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作品名:「継母長田多香子の憂鬱」 作者:小原ききょう

第14回   倉庫にて


 工藤さんから聞いた社員の中に流れるグストフ氏の噂を聴取し、ノートに連ねていく。
頭の中で嘘っぽい噂には斜線を引いて消していく。
 すでに二人のいる所はオフィスビルから離れた場所に変えてある。
 絶対に長田グループの関係の者が来ないであろう場所を選んだ。私が学生時代つき合っていた人とよく来た喫茶店だ。
 丸の内からも離れた学生街でお客の年齢層も低い。店長も変わっているので私のことを憶えている人はもういない。
 明日の土曜日、長田商事の地下倉庫に行き、持ち出す帳簿や伝票の年度、科目を決めるのに工藤さんのアドバイスをもらう。それらは一度、神戸の邸宅に送らなければならない。
 その後が大変だ。神戸にある長田グループの会社を一社づつ訪れ、帳簿の照合をしていかなければならない。

「やっぱり、遠野さんは噂通りの人ですね」
 一息ついたところで飲むのを忘れていた珈琲に二人とも口をつける。
「噂?・・」
 神戸の邸宅では紅茶ばかり飲んでいるせいか、珈琲がすごく苦く感じる。珈琲を作る人が変われば当然ながら味も変わる・・味は守り抜くことができないらしい。
「とても要領がいいし、動作も機敏、身なりも決っているし・・それに・・美人さん・・」
「東京でそんな噂があるの?」
 丸の内の社員も神戸の関連会社に出張で来たり、邸宅に所用で訪れたりする。
 顔だけは知られているとは思っていたけど。
 身なりという言葉も出てきたのでスーツのあちこちをチェックする。皺がないか、汚れや染みがないか・・
 私の動きを見て工藤さんは微笑み、口を珈琲に戻す。
「遠野さん、これって、グストフ社長に対する・・その・・背任行為ではないのですか?」
「内部告発?・・とかそういうことを言っているの?」
「ええ」
「私は奥さまに仕えているの・・私は長田グループの人材派遣会社の一社員という形をとってはいるけれど実際は、専務である奥さまと契約を結んでいるの」
「そうなんですか?」
「だから、私に資料を提供している工藤さんの方が背任行為をしているのかもしれないわね」
 私がちょっと脅かすように言うと、工藤さんは微笑みを浮かべて。
「私、もういいんです。今度、結婚して退職しますし」
「そ、そう・・おめでとう」と私は述べると「でも、背任行為よ」と付け足した。
「一応、専務から念を押されていますけど、私はお嬢さまの家政婦さんと会社の噂話をしただけ・・資料については私は何も言っていない・・遠野さんが勝手に帳簿を選定した・・」
 何かを唱えるように工藤さんは言った。
「そうね、そうしておきましょうか」
 奥さまの言葉は絶対だ。私は守り抜く。
 一時間ほど過ぎたので私はウエイトレスを呼び二人分の珈琲のお替りを頼んだ。
「工藤さん、それで結婚はいつされるの?」
「4月・・です・・」
 4月と言ったあと、工藤さんは言い淀み表情が少し翳ったのを私は見逃さなかった。
 これ以上、この話は続けない方がよさそうだ。それに私が工藤さんに最初会った時の寂しげな印象がどうしても拭えないでいる。
 頼んだ珈琲が運ばれてくると、工藤さんの方から話題を変えてきた。
「あの、遠野さん、私は専務を仕事面でも尊敬しています」
 それはわかるわ。
 奥さまの方も工藤さんを信頼しているのだろう。だから奥さまも工藤さんをこの調査に関わらせたのだと思う。
「仕事だけではなく、人としても、専務をお慕いしています・・でも」
「でも?」
「でも・・専務、いつも、お寂しそうで・・」
 それがわかる工藤さんはやはり奥さまの選んだ女性社員だ。
「どうして、そう思うの?」
「この間、専務とお食事した時に、専務は言っていたんです」
「何て?」
「『私はあの人、ヒルトマンのことが、まだ忘れられないの』・・と」
 その言葉を聞いた瞬間、私は工藤さんと来た場所がこの喫茶店でよかったと思った。
 丸の内の喧騒の中で聞いていたら、その言葉の印象は違っていただろう。
 この喫茶店は長田家の家政婦の試験に合格し、当時つき合っていた人にその事を伝え、同時にふられた場所だ。
 同じ日、ヒルトマンさま、恭子さまや奥さまに仕えて生きることを決めた。
 ある意味、ここは東京でのひとつのスタート地点だ。
 私の心もここに残してきている気がする。
 そんなことと、奥さまが工藤さんに言った言葉がどこか重なった。
 私の中でいろんな思いが残っているように、
 奥さまの胸の中ではヒルトマンさまは・・まだ生きている。



