20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第2回   長田恭子


 智子の新しい友達、俺にとってはまた年下の女の子である「長田恭子」に出会ったのは、季節が真冬を迎えようとしていた頃のことだった。
 俺はいつものようにクラブ活動を終えて帰ると、また母ちゃんに怒られると思いながら店のドアをガラガラと開けた。
 ところが今日は母ちゃんの怒鳴る第一声は聞こえてこなかった。お客達も俺の方を見ていない。
 みんな喫茶室のテーブルの方を、智子の座っているテーブルの方を・・そっちを見ていた。いや、智子の向かい、壁側に座っている一人の女の子を見ていたと言う方が正しい。
 その女の子の髪は僕ら日本人のように黒くなかった。
 どう見ても西洋人とわかる金色の長い髪、白い肌、そして吸い込まれそうな深く青い瞳。
 ピカピカの黒い小さな靴に清楚で上品な洋服。
 辺りの空気が澄んで見える気がするほど美しい女の子だった。

「あ・・お兄ちゃん、お帰り!」
 智子が振り返った。大きな大福を手にしている。
「あ、ああ・・ただいま・・」
 妹に「ただいま」なんて言ったのは何年ぶりだろう。妹の方もそうだろう。
 それくらい俺は言葉を失っていた。
 普段なら「ブスが大福を食ってるぞ!」とでも言うところだ。
 智子の声にその西洋人の女の子が顔を上げ俺の方を見た。
 誰かに見られて体が動かなくなる・・それを俺は初めて経験した。

 それで、智子、その子、誰なんや?
 心の中で俺は智子に問いかけた。
 智子は俺の心の声に気づいたように席に座ったまま首だけをこちらに向け話しだした。
「お兄ちゃん、私、前に言ったでしょ。友達を連れてくるって。こちら、キョウコちゃんだよ。ナガタキョウコちゃん、前にもお店に来てるんだけどね。前はキョウコちゃんと初めてお友達になったばかりの日であんまりゆっくりもできなかったから、今日はこうやって初めてゆっくりしてるんだよ。それにね、今日、来た目的の一つはね。キョウコちゃんがお兄ちゃんに挨拶することなんだよ。キョウコちゃん、お兄ちゃんに一度ご挨拶したいって言ってたから」
 智子はまくし立てるようにしゃべっているが話が全く頭に入ってこない。
 智子、お前、何を言ってるんだ? よくわからないぞ。
 それにこの前、「お兄ちゃんは部屋に引っ込んでいて」って言ってたよな。
 俺、このまま部屋に引っ込んだ方がいいのか?・・それも声に出ていない。
 そう思った瞬間、その子は立ち上がった。
 静かな身のこなしだった。コツコツと響く靴の音だけが聞こえた。まともに顔を見ることができない。
 彼女の足元・・真っ白なソックス、左右の長さがきっちりと揃っている。
 靴下って、こんなに綺麗なものなんだ。俺のどろどろに汚れたのとは大違いだ。
 彼女はスッと俺の前まで歩み出てくるとペコリと頭を下げた。
 そして、頭を上げると「はじめまして、お兄さま」と言い、
 髪をかき分け「長田恭子といいます」と続けて言った。
 今、確かに俺のことを「お兄さま」って言ったよな?
 そんな言われ方をされたのは生まれて初めてだ。
 こんなにも人を熱くさせる言葉が世の中にあったのか?
 おい、智子、「お兄さま」だぞ!おまえの「お兄ちゃん」と響きがぜんぜん違うぞ!
 俺はしばらく店のど真ん中に立ち尽くしていた気がする。
 他のお客たちも母ちゃんも俺の視野に入っていない。
 そして、こうしてじっと突っ立っているとよくわかる。
 俺はひどく汗臭い・・
「お、俺は・・」
 俺が口ごもっていると長田恭子の口から俺の名前が出た。
「友也さんですね」
 前もって智子が教えていたのだろうか?
 その時、俺は「はい、そうです」と言ってしまった気がする。智子がこっちを見て笑っている。母ちゃんも笑ったぞ!
 何て情けない。俺、もう中二だぞ。
「いつも妹さんにはお世話になっています」
 妹?・・ああ、智子のことか・・
 彼女の口から妹のことが出てきても俺の妹のことだとすぐに理解できなかった。
 智子、こんな子・・外国人さんだったら、先に言っといてくれよ!
 え? ちょっと待てよ
 長田恭子?・・
「長田」って・・あの「長田家」のことか!
 長田家はこの町の大金持ちの西洋人の一家だ。確か誰かがドイツ人と言っていたぞ。
 思い出した、親父だ!
 親父は長田家に和菓子の配達に行ったことがあると言っていた。
 特に興味もない俺はその時は話を聞き流していた。

