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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第31回   変わりゆく二人


「はい」と言う小川さんの声が僕の席の後ろで聞こえた。
「風紀委員に立候補する人、手をあげて」と先生が言うと、小川さんが手をあげたのだ。 教室が一瞬、どよめいたけれど、いつも率先して何かをいう文哉くんが何も言わなかったので、ざわつきは少なくて済んだ。
 それでもあちこちで「あの小川さんがねえ」「大丈夫なのかしら?」とか言う人もいた。
「もう一人は男子よ」先生が言った。委員はそれぞれ男子一名、女子一名が決まりだ。
 すぐに田中くん、いや山中くんが手をあげた。
 誰も手を上げなかったら、僕が手をあげていたのかもしれない。
 でもそれはたぶん同情というか、小川さんを守りたいと思う気持ちからくるものなので、あとで香山さんに怒られるだろうなと思った。
「村上くんには委員なんて無理よ」とおそらくあの顔で言われるに決まってる。
 前に座っている香山さんが僕の方をチラッと見て笑った。
 どういう意味の笑顔なんだろうか?
 それよりも問題は香山さんだ。副委員長になった。
 香山さんは委員長に立候補したのだけれど、その後に長田さんが手をあげて、多数決で委員長を決めることになり、長田さんに賛成の人が多くて、長田さんが委員長、香山さんが副委員長になってしまった。副委員長は男女各一名なので、元委員長の上田くんが先生の推薦で務めることになった。
 香山さんは小川さんを守りたくて委員長に名乗り出たのだろうけど、長田さんに妨害された形になってしまった。
 文哉くんが「俺、香山の方がよかったのに」とか言う声が聞こえたり、「俺も」と修二の呟く声も聞こえた。
 香山さんは男子には人気があったけれど、長田さんは女子の票を多く集めたらしかった。
 委員が全て決まると教壇に委員が立って順番に挨拶した。
 休み時間、廊下で香山さんと小川さんが立ち話をしていた。香山さんが僕を見つけると「さっき悠子が手をあげたとき、村上くんもあげようとしたでしょ」と問いかけてきた。 図星だった。
「でも村上くんには委員なんて似合わないから」
 予想通りの答すぎて言い返す気にもなれない。
「ちょっと、仁美ちゃん」小川さんが、「言いすぎよ」という感じで香山さんの服の袖を引っ張る。心の中で小川さんに感謝する。
 僕たちを見つけた松下くんが寄ってきて「ごめん、香山さん、僕、長田さんに票を入れてもうた」と言った。
 香山さんは「別にいいわよ」と答え「松下くんはお父さんのお店があるからでしょ」と続けて言った。
 以前、香山さんは薬局や電気屋が長田さんのお父さんの会社とつき合うようになったと言っていたな。
 でも、子供の学校の委員とかは大人のつき合いと関係ないんじゃないか?
 大人には大人のすることがあって、子供の世界とは無関係だと思う。
 長田さんが委員長になっても会社がどうこうなるわけでもないし。
 関係あるとしたら、大人たちの争いが子供たちに伝染しているということだけだ。
 いろいろ考えているうちに松下くんが去り、香山さんが「そうそう」と言ってポケットから紙切れを出してきた。
「私、来月、私の家で誕生会するの。村上くん、来てくれるわよね?」
 ああ、似たようなセリフを夏休み前に聞いた。あれは長田さんの誕生会だった。すごくイヤな思い出がある。
「村上くん、私と約束したものね」念を押すように香山さんは言って手作りの招待券を僕に手渡した。こんなものわざわざ作らなくてもいいのに。
 香山さんのつんつん顔が苦手だったけど、今では慣れたのか、そうでもなくなった。
「仁美ちゃん、前に村上くんを誘ってたんやね」
 小川さんが僕たちを見ながら微笑んだ。
 香山さんは僕が返事をする隙も与えず「じゃ、村上くんはOKということね」と言った。
 絶対、行きます・・断ったら香山さんに何を言われるかわからない。
「小川さんも?」僕は小川さんの方を見て訊ねた。
 以前、香山さんが小川さんだけは絶対誘うと言っていたのを思い出した。
 小川さんは「うん」と小さく頷いた後「私、仁美ちゃんの誕生会、絶対いくねん」と力強く言った。そして「村上くん、ビー玉、二つもありがとう」小川さんはそう言うとご丁寧に頭をぺこりと下げた。
