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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第20回   銭湯にて


 湯気が立ち込める中で僕は思考を巡らせていた。
 なぜ僕はビー玉を買って香山さんや小川さんの家に行ったのだろう。彼女たちも理解に苦しんだに違いない。きっと今もそう考えていることだろう。
 彼女たちと何かで繋がりたかったのだろうか?
 僕はこんなビー玉のようなもので人の関係を繋げておきたかったのだろうか?
 でも何かで繋いでおかないとみんな流れ出してしまいそうな気がした。
 放っておくと、みんな大きな川に溺れて流れ出し河口に流れ着いた時にはみんなバラバラになって、そのまま深い海の中に沈んでしまいそうな気がした。
 海の中はとても深くてお互いのことなど顔も体もわからなくなって誰にも助けられない。 僕のしていることは正しいことなのだろうか?

 そんなことを考えながらブクブクと僕は銭湯の湯船の中に頭まで浸からせ体を沈ませた。 周りの人の声が遠くに聞こえた。上を見上げると水面がゆらゆらとしているのがわかった。こんな風に沈んでしまったら人の声も届かなくなる。息もできずそのうちに死んでしまう。そう考えていたら怖くなった。
 遠くで「陽ちゃーんっ!」と言う声が聞こえた。周りの大人たちのどんな声よりも大きく聞こえた。
 僕は湯船から顔を出し、ぷはーっと大きく息を吐きそのまま上半身まで出した。勢いよく出たのでお湯がざぶんざぶんと揺れた。
 叔母さんが隣の女湯から大きな声で呼んでいたのだった。叔母さんが呼んだのは「もうすぐ出るよ」という合図だ。
 今日は父と来ずに叔母さんと一緒に銭湯に来ていた。叔母さんは休憩所にあるピンボールをしたかったらしい。新しいピンボール台が入ったのだ。
 浴槽から出て歩き出すと頭が揺れている感じがして足元がぐらつく。
 お風呂ではあまり難しいことは考えない方がいい。母に言われていたことを思い出した。
 浴槽の中では同じ年くらいの男の子がまだ浸かっていた。お湯が揺れても動じず目を瞑って気持ちよさそうにしている。
 さっきまで僕が色々考えていたのが愚かしく思えるほどの何も考えていないような顔だった。あんな風に生きていれば余計なことは考えずに済むのだろうか?
 そう勝手に考えながら脱衣所で着替え叔母さんの待っている休憩所に行くと、叔母さんは大きな扇風機の前に腰掛け扇風機の風にあたりながら髪を乾かしているところだった。
 錆びた扇風機の機械の薄汚れた羽と叔母さんのふわりとした黄色のワンピースが対照的だった。
「陽ちゃん、顔が真っ赤っ」
 僕が頭までお湯に浸かっていたのを知られたようで少し恥ずかしかった。
「そんな陽ちゃんには、はい、これっ!」
 叔母さんは脇のテーブルに置いてあったフルーツ牛乳を僕の目の前に差し出した。
 フルーツ牛乳を手に取ると瓶はよく冷えていて周りに水滴がたくさん付いている。
 その冷たい感触を熱くなった頬や腕にあてたりして楽しんだ。叔母さんの顔の向こうから流れてくる風で熱くなった顔を冷ました。
 叔母さんも自分の分のコーヒー牛乳を飲み始めた。喉をコーヒー牛乳が通っていくのが一目で分かるほど気持ちいい飲み方だった。
 叔母さんは飲みかけのコーヒー牛乳をテーブルに置くと「陽ちゃんはアイスクリームの方がよかったかな?」と訊ねた。
 僕は首を横に振りながら「これの方がええ」と答えてフルーツ牛乳を飲み始めた。
 でもアイスクリームも食べたかった。アイスクリームなんて家で食べることはまずないからだ。叔母さんの家で食べたきり食べていない。
「あとで一緒にピンボールしようね」叔母さんはやる気満々のようだ。
 叔母さんに答えようとした時、背後で男の声がした。
「この前はすまんかったなあ」
 振り返ると、あのバイクのおっさんだった。
「すまんすまん、くつろいでるのに急に話しかけたりして」
 バイクのおっさんじゃなくて銭湯のおっさんだ。
「そちら、お姉さんかいな?」
 叔母さんはすかさず「叔母です」と微笑みながら答えた。
 おっさんは叔母さんに軽く会釈をした。叔母さんもこくりと会釈をした。
「君の名前、聞いてなかったなあ・・陽一くん、やったかいな」
「村上陽一です」誰から僕の名前を聞いたんだ?
