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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第28回   香山家、そして、小川家


「姉です」と村上くんの叔母さんはあたりまえのように言った。
 私は村上くんの叔母さんの言った意味をすぐに理解した。
 悠子にもすぐにわかったはずだ。
 たぶん、村上くんの叔母さんは私たちが姉妹であることに気づいている。
 そして、あの人は私たちに姉妹であることを隠さず生きていけ、と言っている。
 そう思うのは私の勘違いだろうか?
 でもこういうことって私たちがいくら隠そうとしても、気づかないうちに水のように溢れ出し周りの人に伝わっていくものなのかもしれない。
 隠す? 一体誰のためだろうか。
 お父さん? お母さん? それとも悠子のお母さん?
「仁美、お父さんが話があるんですって、ちょっと降りてきなさい」
 階下でお母さんが呼んでいる。
 本を読むのを中断し下に降りるとお父さんがソファーに座っていた。煙草を燻らせている。ふーっと煙を吐き出しているところだった。
「仁美、夏休みの宿題はもう済ませたのか?」
「もうとっくに済ませました」私は淡々と答えた。
 テーブルの上にはウイスキーの瓶、水割り用の氷入れや灰皿が置かれている。
「仁美は出来がいいからな。何でもやることが早い」
 お父さんはグラスの氷を回しながら言葉を続けた。
 お母さんはキッチンで洗い物をしている。
「お父さん、話って?」
 私は待ちきれず訊ねた。あんまりここに長居したくない。
 この部屋は外の音が聞こえにくい。アパートで何かあってもわからない。
「なんでも噂では仁美が下のアパートの女の子と一緒に遊んでいるとか・・」
 奥歯に物が挟まったような言い方というのはこういうことを言うのだろう。
「友達です」私はきっぱりと言った。
 きっと悠子のことだ。誰かが告げ口をしたんだろう。
 お母さんは私が悠子と会っていることを知っているが、お父さんはまだそんなに知らないはずだ。
「友達も選ばないとダメだ」
 お父さんは煙草を灰皿の縁でトントンとたたいた。
「どうしてですか?」
「仁美の将来のためによくないからだ」少し顔が険しい。
「わかりません、私には・・」話の相手をするのに疲れてくる。
「仁美も大きくなれば、お父さんの言っていることがわかる日が来る」
 テレビドラマで聞いたようなセリフだ。
 お父さん、私は今は子供だから、わかんないよ。
「お父さん、どんな子だったら、お友達にいいの?」
「そうだな、清田さんの娘さんとか」
 ふーん。長田さんじゃないんだ。
「仁美、お父さんの言うことは聞いた方がいいわよ」
 お母さんが手を拭きながら来た。
 はいはい。二人に言われたんじゃ、頷くしかないわ。
 でもね。お父さん、お母さん、私は将来あなたちの言ういい子にはならないと思う。
「お父さん、もういいですか? 私、本が読みたいの」
 私は上に上がろうと立ち上がりかけた。
「だから、仁美、アパートの子とはもう・・」
 お父さんの本音が出た。
「悠子でしょっ、お父さんの言いたいのは、ちゃんと名前を言ってよっ」
 思わずお父さんの前で悠子の名前を出してしまった。言わない方がいいのかもしれなかったけど止められなかった。
 お父さんが煙草の灰を灰皿で落とさず、そのままにしている。
「お父さん、煙草の灰、落ちるよ」
 私に指摘され「ああ・・」と言って灰を灰皿に落とした。
「仁美、お父さんになんてことを!」お母さんが慌てて言った。
 確かに言いすぎだ。お父さんも仕事で色々あるに違いない。それに私はただの子供だ。
「私が誰と友達になろうと自由でしょ」もうここに居たくなかった。
 その時、何かが割れる音がした。
 私の心? 違う・・聞こえた。私は二階に駆け上がり部屋の窓を開けた。ムッとする夏の夜の空気の流れとともに悠子の叫ぶ声が流れてきた。
