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作品名:『チベット高原を旅する』〜三人の兄妹の悲劇〜 作者:なおちー

第6回   「妹と結婚したのは間違いだったのかもしれない」
※ルナ

私たちは距離にして3キロくらい走り続けました。
ユウナさんの脂肪のついた体では持久力が足りないみたいです。
悔し涙を流しながら道中でぶっ倒れてました。

私は蒙古で鍛えたから持久力には自信があるけどナツキさんもすごい。
追手が来ないので線路の横を道なりにひたすら歩く。歩く。
観光地を抜けて見知らぬ町中へたどり着いた。

「喉が渇かないルナちゃん? ちょっとそこの喫茶店に入ろうか」
「いいですけど、さっきの口調はやめちゃったんですか?」
「あんなの演技に決まってるじゃないか。さあ早く行こう」

ナツキさんは半身に潮をかぶっているので匂いがすごい。
この人とお店に入るとナンパされて着いていったみたいに感じる。

おしゃれな西洋風の喫茶店で、特に変わったところはない。
ナツキさんはメニュー表を指さして注文する。
二人分のモンブランとチャイ(紅茶)が運ばれてきた。

「僕がこの国に来た理由をまだ君に話していなかったね」
「ユウナさんに離婚話をするためではないんですか?」
「僕はユウナのことが好きだ。嫌いになったことなんてないよ」
「では列車の中で私に告白したのは?」
「その場のノリだ」

つっこみにくい……。ノリで告白する男性って……。

「辺境の地に来て、自然の雄大さを肌で感じれば
 妹達も君みたいに変わってくれると思っていたんだが、
 そう簡単にはいかないね」

「私だって、いろいろあったんですよ」

「そうなのかい?」

私がアツト君とウランバートル国際空港に降り立った時(前作参照)
水谷さんのお姉さんから受け取ったお金(200万のワイロ)を元手に
まず宿を探した。事前に準備をしてない、いちからのスタートだったから
苦労した。適当な宿にチェックインすると水道の水は汚れてる。
お風呂の水がいつまでたっても温まらない。

しかも冬の時期だったので翌日は一面の雪景色。吹雪きの日もあった。
日本から持ってきた安物のダウンジャケットじゃ全然役に立たない。
町へ行って服屋を探そうにも、日本円しか持ってないことに気づいた。
急いで町の一番大きな銀行に行って国際通貨のUSドルへ両替する。
煩雑な手続きでしかも日本語は全く通用しない。

私達は外国での生活を舐め切っていた。町の人に英語で話しかけても
99パーセント通じない。言葉の壁を感じモンゴル語の会話ブックを買う。
アツト君が市電の中に大切なお財布を置いてきてしまった時、
私は散々怒鳴った。私達が喧嘩したのは一度や二度じゃない。

不便な外国暮らしで些細なことがあるとすぐ口論になった。
それでも私達は日本に帰ることはできない。
帰ったらボリシェビキにつかまって粛清されるからだ

私たちは喧嘩するたびにそれを乗り越えてたくましく成長していった。

なんど故郷の足利市を夢に見たことだろう。
ホームシックも我慢し続けると何も感じなくなってくる。
懐かしい「しょうゆ」や味噌汁の誘惑にも打ち勝てる。
必要なのは忍耐力と覚悟なのだ。
中国国内を旅した今は味覚がすっかり変わって辛い物ばかり食べている。

試しにモンゴルで遊牧生活を体験してみた。ここならお金がなくても家畜さえあれば
食べるものには困らない。そう考えたからだ。しかし若者の安易な考えにすぎなかった。
遊牧民族の生活は朝起きてから夜寝るまで家畜の世話とテントの設置、補修に追われて
休む暇などない。しかも大自然と戦いながらの体力仕事。私は炊事と裁縫を手伝った。

日本のブラック企業の労働とは全然違う過酷さがあった。真冬の時期は
零下30度まで気温が下がることもある。ゲルの中で最大の火力でペトゥカを
燃やしても隙間風に震えて一睡もできず。朝起きてもトイレなんて気の利いたものはない。
生理用品もないのには困った。朝テントの外に出る時は、完全防寒でないと
凍傷になる恐れがある。およそ日本の女性が生活できる環境じゃない。

町ならお金を稼ぐことができる。日雇いのバイトでお店の皿洗いをしたことがある。
現地は物価が安くて日本から持ってきたお金が減らないのは助かる。
でも稼げるお金の数も少ない。時間がたつほど長期の逃亡生活に不安を感じていた。

