20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第15回   長田多香子の過去


「新幹線のおねえちゃんやないか!」
 大きな声がロビーに響き渡った。
 日曜日、オフィスビルのロビーには守衛さんと、その男の人しかいなかった。
 私を見つけた小太りの中年男は大きく手を振った。
 新幹線?・・あっ・・新幹線の中で隣に乗り合わせた・・あの男だ。
 あの人が奥さまの言っていた町田さん?
「わしやっ・・わしが町田や!」
 やっぱり・・町田さんは満面の笑みを湛えながら向ってきて手を差し出した。
 私は合わせて町田さんと握手をする。少しべたべたとする。併せて名刺交換もした。
 町田鉄男・・長田グループの系列会社、長田コンサルティング鰍フ相談役という肩書きだ。このような内密の行動を供にさせるのだから、奥さまが信頼を置いている人物なのだろう。
「ここで会うのも偶然やないような気がするなあ・・あの時は、わしは神戸から東京に戻るところやったんや」
 冬だというのに町田さんは額の汗をハンカチで何度も拭いている。
 私は一礼して「すみません、本当にこのようなことで、ご一緒させてしまってよろしいのでしょうか?」と言った。
「かまへん、かまへん・・遠野さん、なあ〜んも気にせんで・・多香ちゃんの頼みごとやったら、何でもやっちゃるわ」
 多香ちゃん、って、ずいぶん奥さまと親しそうだ。それに、この言葉遣い、どこの出身なのだろう?
「わしは仕事上、神戸、大阪や九州、東京と行ったり来たりなんや・・昨日、多香ちゃんから電話があって、空いてるかって訊かれて・・空いてなくても空けたるわ、と言ったんや」
 町田さんの大きな声にさっきから守衛さんが微笑ましげに見ている。少し恥ずかしくなってきたので「時間もあまりありませんから」と言って促し、奥さまと同じように鍵をチャラチャラさせた町田さんと一緒に地下行きの荷物用エレベーターに乗った。
「町田さんは、以前に会計とかのお仕事を?」
「わし、何でもやるでえ・・スポーツ以外やったらな・・わしはスポーツはあかんねん。よう多香ちゃんにドン臭いって言われたもんや」
 町田さんって、どう見ても奥さまより一回りは年齢が上、いや、五十歳はいっているように見えるが、何か古いお付き合いでもあるのだろうか。
 いずれにしろ、私はまだまだ奥さまのことを知らなさすぎる。
 そして、驚いたことに倉庫に入って町田さんと一緒に作業を進めだすと、私よりも帳簿をチェックしていくスピードが早いのだ。
 おかげで予定の時間よりも30分ほど早く完了した。
「案外、大したことなかったなあ」
「町田さん、ありがとうございます・・おかげで助かりました」
 ただ汗の量はさっきの比ではなくダラダラと流れている。
 これで今回の出張の作業は全て終わりだ。
 はやく帰って恭子さまに会いたい・・

 新幹線の時間にはまだ間があるので町田さんに昼食に誘われ同行することになり、丸の内のオフィスのはずれのうどん屋に入った。オフィス街の日曜日なので人もまばらだ。
 運ばれてきたうどんとご飯の定食を食べながら、私は気になっていた話を切り出した。
「あの、私は長田の家に仕えて数年になりますけど、町田さんとは一度もお会いしたことがありませんよね?」
 長田グループの役員や古い社員なら東京にもいたことがあるので顔は知っている人が多い。今では神戸の人はもうほとんど知っている。
「わし、最近はあんまり表舞台には出えへんのや」
と町田さんは言いながら、名刺入れから自身のいろんな名刺を取り出して見せた。
 ○△株式会社、取締役やら他の会社の監査役、相談役、会長・・おそらくそのほとんどが非常勤と思われる。
「遠野さんなら、わしのこと、何となくわかるやろ?」
「はい」と頷く。
「わし、多香ちゃんとは古い知り合いなんや。わしは多香ちゃんが前に勤めていた会社の上司でな・・それはもう多香ちゃん、別嬪さんやし、仕事のできるええ子やった・・」
 町田さんの顔が過去を思い出す男の顔になった。その目は私を見ていない。昔の奥さまを見ている。
 ここで話を聞いておかない手はない。
「奥さまは昔、どんな方だったのでしょうか?」と私は話を促した。
「何がいい運命か、悪い運命なのかは、わしにはわからん・・ただ、人は何かに導かれるように自分の運命を選択していく、みたいやな」
「難しい話になるけど」と言って町田さんはうどんを食べながら話を続ける。
「『水原通商梶xは知ってるやろ?」
 私は頷いた。水原通商鰍フ水原は奥さまの旧姓だ。
 そして奥さまが以前、勤めていた会社。社長は奥さまの父親である。
「わしが多香ちゃんを上に引き上げていったつもりなんや」
 話が見えてこない。ひょっとして自慢話?