「倉庫には私がついていくわ」
 奥さまは大きな輪に何錠も通されている鍵の束をチャラチャラさせ荷物用のエレベーターの下りボタンを押した。
 土曜日なので出社している社員は少ない。日曜日だと少なすぎるのでかえって目立つ。
 こういった行動をするのは土曜日が一番いい。
 エレベーターのドアが開き二人で乗り込む。
「工藤さんから聞いていると思うけど、帳簿の選定は終わったのね?」
 奥さまの目はエレベーターの階を示す数字を追っている。
「はい、奥さま・・そんなに時間は取らせません」
「帳簿の選定が終わっってリストが出来たら、私が配送係にリストを回して神戸の邸宅に運んでもらうわ」
 私は遠野さんから聞いた情報を元に該当する帳簿を選び出し、リストアップする。
 それを奥さまが配送担当を使って帳簿類を神戸に送る、という流れだ。
 帳簿類は実際にこの目で見て確かめないと選定だけでは正確なリストはできない。
 倉庫には帳簿がない期間が数日間存在してしまうが、専務の立場で握りつぶすらしい。
「あなたの存在って、結構目立つらしいわね」
「らしいですね・・工藤さんから聞きました」
「でも、こんなことを頼むのはあたなしかいない・・の」
 奥さまの言葉が終わらないうちに地下2階に着いた。
 倉庫のドアの鍵を開けて中に入るとムッとするような湿気と埃が流れ込んできた。
 中はちょっとした図書館くらいの広さがある。仕切り棚が延々と奥に続いてその先が薄暗くて見えない。
 中に入ると私はすばやく、帳簿の所在を確認していき、該当する帳簿の背表紙の年度、科目名、番号等をノートに記入していく。
 奥さまはドアの外で見張っている。誰かが来たら適当に誤魔化すらしい。
 土曜日に倉庫に入る社員はそういないと思われるが、もしものこともある。
 作業は一時間ほどかかった。それで全体の三分の一だ。
 100冊ほどの帳簿の番号等の情報が書かれたノートを奥さまに見せる。
「早いわね」
「はい、会計も勉強していますから」
 経営や会計、経済関係も一通り学んだ。長田家に入ってからは、かなりの知識は身につけたつもりだ。
「次は3時よ、またお願いするわ」
 午後から続き、明日は残り全部、という具合だ。
「遠野さん、お昼ご飯、すませた?」
「いいえ、まだです」
 この後、どこかで昼食をとろうと思っていた。
「遠野さん、昨晩はホテルに泊まったのよね?」
 さっきまでの奥さまの緊張した表情が和らぐ。
「はい、奥さまのご指定のホテルに」
「ホテルのレストラン、美味しい?・・私、まだあそこのホテルで食事をしたことないのよ」
「普通だとは思いますけど・・奥さまはお客さまと行かれたことは?」
「そういえば一度、夜は行ったことあったかしら?・・でも、覚えていないわ・・とにかく一緒に、お昼に行きましょう」
 奥さまと食事?
 家政婦の私が、しかも東京で?
 邸宅では何度か一緒に食事をとることはあっても改まって二人で食事をする、ということことは初めてだ。
 それは、おそらく恭子さまも・・



