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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第12回   神戸


 神戸はヒルトマンさまの言っていた通り美しい町だった。
 邸宅は神戸の東にある町、そこに流れる小さな川「天井川」の近くに建てられている。
 完成する前、取引する業者の選定や家具の配置、庭の様子などを見るために何度か新邸宅に足を運んだ。
 東京の邸宅よりも大きい造りとなっている。住む人は少ないが来客の宿泊する部屋や晩餐会などの広間などを造ることになるとこれくらいの大きさは必要らしい。
 私の住み込みの部屋も東京より大きくなった。
 長田グループの事業の拠点が神戸に移されると同時に主な会社、工場の半分ほどが次々と神戸に移された。
 邸宅が完成したのは五月だったが、恭子さまの学校のことや、事業のことですぐには越せなかった。
 恭子さまが小学四年生の夏休みを東京でお盆まで過ごされ、新しい小学校の二学期の始業式に間に合うように越した。
 慌しい引越しだった。普通の家の引越しとは全く違う。引越しは真夏の中、行われた。一週間まるまるかかった。肉体的にもあれほど疲れた日々は他にない。
 私はヒルトマンさまの命が神戸に越すまでもつものとばかり思っていた。
 結局、ヒルトマンさまは桜を見るどころか、新しい邸宅で過ごすことはできなかった。
 けれど彼の希望通り邸宅の門を開けると桜の木が続く道がある。
 春になればこの道に桜が咲く。
 そのことを考える度にヒルトマンさまと語らった日々のことを思い出す。
 生きておられればヒルトマンさまはこの地、神戸で何をするつもりだったのだろう?
 ヒルトマンさまの目的は事業のこと以外に考えていたことがあったと思う。
 私は知らなければならない。
 ヒルトマンさまの前の妻、長田由希子のことを。
 彼女は今、神戸に住んでいる。
 私がこれほど彼女のことが気になるのには理由がある。
 それはこの邸宅のせいだ。
 この邸宅にはすごく不自然な場所が一箇所ある。
 信じられないことだが邸宅の二階にはヒルトマンさまの前の妻、由希子さまの部屋があるのだ。
 一体、ヒルトマンさまは何を考えていたのかしら?
 私はヒルトマンさまの悪戯っぽく微笑む青い瞳を想い出していた。
 ヒルトマンさまが今の奥さまにどのように言って前の奥さまの部屋を東京の邸宅から神戸にそのまま移すことができたのかわからない。
 本棚も含めて部屋の家具調度類、壁に掛けられた西洋絵画に壁紙の模様まで、あらゆるものが全て東京の邸宅の由希子さまの部屋そのままだ。
 東京の邸宅に由希子さまの部屋が残っていたことも不自然なことなのに、それを神戸に移すなんて私には信じ難い。
 恭子さまは喜ばれると思うけれど、いくら家にほとんどいない奥さまでも心中穏やかではないはず。いつかは奥さまに撤去されるかもしれない。
 それともヒルトマンさまの遺言に何か書いてあったのだろうか?
 私は相続関連の事務からは外されていたのでその辺りのことはあまりわからない。
 一度奥さまが言われたことがある。
「この家には亡霊が住んでいるのよ・・」と。
 前の奥さまの生霊があの部屋に住んでいるというの?
 ひょっとして奥さまがほとんど家にいないのはあの部屋があるせいなのでは?
 家政婦の身であれこれ詮索するのもよくないことは重々承知だけれどやはり考えてしまう。
 知らなければ私はいつまでも恭子さまと同じ位置に立てない気がする。



