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作品名:ママエフ・クルガン(102高地)〜川口ミキオの物語〜 作者:なおちー

第1回   強制収容所7号室での就寝時間は、通常は9時であるが例外もある。
     『ハラショー。同志諸君。本日は対独戦勝記念日である』

収容所の大食堂には、大弾幕が張られていた。

上の文字が黄色い文字で書かれている。下地は赤。
革命で流された血の赤なんだろうが……。いかにもソ連って感じだ。
この色を見るだけで虫唾が走るぜ。クソどもめ。

「5月9日は、我々地球人類がドイツ第三帝国を打倒した、
 記念すべき日である。同志諸君らも本日は盛大に祝おうではないか。
 ささやかながら、ご馳走を用意した。遠慮なく騒ぎ、飲み食いするがよい!!」

女性のボリシェビキが音頭を取る。
いかにも金髪碧眼って感じだが、日本語に訛りがねえのが不思議だ。
日本育ちなんだろうか……? どうでもいいけどよ。

俺の名前は川口ミキオ。17歳の高校二年生だ。

一年の秋、(革命記念日の生徒会総選挙)爆破テロを決行したが、
高野ミウによって計画が未然に防がれ、収容所送りになった。
もっとも収容所に送られたのは進学コースの全クラス。
この7号室に収容されたのは総勢で200名を超える。

完全に定員割れだがな。だって、その内の二割以上はすでに粛清されたんだぞ。
主な理由は脱走を図ろうとして捕まったか、
あるいは外部と連絡を取ろうとしたからだ。中には自殺した奴もいる。

俺もかつては大事件を起こした身だ。
今は亡き副会長・高野ミウの恋人だった堀太盛を刺し殺そうとしたが失敗した。
通常なら拷問の末、死刑になるところをナツキ会長の恩情によって許された。
俺は今日にいたるも、何の処罰も受けてない。自分でも不思議だって思うぜ。

「あら、ごめんなさい」
「い、いえっ」

思わず舌を噛みそうになる。
今俺にぶつかりそうになったのは、収容所ではアイドルとされる斎藤マリエだった。
今夜は立食パーティー。高校生ってことで、少し高級なジュースが振舞われている。

斎藤は、コップを持ったままうろついてて、
たまたま、ぼーっと突っ立ってる俺とぶつかりそうになった。
ただそれだけのことなんだが……。

「イズヴィニーチェ。カーク ヴァス ザヴート?」
「メニェー ザブート ミキオ カワグチ」

なんでロシア語を……?

しかもこいつの発音うめえ。ネイティブ並みじゃねえか。
今のは、なんてことないやり取りだ。
名前を聞かれたんで、フルネームで答えてやっただけだ。

「今の質問には何の意味があったんだ?」

「これといって何も。ただ、あなたの名前が知りたかったの」

「そいつは光栄だね。あんたみたいなアイドル様に興味を持ってもらえるとは」

斎藤の顔が引きつる。アイドル呼ばわりされるのをこいつは好まないのだ。
予想通りの反応だったのでこう続けた。

「Отвали(失せな)
 お前が俺と話したところで、あんたにとって何のメリットもねえだろ」

斎藤はコップに入ったぶどうジュースをグイっと飲み干した。
意外と男っぽい飲み方だな。「ぷはぁ」と下品に息を吐き、人ごみの中へ消えた。

パーティ会場となっている収容所の大食堂は、
天井から壁に至るも文化祭のように飾り立てされている。

といっても、色とりどりの折り紙やシールを
切ったり張ったりした粗末なもんだが、
普段の刑務所みたいな雰囲気とは大違いだ。

部屋の一角には、小規模だが管弦楽隊がいる。
アコーディオンを持った野郎がリーダーだ。
ロシアの民謡をハイテンションで流し続けてる。

すると、看守共が輪になって

「カカーリン・カカーリン。カカリィン、カぁマヤァ。サヌバーダァ…」

とカリンカを熱唱する。うまい。今だけは看守じゃなくて男女の合唱団。
ソ連の奴らはこんなにも歌がうまいのか。ロシア語の歌は美しい。

派手なコサックダンスを生で見れるのも貴重な体験だ。
野郎どもは、軍服(ブーツ)を着ながら踊れるんだから、かなりの身体能力だ。


「ママイの丘って知ってる?」

最初は誰に話しかけたんだと思った。
まさか俺だとは。

「ママイの丘っていうと……あれか?
 スターリングラードの激戦地の一つで有名な」

「そうそう。それだよ。さすが川口君は物知りだね」

「別に物知りって程でもねえだろ。俺ら囚人は歴史の授業で嫌でも
 覚えさせられるんだからよ。それより斎藤。なんで俺に話しかけた?」

その問いには無視して、斎藤は俺にコップをよこしてきた。
マンゴージュースらしい。今日は初夏の陽気で汗をかいた。
こんな時にフルーツジュースなんて、たまらなくうまそうじゃねえか。

