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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第6回   心理テスト
「遠野さん、この紙に『木』を描いてくれないか」
 えっ、木?
 男の人が大きな画用紙と色鉛筆を3本手渡した。
 茶と緑と赤の色鉛筆だった。 こんな試験もあるの?
「植物の『木』ですね」
 私は間違えないように確認する。
「君の思う『木』を描いてくれればいい」
 私は渡された画用紙をテーブルの上に置くと、頭の中に一本の木を想像しながら木を描き始めた。まず画用紙の真ん中に茶色の色鉛筆で太く木の幹を描いた。
 枝を適当に何本か伸ばし、その周りに緑の色鉛筆で多くの葉っぱを丁寧に付けていく。
 赤の色鉛筆は要らない。大きな太陽でも書いた方が良かったかな?それではまるで小学生の絵になってしまう。
 これは何かの心理テストなのかしら?
 私は描き終わると前に出て画用紙を男の人に渡した。
「木に『実』が付いていないな」
 男の人は私の絵をを受け取って見るとすぐにそう言った。
 えっ、実?
 しまった!もう一本の色鉛筆の「赤」はそのためだったんだ。
 どうして私は木に実を付けなかったのだろう。
 せっかく赤の色鉛筆を渡されていたのに、ちょっと考えればわかることだった。
 私が少し動揺していると「いや、その方がいいんだよ」男の人はそう呟いた。
 どういうことなのか、さっぱりわからない。
「遠野さん、少し質問をしてもいいかしら?」
 おばさんの方が口を開いた。
 日本語なので少しほっとする。日本人でもドイツ語を話すものだとばかり思っていた。
「遠野さんは、お料理の方はどうなの?」
 まるでこの人は私の書いた木の絵に実がついていないことを確認してからタイミングよく口を開いた気がする。気のせいだろうか?
「は、はい・・お料理なら大抵のものは作れます」
 本当に大抵のものは作れる。
 母から花嫁修業だと言われて小学生の時からずっと教えてもらっていた。こんな時に役立つとは思ってもみなかった。お味噌汁には自信がある。あの微妙な味は少しの時間では出せない。
「遠野さんは日本人でしょう?」
「ええ、そうですけど」私の顔を見ればわかると思う。
「外国に住んだことはあるの?」
「それはありません」外国なんて行ったこともない。
「そう・・わかったわ。あなたに決まったら私が一から教えるわ」
 まるで私に決まったように言っているけど、言ってることがわからない。
 けれど私が「大抵のものは作れる」と大きく言った言葉は私の思い上がりだということを思い知らされることになる。
 私は後にこのおばさんから本当の意味での料理、いや、もてなしの料理を教えてもらった。私の思っていた料理というのはあくまでも花嫁修業程度の料理だったのだ。家族だけに作る料理と大勢の人、それも貴賓を相手にする料理とは全く異なる。
 外賓が来た時、コックたちを取りまとめたり、お客さんの嗜好をその度に考えて味付けをしたりすることなんて想像もしていなかった。
 そのことを募集要項に書いてあったらここを受けていなかったかもしれない。大勢の人と会う場面が多くある。
「それと、力はある方?」
 力って、あの力よね。
「ええ、高校の時、陸上をやってましたから」
 あまり力とは関係なかったかも。
「結構、シーツは重いわよ」
 シーツ? ベッドの?
 この時は軽く考えていたけれど、これも後で思い知らされることになった。
 ベッドのシーツはこれまで私が宿泊したことのあるホテルのものしか思い浮かべていなかった。西洋のシーツはその何倍もの大きさ、重さがあった。それを何枚も重ねて持つのはか弱い女性ではちょっと無理。
「あと、履歴書を読む限りでは英検の一級は持ってるようだけど、普通自動車の免許は持ってないのね」
 痛い所を突かれた。書類審査が通ったから見過ごされているとばかり思っていた。
「そ、それなら、すぐにでもとります。勉強の方が忙しくて、なかなか免許をとる時間を作ることができなかったものですから」
 私は慌てて答える。
「あなたに決まらなかったら、別にとらなくていいのよ。お勉強も大事でしょうし」
 それはそうだ。ホッとしなくていい所でホッとする。
「お嬢さま、何かご質問はありますか?」
 おばさんが娘さんに日本語で訊ねた。
 おばさんも長田氏も娘さんが声を出すのを待っているように見える。
「お嬢さま、もうよろしいですか?」
 再度、おばさんが念を押すと、その声にそれまで俯き加減だった少女の顔が私の顔を真正面から見据えた。
 おそらくまだ小学低学年・・足だって床に届いていない。
 まだ幼いはずの顔が一瞬、凛とした表情に変わった。
 きれいな青い瞳と目が合う。
 すごく落ち着いた感じで娘さんが初めて口を開いた。
「トオノ・・って・・あの『トオノ』?」
 え・・?
 日本語だわ。
 よく考えれば日本で暮らしているのだからドイツ語より話しやすいのかもしれない。
 ああ、それより・・?
 ちゃんと名前を言った方がいいのかしら?
「そうです、私は遠野静子と言います」
 でも氏名なら最初から何度も言っている。
「あの『トオノ』?」
 小さな声でまた訊かれた。
 ひょっとしてこれも何かの試験なの?
 まだ小学低学年の娘さんだけど、人を試すことを仕込まれているの?
 いや・・ちょっと待って!
 この娘さん、ひょっとして私の履歴書を見ていないの?
 そうだわ、私が次に言う言葉はこれしかない。
「あの・・私、遠い近いの遠いに野原の野、そして、静かな子供の子と書きます・・」
 二人の間だけに不思議な空気が流れた。
「やっぱり・・」
 娘さんは納得したように見えた。
「『遠野物語』の『遠野』と同じ字・・」
 不思議な感覚だった。
 誰がどう見ても西洋人の少女とわかる美しいブロンド、青い瞳、白い肌。
 しかしその体から発せられるのは日本語、しかも日本の本の題名だ。
 それも私の苗字。
 少なくとも彼女は「遠野」という漢字は知っていた。
 けれど私の予想通り、彼女は私の履歴書を見ていなかった。
 発音だけを聞いていて私の苗字の漢字を知らなかった。
 よく考えれば当たり前だ。小学低学年の子が履歴書なんて見ているはずもない。
 この場にいて私を観察しているぐらいだったのだろう。
 それにしてもあの「遠野物語」を知っているなんて・・
 いや、たぶん知らない。
 本の題名ぐらいのはずだ。
「遠野物語」は学者の柳田国男が東北地方の遠野に住む人から聞いた地元に伝わる多くの伝承、昔話を一冊の本にまとめたものだ。昔話とはいえ子供にはまだ早すぎる本だ。
 私も高校の時に読んだことがあるけれど、子供、しかも小学低学年の子供向けの本としてはまだ発刊されていないと思う。


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