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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第3回   テラス


 今日は日曜日、小学校はお休み。
 けれど私には何の予定もない。
 そんな日はたいてい陽のあたるテラスで静子さんとティータイムを楽しむ。
 夕方にはピアノの先生が来る。それまでおしゃべりをする。
 静子さんもそれがわかっているから紅茶を淹れて白い丸テーブルの上に静かにカップを並べる。
 傍にはおしゃれな白いティーワゴンがある。静子さんは本当はコーヒーの方が好きらしい。東京の学生時代には毎日のように飲んでいたそうだ。
 けれど、私といる時は紅茶にして合せてくれる。別にコーヒーを飲んでくれてかまわないと言うのだけれど香りが混ざると良い気分になれないそうだ。
 私がミルクティーで静子さんはレモンティー。
 小鳥の囀りがお庭のあちこちで聞こえ、時々、何匹かの蝶がテラスに迷い込む。
「クラスの女の子はよく漫画の雑誌を読んでいるみたいなの」
 クラスのみんなは学校には持ってきてはいけない漫画の話をよくしている。
「漫画、ですか・・私は読みませんね」
「静子さん、時々、お母さまのお部屋でご本を読んでいるものね」
「恭子さま、ご、ご存知でしたか・・」
 少し慌てたような表情を見ると、知られたら恥ずかしいことだったようだ。
 静子さんは私の本当の母の部屋を毎日のように掃除している。人がいなくても掃除をしないと部屋がダメになるそうだ。
 しかしその部屋で母は過ごしたことがない。
 その部屋は父と母が離婚しても東京の邸宅に残っていた母の部屋をそのまま神戸に移したものだ。
 部屋には母が結婚する前に買った本、結婚してから買った本が書棚にぎっしりとあり図書館でもできそうなくらいだ。
 母は父と別れる際、それらの本は全て残していった。
 母の部屋のドアから灯りが零れている時は静子さんが母の残した本を読んでいる時だ。

