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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第39回   見つかった母


 ずっと、お母さんを探していた。
 私がまだ小学校にあがる前のことだ。離婚という言葉を知らなかった頃。
 お母さんがこの家を去った時には、その理由が分からず寂しくてどうにかなりそうだった。
 私は家の中を走り回って部屋のドアを一つ一つ開けて母を探した。
 母がいる頃からそうして母を捜す習慣があったので疲れきるまで毎日屋敷中を走り続けた。
 けれど結局、母を見つけられず最後に開けた自分の部屋で泣いた・・泣き続けた。
 以前は探し回ると、どこかの部屋には必ず母がいたのに、どこにも見つけられなかった。 見つけられないのは自分の努力が足らないせいなのだと、自分を責めた。
 まだ「離婚」ということが理解できなかったので子供がある程度の年齢になったら、母親という存在は子供の前からいなくなるのだと思った。
 これからはどの部屋のドアを開けても母はいない・・そう思うことにした。
 母がいた部屋が一つ、この家から消えただけだ・・そう自分に言い聞かせた。
 しかしそれは違うことがすぐにわかった。
 ある日、お父さまは私にその人の写真を見せて言った。
「恭子、お父さんが今度、結婚する相手の人だ・・恭子のお母さんになる人だよ」
 写真を見ても明らかに母とは異なる顔が微笑んでいた。私の母は純和風だったけれど、その人は服も髪型もどこか洋風かぶれに見えた。
 でも、美人・・
 私を生んだ母が突然、目の前から消えて、心が死んだようになっていた頃だ。そんな写真を見せられてもどう思っていいのかわからない。
「この人、明日、家に来るんだ。恭子もしっかり挨拶するんだよ」
 この人が・・お父さまの結婚相手。
 お父さま、お母さんのことは忘れたの?
「もちろん、本当のお母さんを早く忘れなさい、とは言わない。けどね、その人との『絆』を作り上げることもすごく大切なことなんだ。恭子にはつらいことだけど、がんばって絆を作って欲しいんだ」
 その日の夜、私は眠れなかった。心のどこかで興奮していたのだろう。
 私に話しかけてくるのだろうか? 話しかけてきたら睨みつけてやろう。
 その人は予定の時刻きっかりに家に現れた。
「お嬢さまもお入りください」島本さんは背中を押したが「お父さまに呼ばれたら入るわ」と応えた。
 それでも気になるので私は客間の重いドアを少しだけ開けて中の様子を窺った。
 その人はこちらに背を向けお父さまと話をしているので顔が見えない。お父さまは私に気づいているみたいでチラチラと私を見ている。島本さんも二人のすぐ近くに立って私を時折見ている。
 お仕事のお話?
 その人は「週に一回、お料理をさせて欲しい」と父に言っている。お料理は島本さんが作ってくれるからいいのに・・私には理解できない。何をこだわっているのかしら?
 二人の会話が弾んでいるの?・・そうでもないのかしら?
 でも、お父さまのお顔、何だか楽しそう。あんな顔、久しぶりに見る。
 お母さんは父の仕事には無関心だった。だから家の中で仕事の話がでることはめったになかった。そんなお父さまは少し寂しそうだった。
 けれど、お父さまはこの人に対して「仕事のパートナーになって欲しい」と言っている。
 そして、女の人が頷くのが見えた。
 この人だったら、お父さまは寂しくないのかな?
 家の中でもお仕事の話をするのかな?
 お父さまの難しい話のお相手・・あの人は疲れないのかな?
 そう思っていると、お父さまが「恭子、そこに隠れてないで、こっちに出ておいで」と声をかけてきた。「お嬢さま・・お恥ずかしにならずに、お出でになってください」島本さんも続けて言った。
 けれど女の人は「まだ無理なのではないでしょうか?」とお父さまに言った。その人の言う通りだ。初めて会う・・しかもこれから家族になるという人だ。平気なわけがない。
 どうしたらいいのか迷っていると、その人はソファーから立ち上がり、くるりとこちらを向いた。
 ドキドキした。どんな顔で話しかけてくるのだろう?
