながら跨った。母が後ろに乗り、私の体に手を回して支えてくれた。
 やっぱり、恥かしい。
 けれど、もっと恥かしがっていたのは母の方だった。横座りだが、母の短めのスカートがずり上がり太腿が剥きだしになってしまっていたからだ。少し悪い気がした。
 でも母に後ろから両手で体を支えられていると暖かく、安心した。
 木馬もコーヒーカップ同様にもっと乗っていたかった。
 けれど、もう帰宅の時間・・レディは駄々をこねるわけにはいかない。
 遊園地からの帰り、駅までの散歩道をずっと母と手を繋いで歩いた。手を引かれるのではなく繋いでいた。
「恭子ちゃん、デパート、どうだった?」
 感想を訊かれ「楽しかったわ」と素直に答えた。「遊園地が特に・・」と言わなかったけれど、おそらく母もそう思っている・・そう勝手に思った。
 私が持ちにくそうにしているクマさんのぬいぐるみを見て母は「おばさんが持ってあげるわ」と言ってクマさんをすっと抱えた。母の顔がクマさんに埋もれた。
 一瞬、クマさんに視界を塞がれたのか、母はよろけかけたが、すぐに体勢を戻し、クマさんを左手で抱えた。私は母に抱かれたクマさんにちょっと嫉妬した。
 私は繋いでいる母の手をくいくいと引っ張った。
「何? 恭子ちゃん」
 クマさんを抱えた母は私の目を見た。そんなに改めてじっと見られると恥ずかしい。
 けれど、私、言わなくてはいけないわ。 
「自分のことを『おばさん』って言わなくていいわ」
 私の言葉をすぐに理解できなかったのか「えっ」と驚くような顔をした。
「おばさん、って言わなくていいって・・そう言ったの」私は少し大きな声で言った。
「そ、そう・・」
「わたしもお母さまのこと、おばさんって言わないから」
「恭子ちゃん、今、私のことを・・」
 私は心の中で「お母さま、と呼んだのよ」と言った。
 そんな心の声が聞こえたのか、母は嬉しいような恥ずかしいような顔をした。
 ピエロの司会者が母のことを「恥ずかしがり屋さん」と言ったのはどうやら当たっていたのかもしれない。
「恭子ちゃん、これからはずっと一緒よ」
 私の言葉を受けた母は力強く言った。
 勇気を出して言った恥ずかしがり屋さんの言葉だった。でも恥ずかしいのは私も同じ。
 ―恭子ちゃん、私、これから一緒にいていい?
 声に出さないがそう言っている気がした。そんな笑顔だった。
 その日はどこを歩いても桜が見れた。舗道の両脇にも桜の木が立ち並んでいる。
 母の顔をそっと見上げると、母の背景に空が見えなくなるくらい桜の花が咲き乱れていた。
「綺麗ねえ・・」
 私が心で思ったことを母は口にした。
「恭子ちゃんのお父さんと初めてお会いした時も、とても桜が綺麗だったのよ」
 桜が綺麗に見えるのは今日がたぶん最後らしい。
 母は父と桜が満開の時に出会って、最後の桜で私と会ったのだと言った。
 まだそんなに日が経っていない。そんな短い期間に、この人は結婚の決意をし、父の仕事のパートナーになることを承諾し、私の母として生きようとしている。
 歩きながら私は母に小さな声で訊ねた。
「お母さま、お父さまのこと・・好き?」
 ずっと訊ねたかった。
 聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で言ったのだけれど、すぐに返事が返ってきた。
「ごめんなさい、恭子ちゃん・・おかしく思うかもしれないけれど、私、まだわからないの・・」
 私もこれから母を好きになるか、どうか、まだわからない。
 この人も私と同じだ。
「でも、きっと、いつか恭子ちゃんにその答えを出せる日が来ると思うの」
 母も私も努力をしていく。
「恭子ちゃん、それまで待っていて欲しいの」
 私たち二人の努力はこれから続いていくのだと思った。
 お父さまとお母さま、三人一緒に幸せになりたい・・そう願った。
 私は母と手を繋ぎながら、母の背景を艶やかに彩る花をずっと見上げていた。
 空に桜が無限に浮かんでいる・・そんな風に見えた。
 こんな季節がいつまでも続けばいいのに・・ずっと春のままだったら、毎日、花が咲いている。
 春の庭で、新しく母となった人と、もっとおしゃべりがしてみたい。
 話は合うだろうか? 綾取りは教えてくれるだろうか? 母の作るご飯を早く食べてみたい。習いかけているピアノを上手だと褒めてくれるだろうか? 去っていったお母さんのように頭を撫でてくれるだろうか?


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