「おかあさん」と確かに聞こえた。私は急いで再び階下に降りた。
「ごめん、お母さん、私、出てくるっ」と言った時にはもう靴を履いていた。
「待ちなさい、仁美、こんな時間にどこに」
 お母さんではなくお父さんが後ろから私の肩を掴んだ。
「理由を言っていい? お父さん」私は振り返るとお父さんの方を少し睨んで言った。
「言いなさい」
「妹のピンチなんやっ!」
 そう答えた後、お父さんの顔を見ている暇もなかった。私はドアを開け飛び出した。
 家の東側の非常階段を下りていく。ギシギシと音がする。暑いのに風が強く吹いている。落ちそうで少し怖い。怖いけれど早く行かないと、悠子が・・
 なんて長い階段なの、と思った時には足を踏み外していた。ずさーっと地面に落ち、うつ伏せに倒れ込んだ。けれど、すぐに起き上がった。下の方だったから衝撃も小さくて済んだ。少し擦り剥いた程度だ。痛くもない。私はスカートに付いた土をぽんぽんと手で掃うとアパートのドアに向かった。
 まだどの家にも灯りが点いている時間だ。
 子供の笑い声や、大人の話す声、色んな食べ物の匂いがした。暖かい家庭の匂いだ。
 しかし、今の悠子はそのどれも味わうことができない。
「小川」の表札があった。やはり中で悠子が何か言っている声がする。
 もう我慢できない。私は悠子とのルールを破り呼び鈴を鳴らした上でドアをドンドンと何度も叩いた。
 予想通り、男がドアを開け出てきた。あの男だ。こいつのせいで悠子は・・悠子のお母さんは変わってしまった。
「なんやお前は?」男の顔は怖い。お父さんとは全く違う世界の男だ。この男はきっと人も殺せるのだろう。でも今の私にはそんなこと関係ない。
「この子の姉です」私は村上くんの叔母さんが言ったような口調で言った。
「仁美ちゃん!」
 きっと悠子にも村上くんの叔母さんが見えたと思う。
 ああ、あの人・・村上くんが好きになるはずだ。
「悠子っ、大丈夫か、怪我してへんかっ?」私は玄関の散乱した様子を見て訊いた。
「仁美ちゃん、うち、大丈夫や」
 嘘なのはすぐにわかった。膝が切れているのだろうか、血が流れ出している。
「ちょうど、あんたの家に行こうと思ってたところや、しかしなあ、あんたじゃなくて、親父の方に用事があるんや」そう言って男は玄関に出て靴を履きだした。
「待ってっ」悠子が叫んだ。
 悠子が男の胴を後ろから両手で抱き掴んだ。おそらく悠子はこんな男の体に触れたくないだろう。それが痛いほどよくわかる。
「行かせへん、絶対、行かせへん」悠子は言い続けた。
「うっとおしい奴や、離さんか!」男は悠子の手を掴み振り解こうとする。
「私も父の家に行かせませんから」
 私は両手を広げてドアの端を持ち男の行く手を阻んだ。
「ただのガキが・・」
 男が力を込め悠子の手を振り解くと私の方に向かってきた。
「どかんかいっ!」
 子供の力は非力だ。私は男にドンと押され後ろにひっくり返った。
「お姉ちゃん!」悠子の声がした。
 悠子、それは言うたらあかんて約束したやん。
 悠子が男をどんと押しのけ私の方に駆け寄ってきたのがわかった。
「お姉ちゃん、大丈夫っ?」
「大丈夫や」私は返事をしながら体を起すと、男が悠子に体当たりされたのか、玄関先で倒れていた。
 男はよろよろと起き上がると「おまえら、ええかげんに」と言ったあと、もうひとつ「ええかげんに」と言う大きな声が聞こえた。
 それは「ええかげんに出て行ってくれへんか」と続けて言う悠子のお母さんの声だった。
「おまえ、ど、どういうつもりや」男は少し慌てているようだ。
「敏男も連れて、一緒に出て行ってくれ。あんたらがおると、ろくなことあらへん」
 悠子のお母さんはシュミーズ一枚で腕を組んで立っている。
「なんや今まで、俺がおらんと生きていかれへん言うて、散々・・」
 私にはわからない男女のいざこざ、ってあるのだろうか。
「出て行ってくれ、もううんざりや」
 男にとって悠子のお母さんの言葉は全くの予想外だったみたいだ。
「金がないと、せ、生活ができん」
 何だか情けない声・・男ってこういうものなの?
