20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第23回   グストフ氏と対決


 それにしても思い切って髪を短くしたものだ。
 恭子さまも奥さまのショートヘアに驚かれていた。
 奥さまは予定より早い時刻に帰ってくるとスーツケースをドンと玄関に置き、迎えに出た恭子さまに「恭子さん、クリスマス・イブ、これで間に合うわね」と息を切らしながら笑った。
 恭子さまの「お母さま、その髪・・」の驚きの声に「ああ・・これ?」と言って奥さまは短くなった髪に手を当て「どう、似合ってる?」と訊いた。
 奥さまはこれから夫ヒルトマンさまの弟であるグストフ氏と向き合おうとしている。
「遠野さん、今回のこと、ありがとう」
 神戸の邸宅の一階、そこは一番大きな客間。
 最も大事な来賓がある際に使われる部屋だ。
 その部屋のソファーに奥さまは腰を深くかけている。
 テーブルの上には私が炒れた珈琲や灰皿の他に、数冊の資料が積まれている。
 珍しく今日は煙草に手をつけていない。恭子さまはご自分のお部屋で休んでおいでだ。

 あれから私は東京からどっさりと送られてきた帳簿類を念入りに調べ、神戸の関連会社の帳簿も奥さまの代行という形で借り出し照合させた。
 また並行して調査会社も利用した。会社の弱みを握られないようにして進めた。
 そして、グストフ氏のお金の乱れが今回の調査で浮き彫りになった。
 出張費、接待費など、細かい費用などはもちろんのこと、広告宣伝費の発注における見返り、架空取引、巨額の設備投資の見返り金等もあることが判明した。
 確かな証拠のあるものもあれば、推測に基づかれるような事案もあるがグストフ氏に突きつけるためのものとしては十分過ぎるほどの量だ。
 おそらくこれは氷山に一角に過ぎないことはわかる。
 選定した帳簿のほとんどで発覚させることができたのだ。東京と神戸の倉庫を漁れば更に出てくるだろう。
 だが、奥さまは「これ以上の調査は必要ない」と言われた。調査はこれで打ち切りだ。
 奥さまにとってはグストフ氏のお金の乱れがわかればいいだけの話なのだろう。
 それ以上の調査をすれば確かにグストフ氏を締め上げることはできる。
 だが、その額が許容の範囲を超えることにでもなれば、かなりの事件に発展するおそれもある。それは奥さま自身も自分の首を絞めることにもなってしまう。
 それに何より、ヒルトマンさまが積み上げてきたものを根っこから粉砕してしまう結果になってしまう。
 その結果は奥さまも望まない。

 今回の書類をまとめたものは予め東京に送り、それを奥さまはもう読まれている。
「お願い、遠野さん、あなたもここにいてちょうだい・・」
 奥さまは傍らに佇む私を見上げてお願いするような表情で言った。
 その顔は今までに見たことのない穏やかな表情だ。
 私が「承知しました」と応えると、
「遠野さん、あの子・・恭子も呼んできてちょうだい」
 この書類の山、大人の世界が満載の部屋に恭子さまを?
「でも恭子さまに、このようなことは・・」
 いくら奥さまの命令でも・・私は少し焦った。
「『大人の世界』・・とでも言いたいの?」
 私は頷いた。場合によっては恭子さまには刺激が強すぎるかもしれない。
「これからグストフさんに話すことは、恭子にも聞いていて欲しいの」
 真顔で奥さまは私を見る。
 奥さまは先ほど、恭子さまのことを二度「恭子」と呼んだ。いつもは「恭子さん」とお呼びするのに。
 もしかして、奥さまは・・
「あの子の父親の弟に、これから私が言うところを見ていて欲しいのよ」
 奥さまは「母親」になろうとしているのではないだろうか?
 奥さまなりの母親に。
 そう思いながら既に私の足は二階に向っていた。

 グストフさまは約束の時間を少し遅れて邸宅に来られた。
 夜の9時、
 奥さまの横のソファーに恭子さまが腰掛け、二人の向かいにグストフ氏が足を組んで座っている。私はドアの近くに佇む格好だ。
「恭子さん、少し、退屈でしょうけど、しばらく我慢していてちょうだい」
 恭子さまは「大丈夫ですわ、お母さま」と笑顔を見せた。
「そうそう、芦田さんのお宅にお邪魔しようかと思っているのだけど、あちらのご都合はどうかしら?」
 恭子さまはちょっと驚かれた様子だったがすぐに「電話で智子に都合のいい日を訊いてみるわ」と応えた。
「それとも、この前、恭子さんが言っていた写真撮影の日に行った方がいいのかしら?」
「その方が、いいわ」
 二人のやり取りを聞いていると、話が出来上がっているらしい、と感じた。

