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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第16回   夫婦


 ネックレスの留め金の修理を頼んでおいたデパートの宝飾店売り場から電話があった。
「長田さま、申し訳ありません。預かっていたネックレスの留め金のところですが、仕入先から『舶来製なので留め金が特殊な構造になっていて、修理ができない』との連絡がありまして、・・」
「他の店に頼んでもダメかしら?」
「おそらく・・」
 答えに窮したような声が受話器の向こうから届く。あきらめた方がよさそうだ。
「けれど、留め金の部分を代用品に変えれば、ご使用はできるかと」
「考えてみるわ」
 店員は「申し訳ありません」と何度も謝ったあと電話を切った。
 受話器がツーッ、ツーッと無機質な音を繰り返す。私は静かに受話器を戻した。
 あれは私にとって結構大事な品物だ。留め金もちゃんと直したい・・
 ―きっとこれも何かの罰ね・・私はそう呟いた。

 今頃、遠野さんは神戸に向う新幹線の中だ。
 神戸には久しく行っていない。
 グストフ氏は何度も行っているようだが、邸宅によることはまれのようだ。
 時折、神戸の邸宅が何のためにあるのか、わからなくなる。
 お得意様を招いて開かれるパーティ、神戸の会社の社員との懇親会、あの大きな邸宅がその意味をなすのは一年のうち数回だ。
 それでもあの大きな屋敷を長田グループが持っていることは意味が大きい。
 問題はなぜ神戸なのかだ。大きな屋敷なら東京でもよかったはずだ。

「僕はね、神戸の町が好きなんだ」
 あれは神戸に向う新幹線の中だった。窓際に座るヒルトマンはそう小さく言った。
 恭子が小学一年生の頃のことだ。
 あの頃は遠野さんはまだいなくて島本さんという年配の家政婦がいた。
「私も好きです」とその時、ヒルトマンに答えた気がする。
 その頃のヒルトマンは既に持病を患ってはいたが、仕事は支障なくこなしていた。
「まだ先の話だが、東京の家を神戸に移そうと思う」
 突拍子もない話だった。いくら好きだからといってわざわざ引っ越してまで・・
「東京はどうされるの?」
「処分する・・それに、仕事はどの道、東京と神戸の往復なんだ。そんなに問題もない」
 往復と言っても今のところ、東京にいる時間の方がはるかに多い。
 だがヒルトマンは「そのうち、神戸の方が事業は伸びていくはずだ」と言った。
 その青い瞳の向こうに何があるのか私にはわからない。
「それに恭子も神戸の方が伸び伸び過ごせると思う」
 そうね、東京のゴミゴミした喧あの子の喧騒は心の育成にもよくないと思う・・
 でも・・私は?・・
「ついてきてくれるだろう?」
 ヒルトマンが私を見た。少し不安げな表情、私がどう答を出すのかと思っているのだろう。
「え、ええ・・」
 私は頷いた。
 ええ、ついていきます。
 私は仕事以外のプライベートであなたに反対意見など言ったことはありませんもの。
「君なら、そう言ってくれると思っていたよ」
 そう言った彼の顔はどこか安心した穏やかな表情になっていた。
 けれど、相変わらず何を考えているのかわからない。
 私は、あなたの穏やかな顔、あなたが安心なさっている顔が見れるのなら・・
 彼はその後、こう言った。
「神戸の家の庭は・・そうだな・・日本らしいものにしたいな」
 私を見ていた彼の顔は既に窓に映りゆく景色の方に戻っていた。
 そして、前方を見ながら「桜の木を庭に・・」と続けて言った。
 愕然とした。私の脳裏を見合いの時の彼の姿が過ぎった。
 やはり、そうなのね。
 あなたはまだお忘れになっていないのね。

 その後、ある事実を知ることになり、私はもう一度、愕然とした。
 神戸には・・それも新しく邸宅を構える地のすぐ近くに、ヒルトマンの前妻の実家があったのだ。
 そして、まるで前妻をいつでも迎えられる用意があるかのように邸宅の二階には前妻、由希子さんの部屋がそのまま移されていた。
 私にはショックなことばかりだった・・
 ・・そんな出来事から長い時間が過ぎた。

 でもね、あなた、私は、最近、こう思うの・・
 私は罰を受けているんだ・・って。
 ネックレスがどうとかは、ほんの些細なこと。
 あなた・・私ね、気がついたら私の周りには誰もいないのよ。
 確かに仕事には邁進を続けて、それなりに評価も得たわ。
 でもね、生きることって、それだけじゃダメなんだって、気がつきはじめたの。
 遅いでしょ?
 私は今まで何も努力しなかったと思う。
 あなたの心が見え隠れする度に、それに翻弄されていただけ。
 翻弄されたことで、他の人、何の罪もない恭子や、遠野さんに辛く当たっていた。
 ・・罰は受けて当然よね。
 ねえ、あなた、今、私は努力を怠ってきたことで罰を受け続けているの。
 あなたが私を見ようとしなかったのではなくて、
 私があなたを見ようとしなかったの。
 私の周りに誰もいないのは、きっと、その努力をしなかった私に神様が与えた罰だと思うの。


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