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作品名:水を支える〜二人の少女の秘密 作者:小原ききょう

第19回   呼び鈴


 私の家には電話がない・・けれど、そんなに困ることもない。ただ一つ困るのは学校の連絡網があるときだ。
 道を隔てた向かいの市営住宅に住む井口さんという女の子が伝えに来て、私はアパートの上の階に住む男の子に伝えに行く。
 上の男の子は電話があるのでこんな面倒なことはないだろう。
 けれど伝えに来る井口さんはとても嫌がってると思う。
 大雨で学校が休みになることを伝えにわざわざ家を出て、ここまで伝えに来るなんて誰だってイヤだろう。
 私の方も井口さんに家の中とかを玄関から見られたら恥ずかしい。
 それに呼び鈴を押されて出るのが私とは限らない。
 この前はあの男が出た。私が出ようとしたのに押しのけて、私は転びそうになって掴んだ柱の釘で指を切った。
 あの男を見て井口さんが怖がっているのがわかったので、私は次の日、学校で井口さんに謝った。
「気にしなくていいよ」と井口さんは言ってくれたけど、そうもいかないので連絡網の時は呼び鈴を押さないでドアを二回コンコンと叩いてって言った。
「それでわかるの?」と聞かれたけど「わかる」と答えた。私は家にいるときは大抵玄関か台所にいるからだ。それであの男より早く出られる。

 家の呼び鈴はめったにならない。集金の人くらいだ。
 でも今日のお昼、その呼び鈴が鳴った。
 私が出ようとすると、あの男が奥から出てきた。私と目が会うと「どかんかいっ」と言って突き飛ばした。
 私は狭い玄関で転がった。壁でおでこを打つ。
「ほんま、邪魔なやつやで」男は吐き捨てるように言う。
 いつものことだ。私はどこにいても邪魔なんだ。
 男はぶつぶつ言いながらドアを開けた。ドアの向こうに同じクラスの男の子が立っていた。
「小川さん、いますか?」
 村上くん? どうして? 連絡網が変わったの? 家は近かったかしら?
「おい、おまえに用事らしいわ」男はこっちを見て「はよ出ろ」と言った。
 私は何事もなかったように起き上がって、ドアの外に出て後ろ手でドアを閉めた。
「小川さん、ごめん、突然、来たりして」連絡網ではなさそうだ。
 次に村上くんは私に信じられないようなことを言った。
「香山さんを誘って、お祭りに来ないか」
 何でもない言葉なのに私の目の前が明るくなった気がした。
「私が仁美ちゃんを?」
 言葉の意味はわかる。だけど、どうして私の方から仁美ちゃんを誘うの?
 どちらかと言えば誘ってくるのは仁美ちゃんの方からだし。
 でもそう思っているのは私の甘えなのかな?
 それに仁美ちゃんの家のことを考えたら二人で夜にお祭りに出かけるなんて無理だ。
「そうや・・小川さんの方から誘って」
 村上くんが冗談で言っているのではなさそうだった。
「でも・・」私が口ごもっていると村上くんは「小川さん、おでこ、血が出てる」と私のおでこを指差した。
「ごめんなさい」
 私は手でおでこを拭った。血が広がっただけであまり意味が無いようだ。
「ひょっとして、さっきの人に?」
 知られた! どうしよう赤の他人にこの家のことが知られてしまう。
 お母さんが悲しむ!
「違う・・さっき自分で柱におでこぶつけたの」変な言い訳をした。
 たぶん村上くんは私を・・この家のことを見抜いている。どうしてだろう、何故だか私にはわかってしまう。
「なんや、連絡網ちゃうんかいな」「ちゃうみたいやで」奥でお母さんと男の声が聞こえた。「そしたら何の用事や」
 私は手を後ろに回してドアのノブをしっかりと握って中から開けられないようにした。
 こんなことするの初めてだ。
「ちょっと、悠子、ここを開けっ」お母さんが怒鳴る。
 どうしてお母さんは開けたがるの? そんなに誰が来ているか知りたいの?
 そうお母さんは怖いのだ。お母さんはこんな生活でも何かを恐れている。もうこれ以上この生活を誰かに壊されたくないのだ。
「お母さん、何でもないっ、ただの連絡網だから」
 私も必死だ。お母さんに怒られても、私、村上くんの話が聞きたい。
「香山さんから小川さんを誘うたら普通やん。小川さんから誘うことに意味があんねん」
 ああ、わからない、わかるように言って。
「香山さんに小川さんのビー玉、預かってもらってるんや」
 私のビー玉? 村上くん、仁美ちゃんにも会ったの?
「村上くん、ごめんなさい、お話がよくわからないの」
 村上くんは私をどうしたいっていうの?
「家の中、大丈夫?」村上くんは私の家の中を気にしているようだ。
「う、うん、大丈夫・・」
 村上くん、やっぱり帰ってっ。本当はもっと話を聞きたいけど、もう無理や。
 このまま村上くんがここにいたらいろんなことが壊れてしまう気がする。私もお母さんと同じで、これ以上、壊れるのが怖いんや。
 向かいのアパートのベランダに女の人とその娘らしい子が仲よさそうに洗濯物を取り入れているのが見えた。私とお母さんもあんな母と子になるはずだった。