俺ら囚人には水や牛乳ばかり支給される。
ジュースなんて祝い時しか飲む機会がないからな。
断る理由もないので、ありがたく頂くことにする。

「……ああ。うめえな。たった一杯のジュースがこんなにもうまく感じるとは」

「喜んでもらえてよかった。取り皿にお肉をよそってきたよ。
 川口君は、確か鶏肉しか食べないんだよね?」

「そうだが」

よく知ってるなとは、言わなかった。
この女が何を企んでるのかは知らんが、それどころじゃない。

周りの奴らの視線がやばい。
斎藤はアイドル。当然注目の的だ。

親しい友人に接するように俺と話してるもんだから、他の囚人連中から
矢のような視線が刺さる。ああ。お前らの言いたいことは分かるよ。
俺みたいなブサイクで、何のとりえもない、しかも堀太盛・殺人未遂犯が、
なんでマリーを独り占めしてるんだって言いたいんだろ。

「トイレに行きたくなった。悪いな」
「あっ……」

俺は振り返らなかったから、
その時斎藤がどんな顔をしていたのかは知らない。

斎藤のことは、適当にかわせばいい。
この時はそう思っていた。


パーティが終わる。
後片付けは明日やるとことになり、風呂を済ませて11時をもって就寝となった。

いつもの二段ベッドに横になる。俺は上の段に寝てる。
半袖のシャツに、薄い掛け布団をかける。
俺は5月でも布団はしっかりかける方だ。
風邪を引かないように細心の注意を払ってるからな。

下の段の野郎なんて裸同然で寝てるが、
いくら今日が夏日だったからって明け方は冷えるんだぞ。
熱でも出した日には、真っ先に仮病を疑われちまう
身分だってことを忘れてるんじゃないのか。

軍隊所の宿舎を連想させるこの広大なベッドルームには、
いつまでも小声でくっちゃべってる奴らもいる。
興奮して眠れないんだろう。
いつもなら見回りに来るはずの看守が、今日は来ない。

まったく……馬鹿どもが。その油断がいつかは命取りになるぞ。

俺にとって学園での収容所生活なんてのは、三年間の修行に過ぎない。
どんな辛い出来事にもいつかは終わりがくる。
ここは生徒会(ソ連)の政治の支配下にあるが、
教育機関であることに変わりはない。

品行方正に、表向きはマルクス・レーニン主義を
褒め称えていれば、普通に卒業できるのだ。

俺は堀太盛の事件以来、絶対に変な気は起こさないと神に誓った。
だからこそ、どんな些細なもめごとにも細心の注意を払う。

今日の斎藤の件だってそうだ。斎藤に何の考えがあったのかは興味ない。
事実なのは、奴がナツキ会長のお気に入りってことだ。
何かの間違いで斎藤と親しくなったりでもしたら、
会長の怒りを買う恐れがある。もちろん斎藤ファンの囚人仲間からもな。

この収容所では、罪状のでっち上げなんて日常茶飯事。

仲間内で少しでも嫌われた奴は、嘘の通報をされて尋問室送りになる。
もっとも、実際はそんな簡単な話じゃないんだ。徹底した取り調べの末、
嘘の通報をしたと判断された場合は極刑に処される。

本当の監視社会は生徒会ではなく、むしろ収容所の囚人によって生み出されるものだと、
囚人共が冗談交じりに言っていた。本当に笑えない冗談だ。

……と、ここまで考えてるうちに、眠気が襲ってきた。

隣のベッドの野郎が、
寝返りを打つたびにギシギシと音がして不快だったが、もう何も気にならない。
明日、起床の放送が流れるまでのわずかな間は、本当の自由な時間だ。


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