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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第30回   喫茶店


 夏休みもあと十日程で終わる。
 僕は宿題をしながら時折、窓越しに夏の陽の差す庭を眺めた。
 庭では叔母さんが花壇に水をやっていた。
 すぐ近くで母が物干し竿に洗濯物を掛けている。時々二人が楽しそうに何かを話しているのが聞こえる。
 こうやって和やかな二人を見ていると先日のお祭りの一騒動がまるで嘘のようだ。
 そう思っていると目の前にいきなり水が飛んできた。叔母さんがホースの先をつまんで僕のいる部屋の窓の方へ水をかけてきたのだ。
 水は窓に当たると窓の面で弾けたりその上を波打つように流れたりした。
 水の向こうで叔母さんの笑う顔が見えた。窓はまるでビー玉の中を覗き込んでいるみたいだ。
 水がぶ厚くなったところで見る叔母さんはプールの底から水面を見たようにゆらゆらと見え、水が弾けているところは叔母さんが水滴まみれになったように見えた。
 水滴は窓に当たったところを中心にひろがり飛んでいく。
「こら、優美子、水で遊びなさんな、洗濯物にかかる」母が叔母さんを叱る声が聞こえた。
 叔母さんは「ごめん、ねえちゃん」と謝りながらも悪びれる様子などなく今度は空に向かって水を放射し始めた。
 叔母さんはまた虹を作るつもりだ。
 僕は窓を開けた。夏のムッとした空気が部屋の中に流れ込んできた。
 空を見上げると太陽に当たった水の匂いが漂ってきた気がした。

