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作品名:ママエフ・クルガン(102高地)〜川口ミキオの物語〜 作者:なおちー

第5回   夢は願望を生み出すこともあるが、記憶の整理にも使われる。
    『リディア・ウラジーミロヴナ・リトヴァク』

    ユダヤ系ソビエト連邦人の女性兵。生まれはモスクワ。

   『ソ連邦英雄』『レーニン勲章』『赤旗勲章一等』及び
   『二等祖国戦争勲章』『赤星勲章』を受章。

   渾名『スターリングラードの白百合』
    ソ連空軍を代表する女性エース・パイロット。

   1943年8月1日、ドイツ空軍基地への偵察任務のあと、
   ドンバス基地へ帰還しなかった。軍は戦死と認定。享年21歳。
   彼女の死に多くのソ連人民が奮い立ち、ドイツへの復讐を誓った。


※ ミキオ

俺は再びソ連兵となっていた。野戦病院のベッドに寝かされていた。
不思議なことに、どこにも外傷はない。撃たれたはずの胸は何ともない。
足もけがをしてない。自分がベッドに寝かされていることが不思議でならなかった。

「君は今朝のプラウダを読んだか?」

隣のベッドにいる戦傷兵が、さめざめと泣いている。

「いや、まだだが」

「我らが白百合は、ドンバスの基地から出撃したのち行方不明となっている。
 公式には撃墜されたことになっているらしい」

その金髪のなかなかの美男子が、俺に新聞(プラウダ)を手渡してくれた。
強く握りしめたためか、くしゃくしゃになっている。

リディア・ウラジーミロヴナ・リトヴァクの死……。
確かにそう書かれている。生前の彼女の肖像。受賞した数々の勲章と偉業……。
なるほど。収容所7号室の授業でも習ったが、
どうやらこの人は本当に超有名人だったようだ。

「今日は人生最悪の日だ!! よくも我らが同志リトヴャクを!!」
「おのれえええ!! ニエェメッツの奴らめ!! 皆殺しにしてやるぞおお!!」

男たちの怒号だ。
彼らは手や足を失った傷病兵だが、頭はしっかりとしているようだ。
白衣を着た美しい看護師たちも、壁に手をついて、さめざめと泣いている。

ソ連邦英雄、リトヴャク上級中尉の死は、全ソ連に
計り知れないほどの悲しみと、ドイツに対する怒りをもたらした。

彼女はソ連軍に存在する、女性のエースパイロットの一人だった。
ソ連軍では開戦直後のドイツ軍の奇襲作戦により、空軍部隊が壊滅打撃を受け、
再建が困難な状態が続いた。ドイツ陸軍が破竹の勢いで進撃を続けられたのは、
ソ連空軍からのまともな反撃がなかったことが、最大の要因とされている。

これは誇張ではない。
現に西部戦線でも、太平洋戦争にしても、第二次大戦では
『制空権』を奪った側が、最終的に陸戦の勝者となるのは常識だ。

ドイツの電撃戦を支えたのも急降下爆撃機による空襲。
そして無線通信を効果的に使った、地上砲撃との連携。
ドイツの戦車戦っていうと、戦車単体ばかりにクローズアップされるが、
実際は空と地上からの砲撃が主だった。

文明の利器を運用することにおいてドイツの右に出る者はいなかった。
だが、どんな優れた運用法でも敵にそっくりマネされたら、優位は失われる。
ドイツの生み出した陸戦空戦の様々な戦術は、その後各国に模倣された。

話を女子飛行連隊に戻すが、
ソ連では男性パイロットが多数戦死したため、早くから女子の志願兵を募集していた。
初めは多くの部隊で抵抗があったそうだ。男性でも一握りのエリートでしか
パイロットにはなれない。歩兵になるのと訳が違う。

パイロットになるには、航空力学、物理学などの高度な学問が必要になる。
そもそも戦闘機や爆撃機は高価なうえに、さらにパイロットそのものが
一人前になるまでに平均で2年はかかる。

女子の志願兵はソ連中から殺到した。
まさか選考する羽目になるとは、とマリーナ・ラスコーヴァ少佐は困惑したそうだ。
驚いたことに当時女学生(17歳から22歳)年齢の人がたくさんいて、
パイロットの選考に漏れた人は、整備兵に回された。