「どっちかっちゅうと、父親の水原社長の方は娘を可愛がるばっかりで、仕事はあんまり与えへんかった・・多香ちゃんはそんな自分の現状に満足できへんかったみたいで、多香ちゃん、よく父親に文句を言うてたもんや」
「水原通商の社長の娘さんなら、別に働かなくてもよかったのではないでしょうか?」
「そこはあれや、父親にしたら娘に花嫁修業をさせてるつもりやったんとちゃうか」
 そう言ったあと、町田さんは店の人を呼びジョッキビールを頼んだ。
「遠野さんは呑める方か?」と訊かれたが私は丁重にお断りした。
「その頃のわしは営業もやりながら、トラックやなんかの運行の手配や資材の調達なんかもやっててな。多香ちゃんのいる運行事務課の前をよう通っててな、ある日、わし、背中をちょんちょんと突かれたんや。何や、と思って振り返ったら、多香ちゃんが書類を持って立っててな」
「奥さまに背中を突かれた?」
「そや、おそらく、多香ちゃん、声をかける勇気がなかったんとちゃうか、部外者に対する正式な書類を見せるわけともちゃうしな」
「何の書類だったんですか?」
「たしか『現状のトラックの運行システムの改善案』と書かれてあったな・・多香ちゃん、運行事務をしながら効率のええ配送システムを自分なりに考えていたんやな・・多香ちゃんは『町田さん、私なりに考えてみました。ぜひ、目を通してください。この方が運行経費や人件費の節約にもなりますし、何より、一日だけではわかりませんが、一ヶ月で見るとかなりの時間が節約できることになります』と説明しだした・・その時の多香ちゃんの顔、遠野さんにも見せたかったなあ・・ああいうのを『情熱的』って言うんやなあ・・」
 町田さんは過去の奥さまの顔を思い描くように天井を見上げ、また私の顔に戻った。
「わしは多香ちゃんに『見せてみい』と言って書類に目を通した・・もちろん、そんなにええ出来の案とはちゃうかった。所詮素人や・・でもな、達筆で書かれたその文章は誤字一つなく、書き方にも謝りも見つけられへんくらい、ええ出来やった。ただ、残念なことに、多香ちゃんは運行者やないから、そこら辺りは知らへんことが多かった・・だから、その箇所だけ宙に浮いたような文章になっていた・・そやから、わしは運行の社員を呼びつけ、多香ちゃんに『時間を見つけてこいつのトラックに乗って来い』って言って運行の奴にもちゃんとよくするように言った。多香ちゃん、目を輝かせて『町田さん、ありがとうございます』と深くお辞儀をした」
 私は今の奥さましか知らない。
 私の知らない奥さまの顔に向こうに、そんな情熱的な一面が隠されていたのか・・
「そやけど、物事はそんなに簡単でもないんやなあ・・わしが多香ちゃんの上司に外出許可をもろうとっても『やっかみ』っていうんやな。周りの社員も快くは思わん、わしはそんなことは気にせえへん質やったから、多香ちゃんの辛さに気づいてあげられへんかった」
「無理やりですね」
「そう、無理やり・・そないせな、物事、前に進まへんやろ?なあ、遠野さん」と町田さんは私に同意を求めるように笑った。
 そして、町田さんは仕事のできる、いい人だと感じた。
「一ヶ月ほどして、多香ちゃんはわしのところに前に出した運行代案を持って来た。目を通すと、ほんま、驚いたでえ、ドライバーに同乗した経験が見事に生かされて、どこに出しても恥ずかしくない『現状のトラックの運行システムの改善案』が完成してたんや」
 町田さんは今、その書類を手にしているような感じで喜んでいる。
「それで、奥さまのその案は生かされたのですか?」
 町田さんは首を横に振った。
