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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第15回   ポートタワー


 その日は国民の祝日だった。
 私の仕事は年中無休のようだけれど、国民の祝日になるとグストフ氏や恭子さまから休むように言われる。
「休みはいらない」と言ったけれど、恭子さまに「ポートタワーにでも行ってきたら?」と言われた。私、ポートタワーに行きたいなんて言ったかしら?
「恭子さまもご一緒しませんか?」と誘うと「私、高い所、ダメなの」と断られた。
 せっかくなので有り難く休みを頂くことにした。
 駅に着くとまず久々に珈琲専門の喫茶店に入り学生時代によく飲んでいたキリマンジャロを注文した。
 飲んでみて意外だったのはコーヒーがそんなに美味しく感じられなかったことだ。紅茶の方が美味しい、と思った。
 恭子さまとご一緒に頂くレモンティーの方が。
 私の味覚、体も長田家に合うように変わってしまったのだろうか?
 喫茶店を出た後、念願のポートタワーの最上階に上がり神戸の景色、瀬戸内海、大阪湾を見下ろした。
 北側には六甲山系の山々が見える。東には長田邸がある東神戸の山裾もきれいに見えた。
 私は以前東京にいたのに東京タワーには一度も昇ったことがないから、ここは私の人生では一番高い場所になる。
 ここにいると全てが見える。
 私は思い出していた。ヒルトマンさまのことだ。
 前の妻である由希子さまのご実家は驚いたことに長田邸のすぐ近くにあった。
 ここから神戸の全てを見渡せるように、長田邸の三階、ヒルトマンさまが住む予定だった部屋からは、由希子さまの実家が見渡せる。
 実際に長田邸の三階に上がってみてわかった。天井川を挟んで南西の方角に見える。
 木々に囲まれて一階部分は見えないが、日本の古い家屋で天井も高いせいなのか二階部分の窓がきれいに見えた。
 ヒルトマンさまは前妻の家が見える場所に長田邸を建てた。
 いったい何のために?
 由希子さまは現在は確かにあそこに住んでいるが、再婚をすればいる場所は変わってしまう。そんな不確実な将来のことでご実家の近くに邸宅を建てたりはしないだろう。
 それに今の奥さまにも知られてしまう。
 これは私の考え過ぎなのだろうか?
 たまたまあの位置に前妻の実家が建っているのに過ぎないのだろうか?
 私は東京のご邸宅の庭で太陽に手をかざしていた彼を思い出した。
「こうやって手のひらを太陽にかざすとね。太陽からいろんないいものが入ってくるらしいよ・・誰かの愛情とか・・」
 あの時、ヒルトマンさまは本当に太陽に手を伸ばしていたのだろうか?
 それとも?
 思いを巡らせながらポートタワーを降りた後、三宮の商店街をぶらぶらと歩いた。
 人が多い。みんなどこに行くために歩いているのかしら?
 人が多すぎてぶつかりそうになり何度も人を避ける。
「遠野先生?」
 突然、斜め前から声をかけられた。
 二人の二十代と思われる女の子だった。声をかけてきたのはショートカットの方だ。
「美香ちゃん?」
 私は遠い記憶を呼び起こした。
「やっぱり遠野先生だっ! はい、その通り美香ですよ!」
 私が家庭教師をしていた時の生徒だ。高校生の頃とは印象が随分違っていたからすぐにわからなかった。
 ずいぶんとからかわれ最後にはくびになった。あの時の自信喪失の感情は今も根深く残っている。
「どうして、こんな所に?」
 この子の家は東京だ。
「友達と神戸観光なんです!」
 ああ、それで・・もう一人の子はお友達ね。
「それで、先生はどうして神戸にいるんですかあ?観光?」
「ええ、今、私、神戸のある家で家庭教師をしているの」
「へえ、やっぱり『先生』なんだあ・・でも以前とすごく印象が変わりましたよ」
「そ、そう?」
「最初、先生だとわからなかったんですよ。なんか議員さんの秘書みたい」
 それに近いのかもしれない。
「美香ちゃん、それで・・だ、大学は?」
 私にとっては一番気になることを訊く。合格、不合格、どっち?
「志望大学ですかあ?・・ちゃんと受かりましたよお」
 美香ちゃんは受かっていた!
「全部、遠野先生のおかげですよ」
 私のおかげ?・・私、家庭教師をくびになったのに。
「私、もう来年、卒業ですよ」
 ああ、もうそんなに時間が経っていたのか。
「うふっ、あの頃、私、遠野先生でストレス発散させてもらってましたっ」
 美香ちゃんは勢いよくそう言うと舌をペロっと出した。
 ああ、そういうこと・・ひどい話・・
「と、いうのは冗談で・・あの頃の私、ちょっと寂しかったんです」
 美香ちゃんの表情が少し真顔になる。
「寂しかった?・・」
 そんな感じは受けなかった。
「あの頃、うちの両親、喧嘩ばかりしてて、離婚寸前だったんですよ。私、両親の喧嘩を毎日のように見せられて、もう誰に不満をぶちまけたらいいのか、わからくて、丁度いい所に先生がいたんですよ」
 やっぱりひどい話だ。
「先生は知らなかったでしょう? 先生が辞めてから、私、家を飛び出したりしたんですよ」
「美香ちゃん、家を飛び出したの?」
 この子、そんな無茶をする子だったんだ。私には逆らっても親の言いつけはちゃんと守るいい子だとばかり思っていた。けれどそれは私の勝手な思い込みだったのかもしれない。
「でも私、どこにも行く所がなかったから、先生の家に泊めてもらおうと思って近くまで行ったんですよ。けど、先生のお家、見つけられなくて・・」
 そうだったのか・・
 何も知らなかった。私は美香ちゃんを知ってあげなかった。
 私はヒルトマンさまが言った「人の心は誰にもわからない」という言葉を思い出していた。
「先生、せっかく会えたのにこんなことを言うのは気が引けるんですけど」
「な、なに?何でも言ってちょうだい」
 こうなったら何でも聞くわよ。
「先生、真面目過ぎるんですよ」
 何度も聞いた言葉に言葉を返せなかった。
「私が意地悪しても、笑って返してくれればよかったのに」
 返せない言葉だったけれど、私は声を出して笑いたくなった。
「でも、美香ちゃん、私にノートを投げつけてきたりしたわよ、蹴られたし・・そうそうお尻も触られたことがあったわ」
 私が微笑みながら言うと隣の子が「美香、そんなことしたの?」と言った。
「私、少しやりすぎでしたね」美香ちゃんもそう言って笑った。
 見上げると空が青い、私の目には青過ぎる。
「先生、私たち、今からポートタワーに行くんです!」
「ポートタワーなら、私、さっき行ってきたわよ」
「今日の天気なら、景色が綺麗に見えるでしょうね・・」
美香ちゃんは空を見上げながら言った。
「ええ、綺麗に見えたわよ」
 今日は色々見えた。景色も人の心も。
「じゃあ、行こっか?」
 美香ちゃんはもう一人の女の子に声をかけた。
「先生、あの時は本当にごめんなさいっ、そして、ありがとうございましたっ!」
 大きな声で美香ちゃんはそう言って去っていった。
 二人の背中を見送りながら私は思う。
 人って本当にわからない。
 今度、ここに来る時は恭子さまと一緒がいい。ポートタワーにご一緒に上がろう。
 それまでに恭子さまの「高い所は苦手」というのを克服してもらわないと。


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