 その人は私が隠れていたドアの所まで歩いて来ると、私と顔の高さを合わせるためしゃがみ、
「恭子ちゃん、はじめまして」と言った。
 目の前に女の人の顔がある。でもまだ顔の位置が高い。お母さんより少し背が高い。鼻も高く、写真で見た通り、けっこう美人・・でもお母さんの方が・・
 いや、やっぱり、そんなの比べられない・・比べてはいけない気がする。
 もう一度改めてその人の目を見た。黒い瞳、綺麗な髪、いい匂い。
 初めて見たその人の表情はなぜかホッとしているように見えた。
 私の顔を見て、「救われた」・・そんな顔をしていた。
 私の顔を見たことで、お父さまと話している時の緊張が解きほぐれたのだろうか?
「私ね、もうすぐあなたのお母さんになるのよ」
 柔らかな口調でそう話し始めた。
 お母さん?
 この人はお父さまの奥さんになる人で、私のお母さんではないわ。
 お母さんと呼べるのは綾取りを教えてくれたあの人だけよ。私はその人に逆らうように目を見据えた。
 そんな私の目を感じたのか、
「ごめんなさい、まだ会ったばかりで、すぐに私のことを『お母さん』って呼ぶのはちょっと無理よね・・実感も沸かないだろうし・・私を『お母さん』と呼ぶのは、もっと先でいいし、別に呼ばなくても・・」と言った。
 私はこくりと頷いた。「絶対にそんな日は来ないわ」とも言えなかった。
「そうね、とりあえず、私のことは『おばさん』とでも呼んでくれていいわ・・『親戚のおばさん』・・そういうことにしましょう・・それでいいかしら?」
「おばさん」・・それなら何とか呼べるかもしれない。
 まだその人は私の顔を見ていた。そして、こう言った。
「恭子ちゃん、不安よね?」
 不安?
「でも、おばさんだって不安なのよ」そう言ってその人は微笑み、
「だから、私も恭子ちゃんとおんなじ」と言って微笑んだ。
 最初、睨んでやろう、と思っていたけれど、そのちょっと素敵な笑顔に返す顔をうまく作れなかった。
「少しずつ、少しずつでいいの・・」
 えっ、何を「少しずつ」って言っているの?
 よくわからないけれどこの人の声には耳を傾けたくなってしまう不思議な力・・悔しいけど、魅力がある。
「おばさんも努力するから、恭子ちゃんも頑張って努力して欲しいの・・少しずつでいいの」
 そういうことだったのか・・
 私は「はい」という返事の代わりに少し無理に笑顔を作ってみた。
 運命の神様が「目の前の人も努力しているのだから、恭子も努力しなさい」と言っている気がした。
 その人が私の顔を見て救われたように、私もその人の笑顔に救われていたのかもしれない。
 そして、すぐにその人と少し距離が縮まる日が訪れた。
 あれは結婚式のちょっと前だっただろうか・・
 私は新しい母親に慣れるために一緒に外出することになった。あくまでもお父さまの仕組んだことだ。最初はお父さまも行く予定だったのに急に仕事が入ってしまい行くことが出来なくなった。お父さまはいつもそう。
 もしかして、これもお父さまに仕組まれたの? あの人と私を二人きりにさせるために?・・お父さまは意地悪だ。
 まだ家で一緒にお食事もしたことがないのに、いきなり二人きり、というのは抵抗がある。
 どっちにしろ、私は絶望の中の、更にどん底の気分だった。お父さまに「二人の人生の第一歩だよ」と言われたが朝から憂鬱だった。
 私は島本さんにいつもより堅苦しいお洋服を着せられ、髪も普段と違う形に整えられた。
「島本さんは一緒に来ないの?」と言ったが、
「これはお嬢さまの試練なのですよ」と笑いながら言われた。
 試練はもうたくさん。
 私が新しい母に連れられて行った場所は東京のデパートの屋上の遊園地だった。
 最初は「恭子ちゃん、映画を見に行く?」と笑顔で訊かれたけれど、私は「ゴミゴミした所に行きたくない」と少し邪険に返事をした。
 本当は見てみたい映画があった。でもちょっとこの人に逆らいたかった。
 私のつっけんどんな返事に、
「本当はおばさんも、映画館のような場所は息苦しくなるから好きじゃないの」と微笑みが返ってきた。
 私に合わせたの?
