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作品名:『チベット高原を旅する』〜三人の兄妹の悲劇〜 作者:なおちー

第5回   「私は姉妹の中で一番下でしたから、お姉ちゃんって呼ばれたことなくて」
     ・チャカ塩湖

     青海省海西、モンゴル族チベット族自治州、烏蘭県チャカ鎮にあり、
      「チャカ」はチベット語で「塩湖(えんこ)」を意味する。

     塩湖にできた塩の結晶の層に反射し、青空と白い雲、遠くの山が引き立て合い、
     チャカ塩湖は鏡のような効果を発揮し「天空の鏡」となる。

      秋のチャカ塩湖は水と空が一色になり、多くの観光客が絶景を眺めに訪れる。

         「中国網日本語版(チャイナネット)」


※ アツト

現地に着いたのは正午過ぎだ。雲が多くて絶好の観光日和ってわけにはいかねえが、
素晴らしい景色だぜ。俺らの地元には渡良瀬遊水地って名前の、日本では
五番目に入るほどの広大な湿地帯があるんだが、チャカに比べたら
鳥かごみたいなもんだな。スケールが違う。

観光客共が靴下を脱ぎ、潮の上を歩いてやがる。潮はまじで鏡そのもの。
地平線の彼方まで続いてるぜ。しかも全周にわたってだ。
湖のレベルじゃねえ。海だぞこれ。

「わーい、お姉ちゃん。一緒に写真撮ろうよー」
「はいはい。今行きますから」

残念なことに上は俺の妻とナツキの会話だ。
やっこさんは幼児退行現象でもしたのか、俺のルナを自分の
お姉ちゃんだと勘違いしてるみたいですっかり甘えてやがる。

深夜の列車内でも大変だった。野郎が突然妻のベッドに侵入しようとしたんで
さすがにぶん殴ってやった。水筒でな。そしたら鼻血が出たんで大泣きしてやがる。
29の男がだぞ? また係の人が来てさんざん説教された。悲しいのが
日本語で説教してくれないので何を言ってるのかさっぱり分からねえってことだ。

ユウナちゃんが中国語で会話をしてくれたんだが、
どうも次にふざけたら途中の駅で強制降車させられるらしい。
俺らは恥をかくためにチベットに来たんじゃねえんだがな。
ユウナちゃんらと真剣に話し合った結果、
この野郎の世話をルナにまかせることにした。


それにしても波乱万丈の旅だ。さすがの俺様も胃袋の服用を始めたいレベルだ。
いや薬に頼るのはよくねえ。何か憂さ晴らしでもしねえとな……。

「アツト君。私たちはあっちで遊びましょうか」
「そうっすね」

ユウナとアユミは俺と行動してくれる。
素足で真っ白な砂浜に立ち、ポーズを決めるのでスマホで撮ってやる。
今さらだがこの姉妹、美人過ぎてチベットでも目立つな。
あたりにいる若いアジア人と比べても余裕でこっちの方が美人だ。

アジア人どもは自撮り棒が好きなのか、老若男女問わず持っている。
塩湖周辺ではそこいら中から自撮り棒がにょきにょき伸びてやがる。
どいつもこいつも景色を見ることよりも撮影に専念しちまってるな。
俺も人のこと言えねえが。

せっかくなので俺も撮影してもらった。写真を見せてもらったらやはり俺はブサイクだ。
緊張したためか、アゴがとがってるからどう見てもカイジじゃねえか。

俺の写真写りがあまりにも悪かったもんで、二人の姉妹は笑ってやがる。
まったく……こういうのも悪くねえな。旅に来て初めて笑った顔を見たぜ。

しかし大自然とは言い換えれば壮大な田舎なわけで、これといってやることもない。
赤い立て看板に、黄色い字で「火器注意、ゴミ捨て禁止」
など中国語と英語で書かれている。
珍しいので撮影しておこう。俺は現地語で書かれて看板や石碑は必ず撮る。

何の意味があるんだって思われるだろうが、こういう何気ない場面を
撮影しておくと、10年ぶりに写真を見返したときにここの風景が
ふと思い浮かぶもんなんだ。駅の時計とか時刻表とかもおすすめだぞ。
他には匂いか。ここの風とか潮の匂いも記憶を呼び起こすのに役立つ。

「あんなところに車道があるんだ」

アユミは双眼鏡を手にしている。ニコンの小型双眼鏡だ。
たぶん数キロ先に車でも走っていたんだろうな。試しに借りていいかと
聞いたら快く貸してくれたので覗いてみる。ほほう。
何もない山の景色かと思ったが、山肌には車道があって確かに車の往来があるぞ。
別の方角には鉄道もある。ポタラ級を小さくした感じの真っ白な寺院も見える。

観光客共の楽しげな様子も、これでもかというくらい鮮明に映る。

「アユミさんはカメラは持たねえ主義なんすか?」

「うん。だって双眼鏡の方が今この瞬間を楽しめるじゃない。
 カメラは撮影したものを後で楽しめるけど、双眼鏡は今を楽しめる」

「なるほど。確かにすげえ綺麗に見えるっすね。視界は広いし景色が光り輝いて
 見えるっつーか、カメラ越しに見るより百倍くらい高解像度っすよ。
 筐体も高級ラバー素材で作られているような。まさかとは思いますけどこれって」

「アマゾンで14万円だったかな?」

「そんなに高級品だったんすか!! サーセンすぐ返します」

「いいっていって。使ってていいよ。
 私の誕生日にお兄ちゃんに買ってもらったものだから」

最近の双眼鏡ってこんなにすげえのかよ。妻のカメラもそれなりに
高級品なんだが、妻のカメラで撮影した写真よりこっちのほうが
綺麗に見えるのは気のせいか?

