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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第18回   長田多香子の怒り


「田辺君、ちょっといい?」
 営業二課の田辺は慌てて椅子をガタンと音を立てながら立ち上がった。
「は、はい、専務・・何か?」
 田辺は男前を絵に描いたような男だ。
 そしてそのことを自分でよくわかっていて顔を作っているのがわかる。
 なぜ、私がこんなことをするのかわからない。
 私は専務という立場の人間から、突然、声をかけられ戸惑っている末端の社員に少し探りを入れなければならない。
 そうしなければならない理由は遠野さんが言った言葉があるからだ。
 ―私にはどうしても、工藤さんが、近くご結婚されるようには見えないのです。
 工藤さんが来年、4月に田辺と結婚するというお目出度い話、直接、私とは何の関係もない話。
 工藤さんとは仲がいいが、あくまでも上司と部下の関係。
 彼女のために大それたことを引き受けるつもりもない。
 ただ、遠野さんの勘とやらが正しく、私の邪推も当たっていれば、放ってはおけない。
 勘と邪推以外にも、営業二課の上の社員たちと呑みに行った時、
「工藤さん、田辺に遊ばれてるんじゃないかな・・」
 という話も聞こえてきた。『遊び』という言葉がどの程度のものを指すのかは私にはわからない。
「彼女、結婚するんじゃないの?」
「えっ、専務、工藤さんにそんな話があるんですか?」
 噂をする男たちに追求する気はない。
 それはすぐにわかる。本人に聞けばすぐにわかる。
「専務、僕、何かミスを?」
「そうね・・田辺君の上げた稟議書に誤字が多かったこと、工藤さんから聞いた?」
「えっ・・誤字・・工藤さんから?」
 聞いてないのね・・まず、これは予想通りだ。
 工藤さん、あなたはいい人みたいだけど、男の人に対しては、てんでダメみたいね。
 工藤さんは田辺君に注意してなかった・・できないのね。
 それでは、この男も伸びていかないわよ。
 そして、これから伸びていく男なのかどうかは、私なりにチェックしてあげるわ。
 他の社員も何事だろう、と私たちを見ている。離れてはいるが工藤さんも見ている。
 私は人目をはばかって田辺を一階の喫茶室に呼んだ。
「田辺君、4月に工藤さんと結婚するんだってね・・おめでとう」
 喫茶室のテーブルにつくなり向かいの田辺に言った。
「何のことですか?」
 田辺は簡潔明瞭な私の言葉に戸惑いを覚えている。
 まだウエイトレスが注文を訊きに来ていない。
「するんじゃないの?」
「しませんよ」
 あっけない返事だ。
 はあっ、と私は大きな溜息を洩らした。
 ウエイトレスが注文を訊きに来て会話が中断する。
 珈琲を注文した後、私が煙草に火を点けたのに合わせて田辺も煙草に火を点け大きく足を組んだ。
 礼儀もなっていない。今度、田辺の上司を呼びつけよう。
「彼女、たぶん、あのことを言っているんだと思います」
 田辺は煙草をすぱすぱと吸いながら話をし始めた。
「あのこと?」
「何度か、彼女とは食事に行ったりはしたんです」
 それだけ? それはデート?それとも単なる食事?
 それでどうして結婚話になるの?
「専務っ!」
 そこへ息を切らしながら喫茶室に現れたのは工藤さんだ。
 工藤さんは私が田辺を喫茶室に誘ったところを見ていたのだろう。
「専務、ごめんなさい、私が悪いんです」
 深く首を垂れて謝る。
「ルミちゃん・・あなた・・」
 私は工藤さんを田辺の横に座らせると「話が全く見えないわ」と言った。
「私、個人的に男の人と食事をしたの、初めてのことだったんです」
 私も田辺も工藤さんの話を聞く姿勢となった。
「その相手が・・その、田辺君で・・」
 田辺が少し眉間に皺を寄せイヤな顔をする。
「その後も、何度か誘われて、私、それで少し、舞い上がっちゃってて・・その、私、適齢期も済んでるし」
 ルミちゃん、まだ十分若いわよ。
「困るなあ、工藤さん」
 田辺が間に挟む。
「ちょっと、田辺君、あなたは黙ってて」
 私が一喝すると、しゅんとして「僕、いない方がいいですかあ?」と言い出すので「そこに座ってなさい」と答えた。
「私、心が先走っちゃっていたんですね」
 工藤さんはかまわず続ける。
 ウエイトレスが注文を訊きに来たので私が「何か、頼みなさい」と言うと彼女はオレンジジュースを頼んだ。