 そして・・
 本当に、私に「おばさん」って呼ばれていいの?
 きっとこの人は私に「おばさん」とは呼ばれたくないはず。
 でも、そしたら、私はこの人を何と呼べばいいの?
「それなら、デパートとかも混んでいるわよね」その人は困った顔をしている。
 えっ、デパート?
「デパートなら・・」と言いかけ私は口ごもった。
 本当は映画館もデパートも行ったことがなかった。どっちが人が多いのかも私は知らない。
「恭子ちゃん、知ってる? デパートの屋上には遊園地があるのよ」
 その人は私が好奇心を少し示したことに気をよくしたのか、デパートの説明をしだした。 デパートには衣類や食料品の他に、おもちゃ売り場や食堂があって、一番上の屋上には遊園地があるということを優しく説明した。
 その人の話を聞いているうちにデパートが私の中で一番魅力的な場所に思えた。
 私にとってはデパートもそうだけど、遊園地というのも初めてだ。
 行ってみたい。
 私がまだ小さい頃に母が離婚したせいもあるのか、私は家の庭で母と遊んでばかりいて遠出することがなかった。
「それじゃあ、デパート、ということにしましょうか?」
 私は小さく頷いた。
 ちゃんと子供らしく「連れてって」と言えばよかったのだけれど、素直に言うのも癪だから言わなかった。
 デパートに賛成したのは、何か買って欲しかったからなのかもしれない。
 私の家には何でも不自由なくあるけれど、どこかに行って買ってもらう、という経験がない。家の中にいて、いつもお母さんや島本さんに買い与えられていた。そのことが特に不満なわけでもない。そういうものだと思っていた。
 けれど、周囲の子達が、親とどこかに行って何かを買ってもらったという話や、テレビの中で子供が親と手を繋いで買い物をしている光景を見ると、私だけが特別なんだ、と思った。
 みんな、外に出て買ってもらっている・・私もそうしたい。
 周りから見れば贅沢な悩みだった。私は誰よりも恵まれているのに。
 でも、やっぱり誰かにどこかに連れていってもらって何かを買ってもらいたい。
 その誰かさんがこの人?
 その人と二人きりになるのは気が進まなかったけれど、心の片隅でデパートに行くことを楽しみにしている自分がいた。
 普通の親子のような経験ができるかもしれない。形だけでもいい。
 当日、デパートには自動車で行くのかと思ったが電車だった。
 電車に乗るのは初めてだった。移動にはいつも車ばかりだったからだ。
 だが、それも私には非日常的な体験で少しわくわくした。ちょっとした冒険のようなものだ。駅まで歩き、切符売り場で声をかけおじさんから切符をもらう。私は見ているだけだけど、そんな流れを見ているだけでも珍しく、面白かった。
 その人に言われる通り改札口のおじさんに切符を差し出すと、切符切りのカチャッという音がして私の切符が切られた。後ろでも続けてカチャッ、カチャッと音がした。振り返ると同世代の女の子とその母親が同じように切符を切ってもらっている。私たちもあんな親子のように見えるのだろうか?
 いや、たぶん、見えないはずだ。私の髪は金髪で肌も白く目が青いからだ。
 少し、歩みの遅れた私の手がその人の手でぐッと握られた。握られていないとはぐれそうなくらいに駅の構内は混雑していた。私はその人に引っ張られ駅の中を進みプラットホームに上がった。
 何かが始まる・・そんな予感がした。


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