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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第8回   叔母さんの家


 駅に着いて改札口を出ると人ごみの向こうに叔母さんが手を振っているのが見えた。いつも叔母さんは僕をすぐに見つける。僕も叔母さんを見つけるのが誰よりも早い。
「電車の中、クーラーないし、暑かったでしょ?」
「そうでもなかった」暑いよりも何より叔母さんに会えたのが嬉しかった。
「陽ちゃん、もう陽に焼けてるやん、ええ色してるわ」
 叔母さんが僕の日焼けの顔を眺めながら楽しそうに微笑んでいる。
「明日、約束どおり映画館に連れていってあげるわ。楽しみやね」
 駅からバスに二〇分程揺られて叔母さんの家に着いた。駅周辺と違って簡素な住宅街の白いハイツの二階に叔母さんの家はある。
 一人暮らしをしているせいなのか家具も冷蔵庫も全てがこじんまりとしている。
「ゆっくりしていってかまへんよ。暇やったらその辺にある本でも読んでていいから」
 叔母さんはベランダの洗濯物を取り入れながら言った。
 部屋には本棚の他に小さなステレオが置いてあり、その横にレコードが数枚並べてある。 窓際のテーブルには二匹の金魚が泳いでいる金魚鉢が置いてあり、壁にはテレビで見たことのある男性歌手のポスターが二枚もでかでかとピンで留められ貼ってある。
 叔母さんはこういう男の人が好きなのか?
 派手な格好をした歌手がこっちを見て微笑んでいる。
 僕は本棚からトルストイの「アンナ・カレーニナ」を取り出し読みはじめたが漢字が多くてなかなか頭に入らない。
 本の書き出しには「金持ちの家はどこでも似通っていて同じようなものだが貧乏の家はどこもみんな夫々おもむきが違う」と書かれてある。
 本当だろうか?・・
 金持ちにもいろんな人がいてみんなそれぞれ違うと思う。だが世界の大文豪は僕の投げかけた疑問に答えることはできない。
 叔母さんの部屋の窓から見る空は自分の家の窓から見える空とは全然違っている気がして、学校のみんなのことが遠い世界の住人のように思えた。

 次の日、バスに乗って駅前の停留所で降りると叔母さんが「こっちこっち」と僕の手をひきながら繁華街の人ごみの中をどんどん進んでいく。
 周りにひろがるのは僕の家の周辺とは全然違う町の光景だった。
 大きなスーパーがあり、二階建ての洋食のレストランや中華料理店が並び、大きなおもちゃ屋さんまであった。ここなら何でも手に入りそうだ。
 目的の映画館には「ホルスの大冒険」の大きなポスターが飾られてある。
 チケット売り場はもう列をなしていてそのほとんどが母子だった。僕と叔母さんは周囲からどんな関係に見えるのだろう。
「ホルスの大冒険」は村人たちを懲らしめる氷の世界に住んでいる悪魔と主人公の少年ホルスが戦う物語のアニメ映画だ。
 悪魔にはヒルダという名の妹がいて最初は悪魔である兄の命令に従って悪事を働いていたけど、ホルスと出会い次第に心を通わせるようになり、心を入れ替え、だんだんいい子になっていく話だ。
 悪魔の配下たちが心変わりしたヒルダを痛めつけている場面ではハラハラしどうしだった。映画の後半はヒルダに死んで欲しくないという気持ちで一杯だった。
 最後にはヒルダは助かりホルスと仲良くなるところで終わった。
 映画館を出ると叔母さんは歩きながら「あの悪魔の妹のヒルダっていう子、可愛かったなあ」と言い、僕がうんうんと頷くと「でもあの少年は人間やし、ヒルダは悪魔の妹やから将来、結ばれることは絶対ないなんやね」と言って叔母さんは少し寂しそうにしていた。

