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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第28回   パーティ


 コック達が朝から慌しく動く。
 水周りも直し、奥さまの指示通り植木も直してもらった。
 ピアノの調律も終え、恭子さまは何度か、そのピアノを弾いた。
「静子さん、そんなに心配しなくても大丈夫よ」と恭子さまは私を安心させるように微笑んだ。あとは滞りなく懇親会を終えることができればいい。
 夕方、予定通りの人数が大広間を埋め尽くした。万全の準備だった。
 立食パーティー形式で各所に丸テーブルが置かれ、その周りをグラスを手にした貴賓が囲む。ワインにビール、日本酒、ウイスキーの水割りが振舞われ、神戸の高級牛肉が中央で焼かれだすと煙と匂いが漂い始め客人たちの顔が酔いや熱気で赤くなる。
 奥さまは客人の対応に余念がない。あちこちのテーブルに寄っては満遍なく挨拶を繰り返し笑顔を惜しげもなく見せている。
 恭子さまが短い挨拶をして「エリーゼのために」を弾き始めた。
 貴賓たちも酔っているせいなのか、あまり聴いていないように見える。
 コンクールに備え人前で弾くという練習にはなるかもしれない。
 私は厨房と広間との往復で恭子さまのピアノをゆっくりと聴いてもいられない。
 少し、時間が出来て広間の片隅に立ってピアノの音色に耳を傾けていると、お酒に酔った年配の男に絡まれだした。
「家政婦さんもこっちに来て一緒に肉を食ったらどうだ」
「いえ、仕事がありますから」丁重にお断りする。
「かたいことを言う家政婦だな、愛想のない!」
 困った。
 パーティではよくあることだが、私は酔った男の対応は苦手だ。それに私はあしらい方も上手ではない。
「そうそう、ヤマネさんの言うとおりだぞ」
 もう一人の年かさの男が酔ってきて顔を近づける。息がアルコールと煙草の匂いでムッとする。いつまでたってもこの匂いには慣れない。
 腕をぐっと掴まれた。酔っ払いで一番イヤなのは体を触られることだ。
 自分たちの席に連れて行こうとしているのか?立場上そういうわけにはいかない。
 腕を掴んだ男が床に躓いたのかグラスが傾き私のスカートにワインがかかる。
 そんなことで謝りもしないのが酔っ払いというもの。
 私は男の手を振り払おうと腕に力を込めた。
 その時、男たちの向こうから声がした。
「あら、ヤマネさん、それにサエグサさん、お仕事のお話の続きをあちらでしましょうよ」
 奥さまがグラス片手に男たちに向かって微笑んでいた。
「遠野さん、ここはいいわ」
 奥さまは小さな声でそう言い、どこかに行くように目配せをした。
「は、はい・・」
 奥さまに助けられた。
 ヤマネと呼ばれた男が「しょうがねえなあ」とぼやくのが聞こえた。
 私は男たちから離れ、とり合えず厨房に入った。
 また後で奥さまからお叱りを受ける。
 恭子さまのピアノが終わったらしくまばらに拍手が上がった。
 私の聴く限りではミスはなかったみたいだ。



「遠野さんもお掛けなさい」
 パーティが終わった後、私は奥さまに居間に来るように言われた。
 前回のパーティではここで反省会をグストフ氏と三人でした。今回はグストフ氏は呼ばれていないようだ。
 恭子さまは部屋で休まれた。たぶんお疲れになったと思う。
 私は奥さまの向かいのソファーに浅く腰掛け背筋を伸ばす。
「遠野さん、ご苦労さまだったわね」
 奥さまは煙草の煙をスーッと吐き出した。顔が赤い。
「奥さま、先ほどはありがとうございました」
「ああ、あれ・・そうね、遠野さんも酔った人をちゃんと扱えるようにならないといけないわ」
 また島本さんと比べられるのだろうか?島本さんなら、ああいう場合どうしただろう?
「いやな男たちだったわね・・お酒臭くて・・大嫌い・・」
 そんな話ではなかったようだ。
 コップの水が空になっているので注ぎ足す。
 奥さまは水を勢いよく飲み干したのでまた水を足す。まだ酔いが残っているようだ。
「あの子、ピアノ、上手だったわね・・」
 奥さまはコップ片手に呟くように言った。
「ええ、ミスがなくてホッとしました」
 明日、恭子さまにちゃんと誉めてあげよう。
 えっ、それより、今、奥さまは恭子さまをお誉めになったの?