 僕が無茶苦茶言っているのはわかっていた。
 でも「香山さんをお祭りに誘ってあげて」小川さんにそう言うことが今日ここに来た理由だった。目の前の小川さんは可哀相なくらいに何かに怯えている。やっぱりこんなこと言うべきじゃなかった。
「村上くん、やっぱり今日は帰って、また改めて話を聞くから」
 そう言うだろうと思っていた。でも小川さんは僕から何かを聞きたがっている、けれどできない。痛いほどそれが伝わってくる。
 僕は小川さんに変わって欲しかった。
 僕は彼女とは赤の他人だけど、そう願ってここに来た。
 香山さんが小川さんに委員になって欲しい、と思ったことと同じように。
 小川さんがドアが開けられないように力を入れていても女の子の力が大人にかなうはずがなかった。ドアが勢いよく開けられ中からあの男が出てきた。
 煙草やお酒、他にも色んな匂いがドアの向こうからドッと噴き出る。
「ひょっとしておまえ、トシオを殴った奴か。悠子、大人しい顔して男を垂らしこんだんかっ」男は僕と小川さんの顔を見ながらしきりに喚きたてた。
 男は文哉くんと僕とを勘違いしてる。でもどっちでもいい。目の前にあるのは忘れなくなりそうな醜い大人の顔だった。
「悠子、ほんまか?」あのシュミーズの女、いや、小川さんのお母さんまで出てきた。
「お母さん、私、何のことかわからへん」
 ごめん、小川さん、お母さんのこと悪く言いたくないけど、この状況では娘の味方をして欲しい。
 このまま僕が帰ったら、あとで小川さんがひどい目に合わされる気がした。
「そのトシオくんって言う子、誰かのもの盗ったんとちゃいますか、それで」
 僕がそう言った次の瞬間。男が僕の首を片手で掴んだ。
「トシオが顔が痛い、痛い言うとんや、お前もおんなじ目にしたろかっ」
 お酒と煙草の匂いがムッとした。気持ちが悪い。男が僕の首を掴んだままぐいぐいと右に左にと揺さぶる。苦しい、息が出来ない。
 僕はなんてことをとっさに言ったんだろう。あんなこと言ったら男が逆上するに決まっている。
「やめてっ」小川さんが叫んでいるのが聞こえた。
 なんて嫌な男なんだろう。どうしてこんな奴が僕の町に住んでいるんだ?
 広場で子供たちが遊んでいる声が聞こえる。大勢の大人たちの声もした。
 時間がゆっくり流れているようだった。暑さが感じられなくなった、けれど喉がカラカラに渇いて水が飲みたかった。水道水ではなくてもっと違う水を体が欲していた。
「あんたっ、みんな見てるっ」小川さんのお母さんが男に言った。
 男が手を離した。一瞬で僕の首を空気が通った。
 僕の後ろでアパートの人たちが出てきて見ているのがわかった。
 このアパートってこんなにたくさん人がいたんだ・・それほどの数だった。
 親子連れ、杖をついた年寄り、若い夫婦のような男女、遊んでいると思っていた子供たちの声は好奇の目をこちらに向けている子供たちの声だった。
 小川さんの家の同じ階の人たちもドアから顔を出してこちらをじっと見ている。
 このアパートに訪れたことのない喧騒がアパートを覆っている感じがした。
 男は「ちっ」と舌打ちをしてアパートの外に出て行った。
「あんたっ」小川さんのお母さんが呼び止める大きな声がしたが男はその声を無視した。 パチンコに行くのだろうか? お母さんも近所の目を気にして、それ以上何も言わなかった。
「村上くん! 大丈夫?」
 小川さんが声を出した。駄菓子屋さんに居る時みたいに大きな声だった。近所の人たちは興味が失せはじめたのか、それぞれの場所に戻りだしている。
「首が痛い」僕は首を押さえたまま笑った。
「あんた、いったい、何の用事やったんや」
 小川さんのお母さんが腕を組んで言う。男がいた時とは違う表情をしていた。
「小川さんをお祭りに誘いに来ました。他にも僕の友達や親戚の人がいます」
 少しだけ嘘をついた。小川さんにも僕の嘘はわかったはずだ。
「あんたが敏男を殴ったんちゃうのは見たらわかるわ」
 そう言った小川さんのお母さんは少し笑っている。ひょっとしたら、小川さんはお母さんと二人きりだったら案外上手くやっていけるのではないだろうか?
「僕は殴っていません」
 僕の返事に小川さんのお母さんは深い溜息をつくと、小川さんの方を振り返り、
「悠子、お祭り、行ってきたらええやん。悠子がおらん方が家の中、平和でええわ」と言った。どんな表情で言ったのだろうか?
「お母さん・・お祭り、行ってええの?」
 小川さんの頭の中にはお祭りに行けることと、お母さんに言われた残酷な言葉がきっと渦巻いているのだろう。
「何べんも言わすんやないで。かまへん、行ってき」
 小川さんは泣いているのか喜んでいるのかわからないような表情を見せた。
「小川さん、僕、帰るわ。絶対香山さんを誘って来てな」僕がそう言うと小川さんは小さく頷いて「村上くん、なんか一生懸命やね」と微笑みを浮かべた。
 こんな顔もできるんだ、ここに来た甲斐があったと僕は少し嬉しくなった。
「村上くんは誰とお祭り行くの?」
 小川さんのお母さんは家の中に入って行った。
「たぶん、叔母さんと」
「ああ、あのお姉さんみたいな・・」
 小川さんは僕の叔母さんの顔を思い出したように少し笑った。


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