 お昼の時間を過ぎていたので、ホテルの1階のレストランは空いていた。
 奥さまは案内された窓際の席に座ると辺りを眺めながら「レストランだったら、もうそんなに人目も気にしなくていいわね」と言った。
 テーブルに置かれたメニューに目を通し「遠野さん、遠慮しないで何を頼んでもいいわよ」と視線をメニューと私の顔を交替で見ながら言った。
 朝食はここでパンケーキの付いたモーニングセットを頼んだ。
 私が自分のメニューに目を移し、その中から鶏肉を使ったスパゲッティを選ぶと「じゃ、私もそれにするわ」と言い、奥さまは手を上げウェイターを呼んだ。
 奥さまの手や首筋に目がいくと、奥さまがいつものネックレスを身に付けていないことに気がついた。
 食事が運ばれくるまでに奥さまは手帳を取り出した。
「遠野さん、恭子の服のサイズが知りたいの・・育ち盛りだから、前とまた変わっているんじゃないかと思って」
 奥さまはクリスマスプレゼントに新しいご洋服をプレゼントするとのことだ。
「はい、先日もデパートに恭子さまの冬の普段着を求めに行った際に、売り場の店員さんに『この洋服、きつくなっています』と言われましたから、もうワンサイズ上がいいかと」
「去年プレゼントした服のワンサイズ上ね・・電話で遠野さんに聞いてもよかったんだけど、今回のようなことがあったから、訊くのは後回しになってたのよ」
「グストフさまのことは・・」
「ああ・・その話、今はやめておきましょう・・遠野さんは事実を報告してくれるだけでいいわ・・後は私に任せてちょうだい」
「はい、奥さま」
 私の答える声とウェイトレスがスパゲッティを運んできて「お待たせしました」と言う声が重なった。
 奥さまは「おいしそう」と言って「食べ終わったら珈琲を頼みましょう」と言った。
 何でもない言葉の連なりだけれど、工藤さんから聞いている言葉、
 ―私はヒルトマンのことが、まだ忘れられないの・・を聞いているだけに奥さまが私の前では気を張っているように感じてしまう。
 ヒルトマンさまが亡くなられてまだ2年も経っていない。
 忘れられないのは、ある意味あたり前のことだ。
 誰だって亡くなった伴侶のことは何年経ってもそうそう忘れられないだろう。
 けれど、奥さまの言葉は、それとはまた意味が違う気がする。
 どう違うのか?
 奥さまは心の中でヒルトマンのことをうまく処理できていない・・片づいていないのではないだろうか?
「営業課の工藤さん・・彼女、しっかりした感じの子でしょう?・・でも彼女、来年結婚するから、いなくなっちゃうのよ、惜しいわ」
 奥さまは工藤さんのことを大層お気に入りのご様子だ。
 私は「ええ、そうですね」と答えたあと「その工藤さんのことですけど」と話を切り出した。
「何、工藤さんがどうかした?」
「私にはどうしても、工藤さんが、近くご結婚されるようには見えないのです」
「え・・どうして?」
「私の、ただの勘です」
 口調、表情、動作・・それだけとしか言いようがない。
 一度、会っただけの長田商事の一女性社員のことなど、どうでもいいことかもしれない。
 ただ、それが奥さまのお気に入りの社員ともなれば話は別だ。
「遠野さん、おかしなことを言うのねえ」
「一度、工藤さんにもう一度、訊いてみてください・・私はもう明日、神戸に帰る身ですから」
 奥さまはフォークにスパゲッティの麺を絡めながら「わかったわ。遠野さんの勘とやらを信じて、工藤さんにはそれとなく訊いてみるわ」と言い「ここのスパゲッティ、結構いけるじゃない」と続けて言った。
 私も食べ始めた・・なるほど・・美味しい。
「遠野さん、午後も、お願いするわね」
 後で頼んだ珈琲を飲みながら奥さまは言った。

