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作品名:ママエフ・クルガン(102高地)〜川口ミキオの物語〜 作者:なおちー

第2回   ママエフ・クルガン (ママイの墳丘墓)
 ・タタールのくびき。 
 
 13世紀前半から実に200年以上、ロシアの民はモンゴルの奴隷として過ごした。 
 
 チンギス・ハーンの末裔、
 ジョチ・ウルス率いるタタール族(蒙古人)の国、『キプチャク・ハン国』
 かの国が長らくロシアの人民を奴隷にしたのだ。

 時のタタール王のために築いた墓が、ママイの丘である。

 その丘は、標高が102メートルのために、ドイツ側からは102高地と呼ばれた。
 ソ連はここを死守するために温存していた精鋭部隊を結集させた。
 ドイツも次々に増援を送り込んだために、丘には両軍の死体が折り重なる地獄になった。


ママイの丘の死闘は、スターリングラード戦の局地戦である。
ドイツのヒトラーは、指導者スターリンの名を関したスターリングラードを、
ドイツの威信にかけても陥落させる気でいた。


1942年。8月。

パウルス大将率いるドイツ第6軍。
そして第4装甲軍が、スターリングラードを攻撃した。

戦術レベルでの戦闘能力、戦闘志気の高さ、作戦レベルの練度、
戦略レベルでの兵員、戦車動員数、航空支援の有無などで
圧倒されたソ連軍に、もはや勝ち目はないと思われた。

スターリングラードの陥落は時間の問題だと、
ソ連の同盟国であった米英首脳部でさえそう思った。

かつてのタタール族(モンゴル)に変わり、
南ロシアを支配する新たな征服者としてドイツが君臨しようとしていた。

『ソ連内に住む劣等人種は、ドイツ人の家畜とする。
 全ソ連人はドイツ人の看守のもとで農作業や資源採掘作業に従事してもらう。
 ドイツ第三帝国は、1000年間栄える帝国である。劣等人種である
 ソビエトの奴らに土地を管理させるより、ドイツ人が管理運営した方が合理的である』

上はヒトラーの言葉である。

戦争前から、ソ連を屈服させた後は、『一億を優に超えるソビエトの全ての人民』
を奴隷にすると、国家の最高権力者が宣言していたのだ。

ユダヤ系ソ連人は絶滅収容所に入れられ、戦争捕虜は劣悪な収容所に入れられるか、
戦車工場などに連行される。ゲルマン系の血筋を持つ金髪碧眼の少女は、
たとえ12歳だとしても無理やり妊娠させられ、子供を産ませられる。


1941年の開戦以後、ソ連軍は縦1000キロにわたる範囲で
ドイツ率いる枢軸国軍の侵入を許しており、この時点で主要都市である
「ハリコフ」「クルスク」は陥落。
「ヴィロネジ」にもドイツ軍の総攻撃が開始されていた。

ソ連軍部隊は、ドイツ相手に敗戦を重ね、撤退を繰り返していた。
中にはドイツに包囲されて全滅。捕虜を10万人以上出してしまう部隊もいた。

世界一の国土面積を掘るソ連邦内で、敵に占領された共和国は、

ポーランド・ソビエト
ベラルーシ・ソビエト
ウクライナ・ソビエト
ラトビア ・ソビエト
エストニア・ソビエト
リトアニア・ソビエト

となっている。

無事だったのはソ連の心臓部であるロシア・ソビエト(主にウラル以東)、
カフカース・ソビエトだけだったと言っていい。
そのロシア・ソビエトの中枢まで敵の侵攻を許してしまっているのだ。

(ソ連を現在のロシア共和国と同じレベルで語る人を見かけるが、
 全くの見当違いである。ソ連とは複数のソビエト共和国の
 集合体であり、ロシア一国では全く成り立たない)

ドイツ軍は、交通の要所であり海軍の根拠地「ロストフ・ナ・ドヌ」を
占領し、黒海に程近い「マイコプ油田」を占領。
さらに南下して、「カフカース山脈」へ部隊を進めていた。

カフカースは、ザカフカース、コーカサスとも呼ばれる。
『アルメニア』『グルジア』『アゼルバイジャン』で構成される山岳地方である。
アゼルバイジャンに存在する「バクー油田」をドイツは狙っていた。
バクーはカスピ海西岸に面した地であり、『ソ連経済の心臓部』であった。

(学園生活シリーズの。エリカの祖先の生まれ故郷がグルジア共和国。
 スターリンの生まれ故郷もこちらであることから参考にした。
 スターリンもエリカも露系でなくアジア人なのである)

当時、世界の産油量の半分はバクーが占めていたとされている。

ヒトラーは「戦争遂行のために資源を奪う必要がある」とし、
モスクワ侵攻を諦めてでも、石油資源を奪うことに必死だった。

ドイツとは、筆者の過去作で何度も述べたように戦闘能力では世界最強だが、
所詮は小さな国にすぎず、ソ連のような巨人を相手に戦い続けるだけの体力がないのだ。
特に真珠湾奇襲攻撃の結果、アメリカが連合国側として参戦することが決まって以降、
ヒトラーはソ連の資源強奪に躍起になった。

