20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第24回   交差する思い


 静子さんは手のひらを空にかざしていた。
 お天気のいい日、噴水の近くの芝生の椅子に座り静子さんがよくそうしているのを見かけた。日光浴でもしているのかしら?
 静子さんは少しの間そうした後、お庭の掃除をしたり花壇に水を撒いたりする。
 あれは何をしていたのかしら?
 普段忙しい静子さんのそんな姿は珍しい。
 そして、その姿がとても綺麗だった。そのせいかはわからないけれど私にはそうしている理由を訊くことができなかった。
 静子さんが唯一、仕事を離れている時間を邪魔するわけにはいかない。
 思い出せば、父が生きていた頃、芝生の同じ場所で二人が語らっているのを何度か見かけたことがある。
 私と接する時とは違う二人の顔をそこに見た気がしていた。
 あの頃は父の病気が心配で眠れない日々が続いていた。父が倒れる度に病院に行き待合室で待ったり父の病室に行ったりした。
 最後に病院に行った時には、父のベッドのまわりを大勢の大人たちが囲んでいるのが見えた。
 その中にあの人、義理の母の姿はなかった。その方がよかった。父の姿をあの人に見られたくない。
 叔父が私の背中を押して父の傍に立たせる。
 父を見た瞬間、私はこの世界の終りだと思った。
 気が抜けていく・・立っていられない・・
 その時、私の背中を支えてくれたのが静子さんだった。
 静子さんは私の大事にしているクマさんのぬいぐるみを家から持ってきてくれていて私に持たせてくれた。私はしっかりとぬいぐるみを抱きしめた。そうして泣くのを堪えた。
 クマさんがなければ静子さんに抱きついて泣き出していたかもしれない。
 静子さんがいなければ私は私でなくなってしまう・・そんな気がする。
 この家に静子さんとずっと二人だけならいい。
 けれど、そんなわけにはいかない。二人きりの時間を引き裂くようにあの人が時々帰ってくる。
 あの人と会話をすれば私はまだまだほんの子供だということを思い知らされる。
 私はあの人の前で思っていることを口に出せない。
 そんな時にも静子さんが私の方に立ってくれる。
 私の成績が少し下がった時も「奥さま、私の教え方が悪かったのです」と自らあの人に説明をし始めた。
 そんなこと言わなくてもあの人は私の成績など気にしていないのに。
 静子さんがいなければ私はただのお人形さんになってしまう。いつも「はい」「お母さま」「ありがとうございます」などをオウムのように繰り返すだけのお人形。
 何か無理なことを命じられても「はい」と言ってしまいそうだ。
 だから、静子さんには本当にいつも感謝している。
 ずっと私のそばにいて欲しい。無理をしないで欲しい。
 私も何か手伝いたくて、洗濯機を買い換えた時、使い方を覚えようと説明書を読みながら洗濯機をいじっていると、シーツを抱えた静子さんに見つかり「恭子さまっ!」と大きな声をあげシーツをその場に置くと「そんなこと、おやめくださいっ。お願いですっ、お願いですっ」と何度も繰り返した。
 お皿洗いも何度も手伝おうとしたけれど、させてもらえなかった。
「静子さんは私を過保護な女の子にさせるつもり?」と言うと静子さんは笑うだけだった。

 そんな静子さんが倒れた・・倒れたというよりも厨房で寝ていた。
 結局その後、静子さんは部屋に紅茶を持ってきた。
 珠算の授業が終わると静子さんは先生を門までお見送りしてまたキッチンに入った。
 私は食事まで本を読んでいようと部屋に戻ったがしばらくすると、階下からいい匂いがしてきた。
 今読んでいる本は母の部屋にあったもので、あの漫画「冬の夢」の原作者フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」。
 今度は英書ではなく日本語の本だけれど大人向けの本なので5ページ辺りから全然先に進まない。手元に漢和辞典を置いて辞書を引き引き読む。
 1ページ目のギャツビーの父が主人公に言う言葉が印象に残った。
「誰か人を非難、批判しようと思う時には、必ず、相手の人の立場に立って考えなさい」
 1ページ目に書いてあるということはこの言葉がこれ以降の話に関わってくるのだろうか?
