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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第4回   長田多香子


「長田専務、ハンコをお願いします」
 ハッとした私は顔を上げた。
 目の前に分厚い書類を差し出している営業課の女性社員、工藤さんが立っていた。長田グループの女子社員の紺色の制服をパリッと着こなしている。
 いつのまに、役員室に入ってきたのだろう? ノックの音に気づかなかった。
「失礼しました。専務、ひょっとしてお休み中・・でした?」
 工藤さんが両手を前で揃え頭を下げる。
「いいのよ・・こっちこそ、ごめんなさい。少しうとうとしていたわ」
 書類の山に目を通していたら眠気が襲い首をカクンカクンさせながら寝ていた。
 私は背筋を伸ばし机の下の両脚を揃え直して組み直した。大きな回転椅子がくるっと回る。
「専務らしくないですね」
 工藤さんが顔を傾げ微笑む。
「うふっ、私だって眠くなる時もあるわよ」
 私は微笑みを返しながら書類を受け取り「後で見ておくわ」と言ってトレイに置く。
 昨夜はお得意様の接待で遅くまで飲んでいた。マンションに帰った時には日付が変わっていた。
 顔が少し火照っているのに気づく。
「そうそう、営業二課の田辺君の上げてきた稟議書、誤字だらけだったわ。他の人も気づかないで私のところまで回ってきたみたいよ」
「田辺さんのですか・・」
 私は書類の山から間違いだらけの稟議書を探し出し机に置いた。
「工藤さん、確か同じ課よね?」私は稟議書を工藤さんに差し出し「書き直すように言っておいてちょうだい」と言った。
「私から・・ですか?」
 工藤さんの表情が曇る。
「田辺君は年下でしょ?」私がそう言って微笑むと「わかりました、伝えておきます」と彼女は応えたものの気の進まない表情をしている。
 書類の上に外の眩しい光が差している。もうお昼前の時間だ。
「専務、今、気づいたのですが、このお部屋、少し暖房がきついのではないかと思います」
「そういえばそうかもしれないわね・・」
 工藤さんは私の顔が火照っているのに気づいたのだろうか?
「いくら12月でも少し・・」
「ずっと、同じ場所にいると気づかないものね」
「あとで少し下げておきます」
「ええ、工藤さん、お願いするわ」
 工藤さんはそのまま退室しようとドアに向ったがふいに振り返った。
「専務、今日は少し暖かいですから、少し外の空気を吸ってこられたらどうでしょうか?」
 少し考えたあと私は「そうね、そうしようかしら・・工藤さん、ありがとう」と素直に答えて微笑んだ。
 丸の内のオフィスビルに長田商事が4フロアを借り切っている。ビルの中には貿易関係の会社や商事会社がひしめき合っている。一階には食堂や文房具屋、印刷会社、カメラ屋など、会社に関わるお店が並ぶ。
 私のいる役員室は12階、外に出るのもついつい面倒になる。
 工藤さんは私が出不精なのを知っていて言ってくれたのだろう。
 彼女が暖房を調整してくれたせいか、顔の火照りが若干引いたような気がする。
 工藤さんは二十代後半の女性の社員、長田グループの系列会社、長田商事の営業の中で特に目立つ存在でもないがよく気がきく。
 世間ではウーマンリブとか女性解放運動が盛んになってはいるが女性の社会での立場はまだまだ低い。女性は何年会社に勤めても自分より若い男性社員にお茶を出す。
 工藤さんのように気がきいても、彼女より後に入社した男性社員がどんどん追い越していく。
 だからといって彼女を贔屓にでもすれば又他の問題も生じる。
 さっきの田辺君の話みたいに年下の男性社員にも気遣ってしまうのが今の女性の地位の現状だ。