そこで私たちは旅の最後にチベットの天空の大地を訪れ、頃合いを見て
西安から上海まで行き、成田空港に帰ろうと思っていた。
その途中で高倉兄弟と出会ったのは運命の導きとしか考えられない。

「って聞いてないし」

ナツキさんは途中で居眠りをしていた。
頬づえをついた顔には、不思議とあどけなさが残る。
栃木ソビエトの中央委員に属するエリートの顔はそこにはなかった。

「うん? もちろん聞いていたよ。モンゴルの冬についてだね」
「ふふふ。ナツキさんったら子供っぽいところもあるんですね」

「……僕もいろいろ背負うものがある身でね。逃げたいと思うことは
 何度もあった。それでここで逃亡生活をしてるのさ。旅行ってのは嘘だ」

「ユウナさんから聞きましたけど、栃木ソ連内では近親婚には否定的なようですね」

「我が国の世論は敵国の自民党によって操作されたようなものだからね。
 全く腹立たしい。委員会のメンバーでさえ僕らの離婚を望んでいる」

「ナツキさんはどうしてユウナさんを選んだんですか?
 アユミさんを選ばなかったのは理由があるんでしょうか」

「……実は政治的な打算があった。ユウナは学園の教頭だ。
 あの子は僕の愛情が不足すると仕事を休むことも珍しくない。
 生徒へ八つ当たりまでするらしい。
 その点、アユミは家で養われている身だから社会的な害がない」

「でもアユミさんはリスカをしてしまった」

「そうだ……。それが問題なんだ。結局ユウナを選んだのは間違いだった。
 いや間違いではないかもしれないが、どっちを選んでも泥沼になる運命だったんだ」

ナツキさんは頭を乱暴にかく。
ふぅーと息を吐いてから紅茶を全部飲み干した。

「僕は昔好きだった女性が一人だけいる。高野ミウだ」

今から10年以上も前のお話。ナツキさんが高校2年生の時。
橘アキラ生徒会長の時代に、組織委員部の管理者だったナツキさん。
ミウさんを強引に勧誘してボリシェビキの幹部にまで仕立て上げる。

同じ職場ということで親しくなり、ミウさんと一時期恋仲になるもすぐに破局。
ミウさんには太盛さんという絶対の恋愛対象がいて、初めからナツキさんの
入り込む隙間はなかった。あれほど勝ち目のない戦いをしたのは生まれて初めてだと
ナツキさんは皮肉っぽく言う。

「高1の時同じクラスに井上マリカって子がいてね。
 成績が良くて頭の回転が速い子だった。僕とも気が合った。
 あの子は……どれだけ勧誘してもボリシェビキにはなってくれなかったな」

「その人は今どうしてるんですか?」

「資本主義日本の東京で暮らしているよ。
 連絡とってないから知らないけど、結婚してるんじゃないかな。
 弁護士事務所で働いてるそうだよ」

すごくクールで知的な感じの女性をイメージした。
なぜだかその人に親近感がわいてしまう。

「マリカの時もミウの時も、ユウナは怒ったものだ。僕がメールしてるのを
 めざとく発見しては、彼女たちの悪口を言いまくる。
 あの子は僕が他所の女の子と仲良くするのが我慢できなかったんだ」

「学生の頃から嫉妬深い奥さんみたいなことを……。ちょっと異常ですよね。
 血のつながったお兄さんをそこまで愛してしまうなんて」

「気が付いたら僕のことを愛してしまったそうだ。
 女の子が男を好きになる理由なんて実はないんじゃないのかな。
 気が付いたら恋に落ちていたなんてよく聞く話だよ」

「今後はどうなさるおつもりなんですか? ユウナさんとの婚姻関係を
 続けるにしてもソ連に帰ったら生活しにくいと思いますが」

「ヤムドク湖を見学した時、いっそバスが崖から転落して死んで
 しまえばいいとさえ思っていた。嘘じゃなく本当に」

「……そこまで追い詰められていたんですか」

「死は逃げだ。僕は自分の意志で死ぬことはない。だが事故なら
 その限りじゃないだろ? 僕は路肩のない山道の下をずっと見降ろしていたんだ。
 そしたら本当に落下した乗用車の残骸があったんで笑ったよ」

「ナツキさん。死んだらいけません」

「分かっているよ。僕には大切な家族がいるのだ。
 自分の命よりも大切な家族がね」

ナツキさんは、また昔話を始めた。

ナツキさんが高校一年生の時、ボリシェビキの試験に合格して
組織委員部(現在は廃止)に加入した。会長橘の双子の妹、
アナスタシアの推薦により初めから合格は決まっていたそうだ。
組織委員部の長になるにも彼女のポートが大きかった。