 グストフ氏は読書用の眼鏡をかけ、奥さまの出した資料に目を通している。
 静かで少し緊張した時間が部屋の中を流れている。
 こんな時間が長田家を流れるのは初めてのことではないだろうか?
 恭子さまは何のことか分からないご様子だし、グストフ氏も突然、自分の不正を見せつけられ戸惑っているだろう。
 ここからでも、グストフ氏の瞼が痙攣し、額に汗を噴いているのがわかる。
 奥さまだけがまるで悟りを開いたかのように静かに珈琲を飲んでいる。お煙草はお止めになったのだろうか?
 部屋の壁にはフランスの代表的な画家、ミレーの「晩鐘」が掛けられている。
 農村の夕暮れ時、一日の労働を終えた夫婦が教会の鐘が鳴り響くのを聞いて祈りを捧げている絵だ。この夫婦が何を祈っているのか? 諸説があるのは有名な話だが、私は絵の男女の敬虔な姿に心を打たれる。
 一つの夫婦の完成された夫婦の姿がそこにはある。それは第三者を寄せつけない説得力がある。
 そして、静まった池に小石を投じるように奥さまがグストフ氏に語りかけた。
「グストフさん、私が何を言いたいのか、わかっていただけたかしら?」
 奥さまの声に、長い間、書類に目を通していたグストフ氏は顔を上げると、私を見て「遠野さん、これは君が調べたのか?」と訊ねた。私はその通りです、と言う風に頷いた。
「君が何をしたのか、わかっているのかね?」
 グストフ氏が睨みを効かせると、その顔を見た奥さまがいち早くグストフ氏を制する。
「グストフさん、調べさせたのは私です。彼女を責めるのは筋違いというものです」
「だが、彼女は雇われの者だぞっ」
「契約上、私が彼女を雇っています」
「それは形の上だ。彼女は長田グループの・・」
「グストフさん、今、その話はここでは関係ありません・・それより、私を責めないのですか?」
「多香子さんを?」
「考えればおわかりになるでしょう?・・遠野さんが単独でこのような調査を勝手にするわけがありません。もし勝手にしたのなら私が彼女を叱りつけます。私が彼女に指示したのは一目瞭然でしょう?」
「まあ・・そうだな」
 グストフ氏はごほんと咳払いをして足を組み直し煙草に火を点けた。
「ところが、あなたは書類を見た後、私の顔を見ずに、遠野さんを最初に見て叱りつけた」
 奥さまの口調に恭子さまも少し驚いているかのようだ。
 普段、私を叱りつけている時とは違う。
 そこからは何か、信念にようなものを読み取ることができる。
「グストフさんは、今回の不正の塊のような物を見せつけられ、私の顔をまともに見れなかったのですね?」
 グストフ氏は何か言おうとしたが言い淀み、その代わり煙草を続けて吸う。
「私だって、東京でグストフさんの悪い噂を耳にしなければ、ここまでのことはしませんでした・・おかしな言い方かもしれませんが、もっと上手にやって欲しかった・・今回のこと、私がどれだけ悲しい思いをしたか、あなたにわかりますか?」
 その後、小さな声で「こんなこと知らなければよかった・・」と呟いた。
 悲しい思い、それは夫、ヒルトマンさまの築いたものが「汚された」と感じたのではないだろうか?
「あなたは自分の手で、長田グループの名を汚していっているのですよ。それはグストフさん、あなたが望むことなのですか?」
「そんなわけはない。私も一端の事業者のつもりだ・・もうこのようなことは・・」
 そう言ってグストフ氏はまた言い淀む。
「今回の調査はこれでお終いにします。これ以上、ごたごたを起す気もありませんし、事件にまで発展させるつもりはありません」
 グストフ氏の顔にホッとしたような表情が浮かぶ。
「後日、お金の処理をお願いします。ここにある資料の数字は全てこのノートに記載しています」
 奥さまは私がまとめておいた別のノートをグストフ氏に手渡した。
 その後、奥さまは少し俯き、「グストフさん・・」と呟くと、こう言った。
「頼むから・・もうやめてちょうだい・・」
 グストフ氏は奥さまが何を言ったのかわからない、という風な顔だ。
 すると奥さまは顔を上げグストフ氏の顔を正面から見据えた。
「グストフさん、あの人が築き上げたものを汚すことだけは、今後一切、やめてちょうだいっ」
 あまりの大きな声に恭子さまの小さな肩が一瞬ぴくんと跳ねた。
「もし今後、このようなことがまたあれば、私は絶対にあなたを許しませんっ」