「静子さん、最近は何を読んでいるの?」
 私は嬉しかったのだ。静子さんが母の部屋で本を読んでいることが。
 あの部屋に灯りや、人の温もりがあると母のことを肌で感じるように思い出せるからだ。
「え、ええ、太宰治の全集を片っ端から・・」
 静子さんは目の前を飛んでいる虫を払いながら答える。
「片っ端」という言葉が少し可笑しかった。
「そんなにたくさん?」
 太宰治なんてまだ私には難しそう。
「学生時代には太宰治の有名な小説「人間失格」や「走れメロス」などは文庫本になっているので読めたのですけど、他に読みたくてもどうしても読めないものがあったものですから、それを見つけて読む勢いが止まらなくなって・・」
「よかったわね」
「ええ、ここはまるで天国・・」
 そこまで言うと静子さんは自分の失言に気づいたように口元に手を当てた。
「い、いえ、私にとってはまるで図書館のような・・」
 そこまで言うとまた言い直す。
「恭子さま、ごめんなさい!・・お母さまの大切にされていた本を勝手に読んだりして」
 母も静子さんのような人に読んでもらって幸せだと思う。
「別にかまわないわ、勝手に読んでも・・私には読むのはまだ無理そうな本ばかりだから」
「そ、そんなことはありません。この前などは恭子さまは山本有三の『真実一路』などを読まれていたではありませんか」
「あの本もどちらかと言うと子供向きよ」
「そ、そうだったしょうか?」
 静子さんは納得がいかない様子。
「恭子さまはご自分の読まれている本よりも、クラスの子の読んでいるものの方にご興味があるのですね?」
「別に興味とか、そんなのではないけれど、少し、漫画というものがどんなものなのか知りたいだけよ」
 私のカップが空になっているのを見て静子さんは「恭子さま、お替りをお淹れしますわ」と言って側のティーワゴンに置いてあるティーポットをとりカップに注いだ。
 私はその中に好きなだけミルクを注ぐ。
「恭子さま、今度、漫画のご本を買ってきましょうか?」
 静子さんは気をきかせたつもりで訊いてきた。
「でも、私、どの漫画が面白いか、わからないの」
「私、調べます!」
 静子さんの勢いに気後れしていると、テーブルの上に戻されたティーカップの音がカチャッとした。
 カップから目の前の静子さんの方に目を戻すとその目は透き通るように見えた。
「恭子さま、本当は漫画なんてご興味はないのではありませんか?」
 静子さんの綺麗な瞳は私の視線を捕らえたまま逃さない。
 静子さんの言うことは当たっている。
 静子さんは慌てんぼさんだけど、こういうこと・・つまり、私のことはよくわかる。
 私は漫画には興味はない。
 それを話題にしているクラスの子たちに興味がある。
 漫画の話で楽しそうにしてる子たちのことを知りたい。
 どうすれば知ることができるのか?
 どうして知りたいと思うのか、わからない。
 みんなが話しているのを見ているとなぜか胸の中にぽっかりと穴が開いていて、そこがギュッと締めつけられるような感じがする。
 同時に目の奥が少し熱くなる。
 私にはその感情がよくわからない。
 こんなことで泣くとは思わないけれど、これは「泣く」という感情に近いのだろうか?
 けれど私は決して泣くことはない。特に人前では絶対に泣かない。
 母と離れることになった時も私は人前では泣かなかった。
 母がこの家を去ったのは私がまだ小学校に通いだす前のことだ。私にはその理由が分からなかった。父にも叔父にも仕方のないことだと言われた。
 私は寂しくてどうにかなりそうだった。
 私は家の中を走り回って部屋のドアを一つ一つ開けて母を探した。
 母がいる頃からそうして母を捜す習慣があったので疲れきるまで毎日屋敷中を走り続けた。
 だが結局、母を見つけられず最後に開けた自分の部屋で泣いた・・泣き続けた。
 以前は探し回ると、どこかの部屋には必ず母がいたのに、どこにも見つけられなかった。見つけられないのは自分の努力が足らないせいなのだと、自分を責めた。
 まだ「離婚」ということが理解できなかったので子供がある程度の年齢になったら、母親という存在は子供の前からいなくなるのだと思った。
 これからはどの部屋のドアを開けても母はいない・・そう思うことにした。
 母がいた部屋が一つ、この家から消えただけだ。そう自分に言い聞かせた。
 しかしそれは違うことがすぐにわかった。父がすぐに再婚したからだ。
 その人の顔は私の前から消えた母の顔とは全然違っていた。
 少しぼんやりしたところのあった母とは違って再婚した相手の人ははっきり物を言うし、動作もてきぱきとしていた。
 私は思った・・この人は母親ではない、と。
 私がそう思っていることがどうでもいいことのようにこの人はこの家にほとんど顔を出さない。情が移るどころか顔も時々忘れるほどだ。
 あの人は東京にいた頃の小学校の入学式には姿を現し、一度だけ授業参観の時に教室に入ってきて他の母親と並んで、いかにも「あの子の母親です」というような顔をして立っていた。
 家にいる時は父と仕事の話を夜遅くまで話していることがあった。
 その中には私はいない。
 私はあの人の作ったものを食べたことは一度もない。家の食事はその頃にいたお手伝いさんの島本さんが作ってくれていた。島本さんが私の母の代わりみたいなものだった。
 そしてその島本さんも辞めることになってその代わりに静子さんが来た。
 静子さんは料理や家事は島本さんより優れているとはお世辞にも言えなかったけれど、 島本さんよりずっと若く勉強やスポーツはよく出来た。私にとって静子さんはいい教師だ。

