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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第3回   芦田智子


 よく晴れた日曜日。
 お父さんが「失礼のないように、これを持って行きなさい」と手土産に大きな大福を持たせてくれた。
 当店自慢のイチゴ大福だ。普通の大福の倍の大きさがある。
 他にも茶葉六種の芦田堂のお茶のオススメセットも持っていく。
 私は「芦田堂」という名前の和菓子屋さんの娘だ。
 もう何十年も続く老舗店なのだと、お父さんはよく町の人に自慢している。
 大福は三個ある・・
 それは私の分と友達の恭子ちゃん、そして恭子ちゃんの家のお手伝いさん、遠野さんの分だ。
 でも恭子ちゃんの家に他の人がいたりしたら、どうしたらいいんだろう?
 お母さんは家にはほとんどいないらしい。
 恭子ちゃんから「お母さんが今度家に帰ってくるのは来月よ」と聞いているから大丈夫かな?
 それより、恭子ちゃん、お母さんとほとんど会えなくて寂しくないのかな?

 そう、私は本日、親友の恭子ちゃんの家に遊びに行くことになった。
 恭子ちゃんの苗字は「長田」
 小さな町の中では有名な苗字だ。神戸の貿易や商業に携る人、それにお店を出している人なら誰でも知っている。
 恭子ちゃんは亡くなったドイツ人のお父さんと日本人のお母さんとの間にできた子で髪の色は金色で目が青く肌も透き通るくらいに白い。
 そんな恭子ちゃんと私は友達だ。
 恭子ちゃんは五年一組、私は五年二組。
 クラスは違うけれど色々あってお友達になった。

 けれど、実のところ私はまだ恭子ちゃんの家に行ったことがない。
 友達同士はお互いの家に遊びに行く、と決まっている。
 恭子ちゃんの方はもう何度か私の家でもある「芦田堂」に来てもらって、店の中でどら焼きを食べてくれたり、お父さんやお母さんとも会って話もしたりしている。
 この前は私のお兄ちゃんにも会った。
 初めて恭子ちゃんに挨拶した時、あんな緊張したお兄ちゃんの顔は初めて見たよ。
 いつも偉そうに私のことを「ブス!」って言っているくせに恭子ちゃんの前ではあんなに背筋をピンと伸ばしちゃって・・
 そういう私も今日は少し緊張している。
 恭子ちゃんの家はものすごく大きい、と話に聞いている。
 話というのはお父さんの話だ。お父さんは何度か恭子ちゃんの家に和菓子の配達で行ったことがある。
 恭子ちゃんが私の家に来ることはあっても、私が恭子ちゃんの家に行くという話は二人の間に出てこなかった。
 なんとな〜くだけど、恭子ちゃんの考えていることはわかるつもり。
 おそらく恭子ちゃんは怖いのだと思う。
 たった一人、せっかくできた友達を何かのきっかけで失くしてしまうことが怖いのだと思う。
 恭子ちゃんは私に自分の家、大きな家を見られることで、
 自分の住んでいる世界に驚かれ、私に尻込みされるのではないかと思っている。
 そう、私と自分との間に距離を置かれてしまうことを怖れている。
 言葉には出ないけれど、そう感じる。
 そう言う私も実のところ怖い。
 私も別の意味で友達を失うことが怖い。
 近所のアパートに住む幼馴染の悠子ちゃんと疎遠になってから私に初めて親友と呼べる友達ができたのは小学五年生になってからだ。
 その子の名前は石谷加奈子・・加奈ちゃん。
 加奈ちゃんとは小学校の音楽室でお友達になった。すごくピアノが上手だった。