「生かされはしたけどな。その時、多香ちゃんは運行事務課に所属してたんや、わしが多香ちゃんの代わりに当時の常務に提出した書類は多香ちゃんの属する事務課の上司の手柄になってしもうた」
 それは仕方のないことなのかもしれない。それが会社組織というものだ。
 今でも残念そうにする町田さんの顔を見ていると、同じように悔しかったに違いない奥さまの顔が目に浮かぶ。
「ある日、多香ちゃんが資材の書庫にこもって泣いとったことがあってな。『何や、腹痛かいな』って聞いても首を振るだけやから、当時、多香ちゃんと仲のよかった女の子に訊いてみたら、他の社員に『水原さんにとって会社はしょせん、お嫁に行くまでの仮の・・』とか言われていたらしいわ」
 運ばれてきたビールを美味そうに呑み「多香ちゃん、悔しかったやろうな」と言った。
「このままやったら、多香ちゃんのせっかくの能力が勿体無いって思うてなあ。社長に頼んでわしの営業課に移させて、営業に同行させることから始めていったんや。あの頃の多香ちゃん、楽しそうやったなあ・・水を得た魚のようやった」
「奥さまは仕事がしたくてしょうがなかったのですね」
「そう・・そして、多香ちゃんはわしの見込んだ通り、レポートの書き方も上手いし、会話のテンポ、ユーモア、相手をその気にさせる説得力を見事に兼ね備えておった・・わしの方が逆に仕事を助けられてしまう展開になってしまったけどな」
 町田さんはそう言って苦笑いをした後、煙草に火を点けた。
「それからは、多香ちゃんの親も多香ちゃんを見る目が次第に変わっていった。当然、社員の目もや。誰も多香ちゃんのことを親の七光りなんて言うもんもおらんようになった。何せ、わしと多香ちゃんの所属する営業部門の成績だけぐんぐん伸びていったんやから」
 そう言ったあと「もう、その時には多香ちゃんの運命のレールは敷かれていたんかもしれんなあ」と続けた。
「奥さまの運命のレール?」
「そうや、レールや・・硬くて曲げられへんレールや・・」
 奥さまは今でも、そのレールの上を歩いているのだろうか?
「その頃、わしはわしで、長田グループの傘下会社『長田通運』との取引を成立させていた。そんな風に水原通商と長田グループの繋がりを作った。多香ちゃんと同じように、わしもわしで会社の発展のための礎作りが楽しくてしょうがなかった」
 奥さまも、町田さんも真面目で仕事熱心なごく普通の人だ。
 自分自身も楽しく、かつ、会社も発展させようとしている。
 それは誰にも責められることではない。
「長田グループの関連会社と懇意になってしばらくのことや・・長田グループの会長、ヒルトマンが奥さんと離婚したっちゅう話が舞い込んで来たんや・・そして、ヒルトマンが再婚相手、伴侶を探している・・と」
 水原家と町田さんはその話に飛びついたのか・・
 私にはその時の光景が目に見えるようだった。
 まず、お見合い・・そして、縁談を成立させるための周囲の人間の段取り。
 はたからみれば政略結婚のようにも見えるが、当然、両親は浮かれるだろう。
 大事な娘をどこの馬の骨かもわからないような男の所に嫁に出すより、よほどいい話だ。
 町田さんは二人の仲人をしたということだ。
「わしには、その時、その話が・・なんかこう、花が咲く前の・・なんや・・その・・『芽』のように思えたんや・・」
 酔っているのか、町田さんの目が少し潤んでいるように見える。
 芽・・花が咲く前の・・当然、それは奥さまのこと。
「多香ちゃんの結婚式の写真、見たことあるか?」
「・・ありません」
 そういったものは東京の邸宅でも神戸でも見たことがない。