 叔母さんは涼みながら僕とおっさんを見ている。おそらくどういう関係かわからないからだろう。いや、関係なんてそもそもない。
「陽一くんに言うとかな、と思うてな」
 叔母さんは飲みかけのコーヒー牛乳を飲みだした。おそらく僕たちに気をつかっているのだろう。
「香山のお嬢さんから話を聞いたんや。ビー玉はお嬢さんが預かるって言うとったわ」
 お嬢さんって、香山さんのこと?
 おっさんは続けて話す。おっさんの腹が目の前で揺れている。
「文哉くんがトシオの奴から取り戻してくれたと思うたら、君の手に渡ってたんやなあ」
 叔母さん、ピンボールするの、もうちょっと待ってて。僕、このおっさんの話を聞きたい。
「あの、香山さんのことですか? それとおじさんの名前は?」
 近くで見ると誰かに似ている。
「わしか、すまん、すまん。名乗ってへんかったな。わしは藤田、藤田五郎。息子とはクラスも違うから全然わからんわなあ。風呂に同じ年頃の男の子おらなんだか? あれ、わしの息子や」
 ああ、あの風呂に何時間でも浸かれるっていう強心臓の・・道理で。
「それで香山さんは何て言ってましたか?」
 僕はあれからずっと香山さんに聞きたかった。
「『悠子に渡せるようになるまで、私が持っとく』と言うとった。香山のお嬢さんはええ子や」
 よかった・・それにしても、一体このおっさんは何者なんだ?
「香山さんのお嬢さん、わしが悠子を見とらんでも、いっつもきっちり見てくれるんや。あんなええ子、他におらんで」
 叔母さんはテーブルに置いてある週刊誌の頁を片手でぱらぱらとめくっている。
「すみません、おじさんと小川さん、お二人の関係がわかりません」
 パンツ一枚の年寄りが僕とおっさんの間を遠慮なく通り抜けていく。
「えっ、知らんかったんかいな。わしは悠子の叔父、あの子の母ちゃんの兄貴や」
 ああ、僕には知らないことが多すぎる。
 それであの日、小川さんのアパートから出てきたんだ。でも、このことを教えてもらってもまだまだわからない事だらけだ。
 僕がそう思っているとおっさんは「邪魔して悪かったな、店の売り上げの計算あるから、これで失礼するわ」と言って叔母さんの方を見ながら「ゆっくりゲームでもやっていったらええ、お姉さん・・いや叔母さんと」と笑って奥の事務室みたいな所に入っていった。
 おっさんが消えるのを見たあと叔母さんは僕の方に手を伸ばして「こらあ、陽一、叔母さんに全部話しなさーい」と冗談ぽく僕の頭を手で軽くつつきながら陽ちゃんと呼ばす陽一と言って微笑みを浮かべた。
 叔母さんとは本や映画や漫画の話、何でもできる。でもこの事はたとえ叔母さんでも話したくなかった。
 僕が俯いていると「そう叔母さんが言うと思ったでしょ?」と言い「大事なことは、お母さんに先に話さなあかんわ」ときっぱり言うと叔母さんは再びコーヒー牛乳を飲みだした。母にはなおさら話せない。そのことを叔母さんはわかっているはずだ。
「でも、さっきの人、私、どっかで見たことあるなあ」
 叔母さんはどの部分を聞いて大事な話だって思ったんだろう。
「陽ちゃん、それより、はよ、ピンボールしよ!」
 叔母さんはコーヒー牛乳を飲み干すと勢いよく立ち上がった。
 僕もフルーツ牛乳を一気に全部飲んだ。
 叔母さんは新しくなったピンボール台に向かうと嬉しそうに「先、私からね」と言って小銭を入れピンボールを始めだした。
 ボールが弾かれだすと叔母さんは「きゃっ」とか「惜しいっ」とか色んなことを言って子供のようにはしゃぎだした。
 ボールが下の受け口に落ちてしまうと「終わってしまったわ」とこれもまた子供のようにしょげて「次、陽ちゃん」と言って僕に小銭を握らせピンボール台を譲った。
 僕がボールを弾きだすとピンボール台がうなるような音を出し始め高得点が出たことを知らせた。
「陽ちゃんの方がずっと上手やん!」叔母さんは嬉しいような悔しいような声で言った。
 次第にピンボール台の音と叔母さんの「やったっ」とか「もう少しで一万点!」とか言う叔母さんの声しか聞こえなくなった。
 横にいた叔母さんの声が近づいたかと思うと急に遠のいていった。
 湯あたりでのぼせたのかな、と思っていると、奥の風呂場のタライの音や休憩所の家族連れの笑い声までがだんだん聞こえなくなった。
 お湯の流れる音だけがした。
 お湯はこの建物のどこを流れているんだろう?