 私はお昼の時間、午後の予定が入っていないのを確かめると、食堂のおばさんに頼んで作ってもらったお弁当と水筒を携え会社のビルを出た。
 私の足は近くの公園に向った。
 実は外に出ることは工藤さんに言われるまでもなく今朝起きた時から決めていた。
 12月だけれど昼間は陽が差しているので暖かい。
 大きな交差点に立つ。向こう岸では信号が変わるのを待っている人の群れ。
 みんな、どこに行くのだろう?
 信号を渡り大きな門を曲がると丸の内の中でも大きい公園がある。
 近くにこんな大きな公園があるのに私は一度も足を踏み入れたことがないのは少し驚きだ。公園の中心には噴水のある池があり、池を囲む芝生のあちこちにベンチが置かれている。
 お昼休みの時間だ。中年のサラリーマンがベンチで寝ていたり、学生らしいアベックがいちゃいちゃ戯れたりしている。
 私の服装はいかにもどこかの大企業の役員であるかのような物々しい出で立ちだ。
 スカートもタイトなものだから足の運び方もおのずからオフィス街を闊歩しているようになってしまう。その辺りを散策している風にはとても見えない。
 ここは私のいる場所ではないことはわかっているけれど、
 たまには私のような女がちょっとお邪魔してもかまわないではないか・・
 心の中で独り言のように呟きながら、空いているベンチにハンカチを敷いて腰掛けお弁当箱を開いた。
 私が作るお弁当と違って商売っ気たっぷりの彩りの配置と香りだ。「またどうぞ!」と言う食堂のおばさんの声が聞こえてきそう。
 それもそれでよし、だ。
 いただきます!・・
 私は両手を合わせ割り箸を割り、出し巻卵を口に入れる。
 丁度、口に入れたところを母親に連れられた3歳くらいの女の子と目が合った。
 私が微笑むと女の子も微笑み返す。
 可愛いからといって、鳩や犬ではないから食べ物をあげるわけにもいかない。
 私が目を反らしてまた目を戻すと女の子はまだこっちを見ている。母親と手を離してじっと見ている。
 私、何か顔に付いてる?
 頬に触れてみた。わからない。やはり気になるのでバックからコンパクトを取り出し鏡で顔を見る。
 何も付いていない・・30歳半ばの女の顔が映っているだけだ。
 女の子も私の食べているところを見飽きたのか先を行く母親を追い走っていった。
 私は女の子の消えた方角を見ながらほうれん草を噛み、ご飯を口に入れ、お茶で流し込む。
 私に子供が・・私に息子か娘がいたら、あれくらいの年齢になっていたのだろうか?

 私の夫、長田ヒルトマンはドイツから来た事業家で日本の風土を愛していた。
 私があの人とお見合いをして結婚したのは5年ほど前、彼にとっては二度目の結婚だ。
 けれど元々持病を患っていた彼は去年、亡くなった。
 病院には何度か足を運んだが日に日にやつれていく彼の姿を見るのは辛かった。
 ふっ・・
 その日々のことを思い返すと私の顔にやり切れないおかしな微笑が浮かぶ。
 彼は死ぬまで私を愛することは一度もなかったからだ。

 子供が欲しいのなら再婚すればいいことだと、何も知らない人はそう言う。
 けれど、そういうわけにもいかないのが「お家柄の事情」というものだ。
 私の夫が亡くなったからといって、そう簡単に私の実家が長田家との離縁を許すわけがない。
 私の実家は財閥系の旧家だ。
 長田ヒルトマンが事業で築き上げたものと、私が彼と結婚することによって私の実家が得た益を簡単に手放すわけがない。それはこれから先もずっとだ。
「一生、長田家の未亡人でいてくれ」
 私の父や母は口に出してこそ言わないがそう言ってるのが私に痛いほどはわかった。
 私はこれからもずっと長田家の未亡人、長田商事の専務として、社長である彼の弟グストフ氏と共に事業を営み続ける。

「恭子」・・夫であるヒルトマンが残した一人娘。
 現在、小学五年生の私の娘。今は神戸の本宅に家政婦と一緒にいる。
 恭子は私のことを「お母さま」と呼び、私は「恭子さん」と呼ぶ。第三者がお互いの呼び方を聞いただけで義理の母娘だとわかる。
 その風貌のどこをどう見たって私とは似ても似つかない。
 髪は金色だし、目は綺麗なブルー、肌はこっちが恥ずかしくなるくらい白い。
 当たり前だ、恭子はヒルトマンと前妻との間に出来た娘だからだ。
 顔立ちは前妻に似ていて、その髪と瞳、肌の色はヒルトマン似、西洋人そのものだ。
 あの子を見る度に彼を思い出す。そして、ヒルトマンが生涯をかけて愛した女性、前妻の由希子を思い出す。
 ヒルトマンは由希子と別れた後も彼女を愛し続けた。
 その証のように邸宅にはいつまでも由希子の部屋がそのままになっていて彼女の本や持ち物が処分されずにあった。
 恭子の顔を見ると私が唯一愛した男を思い出し、その度に男が愛した女を思い出す。
 私は彼に愛されなくても、私は彼を愛していた。
 こんなに辛いことはない。
 そのせいか私は娘である恭子には会えばいつも辛く当たってしまう。
 あの子には親らしい言葉もかけたことはないし、いつも恭子には興味のない関係のない話ばかりをしてしまう。
 第一、年頃の女の子が何に興味があるのかもわからない。
 本当は私は恭子に嫌われたいのかもしれない。
 その方がきっと楽なはずだ。嫌われれば、あの子のいる本宅にもう行かなくてすむ。
 ヒルトマンを思い出せば、前妻を思い出すように、恭子の顔を見れば前妻の由希子を思い出す。
 だから私は一人娘の恭子のことを思い出さないように生きている。
 そんな風に私は自然と本宅のある神戸に立ち寄らないようになった。
 本宅は元々東京にあったけれどヒルトマンは余生を神戸で過ごすつもりだったらしく東京の邸宅を売却して神戸に更に大きな邸宅を建て長田グループの事業の半分も神戸に移した。
 だが、結局、彼は神戸に移り住む直前で死んだ。
 彼の亡き後、私の受け持っていた長田グループの貿易部門の事業の大半は東京にあったのでメインのオフィスを東京の丸の内において神戸の事業は他の役員に任せるようになった。
 結婚した当初から家事や恭子の教育等は雇い入れの家政婦に一切任せていたから、私は彼の生きていた頃と亡くなった後も何の変わりもなく仕事を続けていた。
 彼は余生を過ごすために神戸を選んだ。けれど本当は何が目的だったのかはわからない。
 私が知っている事実は神戸には前妻由希子がいるということ、それも新邸宅のすぐ近くだ。