 長田家は去年の秋、この町に越してきた。
 どんな家族なのかは知らないが、とにかく一時は町の噂になった。
 ―大金持ちの西洋人一家がこの町にやってきた・・
 童話みたいな子供っぽい言葉だが町の人にとっては重要な言葉だ。
 この通りの人なら誰でも知っている。
「この通りの人」というのは商売をやっている人ならという意味だ。
 いや、町の人、全員が知っているのではないだろうか?
 中学校のクラスの奴らでも知っていたぞ。
 しかも、その家の場所を俺は知ってる。いや、家なんてものじゃない・・あれは城だ。
 時々、一人で町の中をランニングするコースに町の東側の天井川方面を選ぶとその前を走ることがある。
 家の塀づたいの道を走って通り過ぎるまでに結構時間がかかる。それくらい大きな邸宅だ。大きな門の脇の支柱に「NAGATA」と書いてあったから絶対にあの家がそうだ。
 中に住んでいる人は見たことがない。
 彼女があの家の娘さんなのか?
 それしか考えられない。
 それより、今、俺のとる行動は何だ?
 智子と一緒にテーブル席に座ればいいのか? どっちに座ればいい? 智子の隣か?
 おい、智子、助けてくれ!
 俺は智子に助け舟を出して欲しくて智子の方を見る。
 俺は愕然とした。
 あろうことか、智子はもうテーブル席の壁の方を向いて大福を食べている。
 智子、お兄ちゃんを助けてくれよ!
 俺、お前の言うとおり汗臭いんだ。恥ずかしいんだよ。
 そんな声は妹に聞こえるはずもない。やはり俺は自分の部屋に引っ込めばいいのか。
 汗が引いて体が冷えだすのを感じた。俺は長田恭子の前に突っ立ったまま頭を掻いた。
「智子のこと、よろしく」
 小さな情けない声で何とかそれだけを口にした。
 彼女は「はい、お兄さま」と言って微笑んだ。
 それは彼女の笑顔が俺の心に焼き付いた瞬間だった。
 俺はそれだけを言うとその場を去り部屋に引っ込んでしまった。
 ごろんと部屋の真ん中に横になって天井を見上げる。どうも落ち着かないので勉強机に向う。
 壁のポスターのアイドルの女の子がこっちを見て笑っていた。俺のことをバカにしているように見える。
「俺はお前なんか全然興味がない!」
 俺はポスターの年上の女の子に言った。
 やはり俺は年下好きだ。
 いや、違う・・俺は年下の女の子に弱い。
 俺は窓を開け外を見た。絡み合う電線の上には鳥はとまっていなくて、その向こうの青い空にさっき見た女の子の顔が浮かんでいた。