「周りの人に結婚するって、言ってしまえば、私、勢いづいちゃうかな、って思って」
「ルミちゃん、気が早過ぎるわよ・・まさか・・ご両親にも・・」
「そのまさかです・・」
 工藤さんは田辺の横でうなだれている。
 田辺は田辺で口を封じられて拗ねたかのように煙草を吸い続けている。
「ルミちゃん、プロポーズっていうのは?・・田辺君からしたっていうの・・あれ、嘘?」
 工藤さんは更にうなだれ「あれ、私からです」と答えた。
「結婚して退職するっていうのは?」
「専務にだけ・・」
 私の口からまた大きな溜息が洩れる。
 あんなにしっかりしているように思えた工藤さんが・・何てことなの・・
 これではまるで・・その辺の10代の若い女の子と同じじゃない。
「田辺君には結婚とか考えたこともない、って言われました」
 でしょうね・・
「ほら、専務、聞いたでしょう、僕は悪くないですよね?」
 また間に挟む。
 確かに田辺は悪くない。
 どちらかというと悪いのは工藤さんの方だ。
 だが・・今は・・
「何回かちょっと誘っただけで、本気になられて、迷惑だったんですよ・・それで少し、距離を置いていたんですよ・・けれど、誘わなくなると工藤さんに呼び出されて・・」
 ああ、もういい・・その先は言わなくてもわかる。
 私が制すると田辺は足を組み直し、数本目の煙草に火をつけた。
 工藤さんは運ばれてきたジュースに手をつけず、両手を膝の上に置いてうなだれている。
 その手がビクビクと痙攣している。
「専務に知られちゃったけど・・僕、大丈夫ですよね?」
「何が大丈夫なの?」
「こんなことで、俺、出世できなくなったら、田舎の両親に何て言ったらいいか」
「僕」から「俺」になってるわよ。
 それに、『こんなこと』って何? 田辺の言う『出世』って何?
「田辺君にも、何か下心とか、あったんでしょう?」
 私が訊くと「ない、ないですよ」と手を大きく振って「ただの暇つぶしっていうか」と言い、続けて工藤さんの方を見て「工藤さん、困るなあ、泣かれても、これでは僕が悪者みたいじゃないですか・・ねえ、専務」と私の同意を求めた。
 工藤さんはうなだれたまま膝のスカートの上に涙をこぼしていた。
「それとも専務は女だから、泣いている女の味方ですか?」
「田辺君、それ、どういうこと?」
 私は大きく煙草の煙を吐いた。今日ほど、煙草が不味いと感じたことはない。
「その気もないのに誘った田辺君も悪いのよ、その辺のこと、わかってる?」
 私は煙草を灰皿でぐいぐいと押し潰した。
「僕が悪い?」
「田辺君、ある程度、工藤さんが好意を寄せていることくらい気づいていたんじゃないの?」
 私は口調を荒げて言った。
「だって、それくらいのこと、他の奴らだって、やってますよ・・それをたまたま専務にに知られただけで、こんな目に合うなんて、俺って、損だなあ」
 田辺は足をまた組み直し、靴の先がテーブルにゴツンと当たり、コップが揺れた。
 それに合わせて工藤さんの体がビクンと反応する。
「工藤さんのことは、さておいて、田辺君、気づいていた?」
「はあ、何がですか?」ととぼけ顔。
「さっき出世とか言ってたけど、田辺君、出世できるって思っているの?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、専務っ、どうしてっ」と言い田辺は隣の工藤さんを指し「これのせいですか?」と言った。「これ」・・と。
「まず、敬語はダメなことはもちろん、その変な言葉使い・・それに田辺君、気づいてた?時々、僕から俺に変わっているわよ・・それに、上司の前での汚い煙草の吸い方、その横柄な足の組み方っ、社会人として全然なっていないわ!」
「専務、ちょっと待ってください! 言葉使いなら直しますよ!」
 そう言って田辺は組んでいた足を前で揃えた。
 もう遅いわよ。
「そして、女性に対しての思いやりのなさ・・」と私が言うと、
「ほら、やっぱり女性の味方だ!」
 田辺はバカみたいにまた強気に出て勝ち誇ったような顔をする。
「お黙りなさいっ、田辺っ!」
 私は大声で田辺を一喝した。
 近くを通ったウエイトレスまでコップを落としそうになる。
 それ以上に驚いたのか、工藤さんが俯いていた顔を上げ目を丸くしている。
「あなた、社会人としてもダメなことはもちろん、男としてもダメなことに気づいていないの?」
「専務、さっきから聞いていたら、僕が全部、悪いみたいじゃないですか、悪いのはこの女ですよ・・専務は間違ってますよ・・本当、専務はひどい人だなあ」
 私が間違っている?
