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作品名:ママエフ・クルガン(102高地)〜川口ミキオの物語〜 作者:なおちー

第6回   続き
野戦病院では、リトビャクの話題で持ちきりだった。
ソ連の人民は、本当にリトビャクのことが好きだったんだ。

誰だって人が死んだら悲しいよな……。
それが英雄だったら当然だ。

俺も寝ていねえと思った。
たとえそれが夢の中の世界だったとしてもな。

「おい、きみ? 先生の許可もなく動いたらいけないぞ」
「心配すんな。俺はケガしてねえからまだ戦えるさ」

隣のベッドの金髪美男子を制止する。

俺の名前は川口ミキオ。
日本生まれの日本育ち。典型的なゆとりだ。
何の訓練も受けてないが、弾避けくらいにはなるだろ。

俺はスターリングラードの歴史を知っている。

だからこそ、ソ連軍が今、大戦力をスターリングラードの外側に
かき集めて一大犯行作戦を立てていることを知っている。
戦力が結集するまでの間、包囲網の中に残された兵隊は
一日でも長く抵抗し、敵の足を止めないといけない。

要するに俺たちは「捨て駒」だ。

ドイツ軍の弾を消耗させるのが目的だ。
上等だよ。何の意味もない人生を送ってる俺でも、
たとえ夢の中でもこの人たちの役に立てるなら悪くねえ。

軍の偉い人に頼んで前線に立たせてもらおうと思い、病院の入口を出ると
「なっ……?」思わずうねる。一体何者なんだ……? この人たちは。

病院の前に座り込んでいる兵隊の群れだ。結構な数だな。
俺も人のことは言えんが、そんなに重症ってわけでもなさそうだ。
手や頭に包帯を巻いてはいるがな。

「あれは神経症を負った者たちだ」
「神経症……?」

たまたま通りかかった男性の軍医が俺に説明してくれた。

「最前線で戦い、奇跡的に生き延びたが、心に深い傷を負った者たちだ。
 彼らはもうドイツ軍とは戦えない。ドイツ軍のヘルメットでも見た瞬間に
 すべてを投げだして逃げ出してしまうことだろう」

「だったら、後方にもでも非難させてあげれば……」

「同志よ。君は正気かい? 同士スターリンは、
 ソ連には逃亡者はいないとされている。
 戦いを放棄した者は反革命容疑者だ。直ちに前線に戻される」

「えっ。でも戦う気がないのに?」

「彼らにも人民の役に立つ方法があるんだよ」

……耳を疑った。

・懲罰部隊(地雷処理班)

精神薄弱者、死守命令に無視して後退した者の行く末。
地面にはいつくばって、棒で適当なところを突っつき、地雷が爆発するまで続ける。
スターリングラード市内は、ドイツ軍の砲爆撃のせいでガレキの山となっている。
そこを這って進む。

逃げようとしたら、後ろからNKDVに撃たれる。
地雷を食らえば即死か、良くて両手が根元から吹き飛ぶ。
その間、敵に見つかれば砲爆撃を食らう。敵の狙撃兵にも注意が必要だ。

「こら、きさまらぁ。立たんか!! 立てえええ!!」
「ぐおっ……ぐっ……」

件の内務人民委員の奴らが来やがった。督戦隊とも呼ばれる連中だ。
戦意を失った皆さんの腹にブーツで蹴りを入れていく。
なんて容赦のなさ。まさに鬼だ。
みなさんはトラックの荷台に乗せられ、連行された。

あの人たちの寿命は、もって1週間ってところか。
皆普通の顔をしたソ連人だった。
彼らにも故郷に家族がいるんだろうに……。
気の毒だが……感傷に浸っている暇はねえ。

俺はその後、軍の偉い人に話をつけてもらって前線部隊への復帰が許可された。
戦う場所は、またしてもママイの丘だ。
現在わが軍が占拠中の丘を死守せよとのことだった。

現在の戦局を説明させてくれ。

1942年。9月

ドイツ第六軍は、ソ連軍第62軍を包囲している。
第62軍は、ヴォルガ川を背にしながら、いくつかの拠点を必死に守っている。

・「ジェルジンスキー」トラクター(戦車)工場
・「赤いバリケード」大砲工場
・「赤い10月」武器工場
・ ママイの丘(102高地)
・ 穀物サイロ

ドイツ軍はすでに市の9割を占拠していた。
ソ連軍は、陥落寸前のところで何とか踏ん張っていたのだ。

上の陣地が敵軍に占領されたら我々第62軍は降伏する。
軍司令部は、紆余曲折を経て「石油備蓄タンク」
(赤いバリケード工場付近)の地下に決定された。

石油タンクなら敵も攻撃をためらうだろうとの、
司令官のお考えによるものだ。ゾッとしないね。

第62軍の司令官はワーシリー・チュイコフ中将。名将として知られる。

(実は、前回の同志リトビャクが死んだ時点と、現在のスターリングラード市の
 時間軸はリンクしてない。正確にはスターリングラードが解放されてから
 同志は亡くなっている。つまり、この時点ではまだリトビャクは生きている。
 だが小説を盛り上げるために、あえて時間軸を狂わせていることは承知してほしい)