 何かの当てがあるわけでもなく俺はランニングのコースに町の東側の天井川方面を自然と選んでいた。
 あの大きな邸宅、城のような長田邸の前を改めて通りたかったのかもしれない。
 いや、今の俺には理由はそれしかない。
 家の前を通って何がどうなるわけでもない。
 ただ、長田恭子と妹が友達になったというのがどう考えても不自然な気がしたからだ。
 あとで智子に長田恭子は西洋人ではなくドイツ人と日本人との混血だと教えてもらった。
 その話もそうだが、問題はその家だ。
 それは他の家と違ってあまりにも・・
 天井川の土手を北に向って走ると家並みの様子が変わり戸建の大きな家ばかりが立ち並んでいる。
 俺の家の周辺は店ばかりのせいか、庭のある家なんてほんの僅かだけれど、この辺りの家には全て大きな庭がある。
 俺の家にも裏側に庭があるが畳四畳ほどの小さな庭で、水遣りもバケツでばしゃっと一回撒いてしまえば終わりだ。
 だが、ここにある庭は格が違う。
 ある庭には松の木、桜の木がたくさん植え込まれていたり、巨大な石が置かれていたりする。こんな大きな石をどうやってここまで運んできたのだろう?
 一部の家には小さなプールがあったり、鯉でも泳いでそうな池もあったりもする。
 庭と言うよりも庭園だな、これは・・
 そんな中でも一際大きな邸宅が今から走り抜けようとする「長田邸」だ。
 長い塀伝いに走る。どこが長田邸の端だったのかわからないまま走る。胸も自然と高鳴る。
 この邸宅が出来る前はここはどんな土地だったのか記憶を巡らせた。
 ここにはかなり古い日本式の家屋が何軒かあったのではないだろうか?
 その家々には手入れのされていないだだっ広い庭があったと記憶している。
 それら全ての家がいつのまにか消失し、新たにこの場所に長田邸が誕生した。
 長田邸の誕生でこの辺りの土地の風格が上がったように思える。
 向こうから来る犬の散歩のおばさんと目が合う。
 俺は別に怪しい男じゃない、そう意識してしまうのはわざわざここを走っているせいなのだろう。今までここを何度走っても何とも思わなかったのに。
 そう思っていると俺の脇を大きな黒い車が大きなエンジン音をたて走り抜けていった。
 日本車ではないと一目でわかるエンブレムが付いている。
 車が長田邸の門の辺りに着くと運転席から女性が出てきた。
 髪が長く、パリっとした黒いパンツスーツを着こなしている背の高い女性だ。
 長田恭子の母親だろうか?
 それにしては若い気がする。どう見ても30歳もいっていないだろう。
 門の脇には自動車専用の入り口があるらしく女の人はガレージの開閉のスイッチを押しているように見えた。
 俺が門の前を通る頃には車は大邸宅の敷地内に入ってしまっていた。
 大きなエンジン音が次第に小さくなっていくのが聞こえた。
 門の横が車庫になっているわけではなく敷地の中の庭を通り抜けて車庫に向っているみたいだ。
 車庫までの距離が家の中とは思えないほど間があることがわかる。
 門からは邸宅に向う小道が伸びていてその先が見えない。
 エンジン音が完全に聞こえなくなったのを確認すると俺はここで何をしているのだろうと改めて思った。
 そうだ・・長田恭子と智子とは住む世界が違いすぎる。
 人には「分相応」という言葉がある。ことあるごとに親父が言っている言葉だ。
「分相応」でないこと・・それは・・
 例えば、あくまでも例えば、だ。
 俺がクラスの委員長の神園純子とつき合ったりすることだ。
 あいつの家は金持ちらしいし、品もいい、頭もよく成績もいつもクラス一番だ。
 それに比べて俺は成績はそこそこだが、サッカーのことしか頭にない男だ。
 特に何かができるわけではないし、品も決して良くない・・と思う。
 俺の頭の中は汗だけなのではないだろうか。
 おそらく神園と俺とは人としての遺伝子が全く違うのだと思う。
 神園は将来、偉い人と結婚して長田邸とは言わないまでも立派な家で幸せを築き上げるのだろう。
 俺は・・
 このままいけば俺は親父の跡を継いで和菓子屋「芦田堂」の主人になる。
 俺と誰かの間に出来る子供もいずれは和菓子屋の主人になるのだろうか?
 そんな風に考えると俺と神園との間には何らの接点も見出せない。
 俺は黙って自分の運命に従っていればいい。
 それが親父の言う「分相応」という言葉だ。
 ちくしょうっ、親父の言葉のせいでよけいな事を考えてしまった。
 大体、いくら仮定でもあのクソ生意気な神園との接点を見出そうとするなんて。
 気がつくと長田邸の塀はとっくに過ぎていて山の方にまで足を伸ばしていた。
 天井川の上流の山、十文字山には神社があり、そこから町の景色がよく見える。
 こうやって町を眺めていれば一括りにまとまっていて人の身分の相違などないように見えるのに、下に降りていけばみんなバラバラになってしまう。
 きっとそれはどうしょうもないことに違いない。
 だから、長田恭子が俺の家のような場所に現れたことは俺にとってひどく不自然なことなのだ。
 そもそも、どういった経緯で智子は長田恭子と友達になったのだろう?
 次の日、智子に理由を訊いてみた。
「お前、あんな外人の娘さんと、どうやって、そ、その、お近づきになったんや」
 いつものテレビの青春ドラマを見終えるとそう切り出した。
「お兄ちゃん、『お近づき』と違うよ、友達よ!」
 今、俺の言葉、訂正されたぞ。ちくしょうっ、妹の分際で。
「そやから、何で友達になったんや」
 少し不機嫌口調になって再び問う。
「えへへ、お兄ちゃん、理由はちょっと複雑なんだよ」
 智子は少し照れるようにして笑った。
「複雑って、どういうことや?」
 俺を誤魔化す気か?
「お兄ちゃん、私もね、恭子ちゃんもね、色々あるんだよ」
 俺は妹がそれ以上語らりたがらないのがわかった。
「複雑」「色々」・・
 何だか妹が少し大人びて見えるのは気のせいか?
 俺には「複雑」も「色々」もないぞ。
 俺は生まれてからずっとこの場所で育ち、ひたすら遊び、学校に行き、面倒も起さず大きな病気もすることなく成長した。
 だが妹の言うような「色々」なんて俺にはない。人に言えないような隠し事もない。
 隠し事はせいぜい俺が年下好きだということくらいで・・
「お兄ちゃん、私、恭子ちゃんのことを外人の娘さんなんて考えたこともないよ」
 智子は俺の考えていることがわかるかのようにそう言って丸い顔に微笑みを浮かべた。
 なぜか、ドキッとした。
 この前まで俺が考えていたことがひっくり返されたような気がした。
 何が「分相応」だ!
 智子はそんなことを考えずに生きている。
 俺は何だか今まで自分の考えていたことが恥ずかしくなった。
 そしていつのまにか少し大人になった智子を感じた。
 お前、偉いな・・
 でも俺はふと思った。
 けど、智子、おまえは、それでいいのか?・・


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1146