のちの歴史評論家が口をそろえてこう言う。

「ドイツのカフカース侵攻は、ヒトラーが余計な口出しをした結果だ」
「いらん寄り道だった」
「他に戦力を回すべきだった」

筆者はそうは思わない。
第二次大戦とは国家の総力戦である以上、
一国の経済力以上の軍事作戦を展開することは不可能である。

後付けでは何とでも言える。我々は後世を生きる者だからだ。
少なくともヒトラーを含めた当時のドイツの首脳たちが、一応の納得をしたうえで
カフカース侵攻を決断をしたのだから、仕方ないことなのだ。

ヒトラーは確かに軍事の専門家でもないのに作戦指導にしつこく口出しをしたが、
そのヒトラーを民主的独裁に導いたのはドイツ自身である。したがってヒトラーの
作戦指導そのものも、ドイツ帝国の英知が導き出した結論に過ぎない。
だから作戦の良し悪しもない。ドイツは負けた。それだけが事実なのだ。

「一度の戦いで勝つことよりも、勝ち続けることが重要。もっといえば
 決定的には負けない戦いをする側が、最終的には勝利者になりえるからだ」

その決定的に負けないことを、ソ連は最後まで続けた。
そして機を見て一斉に反撃し逆転した。だからドイツに勝てた。
それがどれだけ困難なことだったと言えば、高校野球で例えると、

5回の裏まで戦ってスコアが

ドイツ高校  「9」
ソ連 高校  「1」

このくらいである。

そのうえで、ソ連高校は主力選手の5割は負傷してしまい、
控えの選手で戦う状態である。一方のドイツ高校は
すべての選手が絶好調である。だが、控えの選手が少々弱い。

つまり天変地異でも起きない限りは、絶対にソ連に勝ち目のない戦いだった。
今の日本で例えると、沖縄、福岡、広島、神戸、札幌、四国全域が
全面的に占領されてしまい、なんとか無事な東北、関東、東海地方の
工場まで空爆されたら、戦争の遂行が不可能と言った有様であった。

だが、戦争終盤となった1945年。

9回の裏になるとスコアが変わる。

ドイツ高校 「12」
ソ連 高校 「37」

もはや野球とは思えない点数になってしまった。
とにかく、ソ連高校はこのくらい点を積み重ねることに成功した。
これでは負ける方が難しい状態である。

ドイツの敗戦の理由はいくつもあるが、以下に並べてみる。

・ソ連の工業生産能力はドイツより上。
・ドイツは西側で米英とも戦っていた。
・ソ連人の数はドイツ人より圧倒的に多い。
・資源も同様。
・ソ連の広さも同様。
・何よりソ連は寒い。すごく寒い

ソ連が決定的な敗北をせず、
(主要戦力を維持する。主要な工場を維持する)
長期戦に持ち込むことが重要だった。これには成功した。

上に挙げた理由は、ソ連が長期戦に持ち込めば勝てることを意味している。
アメリカからのレンドリース(武器貸与法)で無制限に
武器弾薬などを送ってもらえたことも勝利を支えた。イギリスからの支援もあった。

もっと簡単に説明すると

枢軸国 → 短距離ランナー
連合国 → 長距離ランナー

この両者が、よーいドンをして、箱根駅伝で戦ったらどうなるか。
誰が考えたって連合国側が勝つ。ただそれだけのこと。
第二次大戦とは、人口の多さと経済力の戦争であった。

戦う前から戦争遂行能力で劣っている枢軸国には、短期決戦以外に勝つ方法がない。

ドイツは、モスクワ戦の失敗、スターリングラードでの第六軍の壊滅。
日本は、ミッドウェイ作戦で主力空母四隻を失う。
ガダルカナルをめぐる消耗戦でも負けた。

以上の理由だけで、もう何をどうやっても連合国には勝てないことが決定していた。
あの戦争は実に長かったが、戦略面では1942年の時点で勝敗は決まっていた。
現に1943年にて、米英ソの三巨頭の首脳は、
戦後処理について話し合ってるレベルだった。

さらにひどいことに、戦争序盤ではドイツの電撃作戦、日本の空母機動艦隊に、
全く対抗できなかった米ソだが、敵からよく学び、戦争中盤以降は
戦術レベルでも両国を上回っていた。つまり虎の子である戦術レベルの優位でさえ、
のちに日独は失ったのだから、やはり勝ち目はない。

各国の英霊の皆様を侮辱するつもりはないのだが、非常に言いにくいのだが、
1942年以降の戦いは、ただの消化試合。
全軍の兵士にとって無駄死にだったのが事実なのである。


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