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作品名:ママエフ・クルガン(102高地)〜川口ミキオの物語〜 作者:なおちー

第4回   夢から覚める。収容所での生活が続く。
※ミキオ

朝の点呼。生産体操。一斉清掃。
ここまでを30分以内に終わらす。
いつもと変わらない朝だ。

代り映えがしないってのは退屈って意味にもとれるが、
悪夢を見た後では天国に違いない。
戦場に比べたらここは天国だ。収容所でも天国だ。

「おまえさん。さっきからハシが進んでねえぞ? 体調不良か?」
「あっ。そうだったか? すまん。ちょっと考え事をな」

それだけ言うと、俺の隣にいる囚人仲間は興味を無くした。
いつものご飯とみそ汁と漬物。シンプルな食事だが、食えるだけましだ。
囚人になる前は、俺は朝ぎりぎりまで寝てたから、母親が作ってくれた
朝飯を食べてなかった。今思えば母ちゃんに申し訳ないことをした。

ここでの生活では、炊事係は当番制になっていて、だいたい40日に
一度くらいの頻度で回ってくる。当番になったら一週間は炊事係になる。
食堂をきれいに掃除して、皿に全員分の飯を盛るだけの仕事だ。
人数が多いので大仕事になるわけだが。

時間になると一階の搬入口へ業者の人が食料を持ってきてくれる。
学校給食と同じシステムだ。さっき母ちゃんの話をしたのは、
ここにいると母の手料理が恋しくなるからだ。
これは他の囚人の奴らも同じことを言っている。

「全員、校庭へ集合せよ!!」

看守のゲキが飛ぶ。

今日の授業はマラソンか……。朝から体力を消耗させやがるぜ。
朝方やった生産体操の別バージョン(準備体操)をしっかりとさせられ、
トラックを何周も走る。走るペースは自由。フォームも自由。
20分間完走を目的にした、体力づくりの授業だ。

不思議なことに、ボリシェビキは体育の内容に寛容なことが多い。
マラソンだけでなく筋トレにしても、回数は各人の自由。
ダンベルその他の器具も好きに使用し、制限時間内に、好きなように鍛えていいと
指示される。厳しいのは体操のフォームだけだ。これだけは徹底的に指導された。
下手なやり方でやると関節を痛めるからだそうだ。

こうなってしまっては、マラソンの授業はみんながのんびりと走る。
俺は例外だ。俺はどんな授業だとしても学生の本文を忘れるつもりはない。
昨日よりも今日、今日よりも明日、
ということで一秒でも早く走れるように努力をしていた。

看守の人に頼んで、タイムを計ってもらうように頼むと、肩を叩いて褒められた。
ご褒美にミルキーのアメをもらったことは、一度や二度ではない。

真剣に走ってると20分なんてあっという間だ。
何度見てもダラダラ走ってる他の連中がアホらしくなる。
走り込みの練習なんて若いうちしかできねえんだから、
今のうちに頑張っておこうって気にはならないのかね。

「さすがだねえ。ミキオくん」

あ……? 俺に手を振ってくる女がいた。

「私の思った通りだ。やっぱりあなたは他の囚人とは違う」

「斎藤。なんでお前さんがそこにいる?」

「今日は看守さんのお仕事を手伝っているんだよ。ほら」

斎藤は生徒会に支給されたIPADを持っている。
それで俺のタイムを計っているんだろう。

「前回より確実にタイムがあがってるよ。その調子で頑張って」
「その前に俺の質問に答えろ。お前は看守の真似事でも始めたのか?」
「私はナツキ会長のお許しを得て、生徒会の仕事を手伝ってるんだよ」

そういえば……そうだったかもしれん。
俺は男子だから、女子の収容所で発生した事件には詳しくねえが、
噂によると斎藤マリーは、ナツキ会長の恩情により7号室から解放されて
ボリシェビキの一員として働いてるとか。噂はマジだったってことか。

しかしこいつも元は進学クラスのメンバー。
理系の一年五組。俺と同じクラスだったんだぞ。
元爆破犯のメンバーに偉そうにされるのは我慢ならん。

「話はそれだけか? じゃあな」
「待って」
「うるせえな」
「待たないと銃殺刑にするよ?」

思わず振り返った。
斎藤の顔は、形だけは微笑んではいるが、
すごく冷たくて人形のようだった。

こいつの顔を今までちゃんと見てなかったのは、
アイドル扱いされて、チヤホヤされてる奴に興味がないからだ。

そもそも、囚人だろうが看守だろうが関係ない。
俺は人間嫌いだから人の顔を視界に入れることがないのだ。

「あれ? おまえ、そんなに小さかったか?」

斎藤の身長は、急激に縮んでしまった。
俺の目が悪いのか?
それとも幻覚を見ているのか。

斎藤の身長は、俺の腰の高さほどしかない。
幼稚園児か、よくて小学校入学したての女の子の身長だ。
長い茶色の髪の毛が腰まで伸びていて、なんだか不格好にも感じる。
くりっとした大きな瞳が、俺を見上げている。まつ毛が長い。

「私もよく夢を見るんだよ」

幼児声……。本能が告げていた。
こいつに関るなと。だが、会話を続けてしまった。

「……そうか。夢か。どんな夢を見るんだ?」
「ソ連軍に入隊して、ドイツ軍と戦う夢」
「へえ。そいつはすごいな」
「あなたは見ないの?」

「俺も見たよ」
「どんなのを?」
「俺がソ連兵になって戦う夢だったな」
「すごいじゃん」
「すごくねえ。あんなの、最低じゃないか」

「でもすごいよ。あなたは逃げずに戦ったんでしょ?」
「たまたま逃げなかっただけだ。あの状態で逃げてどうする」
「勇敢。勇敢。ミキオくんは勇敢な兵隊だ」

斎藤の背中には天使の羽が生えいていた。
まさかと思い、目をこすっても羽が生えている。
信じられないことに宙へ浮き始めた。
そのおかげで、俺と目線の高さを合わせている。

「こことは違う世界があるとしたら、どうする?」
「はっ……?」
「だから、こことは違う世界があるんだよ」

「その冗談、ソ連ではやってるのか?」
「冗談じゃないんだけどな。思い当たることはない?」
「……夢の中の世界のことか」
「うん。そうだよ。どうだった?」
「別にどうもしねえよ。俺はそんなもんに興味ねえ」

「君なら向いてると思うな」
「なににだ?」
「兵隊。人を殺す仕事」
「……あっそ」

もう相手してられなかった。俺は収容所へ戻ろうとしたが、
どれだけ進んでも景色が変わらない。
俺は永遠に収容所の入口へたどり着くことができないでいた。

バカな……。さっきまでいた周りの連中も消えている。看守共は?
俺は斎藤と結構な時間を無駄話をしていた。
とっくに次の授業の時間になっているはずだが。

バサッ、バサッ、と羽ばたく音がした。

俺の前に黒い羽根が落ちてきた。
そこまでは覚えている。俺の意識は飛んでしまった。


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