「遠野さん、ミスがなかったってわかるの?」
「はい、何となくですけど」
 ピアノはよくわからないけれど、よく耳にする「エリーゼのために」の音楽が続いていたのでミスはなかったと思える。
 奥さまは「そう・・」と言った後「子供って、成長するものなのね・・」と続けて言った。
「えっ、恭子さまのことですか?」
 やっぱり酔っておられる。奥さまには似つかわしくないセリフだ。
「この前、びっくりしたわよ。『何も知らないくせに』なんて・・どこかの不良娘かと思ったわ」
 あれは成長とは言えない。それにあの言葉は少女漫画の・・でもそれは奥さまには言えない。黙っていた方がいい。
「でもあの子は、私の娘ではないわ、何があっても」
 そう言うと壁に掛けてある西洋絵画を眺めた。
 バレエをしている少女を中年男が眺めている絵だ。
「あの子には悪いけど、しょうがないわ」
 どういう意味?もう少し奥さまの話を聞いてみようかしら。
「私ね、パーティの席では絶対に着物は着ないの」
 何を言っているかわからない。そういえば奥さまの和服の姿は見たことがない。
 いつも洋装で着飾っている。それが奥さまのステータスなのだと理解している。
「遠野さんは気にしているようだけど・・」
「何がですか?」
「私が恭子さんにつらくあたることよ」
「それは、お嬢さまがお可哀想で・・」
 奥さまは今度は反対側の壁の絵を眺めた。女神が群集を引き連れている「革命」の絵だ。
「・・できると思う?」
 え?・・よく聞こえなかった。
「あの子に、私が優しくできると思う?」
「あの、奥さま、どういう意味でしょうか?」
「優しくなんかできるわけなんかないわよ」
「お嬢さまには優しくして欲しいです」
 その願いが叶うなら、もう奥さまに言うことはない。私はいつまでも島本さん以下でもかまわない。
「あの人は最後まで私を見なかった・・」
 奥さまは私の顔を見ずにそう言った。ずっと遠くを見ているように思えた。
「ご主人、ヒルトマンさまのことですか?」
「私が『あの人』って呼ぶ人は他にいないわよ」
 ヒルトマンさまが奥さまを見なかった?
「頭がガンガンするわね、お酒のせいかしら?それとも煙草のせい?・・煙草、もうやめようかしら」奥さまは吸いかけの煙草を灰皿でギュッと潰した後、こう言った。
「遠野さん、私だってね、この家に嫁いできたのよ」
 それは小さな心の叫びに聞こえた。
「最初、不安もあったわ。政略結婚だと周りの人に何度も言われたわ」
 政略結婚という話は島本さんからも聞いた。
「でもね、その時、私、まだ二十代の娘よ。一応、ぎりぎり夢見る乙女よ、それも相手は外人・・言葉の不安もあるし、文化の違いもあった。相手には娘さんもいる。上手くやっていけるだろうか?いろいろ考えたわ」
 立て続けにしゃべる。私が間を挟む隙もない。
 どうしてこんなに話すのだろう?恭子さまにあのように言われたのがショックだったのだろうか?
「いくら家政婦さん、その時は島本さんだった・・家政婦さんが家にいるからといって、甘えるわけにはいかないわ。私は夫を支えなければならない・・家事や料理も勉強しなきゃ、って思ったわ」
 奥さまには申し訳ないが、信じられなかった。
「そして、何よりも一番に考えたわ、『私は夫を支えてあげることができるのか』って・・」
 奥さまの顔はまだ赤い。やはり酔っておられるのだろう。
「でもね・・」
 少し声が落ちた。
「あの人ね、お見合いの席で、私ではなく、桜の花ばかり見ているの・・」
「桜の木があったのですか?」
「ええ、東京でのお見合いの席の庭にね。もう満開よ。確かに綺麗だったわ。だからといって私の方を見ないのはおかしいわよ。そして、私も桜を見ながら思ったの」
 なぜか、その時の奥さまの気持ちがわかる気がした。
「ああ、この人の心はここにはない、って」
 その時、ヒルトマンさまはまだ前の奥さま、由希子さまのことを思っていたのだろうか?
