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作品名:ママエフ・クルガン(102高地)〜川口ミキオの物語〜 作者:なおちー

第18回   ナツキの夢(回想)
太盛がマリカに殺されかかっている頃、
ナツキもまた息を引き取ろうとしていた。

晩年のレーニンのように、知性を失い、
生きる屍として車イスの上で生きる生活はもう終わるのだ。

(ミウ……。僕もようやく……)

ナツキは夢の中にいた。ナツキがいたのは日本ではなく、
見知らぬ大平原だった。一角にアシが自生していて、
そのアシ原の先に湖があった。よく見ると沼のようだ。
そこはベラルーシ国内にある湿地帯だった。

彼はこんなところに来たこともないし、なぜ自分がこんなところに
いるのかも分からなかった。上空を、すごい音を立てて飛行機の群れが飛ぶ。
赤い星のマークを付けた、ソ連軍の戦闘機と爆撃機の編隊だった。
これからドイツ軍をやっつけるために飛んで行ったのだろう。

飛行機が飛び去るまで、ナツキはぼーっと見ていた。
夢の中でも車イスに乗っている。
後ろから押してくれるはずのナジェージダはここにはいない。

風が髪をなでた。湿った、生暖かい風だった。
たっぷりと陽光が注ぐ大地は、暑いけど不快ではない。
肌が焼かれる感触が生を実感させてくれた。

やがてソ連軍の陸上部隊がやってきた。戦車部隊だ。たくさんの
補給用トラックや、けん引された大砲をひっさげて、大部隊の移動が続く。
想像を絶する数だった。ナツキが一時間もそこに立っていても、
まだ大部隊の移動が続いていた。いったいどれほどの戦力なのか。

1944年。ソ連軍は形勢を逆転し、旧ソ連領土を奪還して
ドイツへの侵攻を目指していた。6月にはノルマンディーに上陸した
米英加軍その他により第二戦線が形成。
西から連合国、東からソ連に包囲されたドイツ帝国の敗北は完全に決定した。

大部隊の通過はまだ続いていたが、
装甲車の大騒音に負けないくらいの
大きな声で、ミウがナツキの名前を読んだ。

「ナツキ君!! 太盛君が死にそうなんだよ!!」

ナツキは車イスの車輪を回し、ミウを振り返った。

「なんだって……? 周りの音がうるさくてよく聞こえないよ」
「だから、太盛君が殺されそうなんだよ!!」
「彼を殺せる人なんているのか? 彼はボリシェビキなんだぞ」
「嘘じゃないんだって!!」
「……悪いが、僕にはもう関係ない。僕は彼のことは嫌いなんだ」

ミウは怒って、ナツキを車イスごと沼の中に落としてしまう。
ナツキはなすすべもなく、底なし沼に落ちて窒息死した。

ナツキは、また生き返った。
また、というのは、彼が夢の中では何度も死んでいるからだった。

死に方はいろいろあった。

ミウに首を絞められたこともあった。
ミウに電車のホームから突き通されたこともあった。
ミウにビルの屋上で背中を押されたこともあった。

彼を殺すのは、いつだってミウだった。
彼を許してくれるのは、アナスタシアだった。

「ナツキ君たら、またあの女にイジめられてたのね」
「……また会えたね。アナスタシア」

橘家には二人の姉妹がいた。妹のエリカ。そして姉のアナスタシア。
アナスタシアは、前会長のアキラの双子の妹でもある。
アキラとアナスタシアは二卵性双生児の兄妹だから、
顔も性格も似てなかった。

アキラは典型的な堅物で、融通が利かない。
オールドボリシェビキの校長と気が合った。
昨年の革命記念日、新副会長のミウによって粛清された。

アナスタシアは天真爛漫で、男子に対するスキンシップが
激しいことで有名だった。ナツキのことも一目で気に入ってくれて、
ナツキを(当時存在した)組織委員部に勧誘してくれた。
彼女のコネにより、ナツキは大した実績もないのに
組織委員部の代表に任命されるの至る。

ナツキはミウに一目ぼれして組織委員部に勧誘。
ボリシェビキになったミウは狂っていった。

アナスタシアもまた、副会長に就任したミウに直ちに粛清される。

任命責任を考えれば、ナツキが間接的に橘兄妹を殺したようなものだ。

アキラはナツキの夢に一度も現れたことはない。
だから彼がナツキのことをどう考えてるのかはわからない。

アナスタシアは、ナツキを許した。
彼女はナツキの優柔不断さ、判断の誤りを一度も責めたことはない。

ただし、

「もうそっちの世界のことは忘れて、こっちの世界に来なさいな」

とは言った。一度や二度ではない。
現実世界のナツキの死を願っているのだ。

「ターシャ(愛称)、だが僕にはまだ仕事が残っているんだ。
 後任の会長を決めるまでは、死にたくても死ねない」

「あなたは相変わらず堅物で真面目ねえ。
 自分が死んだ後の生徒会なんて、どうでもいいじゃない」

「僕の代で……アキラ会長から引き継いだ生徒会を終わらせたくないんだ。
 僕がこの目で引継ぎの瞬間を見るまでは……死ねない」

「残念ながら、そろそろ時は近づいてきているわ。
 あなたがいつまでも迷っていたとしても、時間は待ってくれないの。
 私は今でもナツキ君のこと、好きよ? 
 私と一緒に楽な世界に行きましょうよ」

「僕もターシャのことは好きだ。
 でもそっちの世界にはミウがいる。僕はミウに怖いんだ」

「ラッキーね。神様が条件をくれたわ」

「え?」

「あなたとミウの命(魂)を交換する。あなたが死ねば、
 ミウはもう一度、現実世界によみがえることができる」

「そんなことが可能なのかい?」

「ええ。だって神様がそうおっしゃるのだから」

「なら頼もうかな。神様に僕からの最後のお願いだ」

「わかった。伝えておくわ。今すぐにね」


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