20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第36回   ライバル
 ずいぶん長い時間が過ぎてから多香子さんがテラスに戻ってきた。仕事の電話だったのか。書類や筆記用具を手にしている。
「悪いわね。もっとみんなの話も聞きたかったけど、私、今から三宮に行かなくてはならなくなったの」少し急いでいる感じだ。さっきまでしなかった香水がふわっと漂う。
「奥さま、お車のご用意は?」
「今日はいいわ、自分で運転するから・・遠野さんはお客さまと恭子のことを頼んだわね」
「はい、奥さま」と遠野さんが答えると多香子さんが門の方を見て、
「丁度よかったわ、あの子、恭子が帰ってきたみたいよ」と言った。
 多香子さんの視線の先を追うと門から伸びる小道を一人の少女がこちらに向かってきているのが見えた。
 この邸宅のご令嬢の長田恭子だ。小学生にしては少し背丈も大きく、長めの金髪をベージュのセーターに軽やかに乗せている。
 多香子さんはそのままテラスを降り小道の方に向かった。
 多香子さんは娘に駆け寄り僕たちの方を差してご令嬢に何か言っている。
 少女は頷き、多香子さんはこちらに一礼をすると車庫のある場所に向かっていく。
 一方、長田恭子は芝生の上を僕たちのいるテラスに歩いてくる。少し早足になる。
 少し冷たくなってきた風に金色の髪が揺れるのが見えると、その顔の輪郭がはっきりと見えた。
 長田恭子が向かっている家には実父も実母もいない。
 長田恭子が歩いているのは佐伯が言っていた「広すぎて、さびしい」庭だ。
 だがその家の中は決して寂しいものであってはならない。
「綺麗だ」と佐伯が呟いた。「だろ?」と俺は心の中で応えた。
 ただその言葉は神園にとってはよくない。後で佐伯に注意してやろう。
「恭子ちゃん」と俺は呼びかけた。
「お帰りなさい、恭子さま」遠野さんが立ち上がって頭を下げる。
 長田恭子はテラスの辺りまで来ると「お兄さま、どうしてここに?」と俺たち三人を見ながら言った。ご令嬢は神園や佐伯たちとは初対面だから戸惑っている。
 驚くご令嬢の顔をもっと見ていたい気もしたが、
「恭子ちゃん、俺、恭子ちゃんのお母さんにちょっと用事や!」
 俺は多香子さんに伝えていないことがある。俺は多香子さんの後を追った。



 恭子のおかげなのかどうかは分からないけれど、あの子の新しくできた友達、芦田智子さん、そのお兄さん、そしてその親友、神園邸の娘さんと知り合ったことにより、神戸での視野が増えた気がした。
 だが、まだまだこの町で恭子がこれまで感じとったことに私は追いついていない。
 私には知らないこと。知らなければならないことがまだまだある。そして、これから恭子と離れていた時間、母娘の時間を埋めていかなければならない。
 今日はその第一歩だと思った。
 車庫のシャッターを開け、車を出そうとしたところに、テラスから男の子が追いかけてくるのが見えた。少し息を切らしながら走ってきた。
 今日、知り合ったばかりの少年、芦田くんだ。
 芦田くんは「多香子さん、ごめんなさい。急いでいるのに」と申し訳なさそうに言った。
「ええ、確かに急いではいるけれど・・いったいどうしたの?」
「ちょっとだけ、どうしても多香子さんに伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
 芦田くんがここに来たのは神園さんを恭子に会わせるためではなかったの?