 一緒に下校するようになって何度か芦田堂に来てもらったりしたけど私は加奈ちゃんの家に遊びに行くことは最後までなかった。
 加奈ちゃんは秋のピアノコンクールのためのレッスンで毎日忙しくて、二人で一緒にどこかに遊びに行くということが一度もなかった。
 加奈ちゃんがピアノコンクールで優勝を果たして「これからもっと加奈ちゃんと遊ぶんだ」とはりきっていた矢先、突然、加奈ちゃんの転校を知らされた。
 その知らせの電話が加奈ちゃんからあった夜、私は何度も泣いた。
 涙が枯れるまで泣こうと思ったけれど涙は枯れることはなかった。
 そして加奈ちゃんと最後に行った遊園地の観覧車の中では泣いている所を加奈ちゃんに見られた。
 小さい頃からお父さんに「人前では泣くもんじゃないぞ」と言い聞かされていたけど我慢できずに泣いた。
 その日、観覧車から眺めた夕陽の美しさは今でもはっきりと憶えている。
 遊園地に行く前の日、
 私は加奈ちゃんにあるお願いをされていた。
 普通なら絶対に無理・・絶対に断るところ・・
 でも、私は断らずにその約束を引き受けることにした。
「智子、長田さんの友達になって欲しいの」
 それが加奈ちゃんのお願いだった。
 そして、私は決めた。
 私は恭子ちゃんを絶対に失わない。
 もうこれ以上友達を失いたくない・・



「智子さま、お待ちしておりました。恭子さまがお待ちです」
 時間ぴったりに着くと恭子ちゃんの家の門の前で待っていたのは遠野静子さんだ。
 背が高く、長い黒髪、そしていつもの政治家の秘書みたいな黒のパンツスーツ。
 そんな人がこの家の家政婦、そして恭子ちゃんの家庭教師。
「智子さま、奥さまは不在ですので、今日は私が智子さまのお世話をさせていただきます」
 いつから待っていたのかな? ずっとここに立っていたのかな?
 遠野さんは長田家の運転手もしているので、芦田堂まで遠野さんの運転する車でお迎えにやるわ、と恭子ちゃんは言っていたけど、店の通りに大きな車が横付けされるとちょっと目立ってしまうのでさすがに遠慮させてもらい私は徒歩で来た。
 それにしても「智子さま」って、何だか、くすぐったいよ。
 遠野さんは大きな門を開けずに勝手口のようなドアを開けた。
 門は来賓などに使われるとのことだ。
 勝手口を開けると小さな石畳の道の向こうから現れたのは恭子ちゃん。
「智子、待っていたわ」
 そう、恭子ちゃんは私のことは「智子」と呼ぶ。そこだけは加奈ちゃんと一緒。
 加奈ちゃんも私のことを「智子」と呼んでいた。
 恭子ちゃんの服装は通学の時よりお洒落しているように見える。
 清潔感溢れる白のブラウスに紺色の上品なプリーツスカート。当然、皺なんてない。
 私の方はお洒落感全くゼロだよ。
 でも恭子ちゃんの服装、薄着で寒そう・・あ、そっか、たぶん、家の中が暖かいんだ。
 恭子ちゃんの頬が少し赤らんでいる。家の中と外との寒暖差のせいかな?
「智子、私の家、ここから少し遠いのよ・・」
 恭子ちゃんは申し訳なさそうに私を見る。
 えっ、ここから遠い?
「ここ、恭子ちゃんの家の中だよね?」
 恭子ちゃんは口数が少ない。加奈ちゃんも少ない方だったけど、恭子ちゃんは比較にならないくらい少ない。
「智子さま、申し訳ありません、ここから少し歩いていただくことになります」
 遠野さんがペコリと頭を下げると恭子ちゃんが「晴れてよかったわ。雨だと、足元が悪くなるの」と言った。
 私たち三人は仲良く桜の木に囲まれた小道を歩き始めた。
 けれどいつまでたっても恭子ちゃんの家が見えない、桜の木の陰になっているのかな?