「村上くん・・それと、誕生会はプレゼントとか、無しでするの・・持ってくるの禁止だからね」
 よかった。すごく助かった。悩まなくて済む。
「村上くんからプレゼントもらったりしたら、アニメのカードくれるかもしれないからね」 香山さんはそう言って笑うと、
「私もビー玉、ありがとう。私、まだお礼を言ってなかったわね」と続けて言った。
 小川さんのように頭は下げないけれど、珍しくいつものつんつん顔が少し赤くなっている。



「今年の誕生会も清田さんと八木さん、来てくれるの?」
 母が部屋に入ってきた。
 去年はあの転入生の長田さんが来る前のことだ。私に親しく寄ってくる女の子が五人ほど家に来た。今年は誘っても絶対来ないだろうし、来て欲しくもなかった。
 本当に祝って欲しい人だけ呼べばいい。
「お父さん、下にいる?」私は母に訊いた。
 母が「いるけど」と答えたので「じゃ、私、あとで下に降りる。二人に話があるの」と言った。
 私はしばらくしてリビングに行くとお父さんとお母さんを前にしてソファーに座った。
「なんだ、仁美、改まって」
 お父さんは煙草に火を点けた。テーブルには水割りとおつまみ、大きな灰皿が置かれている。お母さんが「そうそう頂き物のメロンを切ってあるの」と言って台所に向かった。
「今年の誕生会は二人だけ呼びます」
 私は決めていた言葉をきっちりと言い始める。
「それじゃあ、清田さんと八木さんだけなのね。去年より少ないわね」
 お母さんはメロンをテーブルに三人分並べながら口を挟んだ。
「違います。男の子一人と女の子一人です」
「まあ、男の子って?」
 お母さんはお父さんにメロンを勧めるようにお皿をお父さんの前に差し出した。
「前に家に来たことのある村上くんです」
 お父さんは誰のことかわからないようだ。
 でもお母さんは「ああ、なんだか、おかしな子だったわね」と思い出したように言う。
「ちっともおかしくなんかありません」
 もう村上くんは私の大事な友達だ。
「女の子っていうのは?」
 お母さんに訊かれ心臓がドクンとした。話はここからだ。
「悠子です」
 メロンを口に運ぼうとしていたお母さんの手が止まった。
「ちょっと、仁美っ」
 おそらく私の出した言葉はこの家での今年一番の事件なのかもしれない。
 煙草を持つお父さんの手が少し震えている。
「私、悠子のお母さんに会いました。悠子の家でです」
 お父さんは吸いかけの煙草を灰皿の中で潰した。
「『下』は行ったらあかんて、あれほど言ったのに」
「お母さん、『下』って何?『上』も『下』も同じ地面で繋がってるのに、何が違うのっ」 何度もお母さんと争った言葉だ。
「同じ地面でも、あそこに住んでるのは、汚い人らや、って言うたやないのっ」
 お母さんとこの話はもうしたくない。
 私が「悠子も悠子のお母さんも全然汚くなんかありません」と言おうとするとお父さんが大きな咳払いをした。
「汚くはないだろう」お父さんがお母さんを制した。
 お父さんとは前に「妹のピンチや」と言って家を出たきり話していない。
 そう言った後のお父さんの顔を私は見ていなかった。
「だって、あなた、そう言っておかないと、仁美が・・」お母さんが悔しそうに言う。
 誰もメロンに手をつけていない。
「お母さん、悠子は汚くなんかありません。汚い人は他にいます。心の汚い人も見たことあります」
 喉がカラカラだ。
「お父さんも私が悠子に会うのをすごく反対したわよね。私の将来によくないって」
 私はお父さんの方に向き直った。
「それはだな、お母さんもお父さんも悠子の将来を案じていてだな、あまり風紀の悪い所に出入りするとだな」
 お父さん、何が言いたいの?
 お父さんはそこまで言うと顔を上げ天井を見た。シャンデリアの周りを紫煙が渦巻いている。初めて天井に豪華なシャンデリアを吊るした時、家族三人で喜んだものだ。あれから随分長い時間が流れた。
「だが、仁美がもう知ってるのなら・・」
 お父さん、私が知っているのなら何なの?
「でも、あの娘に会うのは」お母さんがしつこく口を挟む。
「私の妹や!」
「仁美っ」
 お母さんが怒鳴ってソファーから身を乗り出した。
 叩かれる!
「お前は、少し黙ってくれないか」
 お父さんはお母さんを改めて強く制した。
「だって、あなた・・」お母さんはすごく不満な様子だ。
「俺もたまには仁美とちゃんと話がしたい」
 お父さんが深く息を吸った。
「俺はあれからずっと考えていた」
 私が悠子のピンチだと言った時のことだろうか?