「僕は僕で多香子さんに知ってもらいたいことがあるんです」
 恭子のことであれば私は知りたい。
「『間』が抜けてるんです」
「あいだ?」
 いきなりで何のことか分からない。ただ、この少年が夢中で私に何かを伝えようとしているのがわかる。
「恭子ちゃん、ガム・・風船ガムの膨らませ方も知らんかったんです」
「風船ガム?・・」
「子供やったら誰でも知ってるような風船ガムを知らへんくらいやから、他の事も知らへんと思うんです。どうでもええようなことかもしれませんけど、すごく大事なことなんです」
 芦田くんは恭子と駄菓子屋に行ったこと、その帰り、公園で風船ガムの膨らませ方を教えたことなどを話した。
「間」が抜けている、と芦田くんが言うのは私が恭子の親になって今まで何もしてこなかったことを指している。
 それは「思い出作り」だ。
 彼なりに私に気を使って言葉を和らげているのだろう。
「たぶん恭子ちゃんは小さい頃から友達もいなくて、子供らしい遊びを経験してこなかったと思うんです。もちろん、これからは妹の智子と一緒にいろんなことを経験すると思います。そやけど過ぎてしまった幼い日の時間を埋めるんは、お母さん、多香子さんにしかできへんと思うんです」
 私は芦田くんの言わんとするところを理解した・・目の前にいる芦田くんは私がさっきまで考えていたことと同じことを考えている。
 恭子の近しい人、遠野さん、お友達の芦田智子さん以外にも恭子のことを考えてくている存在があることが私は嬉しい。
「偉そうなことを言ってますけど、恭子ちゃんとそんなにしゃべったわけでもないです。でも、恭子ちゃんの寂しさが伝わってきた気がしたから」
「恭子のことを芦田くんは・・」
 続けてその先を言おうとしたが、彼のプライベートな領域に足を踏み入れる気がした。
「わかったわ」
 私は微笑み「ありがとう。あなたたちのような兄妹が恭子の友達になってくれて、嬉しいわ」とお礼を述べて我が家を後にした。
 幼い日の時間を埋めてあげること・・
 私は誰かにそう言われるのを待っていたのかもしれない。
 過程こそ違え、私はあの芦田友也という少年と恭子を巡って少し似た道を歩いてきた気がした。



 俺たちは長田邸をあとにすると、連れ立って天井川の堤防の下に降りた。神園が「ちょっと話さない?」と言ったので誰ともなくこの場所を選んだ。堤防の階段を降りれば遊歩道に出て歩ける。川には砂州や飛び石がたくさんあるので子供たちがよく遊んでいる場所だ。
 西に傾いた陽に水面がキラキラと光り揺れていた。
 あれから遠野さんを交えて恭子ちゃんと少し話をした後、失礼することになった。
 本来、長田邸を訪れた目的は神園が「ご令嬢と話したい」という思いを実現させるため保護者である多香子さんの許可をもらいに行っただけだったのだから、それでいいといえばいい。
 俺は俺なりに多香子さんに言いたいことだけは言ったつもりだ。いくら妹の友達の親とはいえ大企業の重役さんにあれ以上偉そうなことは言えない。
 そして、神園は年明けに別に長田恭子と二人だけで会う約束をした。それでいいのかどうか分からないが神園はいたってご満悦の様子だ。
 肝心の長田恭子の方も年上のお姉さん的存在に大いに興味を示したようだ。智子に続いてこの町の親しい友人になってくれればいい、と俺は願うだけだ。
 二人の会話に興味があったが、佐伯が「二人だけで会う方がいいよ」と言ったので、女の子だけのお茶会には参加しないことにした。
 俺たちは川の辺の石畳の上に三人で腰掛け佇んでいる。
 神園はハンカチを敷き膝を抱えて座り、俺と佐伯は石畳から川面に足を下ろしてくつろいだ。足の下を川がさらさらと流れている。
 テラスの席のように神園が真ん中だ。俺は川の澱んだ水面に小石を投げた。水の輪が綺麗に広がった。神園はお尻が痛いのか座り心地が悪そうだ。
 神園が「寒くなってきたわね」と膝を抱えた腕をぎゅっと締めた。
 佐伯が「この散歩道、春には桜で多い尽くされるんだ」と言うと俺が「ここ、神園の庭みたいな場所やぞ」と言った。
 神園は俺たちを見て笑った。
「佐伯くんが脅かすから、多香子さんのこと、鬼のような女の人を想像していたわ」と言った。
「神園さん、だから僕は言ったんだ。真実は反対のことばかりだって」佐伯がどうでもいい内容で照れくさそうに答える。
「そんなこと言ってたかしら?」
 俺が「多香子さんだったら『見た目通り、私、鬼のような女よ』とか言いそうだな」と言って自分で笑うと、3人の中に自然と和やかなムードが流れた。
「それにしても、私、芦田くんがあのアイドルの御堂純子を好きだと知らなかったわ」
「えっ、御堂純子?」
 なんでそんな話が出てくるんや。
「私、芦田くんって、てっきりサッカーのことしか頭にないって思っていたもの」