 少し歩くと向こうに芝生が広がっているのが見え始めた。
「恭子ちゃん、いつも、この道を歩いているの?」
 私が訊ねると「学校に行く時は静子さんが家の前から直接車を出すの」と言った。
「ここは歩かないんだね」
 素敵な道だからちょっと勿体無いな、と思っていると、
「歩いて帰る時にはここを通るわ」恭子ちゃんはそう言って静かな微笑みを見せた。
「最近、私の出番がめっきり減ってしまいました」
 私の横で遠野さんがポツリと言った。
「遠野さん、出番って?」
「最近、恭子さまはお車に乗りたがらないのです」
 恭子ちゃんは登校する際には遠野さんに車で学校まで送ってもらう。
 けれど、私と友達になってからは下校の際には私の家、「芦田堂」まで歩いてそこからは恭子ちゃんは歩いて帰る。
「私が『芦田堂までお迎えにあがります』と言ってもいつも断られます」
 少ししょんぼりした顔で遠野さんは説明しながら「これでは私、給料泥棒になってしまいます」と変なことを言いだした。
「静子さんの仕事って、自動車の運転だけじゃないでしょう?」
 恭子ちゃんが静かに言うと遠野さんは「それはそうですけど・・」と言って反論することができない様子。
 遠野さんと恭子ちゃんの会話はいつもこんな感じ。
「わあっ、広い芝生!」
 二人の会話を楽しく聞かせてもらいながらふと前を見ると小道が終わり綺麗な芝生が目の前に広がっていた。
 恭子ちゃんたちには何でもない風景かもしれないけど、芦田堂の周辺の小さな店がひしめき合っているゴミゴミした景色を見慣れている私からしたら目がビックリするほど新鮮だ。
そして大きな建物が見えた。
 芝生の向こうに三階建ての大きな白い洋館がある。あれが恭子ちゃんの家だ!
「智子、あれが私の家よ」
「三階建てなんだね」
 私の家は二階建て、一階がお店と茶の間やお風呂、台所等があって二階にお兄ちゃんや私の部屋がある。
 でも恭子ちゃんの家の三階建というのは私の家とは比較のしようもない位大きい。
 たぶん、あれが田舎のお洒落なホテルだと言われても信じてしまう。
 一階の南側には大きなテラスが前面に張り出されていて、喫茶店のようなテーブルセットが並べられている。
「お邪魔しま〜す」
 遠野さんが大きなドアを開け「どうぞ、中へ」とまるでホテルの接客係のように案内する。
「智子、こっちよ」先を行く恭子ちゃんが廊下を進む。スリッパを履いて後をついて行く。
 何だか、すごいな・・と初めて入る家、それもこんな大きくて豪華な洋館に驚嘆を続けながら歩いた。
 大広間の横を抜け恭子ちゃんは大きく円を描く階段を上がった。
 私は辺りをキョロキョロしながらついて行く。
 あちこちに高そうな装飾品が置かれ、壁には西洋絵画が掛けられている。
 二階に上がると少し進んだ所で恭子ちゃんは立ち止まり「ここが私の部屋」とある部屋のドアを指した。
 通された恭子ちゃんの部屋は当然ながら広くて天井も高い。
 そして話に聞いていた通り、部屋の真ん中に大きなピアノが置いてあった。
 恭子ちゃんのピアノは初めてお友達になった日に音楽室で聞かせてもらった音楽室のピアノよりもずっと綺麗でピカピカだ。
「すごいなあ」
 私の感嘆の声に恭子ちゃんは「何がすごいの?」というような表情をしている。
 全部すごいよ。
 こんなすごいことに慣れてしまうのも怖い気がする。
「智子、そこに掛けて」
 窓際に接客用のようなソファーがある。腰を静かに下ろすとお尻がふわっとどこまでも沈み込むようだ。沈み込み過ぎて目の前のテーブルが遠くに感じる。
「恭子ちゃん、このソファー、ふかふかだよ!」
 私は柔らかさを確かめるようにソファーを両手で押した。
 まるで高級家具屋で試しに座ったような感覚だ。それにいい匂い・・
 書架が二つ壁際とドアの方にあり、壁際の方には難しそうな本が並んでいて、ドアの方には漫画の雑誌が何冊も並んでいる。
「あの漫画、恭子ちゃんが読んでるの?」
 恭子ちゃんが「うん」と頷いた時、遠野さんがティーワゴンを押して部屋に入ってきた。
 ワゴンの上には日本茶のセット。二段目には私が手土産で持ってきたイチゴ大福。
「恭子さま、智子さまに頂いたほうじ茶です。甘いものに合うかと」
 何だか芦田堂の商品も場所が変わるだけで見た目も聞いた感じも変わってしまう。
 まさか、味まで変わってしまうとか?