デジタル技術で撮影したものと、肉眼で直接レンズ越しに見る世界は
全然違うみたいだ。アナログとデジタルの違いだ。ちなみにオーディオの世界でも
アナログ(レコード)の方がデジタル(CD)より音が良いのは常識とされている。

駅の線路沿いにワゴンがある。ハンバーガーやケバブが売っているようだ。
俺は特に腹は減ってなかったのでペットボトルの紅茶を買った。
アユミはミネラルウォーターを二つも買い、リュックにしまう。
ユウナは興味ないのか何も買わず難しい顔をしている。

ベンチに座りたいところだが、先客がいたので仕方なく
三人でコンクリの上に座る。アユミがお菓子を分けてくれた。
おっ、駅で売っていたポテチか。なぜかチベットではポテチが
たくさん売られてるんだよな。しかも袋が気圧のせいではち切れんばかりにパンパンだ。

パンパンと言えば……。ユウナの胸もやばい。
結婚してからあきらかに巨乳になってるよな? ヤッケ越しにも伝わる大きさ……。
禁断の果実……。ちっ……人の奥さんをエロい目で見ちまった。

「そいつのはただの脂肪の塊だよ」
「うるさいわねアユミ」
「はは……ばれてたんすか」
「やらしい視線はすぐわかるよ」

これじゃ奥さんを交換したようなものだ。
雲が流れていき、日差しがこぼれる。
チャカの反射がまぶしすぎて、俺達はしばらく言葉を失う。

ここ……地球なんだよな? 潮のすぐ上に雲があるし空が近い。
遠方に見える山々。遠くを走る鉄道。すべてを湖が反射する。
地平線を境に、そこから上と下で二重の世界を描いてるんだ。
そしてこの鼻を突く匂い。モンゴルでもこんな景色観たことねえわ。

カメラにお金をかける奴の気持ちがよくわかる。
ここにいると、小さいことなんてどうでもよくなるぞ。
今まで資本主義がどうとか、どんだけくだらねえこと
気にして生きてたのよ。ここに来れば人生変わるぞ。俺が保障する。

「僕ねー、お姉ちゃんのこと、すきー」
「はいはい。ナツキ君は元気いっぱいね」
「のど乾いたー」
「どこかに自販機でもないかしらね」
「お姉ちゃん何ってるのー。自販機は日本にしかないんだよ」
「そうだったわね」

確かに外国では自販機ってみねえな。ところで俺の隣で
ユウナちゃんが力強く握りしめた拳で地面を叩いてるんだが。
一度自分の顔を潮の上で確認するといい。般若の顔が映っているぞ。

ユウナは俺から高級双眼鏡を奪い取り、兄貴の監視し始めた。
せっかくの高解像度がもったいねえ。素直に景色を見ればいいものを。

「アツトさんはどう思うの?」
「というと?」
「兄のことだよ」

アユミさんと俺の会話だ。

「こういうのは同じ男性の方が分かるもんだと思ってさ」
「妹の相手をするのに疲れて姉萌えに目覚めた……ってとこすか」
「ルナちゃん年下の22歳なのに姉萌え?」
「たぶん誰でも良かったとか」
「どうしたら元に戻るのかな?」
「時間が解決してくれると思いますよ。多分今の同志閣下は
 いろいろやばい状態です。仕事の疲れとかも相当溜まってるんじゃないすか」

仕事の疲れは当然あるだろう。去年は栃木ソビエト誕生元年だ。
悪の自民党との三度にわたる戦争を経て建国宣言をしたのだ。
その後、妹と結婚するも末の妹が自殺未遂のリストカット。
むしろ自殺してえのはナツキさんの方かもな。

どうでもいいが、ここ最近俺のモノローグの割合多くねえか?
この作品は高倉兄妹の話のはずなのに俺がメインになりつつあるぞ。

「ルナのやつ、殺す。殺してやる。絶対に許さない。殺す」

もう黙ってろよユウナ。人の妻相手に物騒なこと言ってんじゃねえ。
俺だってむかついてるけど我慢してるんだぞ。

「頭では理解していても心は別よ。もう我慢できないのよ!! 
 兄が私以外の女とイチャついてるの見せられると正気でいられない。
 ムカムカして頭が沸騰してしまうわ!!」

カップラーメンみたいっすね。
俺は日清と明星が好きなんすよ。

「ユウナさんは結婚してからもそんな感じだったんですか?
 だったらナツキさんも窮屈な思いをしたんでしょうね。
 少しは夫のことを信用してあげたらどうっすか。
 ナツキさんは今幼児代行現象を起こしていて、
 ルナは仕方なく幼稚園児の相手をしてるだけなんすよ」