「ちゃうって、それ、恭子ちゃんの勘違いなんや。俺の部屋に御堂純子のポスターを貼ってあるだけでやな」
 別れ際に恭子ちゃんが神園に小さな声で言っていたのはその話だったのか。
 あのポスターも妹の智子が勝手に貼ったもので・・
「芦田くん、ちゃんとポスターを貼ってあるんじゃない。私、そんなことまで聞いていないわ」
 しまった! 恭子ちゃんは俺が家でテレビの歌謡番組を見ていたことを言っていたのか。 恭子ちゃんは俺の部屋のポスターなんて見てないんや。
「そやから、俺はやな・・」
「芦田くん、顔が真っ赤だよ」佐伯にからかわれる。
 佐伯がメガネの縁をあげ「御堂純子は神園さんと同じ名前、純子だしね」と冷やかす。
「佐伯くん、それ、どういうこと?」
「ご想像におまかせします」佐伯はメガネの中心をくいと上げる。
「ねえ、ちょっと、佐伯くん、ちゃんと教えてよ!」神園が佐伯の腕を掴み揺する。
「神園さん、そんなに揺すったら、落ちるよ」
 佐伯の反応を見て神園の悪戯心に火がついたのか、「大丈夫よ、これくらい」と更に佐伯の体を揺すった。
 佐伯も佐伯で笑いながら石畳に両手をついて懸命に体のバランスを保っている。あんな顔、初めて見る。見ている俺まで楽しくなる。
 佐伯を揺すっていた手がふいに止まると、神園は急に真顔になって「ねえ、二人とも、思わない?」と言った。
「何がだい?」「何が?」俺と佐伯が揃って訊ねる。
「いろんな家族の形があるんだね」神園の目は川面を見ている。
「そうだね」「そうやな」俺と佐伯は声を揃えて同調する。
 俺はぶっきら棒に、佐伯は文学青年らしく答える。だが結局のところ三人とも同じことを考えているのだろう。
「芦田くん、佐伯くん、今日は本当にありがとう」
 神園は正面の川の流れを見つめながら言った。
「礼を言われるほどでもない」と俺。「僕は芦田くんにつき合わされただけだよ」と佐伯らしい返事。
 俺たちを見て微笑んだ後、神園は、
「私、下関に行ってみることにする」と言った。
 おい、佐伯、あんなこと言ってるぞ、いいのか? 神園が遠くに行ってしまうぞ、と俺は心の中で言った。
「お正月だものね。家族は一緒にいないと」と神園は付け足した。
 え?
「うふっ、急に荷物をまとめて家に駆け込んでいったりしたら、両親、びっくりするだろうし、そのうち、お父さんの仕事の都合で神戸に戻ってくることになるかもしれないしね・・とりあえず、二、三日行ってくる」
 なぜかその言葉に少し安心している自分がいる。
「そ、そうなんだ」佐伯は言葉を詰まらせながら喜んでいる。
「それにね。今は、芦田くん、佐伯くんの二人を見てる方が」と神園はそこで一旦言葉を置き「こんな風に二人と同じ時間を過ごして・・一緒にいる方が楽しいし・・ねっ」と言った。
 座っている位置が横並びでよかった。正面で同じセリフを言われたら、佐伯は、いや、俺だって・・
「そやで。家政婦の雪さんだって、神園がおらんようになったら寂しがるやろうしな」
「そっかな・・」神園が呟く。
「一番、寂しがるのは芦田くんじゃないかな?」佐伯が真顔で言う。
「おいっ!」俺は佐伯を睨みつけた。
 俺は別に神園がいなくたって・・でも、それは本当なのか?
「芦田くんが?・・どうして?」
 神園の真顔が俺の目を捉える。逃げられないくらいの眼力だ。
「神園さん、いけないよ。そんなに芦田くんを見たら、彼はきっと困ってしまうよ」佐伯が救いの手を差し出す。
「もうっ、佐伯くん、さっきから、『ご想像におまかせします』とか、いったい何を言っているのっ!」と神園が怒り口調になり「わたし、全然わからないわ」と拗ね顔を作る。
 本当だぞ、佐伯! けど、ありがとう、助かった。
 神園はふいに腕時計を見ると「あっ、いけない、もうじき夕方のお稽古の時間だわ」と慌てだした。
「じゃあ、二人とも、またね。今度会うのは3学期ね」神園は手を振って堤防の階段を上がっていった。
 そして堤防の上からも手を振り続けた。
「今日は、本当にありがとうっ」
 神園の声は川のせせらぎに流れずに十分届いた。
 佐伯は神園を見上げながら「神園さんは僕の家族の話で泣いてくれた」と言い、神園の方を見たままこう言った。
「芦田くん、僕、君のライバルになってもいいかな?」
 佐伯が何のライバルのことを言っているのか、すぐに理解できたが、それは「俺が神園を好き」というのが前提の話だ・・だが俺は即座に神園を見上げたまま佐伯に「かまへんで」と答えた。
 俺の返事を受けると佐伯はいつも通りメガネの中心をくいと上げ、いつもの文学青年の顔に戻った。神園の姿が見えなくなると佐伯は川の水面に小石を投げた。
 俺は3学期が来るのが待ち遠しくなった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1365