 奥さまとの食事を済ませると私は一度ホテルの部屋に戻って資料を整理し、3時前にまた長田商事のオフィスビルに入った。
 入り口の警備員も顔を覚えてくれている。
 長田商事の専務である奥さまの世話役で通してあるから、笑みを浮かべながら通してくれる。
「さあ、はじめましょうか?」
 奥さまは腕組みをしながら倉庫の前で待っていた。
「遠野さん、量が多くて大変そうだから、私も何か手伝わせて」
 私は奥さまのお言葉に甘えさせてもらうことにして、帳簿数の少ない科目を選んでお願いした。
「遠野さん、見て、すごい、ほこり!」
 奥さまは顔の前で手を振りながら私が指定した科目の帳簿がある棚の方に進んでいく。
 何だか申し訳ない気がする。ここは奥さまのような貴賓溢れる女性が迷い込むような場所ではない。
「遠野さん、帳簿の背表紙の下に書いてある番号を書いていけばいいのね?」
 向こうの方で奥さまの声がする。
「はいっ、奥さま、そうです!」聞こえるように大きな声を出す。
「私、安易に手伝うって言ってしまったけど、結構大変ね、数がすごいわ。お金の出入りってこんなにあるものなのね」
 そう言う奥さまの声が遠のいていく。奥に入って行っているのだろう。
「すみません、奥さま!」
 私は遠のいていく奥さまの声を追いかけるように言う。
 2時間ほどが経過し、二人は倉庫の入り口に戻った。
「遠野さん、冬だっていうのに・・ほら、すごい汗!」
 奥さまは汗を掻いた首筋を見せたり、体をひねらせブラウスの背中を見せたりした。
 おそらく慣れない仕事をしたせいなのだろう。私とは比べようのないくらい汗を掻いている。
 私が帳簿の番号等を書き込んだノートを奥さまに見せると「私の分と数が全然違うわ」と嘆いた。
 夜は奥さまは接待で忙しいらしく、私はホテルに戻った。
 本日の仕事が一通り終わると、今度は恭子さまのことが気になってくる。部屋に戻るとすぐに芦田家に電話をかけた。

「恭子さま・・そ、その、そちらはどうですか?お変わりありませんか?・・え・・まだ二日も経っていないから変わらない・・そ、それもそうですね・・明日は夕方にはお迎えにあがりますので・・え?・・今晩はみなさんで、すき焼を・・何だか楽しそうですね・・智子さまのお兄さんと商店街に・・そうですか・・恭子さま、お優しいと言われていましたものね・・えっ、風船ガム・・ですか?・・私はだいぶ以前にしたきりですね・・私、今でもできるかしら?・・」
 他愛もない会話だが、恭子さまが何の問題もなく芦田家で健やかに過ごされていることが伝わってくる。
「静子さん・・それとね」
「はい、恭子さま、何でしょう?」
 受話器の向こうで少し口調が変わった。
「お母さまに・・会いたいの・・その・・クリスマスまでに」
お母さま・・由希子さまのこと?・・今の母親、多香子さまのこと?
「あの・・お母さまというのは?・・その・・」
私はこの質問だけはしたくない。
「お母さまは一人しかいないわ」
「そ、そうですよね・・」
「ごめんなさい、静子さん、すき焼のあと、ケーキがあるの、みんなが待っていて・・」
「恭子さまっ、ごめんなさいっ・・お食事中とは知らずに!」と私はひたすら謝り「明日の夕方、芦田堂にお迎えに上がります」とだけ伝えると電話を切った。受話器を置くとすぐに奥さまから電話がかかってきた。
「遠野さん、長い電話だったわね」
 奥さまは何度か私が電話で恭子さまと話中にかけていたようだ。
「奥さま、ごめんなさい。恭子さまと少し」
「そう・・あの子、元気にしてた?」
「はい、すき焼をお呼ばれになったとかで」
「まあっ、話を聞いただけで、お腹が空いてきちゃったわ」
「奥さまもですか・・」
「え? 何て言ったの?・・そうそう、遠野さん、私、明日は倉庫に行けなくなったから、他の人に付き添いを頼んでおいたわ・・町田さんという人で・・10時にはロビーに行っていてちょうだい」
「はい、それでは、奥さまは明日は?」
「明日はもうそちらに行かないから、遠野さんとはこれでお別れね、3時の新幹線に乗るんでしょう?・・恭子のこと、頼んだわよ」
「は、はい・・」
 さっき、恭子さまが言った言葉を奥さまに伝えられなかった。
 当たり前だ。私は恭子さまが言った「お母さま」がどちらのことを指すのか、わからなかったからだ。


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