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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第32回   裏手の道にて


「奥さま!」
 去り行く由希子さまを私は大きな声を出して呼び止めた。
 会場の建物の裏手の道、ホールの脇なので声がよく響いた。ポプラの樹が立ち並ぶ道を私の声が駆け抜けていくのがわかった。
 恭子さまが審査員特別賞を受賞したという発表の声が上がると同時に由希子さまは席を立った。私は慌てて会場の外に出て後を追いかけた。
 秋深まる十一月という季節のせいなのか、その後姿が寂しく見える。
 雨がぱらぱらと降り始めている。
 私の声に振り返ると由希子さまは立ち止まった。
「奥さま、おめでとうございます、お嬢さまは特別賞を頂くことになりました」
 私は駆け寄りそう言うと静かに微笑みを浮かべた。
「ええ、しっかりと見届けることができました。遠野さん、私にこのような機会をくださってありがとうございます」
 由希子さまが一礼をした。お屋敷でお会いした時よりも、少し着飾っているのか、お化粧も少し濃い気がする。
「いえ、本当は私ではありません。コンクールに招待なさったのは私の今のご主人さまである多香子さまです」
 由希子さまの表情に一瞬緊張が走り「そうですか・・」と言った。
「お引止めしたのは奥さまにお訊ねしたことがあったからです!」
「はあ・・何でしょうか?」
「藤棚のことです。その藤の花言葉の意味についてです!・・これはあくまでも私の想像ですが、どうか聞いて下さい」
 私の声に応じるように由希子さまは静かに頷いた。
「私は『藤の花』の花言葉の意味をあれから考えました。私は最初『外国人を歓迎する』の意味だけをとらえて考えていました。つまり奥さまはヒルトマンさまのことをまだ思っていて、いつか藤棚を見てくれたヒルトマンさまが帰ってくることを待ち望んでいたと勝手に解釈していました。けれど・・」そこで私は一旦息をついた。
「けれど、それは違いました。あの藤棚は奥さまの長田家に対する誓いのメッセージだったのですね?」
 少し雨が強くなってきたので由希子さまは手持ちの傘を差した。
「藤の花言葉には全く別の意味がありました。それは由希子さまの誓いの言葉でした」
 由希子さまは傘を持ったまま黙って聞いている。
「別の言葉は二つありました。一つは『決してこの場所を離れない』という言葉、それは『もうあなたと別れてこの家からはどこにも行かない・・もうあなたの所に戻ることは絶対にない』という意味・・そして、もう一つの花言葉『あなたと別れない』の意味は現在のご主人に対する言葉ですよね。そして、そのご自分のかたい誓いのメッセージを長田家に向けた」
 一気に話したが、おそらく合っているはず。
「遠野さん、そんな難しいこと、あの人、ヒルトマンが分かるはずがありません」
 そう、ヒルトマンさまは絶対に分からない。
「確かにわかるはずがありません・・私はヒルトマンさまに見せるためとは一言も言っていません・・」
 少し乱暴な物言いだとわかってはいるが、今、言ってしまわないとこんな機会は二度とない。
「他に誰に見せるというのです?」
「恭子さまです!」
 私がそう言った瞬間、由希子さまの傘が風でふわりと浮かんだ。
「それに見せるとも言っていません・・向けたのです・・長田家に対して」
 雨の他に風も強くなったようだ。私は持ってきた傘を差した。
「今、言った言葉は全て恭子さまに対するメッセージにも受け取れます。『もう戻ることはない、今の家族とも離れない』・・だいたい合っていますよね?そのメッセージを長田家に向けることによって由希子さまは己自身を厳しく律しようとした」
「あの子がそう言っていたのでしょうか?」
「言っていません。まだ恭子さまは春になって咲く神園家の藤棚を見ていませんし、花言葉についてもおそらく知りません・・」
 恭子さまは部屋で「花の事典」を読んでいた。いつか知ってしまうだろう。
「遠野さんが恭子に教えるのですか?」
「そんなこと、私は絶対に教えません。けれど花言葉の意味は私が教えなくてもいずれ恭子さまが知ることになると思います。由希子さまは心のどこかでそれを望んでいたのですね?」
 私は由希子さまの肩を横降りの雨が叩き始めたのを見ながら続けて話す。
「いえ、この話は恭子さまが知らなくても全く関係ないのかもしれません。あの藤棚は由希子さまの個人的な誓いでもあるのですから」
 目の前のこの人は自分の決意の程を込めた藤棚を作り自分の娘にもう会わないことを誓った。
 いつかは娘が自分の決意に気づいてくれることを願って由希子さまは花の事典をあの部屋に置いていったのだろうか?
 ある意味、恭子さまが花言葉の意味に気づいた時こそが母娘の真の決別の時になる。
「金持ちの道楽ですね・・遠野さんはそう思っているのでしょう?」
 あの香山氏が「由希子さんは典型的なお嬢さんだ。甘やかされて何一つ不自由せず育ったお嬢さんだよ」という由希子さまの噂話を語っていたのを思い出していた。
「私も最初、そう思いました。色んな噂があったようですから。その噂も半分は当たっていたと思います。ただの道楽です。誰にも真似できることではありませんから。でもそのようなお金をかけてまでして何かを誓わないと生きていくことができない心の弱い人もこの世界にはいるのだと私は思うようになりました」
 そんな女性を他にも一人知っている。
 その人は優雅な生活を送りながらも最後まで振り向いてくれなかった男性のことを今でも引き摺り恭子さまに優しくすることはこの先ない、と私に語った。
 あの人もそう思い、そう自分に言い聞かせないと生きていけないのだろう。
 何てことだ。大人たちの勝手な心のせいで恭子さまお一人がどうしてっ!
「そうですか・・遠野さんのような頭のいい人が恭子についていて私も安心です」
 その後、由希子さまは「恭子も幸せ・・」と言おうとしたみたいだが、私は由希子さまの声を途中で切った。
「そんなわけないじゃないですか!」続けて私の口は勝手に動く。
「恭子さまがお幸せであるはずはないじゃありませんか!」


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