「いつものイチゴ大福より大きいわ」
 恭子ちゃんが微笑むとワゴンの脇で遠野さんが頭を下げ、
「恭子さま、わ、私もご一緒してよろしいのでしょうか?」
 遠野さんがすごく恥ずかしそうにしながら言った。
「智子、かまわないでしょう?」
 恭子ちゃんが私を見る。
 三個あるから、遠野さんの分だよ。
「もちろんだよ!」
 遠野さんは嬉しそうにしてテーブルに配膳し終えると、ソファーではなく近くにあった椅子に腰掛けた。
 なんだか私の方が偉そうな感じ・・
 恭子ちゃんは私の向かいのソファーに座った。恭子ちゃんの場合、豪華なソファーが似合っているけど、私は妙にそわそわして落ち着かない。
「恭子ちゃん、この部屋って何人くらい入れるの?」
 単純に思ったことを訊きながら大福に手を伸ばす。
「何人?・・そんなこと考えたことなかったわ」
「ここは応接室やパーティー会場ではありませんから、せいぜい五人程度だと思います」
 遠野さんが説明する。
「ええっ、ここってその倍以上の人数・・倍どころじゃない、もっと入れるよお」
 この部屋、お兄ちゃんの部屋が10部屋は楽に入りそうだよ。
 天井も高いし・・天井を見上げると、わっ、大きなシャンデリアだ!
「おいしいわ・・」
 私がそわそわキョロキョロしてるのに恭子ちゃんは澄ました顔で大福を食べている。
「これだけ広いと、部屋の中にお花をたくさん生けられそうだね」
 何か足りないな、と思っていたら花だ。
「恭子さまはこの部屋にお花を置きたいとおしゃっていたのですけど、ピアノは湿気を嫌うので置けないのです」
 遠野さんが目をキョロキョロさせている私に言った。
「へえっ、そんなものなんだね。でも花がダメでも・・他のものを・・たとえば」
 私は恭子ちゃんの部屋中を見回した。
 書架のある壁には大きな西洋絵画が掛けられている。
 じゃあ、他に、ぬいぐるみとか・・ベッドを見ると大きなクマさんのぬいぐるみが枕元にある。
 この部屋に・・いや、部屋ではなく、この家に足りないもの・・
 それはこの家には恭子ちゃん以外の家族がいないこと。
 でもそれは恭子ちゃんには言えないこと。

 お母さんは恭子ちゃんが小学校に上がる前に離婚して家を出たと聞いている。
 お父さんはすぐに再婚したけれど、恭子ちゃんが小学四年生になった頃に亡くなったらしい。
 つい最近・・去年のことだ。恭子ちゃんはどのようにして立ち直ったのだろう?
 恭子ちゃんが現在「お母さま」と呼んでいるのは再婚したお母さんのことだ。
 その人は東京での仕事が忙しいみたいで家に帰ってくることもあまりないらしい。
 叔父さんもいるらしいけど同じようにこの家にはあまり現れないとのことだ。
 この家には恭子ちゃんとお手伝いさんの遠野さんしかいない。こんなに大きな家なのに。
 そんな話は全て恭子ちゃんから聞いている話・・
 友達として知っていることはそれだけ・・
 本当はもっと恭子ちゃんのことを知りたいのだけど、恭子ちゃんが無口なせいか今一歩、踏み込んだ会話をしていないし・・できない。
 たとえば嫌いなもの、嫌いな人の話とか、気になる男の子の話とか、クラスの女の子がきゃっきゃっと笑いながらする話とかもしてみたい。

「先日お会いしたけど、智子のお兄さま、優しそうな人だったわ」
「ええっ!・・そっかなあ」
 ちょっと驚く。
 お兄ちゃんが優しいのは知ってるけど、他人から見てもそう見えるのかなあ・・
 でもなあ・・「ブス」って言われるのはやっぱりイヤだなあ・・
「私はお会いしたことがありませんね。私もお会いしたいです」
 遠野さんはお茶を啜っている。
 喉が詰まりそうなので私もお茶を少し飲んだ。
 あれ、いつもと味が違う。何で?
 これ、本当に芦田堂のほうじ茶なのかな?
「智子さま、どうかされました?」
 遠野さんが私を見て怪訝そうな顔をした。
「遠野さん、お茶の味が違うの・・」
 変な疑問だとはわかっているけれど素直な気持ちで訊いてみる。
「智子さまは、いつもお茶はどこで飲んでおられるのですか?」
「お茶はお茶の間か、芦田堂の喫茶室だけだよ」
 何かそれが関係あるの?