マリーナ・ラスコーヴァは女子飛行連隊の生みの親にして、ソ連邦英雄だ。
ロシア系ソビエト連邦人の女性。最終階級は空軍中佐。

(以下、ウィキからの引用多数)

マリーナは、1941年9月に3つの女性連隊を編成した。
Yak-1を主力とする第586戦闘飛行連隊、
Pe-2を主力とする第587爆撃飛行連隊、
Po-2を主力とする第588夜間爆撃飛行連隊は、試験兵団となった。

とくに有名なのは、第588夜間爆撃連隊。
1943年2月に第46親衛夜間爆撃航空連隊と改称され、
1943年には称号を加えた第46「タマン」親衛夜間爆撃航空連隊と改称されている。

夜間爆撃は、危険な任務だ。

視界の利かない、真っ暗闇の中を敵基地まで飛ぶんだからな。
当時はレーダーのない有視界戦闘。途中で味方とはぐれるなんて日常茶飯事。
敵の迎撃機が飛んできた場合は、全力で逃げるか、自滅覚悟で爆弾を落とすしかない。

ドイツの奴らは基地にサーチライトを持っていて、低空飛行に入った彼女らを
照らしては視界を奪った。そこへ対空機銃が襲う。
たった1秒視界が奪われただけでも、飛行機乗りにとっては致命的だった。

基地まで帰るのも命懸けだ。
爆撃機には、メインの操縦士の後ろに航空士も乗っている。
敵の機銃攻撃でメインパイロットが無事でも、
後ろの航空士が死んでることもよくあった。
悪天候で視界が悪い場合は、そのまま帰らぬ人になることもあった。

最悪なのは、女子飛行連隊の機体が敵地に不時着し捕虜になることだ。

ドイツ兵は、女子の捕虜に情け容赦がなかった。

『ソ連の魔女め!!』
『魔女飛行連隊の奴らだ!! 生きて返す必要はないぞ!!』

レイプは当然。生きたまま手足を切断されたり、腹を裂かれたりした。
長時間にわたる電気拷問の末、死ぬまで電気恐怖症に苦しんだ女性もいた。

ソ連軍が領地を奪還した後、
草むらに無残な姿の遺体で発見された女子隊員が、発見されたこともあった。

彼女らにとって、捕虜になるのは死ぬよりも恐ろしいことだった。
それでも戦った。

別に彼女たちがボリシェビキだったからじゃない。
実際にボリシェビキだったのは、NKVD(内務人員委員)の一部の奴らだけ。

彼女たちは、ただ祖国を守りたかった。
家族を守るため、殺された家族の恨みを晴らすため。一日でも早く
ドイツの奴らを祖国から追い出し、平和を取り戻すために戦った。

はっきり言って、ソ連の人民の9割はボリシェビキなんかじゃなかった。
社会主義や共産主義なんてどうでもよかった。
だがソビエトの人民は、超人的な粘り強さ、我慢強さ、祖国への愛を持っていた。

これは当時のフランス人が持ちえないものだった。
ドイツ軍首脳の間では、前評判ではフランス陸軍こそドイツ陸軍最大の
障壁であると同時に、最悪敗北する可能性すらあると恐れられていたが、
実は最強の陸軍国はソ連だったのだ。
その陸軍の前進を支えたのが空軍であることは上で述べたとおりだ。

さて。

リトヴャクは戦闘機乗りだった。

爆撃機が爆弾を敵基地に落とすことを任務としているのに対し、
戦闘機とは空中戦がメイン。すなわち敵の撃墜が第一である。
練度の低い者は、とうぜん選ばれない。出撃しても死ぬだけだからだ。

1943年の2月になると彼女は熟練の搭乗員であると認められ、
「フリーハンター」と呼ばれる、男女混合部隊の精鋭部隊に配属された。
狩人と呼ばれるこの部隊は、全ソ連から熟練搭乗員を集めた部隊である。

男女混合部隊ということもあり、恋愛があった。
リトヴャクはアレクセイ・ソロマチンという熟練パイロットとは恋仲になったが、
のちにアレクセイが戦死。リトヴャク中尉にとってこれほどの悲劇はなかった。
実は空軍兵同士の恋愛は、他にもたくさんあったそうだ。

