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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第22回   長田多香子、神戸へ


 私の頭の中では色んな人の言葉が渦巻いている。
 ―静子さん・・お母さまに会いたいの、クリスマスまでに。
 恭子さまは電話口で私に言った。
 私は最初、それが実の母、由希子さまのことなのか、今の母親、多香子さまのことなのか、ピンと来なかった。
 けれど、今はわかる。
 恭子さまは前に進もうとしているのだ。
 そうでなければ、あの無口で大人しい恭子さまがそのようなことを言うはずがない。
 私に何かできること・・
 けれど、今は二人の間に私が入るべきではないのではないだろうか?
 奥さまの方はどうだろう?
 ―私はあの人、ヒルトマンのことが、まだ忘れられないの。
 東京の工藤さんから奥さまがそう漏らしたと聞いた。
 そして、奥さまはいつも寂しそうにしている、とも。
 ―遠野さん、多香ちゃんの結婚式の写真、見たことあるか?
 奥さまの元上司、町田さんはそう言い、
 ―教会での式でな・・多香ちゃん、それはもう綺麗やった。
 私の知らない奥さまの別の顔・・
 そうだ、奥さまの結婚式の写真がどこかにあるはず!
 そう思い立つと、恭子さまが学校に行っている間、朝からヒルトマンさまのお部屋の引き出しや戸棚を探したりした。
 やはり見つからない。
 それは当然だ。
 ヒルトマンさまは東京で亡くなり、神戸の邸宅では一度も過ごすことはなかったのだから。奥さまも東京の邸宅にはいたことはあるが、ここに住まわれたことはない。
 ここにあるヒルトマンさまのお部屋と由希子さまの部屋はある意味、部屋としてではなく模造として作られたものだ。
 それに荷物は東京から神戸にそのまま移して、それは全て私がチェックしているから、そんな大事な写真だったら、目にとまっていたはずだ。
 結婚式の写真はこの邸宅にはないのだろうか?
 諦めずに私は記憶を辿っていく。
 そうだ・・ヒルトマンさまはここに何度か来ている。
 神戸の邸宅の建築の際に、業者との打ち合わせで数回、神戸に足を運んでいるのだ。
 そして、ヒルトマンさまは東京の邸宅で最後の発作を起し病院に担ぎ込まれ、そのまま、帰らぬ人となった。
 あの時、東京のヒルトマンさまのお部屋の荷物はまとめてどこかにしまったはずだ。
 当然、それはヒルトマンさまの神戸のお部屋だ。
 一度調べたヒルトマンさまの何段もある事務机の引き出しをもう一度念入りにチェックする。一段目には色んな鍵の束や便箋、万年筆、書きかけの書類。
 それらは全て私がお部屋を移した際に私が入れたものだ。東京の事務机の中身をそのままを私が再現している。
 二段目にはヒルトマンさまの読みかけの本が数冊入っている。
 これらの本は書架の本とは別に二段目の引き出しに収納したものだ。
 本は全て書架に収納されているが、読みかけの本を書架に戻してしまうと天国のヒルトマンさまがお困りになるだろう、と思って私が引き出しに入れておいた。
 壁の書架には数十冊の経営に関する本、辞典類、日本語の勉強の本などが並んでいる。そのどれもが実務書ばかりだ。毎日使う書物ばかりだ。
 こうして改めて見るとヒルトマンさまは読書家だったわりに本の数が少ない気がする。文学書などは一冊も見当たらない。
 ・・はて?
 それにしてもなぜ、私はこれらの本を「読みかけ」と勝手に判断し、二段目の引き出しに入れたのだろう?
 何かが挟んであったから?
 挟むもの・・それは・・栞?
 もう一度、二段目の引き出しを開ける。
 私の予想通り、引き出しの中の本、5冊には全て何かが挟んである。
 他の3冊は本当に栞だったが、その内の2冊には封筒がそれぞれ栞代わりのように挟まれてあった。
 もしかして、写真が!
 思わず興奮しながら一冊目の本を開け封筒を見ると「遠野静子様」と書かれてあった。
 「これって、私宛ての手紙なの?」
 写真ではなかった。封を閉じられてはいない。急いで中身を確かめる。
 封筒の中にはその言葉通りに便箋に書かれた私宛ての手紙が二枚入っていた。他に何かの連絡先のような紙もある。
 少しがっかりしながらも、きれいに折り畳まれた便箋を開き、末尾の日付を見ると、それはヒルトマンさまが最後に病院に入院された日の前日だった。
 ヒルトマンさまはこれを書き終えた次の日、発作を起し、その大切なお体はそのまま病院に移された。
 これは私に渡すことができなかった手紙だ。
 私は静かに読み進めた。
 でも、これって、私宛てというよりも・・そう思いながら時間をかけて読んだ。
 ヒルトマンさまの手紙を読み終えると、
 もう一つの封筒の方には今度こそ写真が、と思いながら5冊目の本の間に挟まれたもう一つの封筒を手に取った。