『おうナツキ。おまえ、学校で責任のある仕事を任されたんだってな』

ナツキさんのお父様は、40を過ぎると仕事への情熱をすっかり失っていた。
毎日昼過ぎに起きては、日本酒を開けてテレビを見て過ごす。
求人活動はすっかりしなくなり、妻のパート代と実家からの仕送りだけで生活してる状態。
若い時には信じられないほど多くの貯金を持っていたが、それも切り崩していよいよ
限界に達しそうになった時。

『うちの家は子供を大学に出す余裕はねえから大学には奨学金で行ってもらう。
 俺の金じゃユウナの高校の学費を出すので精いっぱいだ。お前もユウナも
 金持ち私立に入れてやったからな。学費が飛ぶようにとられるんで困ったもんだぜ。
 ははは。子供の教養のために金に糸目をつけるつもりはねえがな』

夕食の席での話だ。いつものお父様は酔っぱらって目が座っていた。
だが真面目な話をする時はエリート商社マンだった頃の輝きが瞳に戻る。

『父さん。僕がアルバイトをして家計を助けるべきじゃないのか』

『ばっかやろう。学生のうちは勉強に専念しろってんだ。うちだって無理すれば
 ちょこっと金を都合することはできんだぞ。おまえは少しでも稼げる仕事について、
 そこからお金を稼いでも遅くはねえはずだ。収入をな、目先の小金じゃなくて
 将来の視点で考えるんだ。人生設計だ。お前みたいに優秀な奴は絶対に大学を
 卒業して大卒の収入を得た方がいい。高卒とは生涯で2億以上の差が出るんだぞ』

『でも大学に入ったら少しはアルバイトをさせてくれよ。
 アユミはどうするんだ。最悪アユミは高校にすら行けなくなってしまうだろ』

『アユミは……気の毒だね。末っ子だから一番学費が回してやれねえからなぁ。
 近場の学費のかからねえ公立でも受験してもらうしかねえだろ。
 そうなると……高卒で働くんだな。あいつは器量が良いからどっかに
 嫁ぐことになるのかね。いい相手でも見つかれば幸せになれるんだろうが』

『あの子は父さんが働かないせいで大学にも行けないのか。
 アユミは決して成績の悪い方じゃない。
 うちの家系はそれなりに勉強のできる方だと思っているだけに残念だ』

『俺も悪いとは思ってるがな。どうしても会社に所属して働きたくねえ。
 俺は会社に属するタイプの人間じゃないからな。だがな。俺は馬鹿じゃないんだ。
 家にいても金を稼ぐ方法がある。今まで一度も試さなかったが』

お父様は毎日PCの前でかじりつくようになる。
なけなしの貯金を元手に、最後の賭けに出たのだ。

『外国為替証拠金取引』いわゆるFXトレーディング。

お父様はかつて原油をはじめとしたエネルギー系の先物取引で
大きな利益を得たことがある。それは商社マンだった頃の時代の話。
今は大きなブランクがある上に、会社単位と違って個人でやるのは規模が小さくなる。
周りに専門家や仲間もいないので情報収集力にも不安が残る。

お父様は200万円の元手を両替した。
USドル、香港ドル、AUD(オーストラリア・ドル)
この3種類の通貨で為替の利益を狙う。

いずれの国も通貨の信用性は高く、地政学的、政治的リスクが異なる。
しかしお父様の投資額は実は「5700万」に膨れ上がっていた。
彼が使ったのはイギリスの証券サイトで、投資元本に対し最大で500倍の
レバレッジを駆けられる。信用取引は証券会社からお金を借りてする取引のこと。
証券会社に「証拠金」というお金を預ければ、その何倍ものお金を借りられる。 
倍数をレバレッジと呼ぶ。

「外国為替」「証拠金」「取引」

リスクの大きさは最大。決済には時間の定めがある。
含み損がある状態で期日まで持っていると強制決済される。
損失分は借金として証券会社に返済しないといけない。
※「追証」のこと。

香港ドルがいきなり暴落してマイナス1400万の評価損。
しかし米ドルとAUDがどんどん上がる。
最終的にはプラス500万円の儲けで決済をする。

お父様はたったのニか月で500万もの利益を出した。
しかし為替の世界は紙一重。決済するのがあとひと月遅かったら、
1200万以上の借金を背負っていた。

この事実を聞いたユウナさんは激怒した。

『こんな無謀すぎる取引してバッカじゃないの!!
 こんなの10回やれば9回は負けるギャンブルよ!!
 今回はたまたまラッキーだったようだけど!! 
 もう二度とこんなことしないでよ!! したら本気で殺すわよ!!』