 そして、母がいなくなり、父が亡くなった時も私は人前で泣かなかった。
 父にずっと言われていたからだ。私は父の言いつけをきちんと守った。
 後で父の言うことがわかった。人前で泣くと相手に弱みを見せることになるからだ。
 父が言うのには私はいずれ父の事業を継がなければいけないそうだ。
 まだ事業のこととかはよくわからなかったけれど私は人前で絶対に泣かなかった。
 あの人・・形だけの母親がいたせいもあって、この人のいる所では絶対に泣かないでおこうと自分を勇気づけた。
 どうしても泣きそうになった時には自分の部屋に入って思いっきり泣いた。
 父が亡くなった時でさえ私は人前で泣かなかったのだから、もうこの先、一生、私は人前で泣くことはないと思う。
 そう、静子さんは「慌てんぼさん」だけど、私の方は「強がりな女の子」だ。

「静子さん、そんなことはないわ」私は静子さんの言ったことを否定して「みんなの話してる漫画の世界の話には興味があるわ」と言った。
「そ、そうですか・・」
 静子さんは自分の言ったことを否定され少し自信をなくしたように見える。
「たぶん、漫画の中の話だけど、魔法の・・」
「魔法?」
「ええ、魔法・・よ」
「それは魔法が使える女の子の話でしょう?あくまでも空想の絵空事です」
「みんなが言っているのはそれのことかしら?」
 教室の中で聞こえてくるみんなの声はどれも断片的なことなのでよく理解できない。
 やはり静子さんに漫画の本を買ってきてもらった方がいいのかしら?
「それと結婚・・の話とか・・」
「魔法」という単語の他にも「結婚」とかの言葉もよく出ていた。
 少女漫画なのにどうして結婚の話が出るのかわからない。
「結婚?」
 静子さんは口元に持っていっていたカップをお皿の上に戻した。
「そういえば静子さんは結婚はしないの?」
 ついでに私は前から気になっていたことを訊ねてみた。
 静子さんは結婚すれば今の仕事はどうするのかしら?
 この家を出るのだろうか?それとも仕事を続けてくれるのかしら?
 そのことを考えると少し不安になる。
「結婚ですか・・」
 突然の問いかけに静子さんは戸惑っているように見えた。



 恭子さまはテラスの丸テーブルの向かいに両脚をきちんと揃えられてティーカップを手にしている。ティーワゴンには恭子さまがいつでも紅茶のお替りができるように準備してある。
 これは私の好きな時間。とても大切な時間。
 明日、駅前の本屋さんに行って漫画の本を探そうと思っている。
 東京と違ってこちらの品揃えはどうなのだろう? 単行本よりまずは雑誌から読み始めるのがいいのかしら?店員さんにお勧めを訊いてみよう。
 そうそう、明日は恭子さまの冬用のお洋服を揃えるのに仕立て屋が来る予定だったわ。
 それでは本屋に行くのは明後日ね。
 えっ?明後日も何か予定があったはず、後で手帳を見ておくことにしよう。
 どんなお洋服が恭子さまに似合うのだろう。
 想像の中で目の前の恭子さまのお姿に色んな服を着せてみた。
 あれも可愛い、この服も可愛い、と恭子さまには断りもせず勝手に想像を巡らせる。
 これなんかどうだろう?少し派手かしら?
 あまり派手だと学校で浮いてしまうかもしれないのでこれはやめておこう。
 日本人と違って何でも似合いそうだから少し羨ましい。
 そう思考を巡らせながら恭子さまとおしゃべりの時間を楽しんでいる時に突然問いかけられた。
「静子さんは結婚はしないの?」
 恭子さまは紅茶を飲みながら無邪気な顔で訊ねた。
「前から静子さんに訊こうと思っていたの」
 あまりにも突然だったので飲みかけの紅茶をぷっと吹き出しそうになる。
「私は・・」私は少し口ごもらせ「私には、そんな相手、いませんから・・」と答えた。
 私は紅茶カップを手にしながら、昔、コーヒーをよく飲んでいた日々のことを思い出していた。
 私にもそんな相手らしき人が前にいることはいた。
 それは恭子さまに初めてお会いした日のこと・・


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