 でも読み続けるのは無理かも。
 リビングに降りると静子さんがエプロン姿で待っていた。
 エプロンの下はちゃんと着替えているみたい。
「恭子さま、今日はビーフシチューですよ。お肉たっぷりですよ」
 静子さんの表情がどこかぎこちない。オムライスの時みたいに泣き笑いのような表情。
 椅子に腰掛けると静子さんも合わせて座る。
「また島本さんの虎の巻で作ったの?」
 オムライスの時、自分の学生時代のやり方で作ったものと島本さんの虎の巻で作ったものとを比べて全然違うと嘆いていた。
 静子さんのやり方で作ったオムライスはどうなったのだろう?
 ちゃんと食べたのかしら? もしかして捨てたの?
「え、ええ、そうですけど・・」
 そう言った後、コホンと一つ咳払いをして静子さんは語り始める。
「恭子さま、島本さんの虎の巻は本当によく考えられて作られているんですよ。栄養バランス・・それも大人と子供に分けて書いています。それから、火の加減、調味料の配合の仕方、火の通し方も・・全部、本当によく考えられています。島本さん本人に聞いたわけではないのですけど、私が思うのには島本さんはどこかで専門的に習っていたのではないでしょうか? そして、恭子さまと同じような年頃の女の子の食事も長い間、作っていたのではないでしょうか?そうでないと、こんな完璧な虎の巻、簡単に作れないですよ。私だったら・・」
 もういいわ・・
 静子さん、どうしてそんなに饒舌なの?
 どうしていつもそんなに明るく振舞うことができるの?
「いただくわ」私は静子さんの言葉を途中で切ってシチューをすくい口にする。
脂の食感がしつこくなくお肉も柔らかい。また二口目を口に入れたくなる。
「おいしいわ・・」
 そう言うと静子さんの顔に笑顔がこぼれる。
「しっかり食べて栄養をつけてくださいね。また風邪を引いたりしたら大変ですからね」
 静子さんの方こそ。
「それとお肉はよく噛んでくださいね」そう言いながら静子さんはようやく食べ始める。
「この前の漫画のことだけど・・」私はお水で喉を潤しながら呟くように言う。
「ええ、あの『冬の夢』が原作の漫画ですね。あれがどうかされました?」
「主人公の元恋人のジュディは主人公と別れて別の男と結婚してからやつれたみたいだったけど、結婚ってそんなものなの?」
 静子さんも水を飲む。
「私は結婚していないのでよくわかりません。けれど、ジュディの場合は金持ちなりに色々と気苦労があったのではないでしょうか?」
 その辺りのことが原作には詳しく書かれていない。結果だけだった。短編なので仕方ないのかも。
「私のいなくなったお母さまも?」
「恭子さま、ごめんなさい、私は由希子さまにはお会いしたことはないのでわかりません」
 静子さんが色々わかっていてもそれを口に出す立場ではないことはわかっている。
 でも、こんなことを訊くのは静子さんしかいない。
「少なくとも、あの人はやつれてなんかいないわ」
「恭子さま、『あの人』と呼ぶのはよくありません・・それに多香子さまにはもう夫である人はこの世におられません」
 静子さんは「あの人」と言うだけで誰を指しているのかわかるのね。
「ごめんなさい・・でも本人には『お母さま』と、ちゃんと言っているわ」
 前にも同じことで静子さんに怒られた。
 どうしても静子さんの前であの人を「お母さま」と呼ぶことができない。
「お母さま」というのは私の中では、突然、私の目の前から消えた「お母さま」だけ。
「それで、ジュディがやつれたのは、夫が悪いの?」
 ジュディが主人公と別れて結婚した相手については原作では詳しくは書かれていない。内容上、あまり関係ないのかもしれない。
「ああ・・別の男と結婚した後、おやつれになったジュディの話でしたね?」
 うーん、と食事の手を止め静子さんは何かしら考えている様子。
 しばらくして静子さんは口を開いた。
「結婚っていうのは『夢』を求めるものではないでしょうか?」
「夢?」
「これはあくまでも私の推測です。私は結婚していないのでわかりませんが、男と女、それぞれ自分の抱いている夢があると思います・・夢があるから互いに自分の夢を相手に求めたり、押しつけたり、そして、その夢が男女のすれ違いの原因になったりするのではないでしょうか?・・」
「『理想』とはまた違うの?」