 そして二学期が始まり、叔母さんは自分の家に帰って行った。
 ところが始まって次の日曜日、僕の目の前には何故かアイスが上にのったメロンソーダがあった。
 ここは叔母さんの家がある駅の繁華街の喫茶店の中だった。大きな喫茶店で螺旋階段で昇る吹き抜けの二階まである。
 僕は叔母さんに「陽ちゃん、お願いやから、こっち来て」とお願いされ電車に乗ってきた。
 僕の前には以前、叔母さんとプールに行った際に送り迎えをしてくれた男の人が座っていた。
 男の人と反対側の椅子に僕は叔母さんと二人一緒に並んで腰掛けている。
 こうやって一緒に並んで座るのは映画館の中、花火の日以来だったけ?
 男の人の前には熱いコーヒー、叔母さんの前にはアイスコーヒーがそれぞれ置かれている。二人とも全然飲んでいない。だから僕は恐る恐る自分のソーダのストローに口をつけて飲んだ。
「ずいぶん、陽に焼けたね」
 男の人が僕の顔を見て言ったのでストローから口を離した。
 僕はどう答えていいのかわからなかった。「はい、焼けました」なのか「そうでもないです」どちらを言えばいいのだろうか迷った。
 それで結局、男の人の言葉に返事をできないでいた。いつかの「学校楽しい?」とかの言葉と同じで返事に困る。
「シミズさん、これから忙しくなるんですね」
 シミズ、というのが男の人の名前なのか。同じ会社の人だって前に叔母さんが言ってたな。
「波野さんも、これから編集の仕事増えるかもしれないな」そう言って男の人はコーヒーを一口飲んだ。久々に叔母さんの苗字を聞いた気がする。
 それで、どうして僕がここにいなければならないんだろう?
 男の人はネクタイをしてグレーのスーツを着ている。
 叔母さんも今日は珍しくワンピースではなく、どこかよそ行きという感じの服を着ている。
 喫茶店の吹き抜けの二階の天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がっている。他の客席には僕のような子供は一人もいない。それどころか親子らしき人たちもいない。カップルか、サラリーマンのような人たちばかりだ。
 すごく居づらいし、落ち着かない。
「この辺りもすっかり変わったなあ」男の人が窓の外を眺めながら言った。
 すごく退屈だ。叔母さんは平気なのかな?
 男の人の顔は優しそうだ。叔母さんはこういう顔が好みなのか?
「今度、東京の仕事も入ってね。波野さんにも近々編集長から依頼が来ると思う」
 全く僕の関係がない話だ。でも又さっきの日焼けの話みたいに僕に話しかけてきたら、どうしようと思った。
 それから話は次第にどんどん難しい話題に突入して僕は完全に置いてきぼりになった。
 叔母さんは男の人の話を理解しているのだろうか? 僕にはわからない。メロンソーダはとっくに完全に飲み干していた。
 店内にはクラシック音楽が流れていたが、誰も耳を傾けてはいないようだった。
 叔母さんにこっちを見て欲しかった。叔母さんは男の人の話に頷きながら時々返事をしている。
 退屈しのぎに知恵の輪を持ってきたらよかったと僕は思った。
 クーラーの心地よい風に少し眠くなってうとうとしていると、男の人が勘定書を持って立ち上がるところだった。
 叔母さんは「陽ちゃん、出よか」と言った。やっと僕に話しかけてきた。
 喫茶店を出ると去っていく男の人に叔母さんは一礼をして見送った。僕もお辞儀をするべきなのかどうか迷ったけれど軽く頭を下げることにした。
 その後、叔母さんは申し訳なさそうに「ごめんね、陽ちゃん、つき合わして」と言った。
「何で僕がおらなあかんかったん?」僕が一番疑問に思っていたことだ。
「少し、歩こか?」
 叔母さんは答えずに歩き出した。僕も一緒について歩いた。
 道には以前叔母さんと行った映画館があった。日曜日なので前に来た時より人通りが多い。
 叔母さんの横顔はいつもと違って見える。
 それで僕を呼び出した理由は何? と思っていると、叔母さんは「ちょっと待って」と言い道の脇にある小さな喫茶店の方へ駆けて行き、喫茶店の外で売られているソフトクリームを二つ買って持ってきた。
「これ、食べながら歩こっ」そう言って叔母さんはソフトクリームを僕に持たせた。
 九月に入ったとはいえ、まだ陽射しも高く汗ばむ日だった。
 ソフトクリームが零れて落ちないようにして歩きながら食べた。
 道すがら今見ているドラマの話や漫画の話をしたりした。
 そして叔母さんは突然、「陽ちゃん、二人で見たあの映画覚えてる?」と言い出した。
「ちゃんと覚えてるよ、『ホルスの大冒険』やろ?」
 夏休みに叔母さんと見た映画のことだった。
 叔母さんが「悪魔の妹ヒルダは人間の少年ホルスとは結ばれることはない」と寂しそうにしていたのを覚えている。
「あの映画で少年はヒルダに『君やったら人間になれる』って言ってたけど、あの後どうなったんやろ?」と叔母さんは言った。
 叔母さんはハッピーエンドのその後の話をしてるの?
「そんなん、映画はあそこで終わりやから、わからへんやん」と僕は返した。
 でも叔母さんの顔は真剣でとても僕の言葉に納得していないようだったので、僕は「ホルスがヒルダを人間の女の子にしてくれるんとちゃうかな」と言い直した。
「それやったら、私もヒルダになればよかったな」
 日が西に傾き始めた。叔母さんの言った言葉は空に吸い込まれるような小さな声だった。
「叔母さんって人間と違うの?」
「そういうことやないって、誰か、私を変えてくれへんかなあって思っただけ」
 叔母さんは笑いながら言い「あんまり遅くなったらあかんから、そろそろ駅まで戻ろか」と言って僕たちは駅の方へ引き返した。
「ごめんね、陽ちゃん、今日、退屈やったやろ?」
 一体、僕は何のためにここに呼ばれたのだろうか?
 それとも、理由はまだわからないけれど、僕は叔母さんに必要とされているのだろうか?
 叔母さんは改札口まで僕を見送ってくれて僕が見えなくなるまで手を振っていた。


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