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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第17回   今年の授業参観

 そして、今日、四年生の秋の授業参観日。
 三年生の時と大きく違うことが二つある。
 一つは恭子さまの父親である長田ヒルトマン氏がこの世にもうおられないということ。
 二つ目はここは東京ではなく神戸だということ。
 今日の参観日の授業は三年生の時のような作文などではないことに少しホッとしている。
 教師が「じゃあ、みんな、机を並べ替えて!」と号令をかけると普通に並べられていた机を生徒たちは教室の中に浮かべる島のように四つの机で一組になるように並べ替えだした。
 これはグループ学習の体制だ。
 父兄の前で机を並べ替えるところから始めるのも意味がある。
 授業の内容は道徳の授業の一環みたいなもので一つの短い物語を読み、その主人公のとる行動が正しいか、間違っているかをグループで議論して発表し合うという内容だった。
 この形式では恭子さまにアドバイスすることもできないし、予習のしようもない。
 これは班分けしたグループで団体適応力また道徳なども養う授業だからだ。
 班の中で話し合われた結果が答になる。
 四人一組の班でみんなそれぞれ「私はこう思う」とか「僕は主人公は間違いやと思うで」などという声が飛び交っている。
 恭子さまは?恭子さまの班の方を見る。
 他のみんなと議論をされて?・・
 何度目を凝らしても恭子さまは誰とも話してはいなかった。
 恭子さまの班は教室の一番前だから生徒たちの声はよく聞こえない。
 それでも断片的な言葉はわずかながら耳に届く。
「私たちが・・」「長田さんは・・」「私たちが」「大丈夫」「心配しなくて・・」「考えなくていい・・」「私たちが」「答えをだすから・・」
「私たちが」という他の生徒の言葉だけが何度も聞こえた。
 恭子さまの声は一度も聞こえない。恭子さまはその合間合間に小さく頷いているだけだ。
 全て繋ぎ合わせると私にはこう聞こえる。
「長田さんは考えなくていいよ。心配しなくても。私たちが相談し合って答を出すから」
 私の推測は間違っているだろうか?
 間違っていて欲しいと思うけれど、おそらく私の推測は当たっている。
「いいグループね」
 同じ班の人たちは周りの人たちにそう思われて欲しいとでも思っているのだろうか。
 話し合いが終わったのか恭子さまは小さく「ありがとう」と言っているように見えた。
 恭子さまは他のクラスメイトとのコミュニケーションがとれていないし、恭子さまにはそうする気もない。
 他の子たちも恭子さまとコミュニケーションをとる気など毛頭ない。
 私はそれまで恭子さまは他の誰よりも綺麗で可愛く、他のみんなも憧れている羨望の的だと思っていた。
 私の大きな勘違いだ。
 私は恭子さまとテラスで語らったことを思い出していた。
 恭子さまは漫画の本のことを知りたがっていた。
 確か「魔法」とか「結婚」とかの単語を言われていた。あれは漫画を知りたいのではなく、クラスメイトの心を知りたかったのではないだろうか?
 そして同じ興味の対象を持つことによりコミュニケーションをとることを考えていたのではないだろうか?
「さあて、二班は誰が発表するのかなあ?」
 恭子さまの班が発表する番が回って来た。
 物語の内容は、主人公の少年の親友がある日、他の子たちに虐められているのを見つけて、親友を助けるか、助けないか、という設問形式の話だ。
 普通なら助けると思われるような話だが設定が少しひねってある。
 この親友は遊んではいけない、と堅く学校から禁じられている場所で普段から遊んでいた。主人公はいつも親友に注意をしていたが、この親友は耳を貸さなかった。
 それを見たクラスの子たちが虐めているのだ。しかも入ってはいけない場所だ。親にもきつく言われている。
 親友を助けるのにはこの場所に入らなければならない。
 入ることは学校の校則も親との約束も破ることになる。
 この親友は主人公が何度忠告してもこの場所に入ることをやめなかった。ある意味、この親友は主人公を裏切っていたことになる。
 結局、主人公は親友を助けなかった。
 おそらくこの問題には正解というものはない。みんなに考えさせることに意味がある。
 私の予想では「助ける」と言う人が7割、「助けない」と言う人が残りの3割だと推測する。
 恭子さまが手を上げた。
「では長田さん、大きな声で発表するのよ」
 恭子さまは小さく頷くとすっと立ち上がった。
 水を打ったように教室が静まり返る。父兄席までが聞き耳を立てている。
「私は主人公のとった行動は正しいと思います・・」
 恭子さまはなぜそう思うのかを語りだした。
 班の他の子たちに言われたセリフを一字一句間違えることなく。
 それは恭子さまが考えた言葉ではない。
 恭子さまがどう思っているのか本当のところはわからない。
 クラスの子にとっては恭子さまがどう思っているのかも関係ない。
 おそらく恭子さまは反対の意見だと思う。私にはそれくらいはわかる。
 恭子さまとは二、三年くらいのまだ短いつき合いだけれど、いつも心のお優しい恭子さまの心は私にはわかる。
 心優しい恭子さまは愚痴も言わない、つらいことがあっても私に何も言わない。
 だから班のみんなの意見にも反対しなかった。悪く言えば自分の意見を主張することができない。
 もし私の想像通り、恭子さまの考えていたことが発表したのとは正反対の意見だとしたら、恭子さまはみんなの前で嘘をついた。いや、嘘をつかされたことになる。
 恭子さまは発表を終えると静かに座った。
 他の生徒みたいに発表を終えたという達成感も緊張が解きほぐれたという感じもない。
 恭子さまの班以外の班の子供たちがざわつき始める。
「本当?」「それはないよ」「つめたいなあ」とかの短い言葉が飛び交う。
 教師が両手を大きく叩いて「はい、みんな、静かにして!」と言うと「二班のみんなの意見は、長田さんが発表したのでいいのね?」と訊いた。
 他の三人が「はい、先生!」と声を揃えて応える。
「それじゃあ、次は三班の番よ!」
 男子生徒が立ち上がると「私たちの意見は二班と違って・・」と大きく語りだした。
 三班は主人公はそれでも親友を助けるという答えだった。
 それについて恭子さまがどうお考えになっているか私にはわからない。
 わかることはこのグループ学習で恭子さまはクラスの生徒たちとまた少し心が遠のいたということだ。
 全ての班の発表が終わると私が最初した予想よりも「助ける」と発表した班が多く9割、「助けない」と発表した班が残りの1割。班は全部で10班、助けないと答えたのは恭子さまの班だけだった。
 その後、教師は道徳の話を順を追って話し始めた。
「人を思いやる心」と「社会の規律」に挟まれた場合の決断力の段階について語りだす。
 この話以外の他のケースの場合も取り出して説明する。
 生徒や父兄は深く頷きながら聞いている。この教室の中では教師が一番正しいと思っている。
 私にはこのグループ学習のやり方が正しいとは到底思えないし子供たちの今後の人生にどれだけ役に立つのかもわからない。
 去年の参観日同様、こんな授業はいらないと思う。
 私が小学校の時にも似たようなことを授業でしたことがある。
 もしかするとその授業の時にも同じようなことがあったかもしれない。みんなで話す輪の中に入れない子供がいたかもしれない。
 そんな誰かが教室の片隅で一人で悲しい思いをしていたかもしれない。
 私はその時気づいていなかっただけだ。ここにいる教師や生徒たちと同じように。