(この後の展開も架空の部隊が登場したりと、史実の再現性に乏しいが、
 本作は小説なので、まず読み物として面白いものを優先して書くようにしている)

我がソ連軍が、半円状に包囲されながらも抵抗を続けていられるのは、
ヴォルガ川の先にある、クラスナヤ・スロボダ地区を中心とした場所から
補給を得ているためだ。ソ連軍の輸送船はそれこそ休みなしに動き続けてる。

もっと噛み砕いて説明すると、
ヴォルガ河の先にまでドイツ兵はいないから、
あちら側から川沿いに補給を受けているのだ。
ちなみに兵の補充も無制限に受けられる。

映画スターリングラード(アメリカ製)で描かれたシーンがこれだ。
シベリア鉄道経由で、どんな田舎からでも兵隊をかき集めて
死地(スターリングラード)へ送る。そして2週間以内に全員死ぬ。

「同志諸君!! 母なるヴォルガ川を背に、最後まで戦い抜け!!」

うるせえ。
鼓膜が破れるほどの大音量。
NKDVの連中は拡声器を使う。限界まで音量を上げているんだ。

「勇敢なる同志諸君!! 我がソ連軍は、スターリングラードから
 撤退することは絶対にない!! 
 たとえ敵のどんな攻撃を受けたとしても、断固死守せよ!!
 渡船場には、今なお補給物資が到着している最中である!!」

実は嘘だ。補給物資なんて満足できる数はそろってねえ。
第一停車場に設けられた、長距離砲撃部隊の弾薬だけは十分な数があるらしいが、
俺たち歩兵には最低限の装備しか与えられてない。

敵のドイツ兵には戦車、突撃砲、装甲車など何でもありだ。
敵の部隊の装備は、まさに近代兵器の博覧会のごとく。


俺の配属されたママイの丘は、半斜面陣地となっている。
半斜面陣地といえば沖縄戦の日本陸軍が有名だが、元ネタを考えたのはソ連。
日本軍もソ連を模倣したと資料に残っているそうだ。

どんな陣地かというと、文字だけのメディアでは説明不可能なのでざっくりと。
敵に見つからないように、敵から見えない側の斜面に、機銃や大砲を用意しておく。
火力が集中する地点に敵をおびき寄せて、一網打尽にする。

これは、表向き敵の砲爆撃を回避できるだけでなく、
少ない労力でこちらの火力を集中する効果があり、
当時の要塞戦術の極みとまで評価された。

沖縄戦でのシュガーローヒルでの戦いを参考にすると、
米側では突破するのに有効な戦術が最後まで思いつかなった。
そのため、人海戦術で一つ一つの陣地にガソリンを流し込み爆破するか、
火炎放射器を使用した。理論上、一番前を進む兵隊は全員死ぬか重傷を負った。

俺は斜面陣地の重機関銃陣地に配属になった。
斜面の中にぽっかい空いた穴倉(塹壕)の中に潜んでいる格好だ。
ここの銃眼からでは、敵の側が良く見えない。斜面陣地の頂上に設けられた
観測所から、射撃場所の指示が下る仕組みだ。
この場合、無線通信が遮断されたら一巻の終わりだ。

「おい新兵。息が上がってるぞ。深呼吸して落ち着け」
「は、はい」
「俺が合図したら弾を込めろ。いいな?」
「Всё понятно フスョー パニャートナ(了解です)」

相方のソ連兵は、気さくな方だった。それに見るからに有能そうだ。

チュイコフ司令官はママイの丘を、バリケード工場やトラクター工場と
同じく最重要拠点として認識していて、
虎の子の精鋭部隊をここに配置してくれたのだ。

俺は重機関銃の弾を込める係だ。弾薬はベルト式になっていて、
先輩兵が撃ち終わったら、合図のあとに俺が弾を交換する。

飛行機のプロペラ音がした。嫌な音だ……。
ドイツの飛行機は独特の音がするから一度聴いたら忘れられねえ。
結構な数のようだ。

また空爆されるのかと、耳を塞いでいたら、遠くで爆発音が聞こえる。
どうやら敵の目標はここじゃないらしい。

「こちらの陣地は強固だから無意味と判断したか。
 赤い10月工場の方がやられてるんだろう」

「はは……10月工場の方はとっくの昔に廃墟になってるってのに」

「敵は我が方の狙撃兵に敏感になっている。
 がれきの下に潜んでいる彼らを倒したい意図もあるのではないかな?」

「そいつはずいぶん贅沢な弾の使い方ですね。
 俺らにも爆弾を分けて欲しいもんですよ」

「ふはは。まったくだな!!」

気をよくしたのか、先輩は俺にクラッカーをくれた。
砂糖がたっぷり入っててうまい。俺は甘いものは大好きだ。
このご時世では甘いものは貴重だ。
角砂糖やチョコは市民の間で高値で取引されている。