「私の話し方、かたいですか?」
 会社の役員室に戻ると、あの子、恭子から電話があったと連絡が入ったとのメモ書きがあった。
 夕刻、神戸の邸宅に電話をかけると、恭子本人が電話口に出た。
「そうねえ・・そろそろ、『お母さま』とかは、やめた方がいいんじゃないかしら?」
「でも、お母さまの方も」
「えっ・・私?・・そうね、言われてみれば、私も『恭子さん』って呼んでいるわね」
「はい、そうです」
 長い間、二人の間に培われてきた距離はそう簡単に縮まるものではない。
 でも、その距離を作ってしまったのは恭子ではなく、この私だ。
「それで、恭子さん、何かあったの?」
「お母さま、智子の家にお世話になったの」
「ええ、遠野さんから聞いているわ・・恭子さんのお友達の、たしか、芦田・・智子さんのお宅よね?」
 遠野さんは商店街の近くの和菓子屋さんの娘さんだと言っていたわね。
「恭子さん、いいお友達ができたみたいね」
 返事が返ってこないが、頷いているのがわかる。
 私ね、あなたに友達がそれまで一人もいなかったことさえ知らなかったひどい母親なのよ。
「みんな、いい人なの・・ご両親も、智子のお兄さまも」
 四人家族なのね。恭子、本当によかったわね。
「イチゴ大福がおいしいの」
「イチゴ大福?・・そう言えば遠野さんも言っていたわね」
「三人で食べたの。智子を家に招待したのよ」
 今年の恭子の誕生日にクラスの子たちが大勢来たと聞いた。
 これは私の想像だが、恭子にとってクラスの大勢より、たった一人のかけがえのない友達の方がどれだけ嬉しかっただろう、と思う。
「私、神戸に行った時にでも、一度芦田さんのお宅にご挨拶にお伺いしようと思っているの」
「お母さま、こっちに来られるの?」
「ええ、行くわよ・・ちょっと、急に神戸の方に用事ができたの」
「仕事の用事?」
「仕事関係の・・そうね・・仕事じゃないかもしれない・・恭子さん、私ね・・」
 続けて言おうとしたが、恭子は話を続けた。
「お母さま、はやく、来て・・」
「はやく・・って?」
「お母さま、来週、来て・・」
「来週?」
 もうクリスマス・・一応、それくらいには行く段取りにはなってはいるけど。
「クリスマス・イブに写真撮影があるの」
 遠野さんが言っていた和菓子店のピーアール写真のことなのね。でも私には関係はないはず。全部、遠野さんに任せてある。
 私には関係ない・・
 でも、どうして、そう思ってしまうのだろう。
 娘が映る写真、それも娘の顔が町の大勢の人たちの目に触れる写真ではないか。
「恭子さん、わかったわ、行くようにするわ」



「思い切って、短くしてちょうだい」
 神戸に行く前日、私は美容院に寄った。
 目を閉じ美容師の手に身を任せていると、同じように髪を短く切ったあの日を思い出す。
 あれは東京のヒルトマンの邸宅を初めて訪れ、長田商事の営業課長に就任する日の前日だった。
「ねえねえ、多香子、結婚するんだって?」
 大学の同期の佳子と隣の席に居合わせた。
 当然ながら、私がヒルトマンと結婚することは地元は元より、高校から大学までの友人たちは皆知っている。
「う、うん・・佳子、知ってたんだ」
「そんなの、もうみんな知ってるわよ。私の場合は真紀から聞いたけど」
「真紀はもう子供が出来たんだってね」
 大学の同期の中では私が一番行き遅れ組だ。同期の中には子供が出来た子も大勢いる。
「でもさあ、一番結婚が遅かった多香子が結果的に一番いい『くじ』を引いちゃったわね」
 くじ?・・結婚って「くじ」と同じレベルのものなの? 彼女たちにとっては軽いのね。
 けれど、私は彼女たちとは違う。
「でも、結構、大変なのよ」
「大変って・・多香子、専業主婦になるんじゃないの?」
 私は首を振ろうとしたが美容院に頭を押えられた。
「羨ましいなあ・・玉の輿・・」
 玉の輿だって?
 けれど、隣の佳子の不躾な言葉が今はそれほど不快ではない。
「彼の会社に入ることにしたの」
 私が長田商事の営業課長に就くことを言うと、「いいなあ、最初から課長かあ・・」と佳子はまた羨ましげな声を漏らした。
 専業主婦にしろ、就職にしろ、どちらにしても彼女にとって私は羨望の的らしい。
「でも、わたしだったら、専業主婦の方だなあ」
 そう、彼女たちは選べる。
 いや、私だって選べたはずだ。彼の申し出を断る方法もあった。
 そう、私は選択することができたはずだ。
「働きたくない」とわがままを言えば、あの人なら許してくれたかもしれない。
 しかし、私は彼のビジネスの片腕になる道を選んだ。
 私はその時、ヒルトマンの邸宅で、ドアの陰に隠れていた少女のことを思い出していた。
 ・・あの子は何も選べない・・のね。
 父の再婚で私という新しい母親が与えられただけだ。


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