「そうや、ここを出て行って香山の親父からぶんどったる」男が私の方を見た。
「そんなこと、私が絶対させへん」
 悠子のお母さんは悠子と私の前に立って道を塞いだ。
 なんか全然違う。私の悠子のお母さんに抱いていたイメージと全然違う。
 その時、後で声がした。
「キシダくん、もうそのへんにしときや」
「兄さん・・」悠子のお母さんが言った。
 藤田のおじさんだった。この人はいつもアパートの前を通る時は何かないか耳をそばだてているらしい。私と同じような人がもう一人いる。
「キシダくん、香山の家を脅すんもええけど、その後、どうなっても知らんで。あんたも大人やったら、それぐらいわかるやろ」
 私にはわからない。お父さんって、そんなにすごい人なの?
「俺を脅かしてるつもりか・・」
 男は言い返しているつもりなのだろうけど、なんか変。
「脅かしてるんはあんたやないか。こんな、いたいけな女の子、二人も床に転がして」
 藤田さんは私を見た後、再び男に視線を戻して睨みつけた。
「妹の相手やと思うから、今まで大目に見とったけど、香山のお嬢さんにまで手をだすんは、ちとやり過ぎやで」
 藤田のおじさん、なんだか今日は怖い。口調がいつもと違う。
 悠子はじっと二人を見比べ、時折お母さんの方を見ている。
 私は体が痛かったけど、もうそんなことはどうでもいい。
 悠子が約束を破ってしまった・・さっき悠子が私のことを「お姉ちゃん」って言った。それも二度も・・悲しいんか、嬉しいんかわからへん。
 でも、もう言ったらあかんって、あとで言い聞かせんとあかん。
 男は何か考えている様子だった。
 しばらくすると「おい、敏男、行くぞ」と言って男の子を連れ出て行った。
 息子は父親に絶対服従のようだ。きっと父親に逆らっては生きていけないのだろう。
 アパートの隣の人がドアから顔を出してこちらを伺っていた。
「あのお・・すごい物音、聞こえたもんやから」
 悠子のお母さんが出て行き女の人に「すみません、すみません、以後、気をつけます」と言っているのが聞こえた。
 この人は今までと少し変わった。
 以前、悠子を藤田のおじさんの養女に、と考えていたことは私の間違いな気がした。
「香山のお嬢さん、ごめんなあ」
 こちらに戻ってくると悠子のお母さんは私の方を見てそう言った。
「兄さんにも迷惑ばかりかけてもうて」今度は藤田のおじさんに言ったけれど、おじさんは「ほなら、用が済んだから、わし、もう帰るわ」と言うとさっさと帰ってしまった。
 この兄妹ってなんだか不思議な関係だ。
「悠子、血が出てるやないか。あとで絆創膏を貼ったるから家の中に入り」
「うん」悠子は小さく頷いた。
 悠子、よかったね、私が絆創膏持ってきてなくても、今日はお母さんに貼ってもらえるんやね。悠子は私の方を見た。
「仁美ちゃん、ありがとう」
 私がここに来なくても、この家の落ち着く先は同じだったのかもしれない。
 だが、私の方は違った。悠子が「お姉ちゃん」と言うのを聞けた。
「あの、おばさん、何があったんですか? 私、いきなりここに来てしまって、話がよくわからないんです」
 私はこの人ともっと話したかったのかもしれない。悠子の、いや、妹のお母さんなのだから。
「立ち話もなんやから、家の中にあがり」と悠子のお母さんは言った。
 悠子のお母さんと話が出来る。丁度よかった。私は悠子のお母さんに話さなければならないことがある。
「あんたも怪我してるやないか。親御さんが見たらびっくりしよるで、家の中で消毒したるよって」


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