 隣のベンチにどかっとサラリーマンが座って煙草を美味しそうに吸い始める。
 煙草は私も本数は多くないけれど吸っている。けれど食事中に煙が流れてきて無理やり吸わされるのは不快だ。お弁当が終りかけでよかった。
 それでも煙草はなかなか止められない・・ヒルトマンも煙草を医者に止められて辛かっただろうと思う。

 ・・「君はよく頑張るね」
 元気でまだ煙草を吸ってた頃のヒルトマンは私にそう言った。
 きみ、きみ・・「きみ」よ!
 私はあの人に「君」としか呼ばれたことがない。
 私にはちゃんと「多香子」という名前があるのに。
「頑張るね」・・そう言われた時、私はいつも心の中でこう言っていた。
 ええ、私、頑張っていますわ。
 あなたの言っているのはお仕事のことでしょう?
 当たり前ですわ。私、他にすることもありませんもの。
 家の事は家政婦がいるから、私は監督するだけで、洗い物やお掃除も一切しませんもの。
 毎日の献立も考えなくていいし、おかげで毎晩、家政婦の干したお布団で気持ちよく眠ることができましたわ。
 そうよ、私は世間で言うところの平凡な主婦ではなかったの、だから、
 私がすることはお仕事に精を出すことしかなかったの。
 おそらく前の奥さんの由希子さんよりもお仕事だけは頑張っていますわ。
 そうそう、週に一回ほどの私の作る手料理、由希子さんのよりも美味しかったのかしら?
 でも、たとえ私の作るものの方が美味しかったとしても、
 あなたはそんなことを女性に求めていないのでしょう?
 口に出さなくたって私にはわかりますわ。

 私、仕事のお付き合いであなたの知り合いの色んな方々とお話をしていたら知っていますよ。
 あなたは事あるごとに言っていたそうですね。
「由希子は桜のような人だった」と。
 それは由希子さんと離婚して私と結婚した後も・・言っていたそうですね。
 知っているわよ。
 ええ、気づいていたわよ。あなたは私とのお見合いの席でも私の顔は少しも見ずに日本間のお庭に満開になっている桜ばかり見ていらっしゃったもの。

 私は由希子さんのような綺麗な女ではありませんわ。
 由希子さんの写真を見た時はショックだった。私とは全く違うタイプの和服を着た女性が写真の中で微笑んでいた。
 完全に私の負け・・あなたが由希子さんに夢中になったのも、その時初めてわかった。
 私には無理だ。私はあの人に愛されることはこの先もずっとないだろう、と思った。
 そして、由希子さんの顔立ちから娘の恭子が彼女の血を多く受け継いでいることがわかった。だからよけいにあの子の顔を見るのが辛くなった。
 由希子さんの写真を見た時から、これからは仕事に全力を注いでいこう、と思うようになった。
 そんな私にあなたは「君はよく頑張るね」と言ったのよ。
 私は返事をしなかったわ。
 二度目、同じことを言われた時も私は返事をしなかった。
 ねえ、少しは私の気持ちを気づいてよ。

 でもね、私はね、そんなあなたのことが・・やっぱり・・好きだった。
 いろんなことを背負っているのに強そうな大きな背中。
 いつもどこか寂しそうに遠くを見ている深くて青い瞳。
 その目が私のことを見てくれないとわかってはいても、
 あなたの目をいつか私に振り向かせたかった。あなたに私の方を向いて欲しかった。
 でもあなたは・・

 そこまで思うと胸に熱いものが込み上げてきてご飯が喉に詰まりそうになった。
 隣のベンチの男が煙草を吸いながら深い咳を何度も繰り返している。そんなに咳込むのなら煙草をやめればいいのに・・
 咳の音を聞くとヒルトマンに会う毎に咳の回数が増えていったことを思い出した。
 あなた・・悔しかったでしょうね?
 まだまだやりたいことがいっぱいあったのに、死が音を立てながら近づいてきているのをあなたはそうして咳の回数で気づかされていたのよね。


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