 やはり気になったので漫画の本を探すため暇を見つけて駅前の本屋さんに行くことにした。
 ヒルトマンさまの前の妻、由希子さまのお部屋で本を読むようになってから本屋さんに行くことはあまりない。
 邸宅の側を流れる天井川を下っていくと広い道に出る。十字路を西に曲がれば古い商店街、東に折れるとすぐに駅に出る。
 この川の散歩道にも桜の木がずっと南の方まで植えられている。
 ヒルトマンさまが神戸の川沿いで見た桜というのはここのこと?
 歩きながら漫画ではなく由希子さまの書棚のことを考えていた。由希子さまは日本の方なので書棚には日本の文学が数多くある。森鴎外、島崎藤村に芥川龍之介・・
 だが中にはドイツの文豪ヘルマン・ヘッセやロシアのドストエフスキーの「罪と罰」などの海外文学も並んでいる。
 あらすじだけ知っているものも多いが、あらすじすら知らないものの方がもっと多い。
 恭子さまのお許しも出ているのでそれらも少しずつ読んでいこうと思っている。
 それにしても由希子さまはどうしてあれだけの本を残していったのだろう?
 恭子さまに読んで欲しかったのか?ただ不要になっただけなのか?
 まだ読んでいないが、他にアメリカの文学もあったはず・・
 だったら、あのアメリカで映画化された有名な小説もあるのかしら?
 その小説のあらすじを思い出そうとするとなぜかヒルトマンさまのことが頭に浮かんだ。

 本屋さんのドアを開けると新刊の本のインクの匂いが鼻をつく。
 それにしても小学生の女の子が読む漫画の本を選ぶことなんてできるのかしら?
 雑誌のコーナーには少女漫画誌を立ち読みしている恭子さまと同世代の女の子が二人いた。
「ねえ、この連載、まだ続きそうやね」
「面白いんだけど、これ以上、続けられたら、私の小遣い、なくなっちゃうよ」
「あの漫画だけじゃなく、他の雑誌の漫画も読みたいしね」
 そんな会話を聞いているとどうも漫画の雑誌というものは一度買うとずっと買っていかなければならないようなものだと理解する。
 恭子さまのご性格ではそこまでのことは望まないはず。
 雑誌のコーナーをよく見ると幼児向きや男の子向き、大人向きのものを除くと小学生の 女の子向きの漫画雑誌は5誌以上はある。こんなにあるとは思わなかった。
 女の子が立ち読みしている雑誌を取りあえず買っておくことにしようか・・
 私は女の子が手にしているものと同じ雑誌に手を伸ばした。
 雑誌は女の子たちの前に平積みされている。私が手を伸ばしたので女の子が後ろに下がる。
 ちょっと待ってっ・・この雑誌には恭子さまの言っていた「魔法少女」は載っているのかしら?
 ずらりと題名の並んだ表紙を見てもわからない。
 それにこの表紙・・魔法どころか、恋する乙女?
 これは恋愛ストーリー専門の雑誌だわ!
 それも小学生の読むようなものではなく、もっと上の・・男女のロマンスもの?
 私は雑誌に手を伸ばしたまま体が固まった。女の子二人が私を訝しげに見ているのを感じる。首筋を汗がつーっと伝わったのを感じる。
 今、わかったことがある。これは仕事よりも難しい。
 いや、それでは仕事に、恭子さまに失礼だ。これも私に課された仕事の一つだ。
 その時、
「はいっ・・これですよね?」
 突然の女の子の声に私は我に返った。目の前に漫画の雑誌が一冊、差し出されていた。
 私が雑誌をとらないで躊躇っているのを見て女の子が私の代わりに雑誌をとってくれたのだ。
「あ、ありがとう・・」
 私は雑誌を受け取りながら顔が真っ赤になるのを感じた。
 女の子は私が雑誌の内容が恥ずかしくて中々取ることができないとでも思ったのだろう。
 女の子たちは何か言いながら雑誌を持ってレジに向った。
 二人の背中を見ながら私は思った。恭子さまと二人で来ればよかったのだ、と。
 雑誌を買ったあと邸宅に戻ると大きなスーツケースが玄関に置かれていた。
 奥さまが予定よりも早く東京から戻られていたのだ。


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