『お前に言われなくても百も承知だっつの。
 心臓に毛が生えてる奴じゃなけれりゃ、こんな取引二度とするもんかよ。
 これでも原油の先物取引に比べたら可愛いもんだがな』

かつてエネルギー担当部門のトレーダー室で勤務した経験のあるお父様。
実際に中東の支部に転勤し、ドバイの原油価格と北海ブレント石油に
影響する商品の取引をしていたそうです。

石油は市場の供給量、サウジやロシアの政治不安、戦争のリスクなど
様々な不安要因で価格が決まっていく。スプレッド(変動)は為替より
もっと過酷で、神様でもなければ利益を出し続けるのは不可能だとか。

『いいか。おまえらも原油にだけは手を出すんじゃねえぞ。 
 素人の手に負えるもんじゃねえ』

『するわけないでしょ。先物取引とかバッカみたい。
 どうして男の人たちは一発逆転みたいな賭けに出たがるのよ。
 これだから資本主義の世界は嫌なのよ。堕落しきっているわ。
 市場は常に一握りの勝者と多数の敗者により形成される。
 中世の封建社会から全然進化してない。むしろ退化してるわ』

ユウナさんは市場経済の原理を憎んだ。
マーケット(市場)とは、あらゆる国のあらゆる人の思惑が交差し、
よくわからない動きをする。だから多くの人を混乱させる。
市場の動き一つで多くの労働者が職を失い、経営者まで自殺に追い込まれる。

FXトレードに代表される危険な取引で問題なのは、取引に参加する人よりも
この仕組みを作り出した人間たちだ。だから粛清する。高校生の時から
ユウナさんが熱烈なボリシェビキだったことが良く伝わるエピソードだ。

とにかくお父様はアユミさんの学費が稼げた。アユミさんはのちに
私立の大学に通うことになるけど、実は社会人になったナツキさんが
学費の半分以上を負担してくれた。

アユミさんはナツキさんに惚れこんでしまった。
もともと大好きだったのに、お金の援助までしてくれたのだ。
彼の健気さに妹のユウナさんも惚れこんでしまい、妹ハーレムが形成され現在に至る。

「働かない父に腹を立てたことは何度もあった。男同士で殴り合ったこともあった。
 僕の父はろくでなし野郎だったが、口だけは達者でね。
 こんな言葉を残してくれた。妹達に関することだ」

 ―男は女を守ってやらないといけない。
 ―年長者は年下を守るべきだ。
 ―女を守ってやれるだけの優しさを持て。

「だから僕はユウナとアユミに対して兄じゃなくて父のように振舞った。
 高2の秋に生徒会長に就任すると伯が付いたのか父も母も僕の言うことに
 従うようになる。たった17歳の少年が、家では家長のように振舞うことを
 許されたんだ。不思議な気分だったよ」

ナツキ会長時代の学園では、相次ぐ収容所からの脱走。
そして行政執行の最前線である保安委員部の離反事件があった。
カリスマ副会長のミウの力を借りて事態を鎮静化し、
生徒会の絶対的な権力を誇示した。
ミウの作り上げた数々の校則が、今でも学園で使用されている。

高倉ナツキ会長は、個人としては冷酷でもないし、温和な人物のため
ボリシェビキとしてふさわしくないとする評価さえあった。

彼の最も優れているところはマネジメントの才能であった。
組織を効率的に動かす役割を担うものである。

彼が最初に所属した組織委員部とは主に人事を担う組織だった。
そこを起点に経歴をスタートしたことも大きい。

ナツキは会長として特別に指示を出したことはほとんどなく、
中央委員会の総会で各員の意見をよく聞き判断を下したに過ぎない。
また能力不十分なものはすぐに入れ替えた。これがいちいち的確であった。
特に反乱の鎮圧と恐怖政治の強化のために
ミウの頭脳と発想力を最大限に使用したため、実際には副会長の政権ともいえた。

そのミウを生徒会に抜擢したのも彼である。人事の天才だった。

「そのナツキさんでさえ、妹さんの件で答えが出ないのですね」

「これが政治の問題だったら中央委員会で話し合えるんだがね。
 兄と妹の関係は極めて個人的な話なってしまうのが困りものだ」

「もうどちらを選ぶもないと思いますよ。私もアツト君と同意見です。
 やはりお二人をできるだけ平等に愛するべきでしょう」

「そうか。君もそう思うのか」

「はい。あくまで私の意見ですよ?」

「ならその意見を採用する」

これで話がまとまってしまった。
私は会議をしてるつもりはなかったんだけど、
大真面目に採用するって言われたので少し怖かった。

同志よ……。本当にそれでいいのですか?


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