「教会での式でな・・多香ちゃん、それはもう綺麗やった・・」
 写真を見せることができなくて残念だと言わんばかりの表情で言った。
「遠野さん、実はわしな、仲人は多香ちゃんの他にも縁談を6組もまとめたんや。その中でも、多香ちゃんはダントツに綺麗やった」と言って「そんなこと言うたら、他の子に悪いなあ」と続けて言った。
「町田さん・・奥さまは、お式の時・・そ、その喜んでおられましたか?」
 私の問いに町田さんが力強く頷いた。
「もちろんや・・わし、あんなに嬉しそうな多香ちゃんの顔を見たんは初めてや」
 奥さまがそのようなお顔を・・けれど、それは当たり前のことなのかもしれない。
 当然、奥さまのご両親も手放しで喜んだだろう。
「でもなあ、遠野さん、結婚っていうものも、やっぱり硬い、曲げられへんレールなんや。一度、レールに身を委ねると自分も他人でも曲げられへん」
 運命も結婚も曲げられないレール・・
「多香ちゃんは結婚して水原通商を退職した・・遠野さん、わしはな、多香ちゃんが結婚したら会社は辞めて家庭に入って平凡な主婦をする、とばかり思うてたんや・・実際に多香ちゃん、最初はそない言うてたからなあ・・ところが、多香ちゃんは長田グループの商事部門の長田商事に入社して営業課長の職に就きよった・・どういう心境の変化があったんやと思った・・『多香ちゃん、なんでや?』と何べん訊いたかわからへん」
 奥さまから一度、聞いたことがある。
 ヒルトマンさまはお見合いの席で奥さまを見ずに庭に咲く桜ばかり見ていたそうだ。
 その時、奥さまはこう思ったそうだ。
「この人の心はここにはない」と。
 ヒルトマンさまの心は前妻の由希子さまのところに留まっていた。前に進むことなく、目の前にいる奥さまのことを見なかった。
 奥さまがお見合いの席でそう感じても、運命のレールの上を一度走りだした奥さまはその勢いを止めることができなかったのだろう。
「それから何度会っても、多香ちゃん、いっこも楽しそうにしてへん。多香ちゃん、笑ってても、わしには作り笑いのように見えてしょうがなかった」
 奥さまは気を張って生きていたのだ。そして、周囲の人間にできるだけ悟られないように努めた。
「そのうち、多香ちゃんが元気のない理由がわかってしまった・・長田グループの人たちと懇意になったら、酒の席や会合なんかで、いろんな人と近づく、そしたら、色んな噂が耳に入ってくる・・そのどれもが同じや・・」
 あの噂か・・
「ヒルトマンは、奥さん、つまり、多香ちゃんを愛していない・・と」
 町田さんのビールが空になった。もう注文はしないみたいだ。
「何か、多香ちゃんに悪いことしたなあ・・と思った・・でもなあ、そんなこと多香ちゃんに言われへん・・」
 それは絶対に言えない。
「言うてしもうたら、『あんたは今、不幸や!』って言うてるようなもんや」
 町田さんの長い話は終わった。店の中は誰もいなくなっていた。
 新幹線の時間が迫っていた。
「ほな、遠野さん、また機会があったら、そのうちに」
 町田さんとはうどん屋を出た所で別れた。
 私は一旦、荷物を取りにホテルに戻り、出先の奥さまに電話をして報告をした。
「町田さん、遠野さんによけいな話をしなかったわよね?」と訊かれたので私は「特に、何も」と答えた。
 町田さんのことを「あの方は奥さまと、どういうご関係なのですか?」と訊ねると「ただの腐れ縁よ」と答え「ただ、仕事だけは抜群にできるわ」と続けて言った。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1146