海軍兵同士で結婚式を挙げた人もいたらしい。
そしてその結果は、みな悲惨なものだった。

リトヴャクたちが相手にしたのは、世界最強と呼ばれるドイツ空軍のパイロットだ。
平均的な練度、機体性能で劣る中、ソ連空軍は懸命に戦った。

150センチに満たない小柄なリトビャク。フットペダルに足が届かないため、
背もたれにクッションを入れて補った。知力体力に劣る女性にはパイロットは無理だと
仲間内での多くの差別と偏見と闘いながらも、ドイツ兵を倒し続けた。

彼女はソ連邦英雄になってからも
決して高圧体な態度を取らず、市民にも優しかった。

負傷し、モスクワの自宅に帰郷した時。
バスの中で貧しさからスリをした少年を許したことがあった。
逆にスリの少年に現行犯で暴行を加えるソ連兵をたしなめたのだった。

『あなた様は、英雄様でしたか!! 
  すみませんでした。今すぐこのガキを解放します!!』

『私を英雄と呼ぶのを止めなさい。
  私は確かにソ連邦英雄の勲章を持っているが、いばるつもりはない』

リトビャクを始めとした女子飛行機部隊の活躍は、
いつも新聞の見出しに乗り、スターリングラード市民を勇気づけた。

リトビャクは全ソビエト人民のあこがれだった。そんな彼女だからこそ、
その死が知らされた際の、ソビエト人民の怒りは計り知れず、
もはやドイツに対する恨みは形容しがたいほどに膨れ上がっていた。

どのソ連兵も、戦局が逆転した戦争後半にはこんな話をしていた。

『ベルリンに一番乗りしてドイツの奴らを皆殺しにしてやる』
『俺の家族がやられたように、奴らにも同じことをしてやる』
『女も子供も生きたまま解体してやる』
『ドイツ中から全てのインフラ設備を破壊しろ。奴らに文明は必要ない』
『欧州の地図からドイツを消してしまえ。奴らが二度と世界征服をしないように』

不思議なことに、西部戦線の米英兵の間でも同じことが話題になっていた。
戦争後半の1944年から55年にかけてである。
ドイツに占領されたすべての占領地域の国民も同様に考えていたことだろう。

第二次大戦とは、人類史上最大規模の戦争となったわけだが、
これほど多くの外国人から敵意を向けられたものドイツくらいであろう。

ちなみにリトビャクは撃墜されたというより、過労で死んだらしい。
恋人のアクレセイが死んでからというもの、彼女は何かに取りつかれたように
空戦にのめりこむようになったと、親友で整備士のニーナ曹長が語っている。

またリトビャクの司令官も、まるでリトビャクの死に場所を用意したかのように
無理のある連続出撃をさせたという。リトビャクは、戦死させられたのだ。
ソ連人民を奮い立たせるプロパガンダに利用されたとの見方もある。

リトビャクの母親は、ごく普通の人だった。
名前は詳しい人の資料では「アンナ」とされている。

演劇の練習をするためだと偽り、
学生の頃からカリーニン飛行クラブに隠れて通ったリトビャク。
理系の部門で成績優秀だった彼女は一時期、
母の勧めで地質学者の道を歩もうとしたこともあった。
だが、だめだった。

彼女は大空への夢をあきらめることができずに、
女子飛行機部隊の募集に応募してしまう。

『待ちなさい!! リトビャク!! 母さんはね、
 お前を人殺しにするためでも、戦死させるために産んだわけでもない!! 
 あなたが本気で飛行機乗りを目指すと言うなら、勘当するわ!!』

本当に絶縁寸前にまでなった。それでもリトビャクはパイロットになった。
「フリーハンター」部隊に配属後、負傷してモスクワの自宅で療養。
それが家族との今生の別れになった。愛する弟のユリは、まだ学生だった。

彼女の死を知った時、残された家族はどう思ったことか。
(父親はリトビャクが幼い時にKGBに罪なき罪で粛清されている)



こうした話は、出撃。女子飛行連隊、などの漫画。
インターネットのまとめサイトにも多数転がっており、
細かい内容を勝手に引用させてもらった。反省している。
どの作品にも深く感銘を受けた。涙を流さずに読むのは不可能だった。

筆者はスターリングラード戦の概要については手元の資料、
学研の歴史群像シリーズ「スターリングラード攻防戦」を参考にしている。


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