「あの背丈の人が幼稚園児なんて無理があるわ。
 ほら見てよ。手なんか繋いじゃってあんなに笑って……。
 どうみても浮気現場にしか見えないのよ」

やっこさんもあんな顔で笑うんだな。
ボリシェビキモードの時は政治家っぽい雰囲気を醸し出す癖に。
この旅行に参加して初めてだぜ。高倉家の人間があんなに
楽しそうにしてるのを見るのはよ。

ルナの奴もなぜか頬を赤らめてエスコートしてるのは目の錯覚か?
美形で長身のナツキ相手だと女は誰でもああなるのか?

「ルナ、今俺の瞳に映っているのは君だけだ」
「そんな……困ります」

おい。巣に戻ってんじゃねえよ!!

「大丈夫。今なら誰も見てないよ」
「そんなぁ……だめですぅ……」

いや見てるよ。ここは世界有数の観光地だ。
少なく見積もっても100人以上いるんだぞ。

「目を閉じるんだ。あとはすべてを僕に任せてくれ」
「だめですってばぁ……」

その時、ユウナが全速力で駆けてナツキの顔をぶん殴った。
ぶっとんだ野郎は潮の中に体全身を突っ込んでやがる……。
あれ洗濯しても匂いが簡単には落ちねえと思うぞ。

「ただいまの暴行は容赦がない。いかに妹といえど許せず。
 なにゆえ我を殴るのか。理由を述べよ」

「堂々と浮気しておいてよく言うわ!!」

「何を言うか。お主こそ我とルナのひと時を邪魔する権利などない」

「権利あるわよ!! ありまくりよ!!
 夫の浮気現場をみて黙って見過ごせっての!?」

「あのっ!!」

ルナが叫んだ。でかい声だったんでユウナがひるむ。

「もういいじゃないですか。そんなにナツキさんを怒鳴らないで上げてください」

「何言ってんの? あんたもキスされそうになったら止めなさいよ!!
 普通に受け入れようとしてんじゃないわよこのアバズレ!!」

「アバズレ……って何ですか?」

「ふむ。昨今の若者はアバズレの意を知らぬと申すか。ならば我が説明しよう」


・阿婆擦れ
      品行が悪い女性、不貞な女性を罵る語。
      エゲレス語にてビッチを指す言葉成り。
                       
「勉強になりました。ビッチの語源だったんですか」
「そなたのことを指す言葉ではない。安心せい」
「その口調!! なにそれ!! 変だよ!!」

「やかましいと申しておるのだ。娘よ。いな妹よ。
 我はナツキにしてナツキにあらず。深い瞑想によって
 古代を生きたラマ僧の魂を宿すものなり」

「ラマ僧……?」

           ・ラマ僧
 チベット仏教における僧侶の敬称の1つ。「上師」と訳されることがある。

  チベット語で上人(しょうにん)あるいは聖人という意味で、
  サンスクリット語のグル(師匠)に相当する。
  異説として、バラモン(brāhmaṇa)から来ているのではないかという推察があり、
  実際吐蕃(とばん)王国初期の時代にはバラモン教の学僧に対して
  用いられた語でもあった
                      
                                wiki より


「我は深き瞑想より真の断りに目覚めたのだ。
 ユウナが列車内で永遠と妹の恨み言を並べ、大変に不快に
 思い安らかに目を閉じていた我はついに心理に達する」

「目を閉じてたっけ? ずっと私と言い争っていたと思うけど」

「やかしましいぞ。今の我は心理を述べるのみ。
 そなたに重大なる報告がある。我との婚姻を解消せよ」

「なんですって!?」

「我とそなたは近親者の関係にて婚姻を結ぶことは不適切なり。
 これ人類の古き理から導き出すこと。すなわち宇宙の真理成り」

「意味わかんないこと言ってんじゃないわよ!!
 普通に話しなさいよ!! どうせルナちゃんと浮気したいだけなんでしょ!!」

「愚かな。語るに値せず。ルナは既婚の身なり。我が手を出すと不貞となる」

「あのさ。自分で何言ってるかわかってんの? 列車の中でルナに告白してなかった?」

「そのような記憶は一切ございませぬ」

※ ルナ

政治家か!! とユウナさんが全力でお兄さんに蹴りを入れる。
私は全力でその蹴りをかばってしまう。文字通り体を張って。

「なんと!!」「ちょっとルナちゃん!?」

私は回し蹴りをもろにお腹に食らった。
ナツキさんを巻き込んで倒れこんでしまう。

「実に狼藉を好む妹だ。これ、そなたよ。無事なら返事をせんか」
「そんなに痛くないから大丈夫ですよ。ナツキさんが無事でよかった」

手と手を取り合い、起き上がる私達。

般若の顔をしたユウナさんが
拳を振って迫ってくるので逃げることにした。

なぜ私はこんなことをしてるのか分からない。
でも無性に逃げたくてしょうがなかった。


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