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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第34回   吉水川


「お姉ちゃん、後ろに乗ってっ」僕は自転車の荷台を指した。
「大丈夫なん? この前は、あかんって」叔母さんはスイカの時のことを言っている。
「大丈夫や。全然や」
 僕がそう言うと叔母さんは自転車の後ろに腰掛けた。両足を揃えて横にぶらんと出す。
「ええよ、陽ちゃん、自転車、漕いで」
 僕は川に向かってペダルを踏んだ。

 先週のことだった。
「お姉ちゃん、今度いつ来るの?」
 僕は叔母さんの家に電話をかけた。
「陽ちゃん、何で?」
「はよ、来て欲しいから」思わず大きな声を出してしまう。
「なんかわからへんけど、丁度、今度の日曜日にそっち行こうと思ってたとこ」

 僕は叔母さんを自転車に乗せて「吉水川」に連れて行きたかった。
 スイカを載せて走ったあの日、叔母さんの目が水を追いかけて川の方を見ている気がしたからだ。
 でもそんなことはどうでもいいことなのかもしれなかった。それは単なる口実で叔母さんに会いたかった。会いたくてしょうがなかった。
 藤田さんの話に触発されたせいかもしれない。小川さんや香山さんに出会ったせいかもしれなかった。
「お姉ちゃんにいっぱい水を見せたる」僕は自転車を漕ぎながら言った。
「水って?・・それより陽ちゃん、ハンドルふらついてるけど、大丈夫?」
 叔母さんは不安そうに訊く。
「絶対こけへん!」
 坂道を漕いでも汗もかかなかった。季節はもうすっかり秋だ。
 町を抜けると僕たちの前に大きな川が横たわっている。僕は橋を渡り、その途中で自転車を止めた。
 叔母さんは荷台から降り立ちワンピースの乱れを直した。
「この川、昔、陽ちゃんと二人で来たことあるよ」
 全然記憶にない。
「陽ちゃん、川の流れが怖い、怖いって泣いとった」
 無茶苦茶格好の悪い話だ。だけどその時はどうやって来たのだろう? ここまで歩くのは遠すぎる。
「その時は私が陽ちゃんを自転車の後ろに乗せてあげた」と叔母さんは笑い「あの時から時間がここまで続いている気がする」と言った。
 叔母さんは橋の南側の欄干に両手をかけた。叔母さんは橋の上からずっと遠くを見ている。長い黒髪が風の中をふわふわとと泳いでいる。
「顔にあたって、こそばい」そう言いながら顔の前の髪をかき分けた。
 数匹の鳥が南の方へ流れるように飛んでいく。
 そして、
「陽ちゃん、私になんか話があるんやろ」
 そう言って叔母さんは僕の方に向き直り、
「何々? お姉ちゃん、どんな話でも聞いてあげるわよ」と言った。
 いつもの叔母さんの調子だ。この雰囲気にいつも心が和まされる。
「お姉ちゃん、お祭りの時、はよ結婚したいって言うとったけど・・」
 一瞬、叔母さんは「えっ」と驚いた表情を見せ、そのあと深い溜息をついた。
「好きでもない人と結婚したらあかんっ」
 叔母さんはすぐに僕の言ったことを理解したようだった。
「なんや、ねえちゃんから聞いとったんか。しゃあないなあ」
「お姉ちゃん、本当に好きでもなかったら、そんな結婚は・・」
「好きよ」叔母さんは誰に言ったのだろう。
「えっ、好きなんか?」意外な返事が返ってきた。
 僕は何の確信もなくここに来たのだ。母が「合わんような気がする」と言っていただけだったことに気づいた。香山さんのお父さんの話とダブらせすぎた。
「好きや。好きやけど、あの人といると退屈やねん。あまり長いこと一緒にいたくないというか、陽ちゃん、一緒におって、わかったやろ?」
 僕もすごく退屈だった。叔母さんもそう思ってたんだ。
「私、結婚には向いてないのかもしれへんわ」
 叔母さんは背を欄干にもたれさせて呟く。
「そ、そうなんか?」
 好きだけど、長い時間は一緒にいたくない。そんな感覚は僕にはわからない。
 だったら、それは「好き」と違うのとちゃうんか?
「だって、今の私は陽ちゃんといる時の方がよっぽど楽しいねん」
 叔母さんはそう言うと欄干から離れ体をくるりと回転させた。
 ワンピースがふわりと宙に浮かぶ。
 僕も楽しい・・
「そやったら、行かんといて、お姉ちゃん、お嫁さんに行かんといて」
 僕は力強く言った。今、言っておかないと、もう言えない。
「わかった、わかったって・・私、しばらくお嫁にはいかへん」
 叔母さんは昂ぶった僕を鎮めるように言った。
「陽ちゃん、はよ大人になって、お姉ちゃんをお嫁さんにして」
 僕が叔母さんの言葉にあっけにとられていると「あほ、冗談や、本気にしたらあかん」と笑った。
 ひょっとして叔母さんが喫茶店で僕をあの男の人を会わせたのは、こうして僕に結婚をやめるように言って欲しかったのではないのだろうか。
「私、本当に陽ちゃんのお姉ちゃんやったらよかったな」
 叔母さんは空を流れるように飛んでいる鳥を見上げた。
「私・・陽ちゃんの本当のお姉ちゃんになりたかった。そしたら余計なこと考えんで済んだのにな・・」
 余計な事って何だろう? 
 僕が訊ねようとすると、叔母さんは自転車の脇に立ち、
「陽ちゃん、今から商店街の駄菓子屋に行こっか?」と言った。
 商店街まで? うーん、ここからは遠い。
「なんで?」
 でも、叔母さんとなら・・
「このお買い物券、使いたいから」
 叔母さんはお買い物券をぴらぴらと揺らした。
「僕も持ってる。僕のと合わせて、なんか買おっ」
 叔母さんと一緒なら、ちっとも遠くない。
 自転車の後ろに叔母さんを乗せて僕はペダルを踏み続けた。
「陽ちゃん、知恵の輪、できたん?」背中で叔母さんの声がする。
「まだできへん!」と僕が答えると「私が言った通りやろ、世の中にはまだまだ見えてへんものが一杯あるって」と大きな声が返ってきた。
 全部、叔母さんの言う通りだった。
 これだから僕は叔母さんにまだまだ一緒にいて欲しい。
「お姉ちゃん、知恵の輪できるまで、そばにおってな」
「そんなん、陽ちゃんやったら、すぐできるって。あんまり早くお姉ちゃんを追い出さんといて」
 やがて僕の住む町が見えてきた。
 僕の前には、この先もずっと、まだまだ長い時間が横たわっている。


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