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作品名:もしも、もしもの高野ミウのお話 作者:なおちー

第8回   歴史の話 1 ボリシェビキとは何か
   『ウラジーミル・イリイチ・レーニン』

・同志レーニン
・革命家レーニン
・ソ連の建国の父。

レーニンの呼び方は色々あるが、この作品の『学園』でも党の最高指導者として
今でも崇拝されている。レーニンのやった仕事は、
人類史上初の社会主義国家の建設である。

ドイツ帝国に敗戦した後の混乱の中で、国内の反乱分子と戦いながら内政を行い、
ボリシェビキの権力を維持し付けたことは奇跡に等しく、彼のやった一番の功績は
『第二次大戦までボリシェビキを存続させる基盤を作ったこと』であると考えられる。

レーニンが社会主義者に目覚めたきっかけは、いくつもある。
まず帝政ロシアの政治的腐敗だ。

当時のロシアでの政治や軍の上層部は、貴族の特権階級によって占められており、
労働者や兵は貴族の所有物であり、どのように使役して殺しても構わないとされていた。
農民は富農(クラーク)の所有物であり、やはり家畜の延長だった。
言葉を話す家畜である。
ロシア帝国において、もっとも大きな権力を持つのは皇帝である。

明治の国民国家の日本ならともかく、帝政末期の日本では帝国人民は
天皇陛下の所有物であるかのように宣伝され、実際に大規模な特攻作戦、
太平洋の各島での玉砕戦までして多くの兵隊や国民が死んだ。

この二つの国において、明らかな共通点がある。

『国民とは、国家の奴隷であり、家畜であり、人権がない』

そんなものは近代以前、たとえば中世封建社会の典型例で別にめずらしくない。
今の北朝鮮の朝鮮労働党や、中国共産党も似たようなものと
言われたら否定はしない。だがそれでも日本帝国とソ連は、ゆがんだ国だと筆者は思う。

そして両国に共通することは、国民に重税を課して軍備を増強し、
領土拡大を目指したが、やがては強国によって滅ぼされてしまうことである。
ロシア皇帝と天皇陛下に忠誠を無理やり誓わされ、死んだ人は、無駄死にだったのか。

レーニンがボリシェビキに目覚める重大なきっかけは、兄の死だった。
兄のアレクサンドルは、反帝政派の組織に属し、皇帝を暗殺するための爆弾の
製造を任されていた。やがて秘密警察によって逮捕され絞首刑となる。

この兄の死によってレーニンは皇帝を深く憎むようになり、
暴動に参加し、政治集会を開き、やがては革命家となり、国家の最高指導者になる。


レーニン達ボリシェビキは、すべての貧しいソ連人を救うために、
特権階級から人権を奪うことにした。

資本主義の観点では資本家連中が生産手段を独占し、労働者を好きなように
使役して生かさず殺さずの生活を送らせている。資本主義では
景気変動の波によって多くの失業者が生存する権利を奪われ、
今次コロナ災厄では貧しい者から順番に自殺する一方、裕福な老人たちは
消費が落ち込む分、家計の貯蓄残高を増やすだけという、明らかな「階級差」が生じた。

米国ではエリザベス・ウォーレン上院議員率いる民主党の極左が
拡大の兆しを見せている。その主張は『金持ちは死ね』と
高らかに宣言しているも同様だが、同国において年々確実に
社会主義勢力の影響力が増しており、コロナ化でその勢いはさらに強まった。

またフランスやスウェーデンでは「極右」民族主義政党が幅を利かせ初め、
かつてのトランプ大統領やブラジルの現大統領のように
『外国人は死ね』という、かつての帝国主義時代の価値観が
復活しつつあるのだ。経済においてはグローバル経済がひと段落し、
保護貿易がそれに代わってもおかしくはない。

かつて社会学者のマルクスやエンゲルスが予想した、『階級差』によって
いずれ人類は次のステップへ進化すると言う考えも、人類の歴史を
200年とか300年単位の長い期間で考えれば、決して妄想とも言い切れないのだ。


レーニン達が救おうとしたのは、『未来に絶望して死んでしまう貧乏人』たちだ。

だが、

   ある者を救うためには、ある者を殺さねばならない。

貧乏人から衣食住の自由を奪っているのは金持ちなのだ。
資本家連中は、自分の特権である資本、土地、建物、株式、
その他の特権を手放したくない。だから逮捕し、追放し、粛清し、抹殺するのだ。

現に今の日本国の政治では貧乏人というだけで、
全員が平等に将来の死刑宣告(飢え死に)を受けたに等しい困窮が続いている。
間接的に国によって殺されていると言い換えても差し支えあるまい。

ソビエト社会主義共和国連邦とは、国旗に金色の鎌とハンマーが描かれている。
これは、ソ連が「労働者」と「農民」のための国家であることを意味している。
筆者が知る限り、このような国旗を採用したのはソ連が初めてである。
そもそもソビエトとは「評議会」を意味し、地理名ですらない。これも特異な例である。

筆者の作品では○○系ソ連人とよく表記するが、これはそもそも建国の理念からして
例えばドイツ人という地理的な表記が、他の民族にとって民族主義的差別にあたるために、
究極の平等国家(表向きは)であるソ連では、
みなが等しくソビエト人として表記されるのが適切であると考えたからだ。

話をタイトルに戻すが、ボリシェビキとは少数派を意味する。
革命の動乱期、ロシア社会民主労働党が分裂して多数派である(メンシェギキ)が
形成される一方、レーニン率いる勢力が少数派だったためにこの名前が付けられた。

 『少数精鋭のエリート集団』の意味も多少は込められているらしい。


ソ連は確かに崩壊したが、社会主義者、共産主義者が
この地球上から消え去ったわけでもない。
現在でも中国、北朝鮮、ラオス、キューバ、ベトナム、などが存在する。
国の第一党でなくとも、フランスやイタリアなどの旧列強国にも当然共産党は存在する。

そしてそういった革命の同志たちが、たまたま栃木県足足利市にある学園に集い、
小さな敷地の中で「共産主義ごっこ」を繰り広げる。物語の核は「恋愛」であるが、
このシリーズでは非共産圏での恋愛は認めない。

いつ自分が反革命容疑者として摘発されるか分からない恐怖と戦いながら
恋愛をすることになる。なぜこのような環境にするのかというと、
主人公たちの「死への恐怖」を欠いた作品には緊張感がないからだ。

人間、遠い国で火事が起きてもそ知らぬ顔をするが、
自分の隣家から火が燃え上がっていたら他人事では済まない。

学園ボリシェビキの中枢の人間は、厳しい選抜試験に合格しただけでなく
学内政治で実績を残している「少数のエリート集団」である。
彼らの監視網を潜り抜けながら無事に卒業するのは困難であり、まさに出る杭は打たれる。
はっきりいって恋愛など、学内で話題になることは避けることが理想とされる。

過去作『学園生活』のミウは、囚人となった太盛を救うために
生徒会の人間になるから性格が冷酷になってしまうが、
本作では逆に彼女が囚人となり、太盛が彼女を心配し続ける。

たったこれだけの違いに思えるが、このように発想を逆転させるだけでも
物語の内容は大きく異なるのだ。


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