 私も驚き、グストフ氏も少し怯んだ様子だ。
 その後、グストフ氏は肩を落としてこう言った。
「多香子さん、私はね、兄であるヒルトマンにあまり信用されてはいなかったようだ」
 大きな息を吐きながらグストフ氏は話を続ける。
「多香子さんも知っているだろう?僕の意見が採用されないまま、兄の意向でよく事業の方針が決っていたことがあったのを」
「知っています。彼が生きていた頃のことですけど・・彼には彼の考えがあってのことだと、私は理解しています」
 奥さまのセリフの後、グストフ氏は何を思ったのか妙に落ち着きを取り戻したように肘掛けに両腕を置き足を組み直した。
「僕も兄に信用されていなかったけれど・・君だって・・」
 そう言った後、グストフ氏は、にやっと笑った。
「多香子さんだって、兄に・・ヒルトマンに愛されていなかったんだろう?」
 皮肉たっぷりのグストフ氏のセリフがここにいる全員の耳に届いた。
 それはおそらく恭子さまの耳にも・・
 奥さまの表情が固まったのを確認すると私は、
「グストフさまっ!」と思わずそう叫んでいた。
「グストフさま、言っていいことと、悪いことが・・」
 私の怒りだった。その言葉だけは奥さまに言ってはいけない。
 恭子さまにもお聞かせしてはいけない。
 けれど、
「遠野さん、いいのよ」
 奥さまが遮断するように右手をすっと上げ私を制した。
「でも、恭子さまは・・」
 恭子さまは退室させた方がいいのでは?と奥さまに言おうとしたが、
「恭子も、ここにいてちょうだい・・お願い・・」
 奥さまは恭子さまに優しく言った。
 その言葉を受け止めたのか、恭子さまはこくりと頷いた。
 グストフ氏の言葉で奥さまは傷ついていないのだろうか?
 そんなはずはない。
 奥さまは一番他人に言われたくないことを直接に面と向って言われたのだ。
「グストフさん、さっきもそうでしたが、どうやらあなたは、自分に関係のある話、都合の悪い話が出てくると、他の話にすげ替えるようですね」
 奥さまの言葉は的を射ている。
 さっきは奥さまの調査の怒りの矛先を私に向け、今は自分の信用の無さを奥さまの夫婦のことに話をすげ替えている。
「私が愛されていようが、いまいが、ヒルトマンがあなたを信用していようがいまいが、今回のあなたの不正の話とは一切関係ありません!」
 言い返せないでいるグストフ氏を見やりながら、奥さまは言葉をこう続けた。
「私は別にかまわない・・あの人が私を愛していなかったとしても・・」
 今まで難しい話が続き戸惑っていた恭子さまも奥さまの一言一言に耳を傾けている。
「私はあの人を愛していた・・その何がいけないの?」
 その顔は自分を卑下するどころか、なぜか自信に満ち溢れている。
「またあなたは、不正を働くかもしれません。今日、お話をして、私はそう確信しました」
 おそらくそうなのだろう。
「けれど、あなたが何をしようと、この会社は私が守ります。私があの人の築き上げたものを守り続けます」
 まるで宣戦布告のような言葉だった。この席においてはグストフ氏の完敗だ。
 もうこの先、グストフ氏は奥さまの信頼を受けることはないだろう。
 その時、私は奥さまのような人に仕えていることが私の誇りだ、とさえ思った。
「お母さま・・」
 それまで一切口を開かなかった恭子さまが小さな声で呟いた。
 ひょっとして奥さまは先ほどのグストフ氏の言葉「ヒルトマンに愛されていなかった」ということを恭子さまにお聞かせたしたかったのではないだろうか?

 グストフ氏が席を立った後、奥さまは、私と恭子さまの顔を交互に見つめ、
「遠野さん、恭子、いてくれてありがとう。二人がいなかったら、私、言いたいことの半分も言えなかったかもしれないわ」と微笑んだ。
 本当かしら?
 奥さまは自分で思っているよりも、ずっとお強いと思う。
 そして、おそらく、今日一番、傷ついたのは奥さまだ。
 よほど、疲れたのか、恭子さまのことを、「恭子」と本来はそう呼ぶべき言い方で本人に言っている。
 グストフ氏は邸宅に泊まらずに出ていった。
 奥さまにとっての本当の戦いはこれから始まるのかもしれない。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1367