 近くにできたという大きなプールに行く当日は僕の会ったことのない男の人が自動車で迎えに来てくれた。男の人はメガネをかけスーツを着ている。どちらかというと優しそうな人に見える。タクシーやバス以外で誰かの運転する自動車に乗るのは初めてのことだった。
 叔母さんは助手席に座って男の人としきりに話をしている。僕は後部座席に座って窓の外を見ていたけれど、時々男の人が「何年生?」とか「学校は楽しい?」と訊ねてきて、その都度、僕は愛想良く答えた。
 男の人は僕たち二人をプールの入り口まで送り届けると「また迎えに来る」と言って去った。「お姉ちゃんの恋人?」と訊くと「会社の知り合い」と叔母さんはすかさず答えた。
 プールの更衣室で海水パンツに着替えてプールの方に向かうと、叔母さんが水着に着替えて先に待っていた。何で僕より着替えるのが早いんだよ。
 叔母さんはその手に浮き輪を抱えている。
「イルカさんの浮き袋の方がよかった?」
 叔母さんは意地悪そうな瞳を見せ微笑んでいる。青のセパレートの水着だ。目のやり場に困り目をそらして「浮き袋なんか、恥かしい」と答えた。
 プールサイドで指笛が聞こえたのでその先を見てみると、プールサイドをビキニを着た女の人が歩いていて、若い男たちはその女の人に向かって鳴らしているのだ。女の人はプールに入らず、男たちに自分のビキニ姿をわざと見せているようだ。
「イヤやなあ、ああいうの」
 叔母さんは僕に言うでもなく呟くように言った。
「それで、陽ちゃん、前より泳げるようになったん?」
 叔母さんはごく普通の浮き輪を差し出した。浮き輪ならまだいい。
「10メートル、泳げるようになった」
 僕は浮き輪を受け取ると少し強がってみせた。
「ほんとに?」
 プールは海のように人工的に波を起していて浅瀬でも楽しめるようになっている。
 僕は浮き輪に体を通して、まずは浅瀬で泳ぐことにした。
 浅瀬では僕よりも小さな子供たちが母親と水遊びをしている。泳ぎに自信のある人たちはプールの奥へとクロールや平泳ぎでどんどん進んでいく。
 少し恥ずかしい思いをしていると叔母さんが「あっちに行くわよ」と言って浮き輪ごと僕を引っ張りだしどんどん浅瀬からプールの奥に連れていった。
「陽ちゃん、ここ、深くて足が届かへんけど、怖い?」
 僕はうんうんと頷き水の中で足をバタバタとさせながら、何で学校のプールでもっと泳ぐ練習をしなかったんだろうと悔やんでいた。
「浮き輪、外して泳いでみる?」
 僕が答える間も与えず叔母さんは「それっ」と言って僕から浮き輪をサッと抜き去り自分の体に通した。
 溺れるっ、と思ったけどすぐに叔母さんは僕の手を両手で引っ張り、僕は顔を水につけずに懸命にバタ足を繰り返し何とか体を浮かせた。
 大きな波が来ると、ふわっと体が浮いて叔母さんの体の方へ自然と近づいていき、まるで叔母さんに体ごと引き寄せられているような感じがした。
 波が引くと今度は叔母さんから離れ、再び波が来ると叔母さんにまた近づいていく。そんな繰り返しをいつのまにか僕は楽しんでいた。
 気がつくと周囲の音が消えプールの水の匂いと音だけが僕の体を包み込み、僕と叔母さんのいる場所だけ時間が止まっているような気がした。
 ちゃぷちゃぷと水の揺れる音が心地よく頭の中を抜けていく。
「陽ちゃん、もう大丈夫やろ?・・手、離してみよか?」
 僕は慌てて首を振り「お姉ちゃん、絶対、手を離さんといてっ」と叫んだ。
 叔母さんが手を持っていてくれれば何時間でも泳ぐ自身はあるのに、どうして自分一人では泳げないのだろう。
 叔母さんに手を引かれながら長い時間、深い場所で泳ぎ続けた。時折、プールの水の匂いに混じって叔母さんの肌の匂いがした。
 僕が泳ぐのに疲れたのを見計らうと叔母さんは浮き輪ごと僕を引っ張り岸に向かった。
 僕たちはプールサイドのパラソルのある所まで行くとレジャーシートを敷いて休憩をした。パラソルの陰であんまり冷えていないラムネを飲みながら叔母さんは焼きそばを食べ僕はホットドックを食べた。さっきプールの水を飲んでしまったらしくて口の中に変な味が残っていたのでソースをたっぷりかけた。
 叔母さんは陽に焼けた肌が痛いらしく肩から背中にかけてビーチタオルを乗せている。
「最初、死ぬかと思った」僕は浮き輪を外された時の事を叔母さんに言うと、
 叔母さんは「大丈夫よ、あんなにお父さんお母さんに大事に思われている子、何があっても叔母さんが絶対守ってあげるわ。心配せんでええよ」と言って笑った。
 何だか照れくさくなって叔母さんの顔を見れないでいると目の前をまたビキニを着た女の人が通り過ぎていった。
「来年は浮き輪なしでもええようになっとくんよ。叔母さん、今度は絶対、手を離すよ」
「手を離されたら怖いから、叔母さんの手がなくても泳げるようにもっと練習しとく!」
 ビキニの女は平気で見れるのに叔母さんの水着の方はどうしてまともに見ることができないのだろう・・
 プールから出ると、もうそこには、あの男の人が自動車の前で微笑んで待っていた。
 叔母さんが「ありがとうございます」と頭を下げた。「楽しめましたか?」と男の人が微笑むと叔母さんは「はい」と笑顔で答えた。
 僕と話す時と全然違う叔母さんの口調に、僕はいつもの叔母さんの話し方がいいはずなのになぜかこの男の人が少し羨ましく思えた。
 その日の晩、僕の後にお風呂に入った叔母さんは風呂場から浴衣姿で出てくるなり「肌が痛くてお風呂にまともに入られへんかったわ」と言って扇風機の風を体に当て涼みだした。
 僕はプールの帰りに叔母さんが買ってくれたバニラ味のアイスクリームを食べながら金魚鉢のガラスをコンコンと指で小突いて金魚を振り向かせたあと窓の外を見た。
 やはり自分の家とは違う夜空が見えてたくさんの星が、星模様の絨毯のようにどこまでも広がっていた。
 小川さんや香山さんの家からもこんなにたくさんの星が見えているのだろうか?
 長田さんくらいのお金持ちだったら、もう十分欲しいものは持っているはずだから、星なんて見えなくても十分幸せだろう。
 明日、家に帰ればもうすぐ地元の花火大会のあるお祭りだ。


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