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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第5回   面接の日


 私にとっては今日は大事な記念日になった。
 そう、今日は私のこれからの仕事が決まった日なのだ。
 同時に彼と別れた日でもある。
 数週間前、私は長田家の書類審査に受かり、一次面接を受けた。
 一次面接では語学力を試された。
 試験官のような西洋人の男性がドイツ語、ある時は英語で話しかけてくるというスタイルの試験だ。私はきっちりと受け答えをして語学力があることを懸命にアピールした。 また同時に日本語力も試された。敬語などがきちんと使えるかどうかだ。
 数日経って家に電話があり一次面接が受かったことを男性の声で告げられた。
 まだ気を許せなかった。次に最終面接が控えている。

 そして今日、彼と別れた日は最終面接の日だった。
 残った人は三人いた。
 一人目が面接を受けている間、別室で残りの一人の女の人と自分の番を待っていた。
「ねえ、あなたはどうしてここを受けようと思ったの?」
 緊張してこちこちの私に目の前のソファーに座っている一応ライバルでもある人が声をかけてきた。
「えっ? ああ、そ、そうね、私は大きな会社に向いてないと思ったの」
「でも、それだったら、他にあったんじゃない?」
 そう、彼女の言う通り他にもあった。中小企業の事務や図書館司書、大勢の生徒相手だけど教員も候補の一つだった。けれど、どれも私の関心を惹かなかった。
 長田家の家政婦の方よりも家庭教師というのにすごく惹かれていたのだ。
 あれは大学二回生の時だ。一度アルバイトで家庭教師をしたことがある。
 その時のことがずっと深く今も私の記憶に残っている。
 相手の生徒は高校生の女の子だった。
 結果的に私と彼女は上手くいかなかった。
 自分では精一杯努力をしているつもりだった。けれど彼女はすぐにちょっとしたことで機嫌を損ねる。
 私が少し怒れば親にいいつける。ひどい時には物を投げつけてきたり、足元を蹴られたりもした。
 私の書いた指導書の紙をビリビリに破られたこともあった。
「下手くそ!」と罵られ「出て行って!」と叫ばれたり「あっかんべー」をされたりした。
 ある時などは女の子なのに私の後ろに手を伸ばしお尻を触ってきて私が驚いて声を出すとゲラゲラと大きな声で笑われた。私はからかわれていると思った。
 そして、この子は勉強する気などない、と確信した。
 最後には先方の母親から打ち切りを告げられた。
 原因が私にあるのか、娘の方にあるのか、わからなかったけれど、一番知ることになるのは親だと思ってその時は納得してその子の家庭教師を辞めた。
 他にも多くのアルバイトをしたけれど、後にも先にも「くび」というものは他に経験がない。くびはなかったけれど他のアルバイトもたいして長く続かなかった。
 時間が経つにつれ女子高生のことは私の記憶の中で次第に澱み始めた。
 私は大勢の人間どころか、たった一人の人間とも心の交流ができない。
 それも自分よりも年下の女の子だ、私の方がもっと努力をするべきだったのかもしれない。私という人間はここからスタート、いや、スタートではない、やり直しをしなければならないのではないだろうか?
 その思いは日ごとに大きくなっていった。
 そんな私にとっては長田家での家政婦兼家庭教師というのは最高の職場だと思った。
 まだ受かってもいないし、仕事もしていない。
 それに一番大事な生徒でもある長田氏の娘さんにまだ会っていない。
 けれど私は就職先のトップにここを選んだ。

 重厚なドアを開けると、あきらかに西洋人、それもドイツ人とわかる人が真正面に座っていた。この人が長田家のご主人のはずだ。そして同時に長田グループの社長でもある長田ヒルトマン氏、その人だろう。年齢は四十歳前後だろうか?
 右には一次面接の時と同じ西洋人が履歴書をしきりに読んでいる。
 左にはどうみても日本人にしか見えない少し小太りのおばさんが腰掛けている。
 そして、そのおばさんに少し寄り添うように長田氏の娘さんと思われる女の子がきちんと席に座っていた。
 面接に受かればこの子が私の生徒・・いや正しくは私はこの女の子に仕えるようになる。
 娘さんは子供らしく熊の大きなぬいぐるみを抱きかかえている。
 茶色い毛並みのぬいぐるみが少し汚れて見えるほど娘さんの髪はきれいなブロンドだった。大きな家で暖かく育てられているはずなのにその青い瞳はなぜかとても寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
 けれどその寂しげな瞳はじっと私の方を見据えている。
 こんな場所にいて退屈じゃないのかしら?
 どんな人がお手伝いさんになるのか興味があるのかしら?
 ひょっとして、この子が決めるの?
 一次面接の男性が最終面接の進行をしている。身を引き締めて挑む。最初からドイツ語で質疑応答が始まる。
 長田氏は私を見ているのか見ていないのかがわからない、そんな顔だ。
 おばさんの方は私の一挙一動をじっと観察しているようだ。
 その後、日本語で一次面接で訊ねられた志望動機を訊かれる。
 まさか「大勢の人の中にいるのが嫌いだから」などとは言えない。
「ここで語学力も含めて自分の能力を試したい、というのが一番にありました」
 大企業をなぜ目指さないのかということも訊かれた。
「大勢の中では、私の能力は生かせない、と言いますか、大きな歯車の中に入れば、自分を見失ってしまいそうな気がしたからです」
 別に間違ったことは言っていないつもりだ。


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