 ヒルトマンさまの方はそれでかまわなかったのかもしれないが、奥さまはさぞお辛かったであろうと察する。
「あの・・縁談を断るわけにはいかなかったのでしょうか?」
「そんなわけにはいかないわよ。いくら、形だけの結婚でも、うちの家は財閥系の厳格な家だったし、長田の家との密接な繋がりもできつつあった」
 上手くいかないものだ。そんな結婚がなければ恭子さまの境遇も少しは変わっていたかもしれないというのに。
「あの人が亡くなった時、あの女にも財産の一部が譲渡されたのよ。別れた時の慰謝料の他によ!・・そんな話、聞いたことがある?」奥様は声を荒げ息を継いた後こう言った。
「・・できると思う?」
 再び、さっきと同じ言葉を吐き出すように言うと奥さまは顔を見られたくないのか右側の絵を見た。いや、おそらく絵は見ていない。泣いているの?
「そんな扱いを受けて、あの子に優しくできると思う?」
 そう言うと私の方を向き直った。やはり顔がまだ赤い。
「あの、先ほど言われた、奥さまが和服を着ない、っていうのはどういう意味なのでしょうか?」
「遠野さん、由希子さんの写真を見たことあるでしょう?」
 あっ、写真の中では由希子さまは見事に綺麗な和服だった。
「由希子さんは和服の似合う美人だったのよ・・」
 これが男女の・・結婚の辿りつく先の話なのか。
 恭子さまと結婚について話し合ったが、こんな話はとてもできない。
「この先、私があの子に優しくすることはないと思うわ」
「そんなっ」
 この場に恭子さまがいなくてよかった。こんな言葉、恭子さまが聞いたら何と思うか。
「あの子、じゅうぶん遠野さんになついているわよ、島本さんの時よりも」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ」と言って奥さまは笑みを少し浮かべる。
 そんな言葉で嬉しくなってしまう自分が情けない。
「あの、奥さま、時々、こう思うのです。私の存在が奥さまとお嬢さまを遠ざけているではないかと・・」
「遠野さんがいなくなったら、私、困るわよ」
「けれど、私は奥さまにお嬢さまにお優しく接して欲しいのです。それが遠野静子の願いです」
 そう私が言うと奥さまはふーっと大きく息を吐いた。もう顔色が戻っている気がする。
「考えておくわ・・それと、今日、私が言ったことは恭子さんには内緒よ」
「当たり前です!」私が大きな声を出すと奥さまは小さく呟いた。
「・・やめないでよ・・」
「えっ、今、何とおっしゃいました?」
「遠野さん、ここを辞めないでって言ったのよ」
「は、はい・・」
 いきなり何を言いだすのかしら?
「遠野さんが辞めてもらったら困るわよ、私が文句を言うのは遠野さんが一番慣れているのだから」
 やっぱり奥さまは酔っている。だったらこの際だ、伝えておこう。
「恭子さまは、十一月のピアノのコンクールに出ることが決まりました」
 私の言葉に奥さまの肩が少し震えた気がした。
 奥さまには出席してもらわなければならない。
「遠野さん、あなたにお願いがあるの」
 改まって、何かしら?
「お願いですか?私にできることであれば・・」
「今度の出張、すごく長くなりそうなの。あの子のピアノのコンクールどころでないわ」
 やっぱり、恭子さまの演奏は母親である奥さまに見てもらうことができない。
 ある程度予想はしていたが、やはり、つらい。恭子さまにお伝えするのはもっとつらい。
「その代わり、ピアノのコンクールの席に、あの人・・由希子さんを呼んであげて欲しいの」
「えっ、由希子さまを・・」
 予想していなかった人の名前だ。どうして?
 それに恭子さまはどう思うのだろうか?
「そのことはお嬢さまにはどのように?」
「由希子さんに決めてもらってちょうだい」
「本当によろしいのですか?」
「いいわ・・これが私のお願いよ」
「は、はい・・」
 私がそう応えると奥さまは「そうそう、島本さんは、酔っ払いにからまれたら怒鳴っていたわよ」と微笑みながらそう言い残し部屋に戻った。
 居間に一人きりになると壁にかけられている西洋絵画を改めて眺めた。
 女神が民衆を引っ張っている。彼女に多くの人々がついて来ている。
 ここに描かれた女神はどのような言葉でこれほど多くの人を動かしたのだろうか?


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