 ああ、そうかもしれない。はたから見れば工藤さんの味方をしているのかもしれない。
 けれど私は感情的に目の前の田辺というひどい男に腹が立っている。
 こんな男がこの会社に他にも大勢いるというのだろうか?
 工藤さんと親しくなっていなければ、私は気づくことはなかった。
 ある意味、この田辺は損をしたのかもしれない。
 私は田辺がするように大きく足を組み替えた。新しい煙草に火をつけ、ウエイトレスに水を頼んだ。
 ウエイトレスは3人のコップに水を丁寧に注いでいく。
「うるさいわね・・田辺・・」
 私は静かにそう言ってコップを手にした。
「今度は僕を呼び捨てですかあ?・・」
 田辺の言葉を聞き終わらないうちにコップの水を田辺に浴びせた。
 煙草の先がジュっと音をたて火が消え、田辺の顔がシャワーでも浴びたように濡れた。
「ちょっ・・専務・・何を・・」
 あんぐりして口を開けている田辺の顔を見ると私は、
「もういいわ・・上に戻りなさい」と言った。
 顔を手で拭きながら「まだ話が・・」と田辺が口をモゴモゴさせ何か言おうとしている。
「戻りなさいと、言ってるでしょっ!」
 私はさっきより大きな声で一喝した。
 納得いかない、という顔で田辺は立ち上がり喫茶室を出た。

 テーブルに工藤さんと二人きりになった。
 彼女は田辺とのやり取りが始まってからは最後まで何も言わなかった。
 そして数分、時間が経過して、工藤さんは手をつけていなかったジュースを飲みだした。
「専務・・ごめんなさい」
 何がごめんなさいなのか、もうわからない。
「私、バカですね・・田辺君に、あんな風に思われていたなんて」
「男がみんな、ああだとは限らないわよ」
「ええ・・そうだといいですけど・・ちょっとしばらく男性不信になりそうです」と言って工藤さんは微笑んだ。
 もうこれからは、大丈夫そう・・かな?
「専務、でも、すごく楽しかったんです」
 でしょうね。あの男が、女の子と二人きりなら別の顔で接しているでしょうから。
「それより、ルミちゃん、たぶん、これから会社に居づらくなるわよ」
「そうですね・・私、消え入ってしまいたいです・・」
「田辺君、これかから大忙しで、ルミちゃんの悪口や、私の今日のことを会社中に言い触れ回ると思うわ」
 工藤さんは「これから大変です」と笑みをまた浮かべた。
「それと、ルミちゃんには悪いけど、あとで人事部の部長の所に行って、田辺君の人事考課、思いっきり下げさせてもらうけど、いい?」と工藤さんに訊いた。
「そう・・ですよね・・私はともかく、専務にあの口の聞き方はないと思います」
「彼の言う『出世』とかいうものを自分で壊してしまっていることに彼は気づいていないのね」
「私も彼に声をかけられてバカみたいに喜んだりして・・本当にダメな女ですけど、田辺君も私と同じようにダメです」
 それはちょっと違うと思うわ。
「ルミちゃん、私と一緒に神戸に来る?」
 そう言って私も工藤さんに笑みを返した。
「えっ・・神戸?」
 何のことかわからないようだ。
「私、近く、神戸の長田商事の常勤役員になろうと思っているの」
「そ、そうなんですか?」
「これも会社のためなの・・私だって、住み慣れた東京にこのままずっといたいのよ・・でも、ずっと考えていたんだけど、神戸に移って、心機一転してみようかなって・・最近、そう思うようになったのよ」
 工藤さんは「専務がいなくなったら、私、寂しいです」と言った後、「でも、すごいですね、専務は・・」と言った、
「何がすごいの?」
「ずっと前だけを見ていらしゃって」
 私が前だけを?
 私、一体、何を見ているのだろう?
 工藤さんの目には、私のどんな姿が映っているのだろう?
 私の再度「一緒に行かない?」という誘いに工藤さんは首を横に振った。
「ダメです。私は東京でもダメでしたから・・今、神戸に行ってもダメだと思います・・私、もう少し、ここで一踏ん張りします・・」
「そう・・残念だけど、その方がいいかもしれないわね・・でも、ルミちゃん、何度も言うようだけど、大丈夫? 田辺君と同じ課だけど、人事部に言って変えてもらいましょうか?」
 色んな噂も立てられるし、あの男に辛くあたられるかもしれない。
 けれど、私の不安をよそに工藤さんは首を振った。
「平気です・・私、もっと強くなります・・それでもダメだったら、多香子さんのところに駆け込みます」
 私のことを「多香子さん」と呼んで工藤さんはまた笑った。


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