「お茶というものは、淹れる人によっても呑む場所によっても味が変わって感じるものではないでしょうか?」
「ふーん、そんなものなんだあ」
「たとえば初めての場所に来て少し緊張している時、お茶を呑むとホッとします。家で呑む時よりもここで飲む時の方がホッとして落ち着くのだと思います」
「ああ、私、わかるような気がする」
 でも、遠野さん、ストレートに言い過ぎ。
 私がそう思っていると、
「智子、緊張してるのね・・私に遠慮を・・」と恭子ちゃんが言った。
 ああ〜あ・・とうとう言われちゃった・・
 たぶん、ここにいる三人全員が気づいていることだ。
 確かにそうかもしれない。けれど、それはいたって普通のことだ。
「でもね、・・恭子ちゃん、それって当たり前だよ、もしここに来て何も思わない人がいたら、その人がおかしいと思うし、恭子ちゃんもそんな人とはお付き合いできないと思うよ」
 恭子ちゃんは可笑しそうに笑うと「智子は何でも正直に言ってくれるのね」と言った。
「きっと、お父さんの影響だよ。お父さんには何でも思ったことは隠さずに言いなさい、って言われてるの」
「でも、智子はイヤではない?」
 恭子ちゃんの表情が曇る。
 この大きな家のこと? 恭子ちゃんのこと?
 どっちか、わからないけれど私は強く首を振った。
「そんなことないよ、私、今日は嬉しいんだよ・・恭子ちゃんの家に来て、私の知らない世界をちょっとだけ見ることができて嬉しいんだよ。この家のことは、友達としてやっぱり私が知っておかないといけないことだと思うし。知っておいた方が恭子ちゃんともっと色んなことを話せるようになると思うの」
 それだけ言うと少しスッキリした。
「私、もっと智子と話がしたい・・」
「私もだよ」
「あ、あの、私はやっぱりお邪魔ではないでしょうか?」
 遠野さんが気の毒なくらい小さくなっている。
 私は首を振って「あの話もあるし、遠野さん、ここにいて下さい」と遠野さんに言った。
「智子、あの話って?」
「芦田堂のチラシの写真のことだよ」
「ああ、智子さま、あれなら、印刷所の手配は済ませました。あとはクリスマスの写真撮影を残すだけです」
「芦田堂」の来年用の広告チラシを作ることになった話だ。
その写真のモデルに恭子ちゃん、チラシの製作を遠野さんが担当することになった。
そのきっかけはお父さん。
「芦田堂」の喫茶室に座る恭子ちゃんはすごく絵になるらしい。
 恭子ちゃんがいると店内のイメージもよくなってお客さんも自然とよく入るみたい。
 私ではダメだけどね。
 お父さんは「長田さんが店に座っているとお客さんがよく入ってくれるので毎日でも来て欲しい」と言っている。
 お父さん、ちょっと私に失礼だよ・・私の方が長くお店にいるよ!店番もやってるのに。
 お父さんは今度「芦田堂」の宣伝のチラシを作るから、恭子ちゃんをお店の写真に添えるモデルとして使わせて欲しいと言い出した。
 恭子ちゃんは笑顔で了承してくれて、撮影はプロのカメラマンを使えば費用がかかるから一組の村上くんに頼むことになった。
 村上くんは恭子ちゃんのクラスメイトだ。
 私にはちんぷんかんぷんの難しい一眼レフを村上くんは使いこなせるのだそうだ。

「恭子ちゃん、お店のチラシのモデルになってくれてありがとね・・お父さんは言い出したら引かないしね」
「智子のお願いなら何でも訊くわ」
「モデルの話はお父さんの頼みだよ」
「同じだわ」
 恭子ちゃんは微笑み「智子はいいお友達・・」と言った。
 恭子ちゃん、その言い方、何だか照れるよ。
「それで、恭子ちゃんはどうして村上くんがカメラを撮るのが上手だって知っていたの?」
 前から気になっていたことを私は訊ねた。
「去年の話よ・・四年生の遠足の時にね・・」
 恭子ちゃんは村上くんに初めて出会った時のことを語り始めた。
 恭子ちゃんの普段聞かないトーンの声が部屋の中に響き静かな心地よい時間が流れ始めた。
 遠野さんは私たちに気遣ったのか、ティーワゴンを置いたまま静かに部屋を出た。


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