 このまま倒れるのかな・・貧血かな? だんだん意識が朦朧としてきた。
 藤田のおっさんの息子、まだお風呂に浸かっているのかな? 僕もあんな風に体が丈夫になりたい。
 そう思った瞬間、後ろから叔母さんが僕の腰に両手をまわして僕の両手をピンボール台からそっと離した。
「陽ちゃん、次は私の番よ」
 叔母さんは小さな声でそう言うと僕を近くの安楽椅子まで連れていき「陽ちゃんは、ここで見学よ」と言って僕を座らせた。
「お姉ちゃん、そんなにせんでも大丈夫や」と言いながらも僕は椅子に深く座り込んでしまった。
「ほら、叔母さんのこと、また、『お姉ちゃん』って言ってるやん。ここでじっと座っとき」と言って叔母さんも僕の横の高めの椅子にちょこんと座った。
 二人がピンボール台を離れた後には親子連れが小銭を入れているところだった。
「次、叔母さんの番とちゃうかったん」声が少し出にくい。
「あほ、今は陽ちゃんが休む方が大事や、叔母さん一人でゲームして何が面白いの」と言った後「一番あほなんは私や。陽ちゃんが湯あたりしてるのに気づかんとあかんのに」と小さな声で呟いているのが遠くに聞こえた。
 叔母さんはアイスクリームを買ってきて「一人やったら、量が多いから半ぶんこしよ」と言ってアイスクリームを匙ですくい上げると僕の口まで運んだ。
「これで体の中も、頭の中も少し冷やしなさい」
 冷たいイチゴの味がした。
「ほら、お水も・・水分はたくさん摂らなあかんよ」叔母さんはコップに水をもらってきてくれていた。
 僕はアイスクリームで一杯の口の中に冷たい水を流し込みながらピンボール台の方を見るとさっきの親子がうまく点をだせずに悔しがっていた。
「陽ちゃん、ピンボール上手やったわ。私、もっと見たかったな」
 叔母さんは床に着いていない両足をぶらぶらさせながら言った。
 だんだん体中の血が頭に戻っていく感じがした。
「今度、また来よね」叔母さんの声もはっきりと聞こえる。
 そっか・・体中に水が流れているんだ。
 自分だけでなく、他の人の力で水の流れが変わったりするものなんだ。
「うん、叔母さんも、もっと上手くならなあかん」
 僕は元気よく頷いて叔母さんをからかう。
「叔母さん、今度は負けへんよ」
 僕の声を聞いて叔母さんはその顔に安心した表情を浮かべた。
 その後、すごい派手な音がした。ピンボール台の音だった。見るとさっきの親子連れに変わって風呂の中にいた男の子、藤田のおっさんの息子がピンボールをやっていて僕より高い得点を出していた。
「すごいね。あの子、陽ちゃんの同級生?」叔母さんがそう言っているのを聞いて僕はとても悔しくなった。親子連れまで関心したように見ている。
「あいつ、銭湯の息子や、きっと毎日やってるから上手なんや」
 僕は心の中になんだか変なものを感じた。叔母さんの関心が向こうにとられるような、僕の方に関心を向けたいような、一体この感情は何だろう?
 僕の体の中が汚れて、せっかく飲んだ水が濁りだす気がした。


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