「仁美は誰に教えてもらって知った?」
 部屋の大きな柱時計がボーン、ボーンと十回鳴らした。
「悠子のおばあちゃんです。お父さんとお母さんがよく喧嘩してたのを聞いて、私はおばあちゃんに訊きに駄菓子屋に行ったんです」
 お父さんは煙草をもう吸っていない。いつも続けて吸うのに。
 お父さんは目を瞑った。何を考えているのだろう。
「すまない。仁美、全部、お父さんが悪いんだ」
 お父さんの体から力が抜けたように見えた。
「あなた、でも、あの女は・・」
 お母さんにとって悠子のお母さんは憎しみの対象なのだろう。
「すまない。これは大人の問題だったはずなのに、子供たちを苦しませることになってしまった」
 お父さんは「子供たち」と言った。
「仁美の誕生日なんだ。俺たちは盛大に祝おうじゃないか」
「そうですね」
 お母さん、ごめんなさい。こんな話になって。
「それに、仁美はさっきから、ずいぶん大人になった口をきいてるじゃないか」
「少し、早いけど、反抗期ですわ」
「男の友達も来るっていうじゃないか、ボーイフレンドだぞ。初めてのことだ」
「お父さん、そんなんじゃないんだって」
 私は慌てて否定する。きっと村上くんもそう言うだろう。
「お前も一日だけ我慢してくれ。あの人が来るわけじゃないんだ」
「でも、私はあの女の娘がいる所にいたくありません」
「仁美のめでたい日だぞ」
 お父さんはお母さんの顔を正面から見て話し出した。
「どうして仁美が知っていることをもっと早く言ってくれなかった」
「私がどういう思いで今まで過ごしてきたか、あなたはちっともわかっていませんわ」
「その話は後で聞くから、仁美の前ではしないでくれ」
「わかりました。そうまでおっしゃるのなら」
「すまん」
「私、もう先に休みます。仁美、あと片付けしといてちょうだい」
 お母さんはそう言い残すと寝室に向った。
「お父さん、いいの? お母さんをあのままにして」
 お母さんはきっと怒っているだろう。
「あとはお父さんにまかせなさい」
 私は自分の父と母、そして悠子のお母さんに昔、何があったのかを知らなさ過ぎる。
「お父さんとお母さん、色々あったのね」
「もう昔のことだ」
「でも、あの人、まだお父さんのことを・・」
 そこまで言うとお父さんの表情が止まった。
「知ってるよ。仁美、もうそれ以上言わなくていい」
 お父さんは私を見ているのだろうか?・・違う。私を見ていない。たぶん、お父さんはもっと遠くを見ている。
「メロン、お母さんの分も食べよう。仁美も食べなさい」
 私は頷いてメロンを食べた。お母さん、ごめんなさい。
「ところで妹のピンチは解決したのか?」
 えっ、お父さん、気にしてたの?
「お父さん、覚えていたの?」
 少し意外だった。それに、今、「妹」って、言ったわよね。
「お祭りの夜、言ってただろう、妹がピンチだ、と」
 あの日、あとでお母さんに怪我を見られてひどく叱られた。
「大丈夫になったみたい」
「それはよかったな」
 お父さんはメロンを食べ終わると安心したような顔で水割りを口にした。
「お父さん、こんなに近くに自分の娘がいて気にならなかったの?」
「気になっていたよ。当たり前だ。だからお母さんに悟られ、よく喧嘩していたんだ」
 お父さんは立ち上がり窓際に行くと大きなカーテンを開けた。
「今私たちが住んでいる家がある高台は、お父さんがずっと若くて会社が今よりも儲かっていた頃、お父さんの会社のグループで作り上げたものだ」
 えっ、どういうこと?
「この場所は香山グループの権力の象徴だったんだ」
 お父さんは窓の外を眺めた。
 その目の先には悠子のアパートがある・・いや、悠子のお母さんの住む場所だ。
「今では少しずつ他の会社に買い取られていってるけどな」と言って少し笑った。
「あの頃のお父さんは、あの人にこの高台で一軒家を買い与えることなど、何でもなかった、でもあの人はそこのアパートに住みたいと言った」
「どうしてなの?」
「わからない・・でもそういう人だった」
 お父さんの目には何が映っているのだろう?
「悠子のお母さんは、あのアパートから離れられないと言ってました」
 私がそう言うと少し頷き「もう遅いから寝なさい」と言ってお父さんはテーブルの上を片付け始めた。
「お父さん、片付けは私がするから」私はお父さんを手伝い始めた。
 私は知っている・・悠子のお母さんはあのアパートからお父さんのことをずっと見上げていたかったのだ。それがあの人にとって唯一の贅沢だった。


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