飢餓が発生しているレニングラードでは
子供の人肉まで食わなきゃ生きていけないほどだ。

……ありがたく、いただきます。

タンタンタン……。
ん? なんだこの音は? 足音か?

「暗号電文だ」

塹壕の奥にいる通信兵の人が解読してくれた。

「第二停車場の部隊が壊滅した……」
「本当ですか!!」

第二停車場には砲撃陣地があった。あそこが壊滅したのか……。
するとドイツ軍は、停車場の先の穀物サイロへの道を開いたことになる。

穀物サイロを守るほどの戦力的余裕は我が方にはないはずだ。陥落は時間の問題か。

「はたしてそうかな?」

白い歯を見せて先輩は笑った。


穀物サイロの激戦は後世にまで語り継がれるほどだ。

歴史群像シリーズの文章を要約する。

ソ連側は、刻一刻と減少する守備隊を増強するため、
バルト艦隊の水兵で編成された第92海軍歩兵旅団を穀物サイロへ送る。

生還できる望みが皆無の中、
コートの中に水兵シャツを着た水兵たちは、捨て身の抵抗を続ける。
爆炎と煙が充満する、廃墟と化した穀物サイロで1週間戦った。

9月22日。建物内に残る弾薬と手りゅう弾をすべて使い切った
ソ連軍のわずかな生き残りの部隊が、闇夜に紛れて脱出。
戦いは終わった。実質的な玉砕であった。
攻撃側のドイツ軍は多大な犠牲を払うことになる。

実際にこの戦いには陸軍兵士も参加していたわけだが、
陸兵だけでなく水兵までもがこの戦いぶりである。
ソ連軍の粘り強さを物語るエピソードである。


穀物サイロを占拠したドイツ軍は「赤の広場」へ進出。
これにて市の南部地域を支配。
次なる目標は、北部地域であった。

そこで新たなる門にぶち当たる。

「あのアパートが突破できません!!」
「先遣隊は全滅した模様!!」
「戦車隊の増援の必要アリ!!」

以上はドイツ兵のセリフである。
一体何が起きたのか。

ドイツ軍が問題としたのは、市内にある4階建てのアパートの事であった。
なんてことないアパートなのだが、
どういうわけかドイツ軍の攻撃部隊が次々に撃退されていた。

別にアパートが特別に頑丈だったわけではない。
そこで守備しているのが、たままたソ連邦英雄の男性だっただけである。

  『ヤーコフ・フェドートヴィチ・パヴロフ』

  ロシア系ソビエト連邦人。
  第二次世界大戦中活躍したソビエト連邦の狙撃兵。ソ連邦英雄(1回)
  スターリングラード攻防戦にて、
  後に「パヴロフの家」と呼ばれたアパートで奮戦した軍人。
                             ウィキより引用。

引用を続ける。

――ドイツ軍はこの建物を陥落させるべく、一日のうちに何回も攻撃を試みた。
  ドイツ軍の歩兵や戦車がなんとか広場を横切って建物に近づこうとするたびに、
  パヴロフたちは陣地の中や窓、あるいは屋根の上から強力な砲火を浴びせて応戦した。

  広場が死体と鉄屑の山で覆われるほどになっても、
  ドイツ軍はなおここを攻め落とすべく挑戦しなければならなかった。

  反撃を開始していたソビエト軍の救援が11月25日に到着したことで、戦いは終了した。
  1942年の9月23日から続けられた激しい戦いを、
  パヴロフの部隊、そして未だそこで暮らしていたソ連人の市民たちは耐え抜いた。

以上の内容も、ソ連軍人の我慢強さを物語るエピソードである。


ドイツ軍に対し、戦闘能力で劣るソ連軍だが、
辛抱強さ、我慢強さ、最後まで勝利を信じる心においては勝っていた。

これについて、時のソ連外務人民委員部の人間はこう語った。

「ソ連国民の強さとは、何が何でも戦争に勝とうとする強い意志を
 持っていることです。これを持つ国だけが、歴史の勝者になれるのです」


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