「似ているようですけど・・『理想』と『夢』とは全然違うと思います。理想は万人に少し共通するものがあると思います。例えばお金や容姿だとか・・けれど夢はみんなそれぞればらばらです。一つとして同じものは存在しないのではないでしょうか?」
 静子さんはきっぱりと言い「少なくとも作者のフィッツジェラルドは『夢』をを追い求めた作家だと私は思います」と続けて言った。
「それより、恭子さま、もっと召し上がってください。シチューのお替り、まだありますよ」
 静子さんは私の手が止まっているのを見て言った。
「静子さんは何でも知っているのね」
 私はスープを啜った。おいしい・・
「そんなことはありません。それに結婚のことなら、私ではなく島本さんならもっとご存知だったかもしれませんね」
「あら、島本さんは生涯独身って言ってたわよ」
「失礼しました・・そうでしたね」
 叔父さまも何年も前に離婚されたあと、ずっと一人きり。
 そして、あの人も・・再婚の話も出ることがない。
 私のまわりの人は独りの人ばかり。
 そんなことよりも最近、気がつくと静子さんの口から「島本さん」の名前がよく出てくることの方が気になる。
 確かに幼い頃、私は島本さんになついていた。
 でもそれは二年間ほどだ。母がいなくなってからだ。母がいた時は島本さんになつくことはなかった。
 その頃は島本さんはただのよくできた家政婦だった。私の身の周りの世話をしてくれても母がいるから島本さんの方に甘えることはなかった。
 身近な存在として頼りにしている期間はもうとっくに静子さんの方が長い。
 それに島本さんの場合、今、思えば私はいい具合にあやされていた気がする。
 それほど島本さんは私をあやすのが上手だった。
 だから私も島本さんにうんと甘えさせてもらった。寂しくなると島本さんの寝室に行ってベッドに入って添い寝させてもらった。キッチンで忙しそうにしている島本さんの後ろをついてまわった。
 そんな島本さんが私の幼い頃の母親代わりだったのなら、
 静子さんは・・
 気がつくと私は食事をし終えていた。
「ごちそうさまでした」
 私は両手を合わせて静子さんの作ってくれた料理に感謝する。
 島本さんの虎の巻に対してではない。
 静子さんも食べ終えて水を飲むと食器を片づけ始め「デザートのリンゴ、お出ししますね」と言ってリンゴの皮を剥き始める。
「私には、結婚の話は難しくてよくわからないわ」
 私はリンゴを口にしながら元の話題に戻る。
 私は男女の「理想」も「夢」もわからない。大人になればわかるのかしら?
「恭子さまは、まだ子供でいらっしゃいますから、おわかりにならないのも無理もありません」
 やっぱり大人になならいとわからないのね。
「けれど・・」
「けれど、何?」
「けれど恭子さまにも夢はあるはずです」
「私、今のところ、夢なんてないわ」
 それは嘘。
「そうでしょうか?」
 本当はいろいろある。
 クラスの女の子たちとお話がしたい。私に合わせてもらうのではなく打ち解けて話がしたい。
 そして、お母さまに会いたい・・
「私には恭子さまはたくさんの夢をお持ちのように見えます」
 やっぱり・・そんなことがわかるのが静子さんだ。
「そうね、私も夢を持ってるわ・・」私は正直に答える。
「本当ですか?ぜひとも恭子さまの夢をお聞かせください」静子さんは身を乗り出す。
 ちょっと意地悪をしてみよう。
「今度、静子さんの作る料理が食べたいわ、島本さんの虎の巻で作ったものではないものを」
「えっ」
 私が淡々と言うと静子さんの目が一瞬丸く開いた。
「これが私の夢よ」
 夢というか、私の願いかしら。
「だ、ダメですよっ・・恭子さま・・私はまだまだです」
 静子さんは両手を大きくひろげて顔の前で扇のようにぶんぶんと振った。
「どうしてなの?」
「どうしてもです!」すごくむきになって返してくる。
「一体いつになったら静子さんの本当の料理を食べさせてくれるのかしら?」
 少し静子さんをイジメている気分になってきた。
「恭子さま、困ります・・」
 どうして、そんなにもしょげるの?
「でも、それだったら、いつまでたっても、静子さんの作るものが食べられないわ」
「そうですよ・・それでいいんです」
 どうして、そんなに島本さんのことにこだわるの?
 私にはわからない。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1242