 授業が終ると、私は急いで車を停めてある学校の裏の駐車場に回った。
 いつもは校門の前で待つのだけれど、今日は恭子さまから「お掃除当番があるから、駐車場で待っていてちょうだい、後で行くわ」と言われたので駐車場の車の横で待つことにした。
 駐車場には車は20台ほど留めてある。
 その中で私のように車の横に立って待っていれば人の目を引く。辺りの子供たちがちらちらと見ていく。そして私以上に目立つのがこのドイツ製の大きな高級車だ。
 三十分ほど経つと恭子さまが校舎から出てくるのが見えた。
 校舎の裏側、銀杏の木が連なった小道を恭子さまがこちらに向って歩いてくる。
 他にも生徒たちがまだ大勢いる。数人でおしゃべりしながら下校する子、放課後なのに校舎の裏でまだボール遊びを続けている子、ハーモニカの練習をしている子。
 いくら子供がたくさいても恭子さまのお姿はすぐにわかる。今まで何度も何度も恭子さまの髪の色を見つけた。
 私が手を振って場所を示さなくても車が目立つので恭子さまはすぐにこの場所を見つけたようだ。
 ブロンドの髪が秋の風に静かに揺れている。
 そのお姿が泣いているように感じられるのは秋という季節が私を感傷的にさせているせいなのか。
 歩くのがいつもより遅い、と感じた。
 それにあんなに小さかっただろうか?いつもテラスで紅茶をご一緒する時にはエレガントな雰囲気を持っていてもっと大人びて見えたのに。同年齢の女の子の中でも背丈が高いはずなのに。こんな小さな姿をはじめて見た。
 まだ恭子さまは小学四年生の女の子だ。親がたっぷりと愛情を注ぎ込んであげなければならない年頃の女の子だ。
 こんな時、私はどう恭子さまに声をおかけしたらいいのだろうか?
 そのお姿を見ながら私は思う。
 今の恭子さまには父親がいない、母親もあの状態ではいないのと同じ。
 そして愚痴を言ったり、悩みを打ち明けあったり、楽しいことがあれば笑いあったりするような友達もいない。
 私では恭子さまにお友達を作ってあげることはできない。
 私には無理だ。家政婦の立場の私ではどうしようもできない領域がある。
 恭子さまが来ると私は「お疲れさまです」と言って車のドアを静かに開けた。
 いつも通り「静子さん、ありがとう」と言い車の中に小さな体を入れる。
 この車はどこを走っても恥ずかしくない立派過ぎるほどの高級車だ。誰もが羨ましがり、 普通の人はこれに乗ることは夢だけに終わってしまう。
 けれど今日はその車が恭子さまを閉じ込めるための冷たい鉄の檻に見える。
 恭子さまの体が車の中に入ったことを確認すると私はその檻の蓋のようなドアを閉める。
 檻の中に入っても恭子さまは決して文句を言うことなどない。
 運転しながら私は「恭子さま、難しい問題でしたね。最近の課題は難しくて私にもよくわかりませんね」と恭子さまに話しかけた。
 私は恭子さまがみんなと出したあの答が正しいと言うことができない。
 私の中には小学校の問題の答すらない。
 恭子さまは「そうね・・」と言った後、何かを言いかけたようだが、それっきり黙ってしまった。
 恭子さまは私の方を見ずに窓の外の移りゆく景色を見ている。
「本当に・・難しくて・・私にはよくわかりません・・」
 私は恭子さまの発表した内容には触れずにそう繰り返した。
 私は目の奥がツンとして自分の声が震えだしたのに気づいてそれ以上は言葉を続けられなかった。


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