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作品名:家政婦遠野静子の憂鬱 作者:小原ききょう

第1回   長田邸
 港町、神戸の東に小さな古城を彷彿とさせる洋館が建っている。
 大きな門の支柱に埋め込んである重厚なプレートには横書きの英文字で「NAGATA」と浮き彫りで書かれ、その下に日本の漢字「長田」が併記されている。
 人間一人の力では重くて開閉ができないような門の脇に小さな通用口があり、中の住人は大事な客が来ない限り普段この通用口を使用する。
 中に入ると綺麗に敷き詰められた石畳の小道が洋館の玄関に向って真っ直ぐに伸びている。小道の両脇には春になれば綺麗に咲くであろうと想像させる桜の木が立ち並んでいる。
 日本を愛し続けたこの家の本来の主人が植え込めさせた木々だ。
 小道を抜けるとゴルフでも出来そうな広大な芝生が目の前に現れる。芝生の上にはお茶会等をするためのお洒落なテーブルや椅子が置かれたスペースが点在し中央には大きな噴水がありその周りを綺麗な花壇が囲っている。
 庭の植木や花壇、芝生などは全て丁寧に手入れされていて家を管理する人の質が容易に想像できる。
 門からここまで歩いて来ると「和」から「洋」へと、辺りに漂う空気までが季節のように変わるのを体で感じることができる。
 そして、それらを全て見下ろすように大きく構えているのは三階建ての大きな洋館だ。
 もう少し大きければちょっとしたホテルでも運営できそうな構えだ。
 洋館であるのに「和」の趣きがある・・そんな家が長田邸だ。

 邸宅が完成したのはこの春。
 日本が高度経済成長を遂げ国民生活も大きく変わろうとしていた頃のこと。
 この家の主人、ドイツ出身の実業家「長田ヒルトマン」は元々東京で貿易事業を営んでいた。彼は日本の文化、風景を愛してやまなかった。
 ヒルトマンが京都方面に旅行した時に出会ったのが「由希子」という日本女性だった。
 彼はよく周囲に言っていたらしい・・「由希子はまるで桜のような人だ」と。
 それからヒルトマンは由希子と結婚し、しばらくして娘が生まれたが娘がまだ小学校に上がる前に由希子と別れ、一人娘はヒルトマンが引き取ることになった。
 理由はわからない。
 日本で業績を伸ばすヒルトマンに再婚の話が次々と持ち上がるのは当然だ。父親であるヒルトマンも娘には母親が必要だと考えるのも至極当然のこと。再び彼は日本の女性である「多香子」と結婚した。いや、しなければならなかった。伴侶がいないと事業家としての信用にも関わるからだ。
 多香子は日本の財閥系の長女だった。
 周囲の人の話では完全な政略結婚だということだ。
 多香子は元々ビジネスのやり手だったこともあり事業に腕を振るい始めた。
 けれど、それは娘にとっては不幸だった。
 義理の母とはいえ多香子が家にいることは一年のうち数えるほどだった。
 娘の世話、教育などは、雇い入れの家政婦が受け持つことになった。
 ヒルトマンは東京での事業に成功すると、関西の港町である神戸の貿易事業の開拓に乗り出し軌道に乗り出すと商業関連の会社の運営も手がけだした。
 山と海に囲まれた神戸の美しさに惹かれここを安住の地にしようとしてヒルトマンが建てたのがこの邸宅だ。
 だがヒルトマンはここに住むようになる前、持病が悪化して突然この世を去った。
 美しい神戸の片隅の町に住むことをヒルトマンが楽しみにしていた矢先の出来事で長田一族は家のことはもちろん事業の引継ぎや役職員の交替で大騒ぎとなった。
 結果、ヒルトマンの実弟グストフが商業関連の会社を動かすことになり、神戸と東京の貿易事業は後妻の多香子がかけ持つことになった。
 娘が小学四年生になってすぐのことで娘の悲しみは言うまでもない。
 娘はずっと楽しみにしていた・・新しい家で父と過ごす日々のことを・・

 大きな家には多くの人が住んでいる、誰もがそう思う。
 しかし世の中にはそういう憶測とは真逆の家が多く存在する。
 そのことを証明するかのような家の一つが長田邸だ。
 邸宅には他に交替で警備や管理をしている人、パーティ等が開かれる際に訪れる専門のコックなどがいるがいづれも家の住人ではない。
 家の住人は亡くなった長田ヒルトマンの弟である独り身のグストフ。
 未亡人の多香子。
 だがこの二人は長期の出張などで家にいることは稀だ。
 家の中に確実にいるのは、ヒルトマンの一人娘である長田恭子・・
 父から受け継いだ美しいブロンド、青い瞳は港町神戸でも一際目を引く。
 それゆえ、少し近寄りがたい雰囲気を持っているのも確かだ。
 そんな風貌であるにも関わらずどことなく日本の風景に溶け込み自然な優しさを湛えているのは日本人である母、由希子から受け継いだ血のせいだろうか?
 そして、長田家の住人は他にもう一人いる。
 家政婦兼一人娘恭子の家庭教師、遠野静子がいる。



 恭子さまは心を表に出さない、お強い女の子です。
 思い返しても恭子さまの泣き顔を一度も見たことはありません。
 父親であるヒルトマンさまがお亡くなりになられた際にも、大切にされているクマさんのぬいぐるみを抱き締めたまま立っているだけで泣かれることは最後までありませんでした。
 けれど、よほどショックだったのでしょう。恭子さまはしばらくは呆然とされているようでした。
「恭子さま、泣いてもいいんですよ」
 私は恭子さまに何度か声をかけました。
 けれど恭子さまは首を横に振るだけでした。


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